2012年8月30日木曜日

ヨハネの福音


ヨハネについて
 明らかに実際のイエスをモチーフにしただけの完全なフィクションであるし、どうやら筆者は職業作家でイエスに会ったこと
なんてちっともないというのが文体でわかる。だからダメというわけではないです。
 むしろ何度も何度も作家はイエスのモチーフを使って物語を作ってきたのであって、これはその初期の完成形であって、私個人の感想
でいうと、こいつは100%偽善者で、しかもどうやら体制側のぬるいブルジョアみたいな言い草だなと思いながら、旧約をしっかり
と読み込んで、ギリシャ哲学も勉強し、推敲を重ねて書いたんだろうなという感じがする。職業作家として手腕がある、
ヨハネは文章化、扇動家、トリックスター的な才能に恵まれているとおもわれる。事実、文学的に参照されるのはほぼヨハネの福音
そして黙示録です、この2つが、美、という観点でいくと、ソロモンについで完成されている気がする。ただそれが伝えている
メッセージは、イエスとはほぼ何の関係もない、ちんぷんかんぷんな、ちゃちぃヒーローどまりであることは疑い無い。現実感が
全くない。ただ、頭の中でこういう人がいればいいなという感じで作られている、復活したラザロもえぇ・・って感じだし
当然の話ですけど説教臭い(説教そのものなんだけど)。
 ただ、不器用な文体であったマルコなどを、装飾して演劇的場面にしたてあげた手腕は評価しないといけない、事実二千年も
読み継がれている物語なんだし・・・名言も多い。
 
 光ある内に、光の中を歩め・・・

Gospel LUKE ルカによる福音書


 ルカ
LUKE
 
 個人的にはルカという名前が好きですが、内容は好きではないです。
本人も語る通り、これは普及版というか、ブルジョア宣伝向けの福音書パンフレットで、極左的革命理論を訴えていたイエスを
まさしくイエスが毛嫌いしていた偽善者にしてしまっている。ルカはいわゆる世間的イメージのキリスト像を描いています
すべての人を分け隔てなく愛せ、許せ、善をなせ、神を信じろ、信じれば誰でも救われる、云々・・・
 まったくこれは偽善者のそれで「すべての人に抱えきれない重荷を背負わせ、自分はその十字架を追わない」
律法者、ファリサイ派とまったく同じ事です。本人もそれを自覚しているのか、マタイ、マルコでは繰り返される偽善者への
バッシングがルカでは殆ど無い上に、イエスの人間としてイメージも失われている(聖杯を取り除いてほしい、神よあなたは私を
見捨てたのか)、特にマルコのイエスは普通の人間が、苦しみながら生きていく、実存主義的な感動があるけれど
ルカにおいてイエスは完全に偶像化されています。
これは偽善者、為政者にお得な、押し付けるための宗教です。

 なぜそうなったのかは簡単にわかります、キリスト教がだんだんと権威、力を持つにいたって、革命理論としてのキリスト教は
使い物にならなくなった、自分たちが権力を持った今になって、革命理論を支持するわけにはいかない、権力を捨てよ
と言ってるのだから。でも権力はこれは、まぁいいものであって、捨てるには惜しい。よし偽善者になろう。というわけです。
ニーチェやら19世紀中頃から、徹底的に攻撃にさらされたのはこの偽善者としてイエスであって、社会主義、共産主義
マルキズムは、キリスト教を否定したといいつつ、実は、マタイ、マルコ的、特にマルコ的革命理論としてキリスト教を復活
させたといえるのではないでしょうか。
 突き詰めれば、権利、権力、金、力 etcは実は同じもので普通それは悪、と呼ばれるもので、それが悪である事を認めないのなら
それは偽善以外にはありえないというわけです。キリスト教の権力者というのははっきり言うが、絶対にありえない。
 善い、権力者というものもこれはまったくありえない。

2012年8月28日火曜日

マルコによる福音 gospel of Mark


マルコについて
 マタイのところにも書いたけれど、本当はオリジナルに一番近いのではないかと言われる、マルコ。文体がスッキリしていて、意味のわからないたとえが少ないように感じます。
 またマルコだけに描かれた、亜麻布を来たなぞの若者がいます。
A イエスが捕まって弟子たちが全員逃げた後で一人ついていって裸で逃げ出した。
B 毒薬を飲まないで十字架にかけられたイエスがついに弱音をぶちまけた後に、毒薬を差し出す為にかけよる
C 墓に入れられたイエスの墓を暴き、二人のマリアにイエスの復活を告げる
D マグダラのマリアだけにイエスが姿をあらわす。

 
 マルコによる福音ではイエスが復活したというのが、どうも嘘っぱちらしいというのが如実にあらわれていて、マグダラのマリアがイタイ狂信者のヒステリー女感が強い。なぞの若者は一体何者かはすごい気になる、そしてユダは自殺してない。じゃあなぞの若者はユダで彼が、イエ

スと共謀して、イエス復活の狂言芝居を打ったんじゃないかという線が残る・・・


 意図的ではないにしろ、新約は同じストーリーが4つの違う意図と語り口で語られるという特異な文体で書かれていて、芥川の藪の中、黒澤羅生門的な、まったくわけがわからねぇ、とうそぶきたくなる不思議さと面白さを持っている。こういう形式は挑戦してみる価値があるかもしれない。現代音楽が音色を大事にするように、現代文学は形式が一番重要だから。

 たぶん、ブルガーコフの巨匠とマルガリータはマルコによる福音をベースにして書かれている、そして太宰のユダについての小説、タイトル忘れた・・はマタイによるもの。マルガリータ、はハリーポッターの元ネタです。

2012年8月27日月曜日

マタイによる福音書 Gospel of Matthew

 まず福音の事をGOSPELという事を初めて知った。

 私が読んでいるのは文藝春秋文庫の新約聖書です、文春は私はダイキライだけれども、文庫の聖書ってのがあんまりないからこれを読んでます、どうせ新共同訳だし、他に英語のJAMES版も参考にしてます。この解説の佐藤優某もとても嫌い、というか私は外務省とか官僚のやつらはダイキライ。インテリ右派=糞自己中+口先だけのチキン

 
 マタイ、黙示録、ルカ、が引用されるのが一番多い気がします、あらゆる本の中で、創世記、モーセ、詩篇、ソロモンが続いてか・・・しかし最近マルコが実は一番原典?に近いらしくて注目されてるようです。
 
 
 ともかくマタイについて・・・


世間ではキリスト教=博愛主義、支配者が押し付ける保守的な社会維持哲学と思われてるように思えるけれど、キリスト教はユダヤ教のかなりの左翼で、実は少数革命理論を教えている。そしてイエスは信じれば誰でも救われるなんて言ってない、耳があるものは聞け(ほとんどのやつは理解する能力がない)と、選民エリート主義で一貫している。隣人、兄弟を愛せとは人類愛を歌っているのではなくて、自分の味方を愛せといってるようにしか普通に読めば読み取れない。味方じゃない人間は、徴税人、娼婦、ファリサイ派、律法者など、人間扱いしてないから。だれかが、キリスト教を人類愛的で博愛主義的で、好戦的じゃないものに無理やり変えた・・・その正体は・・・・便利な言葉でいうと、地主です。地主階級。

キリスト教は革命の宗教である、だから、テロリストは宗教を持つ、過激派は宗教を悪用しているというのは間違いで、キリスト教が、現在の自由資本主義体制と相容れないのはどう考えても明らか。私は平和でなく剣をもたらしに来たと書いてある、もちろん初期キリスト教徒というのは、トルストイが勝手に創造した倫理的な野郎どもでは全然なく、武装カルト教団だったのだから、そのパンフレットとして書かれたマタイがそうであるのは当たり前の話・・・・
 
 どこかでキリストは復活したという、エピソードが追加されているらしいのです、元々はイエス復活なんてことはありもしなかったし、書かれてもいなかった。60~80年頃に、誰が思いついたんでせう、何が目的で?

 

 

2d artist 雑誌について

 born digitalというautodesk系の出版社の雑誌がありまして、その名前が秀逸だと思いました。

 2d artist
3d creator

 アッー! って感じです、 競合雑誌は imaginefxというのもありますけれど。こっちのほうがいいですね。ともかく名前がいい。2Dは芸術で、3Dは創作なのか!わかりやすい。

 雑誌、MAGAZINEっていう媒体は、英米が群を抜いて強い、日本とかアジアって雑誌=俗悪下劣という感じだけれど、英米のは下劣さはもう行き切ってしまっているので、潔い。レイアウト、デザインも全然お話にならないと思う、基本パクリだし。日本の雑誌って面白くないし、中途半端な気がする、オジン臭い。出版社が言論の自由とか、活字の行方とかほざいてるのは鼻持ち・・・

 もちろん漫画雑誌という特殊ジャンルは圧倒的だけれど。もっと雑誌というメディアは可能性があるのに・・、テレビよりも、映画よりも・・・、何か頭ひとつ抜けた編集者というのがいないですものね。ギブリの鈴木某くらい?まぁ最近のアニメージュはひどい、アニメージュがひどいのでなくアニメがひどいのかもしれないけど・・・

 
 最近オススメのサイトコーナー

 http://uncyclopedia.wikia.com/wiki/Main_Page
wikipediaのなんだろう・・・インテリ世捨て人向け。インテリゲンツィアは最近はこういう事をしてる、社会改革に興味を失ってる・・・だけど面白い。日本語版はもっとひどいw


http://rutracker.org/forum/index.php
 ロシア人というのは、芸術に真剣だと思う、バカ生真面目といってもいいのかもしれないけれど、田舎者だといってしまえばそれまでだけれど。ロシア人には田舎者の良さがある。個人的に原爆を経験したというむかつく自慢よりも、社会主義を経験したというほうが、よい経験になってる気がする。ともかくロシアのネット世界は合衆国のくそわけわからない検閲から一番自由になるかもしれない、ともかくアメリカの圧力だけは拒否したがる大国はもはやロシアだけだと思う、中国もそうだけど、中国自体が検閲地獄だから・・・才能ってのは一番自由なところへ水道のように流れるもので・・・
 

 

2012年8月25日土曜日

アエネイス ヴェルギリウス・マロ BC11年 未完 Aeneid Virgil

   時々古代のものを呼んでいると、これが2000年以上も前のものだってことは信じられない、軍国主義日本の文献や明治の文献を読むと、あぁ明治は遠くなりにけりなのに、どうして何千年も前のものがこんなに新鮮で、活力に満ちているのやらという感じ・・・

 所有欲が戦争の元凶だとVは述べております、ホメロスなど古典古代時代には知的所有権が無く、すべての人間が参加者、すべての人間の宝として作品はできていた、例えば都市とか街のように作品はあった、けれども、紀元が始まる頃には、個人技で作品を作るようになっている、まだまだ作品はすべて自分のものとはいわないけれど・・
 聖書やホメロス、いわゆる伝説、など、アノニマスで巨大な作品をもう一度生み出したい、市民がみんなで作る都市を作りたい、誰かがここはおれの土地だ、などと言って好き勝手にやるものでなく、これはおれの作品だといって、それを見せるのに金をせびるようなこともなく・・・そんな巨大な作品を作れるだろうか?文明が進歩するにしたがって、芸術の知的所有権の強化のベクトルはずっと登りっぱなしである、これをまったく逆ベクトルにすれば、確実にそれは芸術のカタストロフであって、革命である、ピカソや印象主義の革命などとは比較にならない、凄まじい破壊、凄まじい創造、それが人類に出来るだろうか?新しい文明を作るのだ・・・

 ホメロスを超える作品は無いといわれてきた、今でもそういう人はいる、けれどアエネイスは生まれたし、カラマーゾフは生まれた、何時の時代でも、もう絶対に超える事は出来ないだろうというものは存在している、けれど実際にはまったく違うやり方でそれは克服されていく、今の時代はもうネタ切れだというのは絶対に間違っている、何時の時代だってそういうわれてきた、2500年前からそうなのだから・・・・果たして何が次の時代を作るんでせう・・・

2012年8月20日月曜日

yamaha graphic grandprix


 yamahaのコンペに向けて、イラストを製作中・・・pereatのイメージボードも兼ねる・・・群像が書きたい気がしたのでこんな感じ、まだデザインがかっちり決まってない・・・

 
 ごっつのDVD入手、おもろすぎ。ひとりごっつの自選集、visualbumも欲しい・・・

 splush waveという同人麻雀ゲームに時間をスポイルされまくってます・・・けれどそういうのもいいかなと、ドストだって賭博癖だし、一日8時間きちんと作業する芸術家なんて私はダイキライ・・・