2013年11月12日火曜日

勤労青少年の日 記念事業 若者を考える集い 2013 / 台風30号の話  COP19

一体何の話だ?とおもわれるかもしれませんが、随分前に、なんか作文などを書いたやつの参加賞として文集と図書カードをもらいました。参加賞で図書カードくれるなんて太っ腹ですね。文集もごっついし、郵便代と合わせて1人1000円はかかってますよ、NHKがスポンサーなんで、税金なんでしょうけどね。

 文集を拾い読みしてみますとなかなか楽しいです、文章はまぁ下手っぴなものばっかしだけれど、案外生の人間の声が見えますね、といってもやっぱり政府系の文集ですから、ムチャクチャな事を書いてるものはボツにされてますけど。Iは確か、雇用問題に文句を言うやつは、国家とちゃんと戦え、テロリズムでもいいから。願うだけではなんにも変わらないよ。みたいな、国家反逆罪応援みたいな事を書いた気がしますw そりゃ受かるはずねぇって。なんでそんなこと書いたのかは覚えてません。



 いろんな話が載ってますが、拾い読みした結果目立つのは、まず病気、障害ものです。アルツハイマー、精神分裂、脛骨、頚椎、などが釈迦になっちまって、家庭は崩壊、廃人ぐらし。働きたいけど働けないヒトもいるよ、だから働いてるヒトは文句言わないで頑張れ。ってやつです。
 あとは老人からのもので内容的には同じです、今になってもっとちゃんとはたらいたり勉強したりとけばよかったなぁって話。そして世紀末っぽい、ひきこもりや欝になってしまって、自殺衝動と紙一重で生きてるという話。あるいは非正規雇用やら契約社員やら派遣云々、政府はちゃんとしろっていう至極まともな批判。


 まぁみなさんてぇへんですなぁ。と思ったりしますが、やっぱしIは、死ぬのがそんなに悪いとは思えないですね。死ぬ時は死んだらいいんちゃう、どうせたかだか100年くらいのものなのだし。やっぱし人生はいいものだ、働くことは生きること、他人の為に役に立つのは嬉しい、と勝手に決められてしまうと、ただのオマエの価値観の断定じゃんか、と思ってしまいますね。
 どっかでIはそれって宗教臭いな・・・と思ってしまいますね。ほんとは人生ってどっちでも無いと思います。0なんでしょう。良くも悪くもない。意味もなく良いものだ、って断定するのは、宗教的方法ですけど、それってやっぱしありのままをきちんと見ないっていう卑怯なやり口だとおもいますね。


 それと政府がなんにもしてくんない、社会は腐ってるっていうのもどうなんかなと思いますね。44年には20くらいの若者に、飛行機で自爆しろって教えこんでた政府なんですよ、所詮。ちゃんと安定した雇用があったのなんて55年~85年くらいのもんでしょう、たかだか30年くらいなんですよ、景気が良かったのなんて。政府や社会が腐ってるというのも、むしろその腐ってるのが普通なんですよ、社会が平等だったことなんて今までなかったです。

 若者にはまともな仕事が無いというけど、20で殺されないだけかなり改善されてはいますよ。障害者についてもナチスは、障害者や精神障害者には毒ガスであっさり対処してたって話です、浮浪者も即死刑。失業者や貧困者を無くす最速の方法ですけどね。まぁそれはちょっと誇張なんでしょうけどそれに近かったって話です。自由市場ってものが、ほんとに機能すれば、ガスがもっと利用されるのでしょうな。jumping jach flash its  gas gas gas!!ってな具合に。



 将来が不安だというけど、別にいいんじゃないですかね30くらいで死んでも。不安なのではなく、無いんだ。と割り切れば。
 結婚しないでも、ガキなんかつくらいでも。何十年後かに、あぁ、若者にちゃんとカネを与えて、未来の世代を育成しなきゃダメだったんだな。って国家が崩壊するときに誰かが思うでしょう。国外に逃げようということをしきりに言う詐欺師がおりますが、誰も文無しを受け入れる国家はこの星には存在しません。貧乏人は国家から逃げられない。北の脱北者は最近は強制送還されて処刑されてるようです、強制送還したら処刑だとわかってるのに、どこの国も受け入れない。ホロコーストのユダヤ人状態ですね。


 そういうわけでやっぱしIは最初にIが考えた通り、本当に何か変えたいなら国家反逆罪や死刑なんて恐れていてはいけないよってことだと思います、逃げられないなら戦わねば。原発なんていらない、なんて願ったりデモしても、なんにもなんないです、まずアメリカの核ミサイル撤廃から手を付けるべきだと思うし。そりゃ原発は危険かもしれないけどやっぱし平和利用の為に作られたのは嘘ではにゃあです、核ミサイルなんて戦争以外にはクソの役にも立たないんだからまず、原発廃止よりも、核ミサイル廃止を訴えるべきでしょう、順番が違うよって話。それには、話し合いや合法的な運動では効果ナッシングです。本当に何か変えたいと思うなら、やっぱし命を犠牲にしないといけないもんです。



 どういうわけか人間30年、何かで成功したり運が良ければ70年ってことで。一握りの成功者を除いて人生30年でいいのじゃないですかね。そういうわけでもIたちはまたもや戦争の時代のニンゲンなんですから、短い人生をどう生きるかを考えないといけないとおもいますなぁ。



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 台風30号が洒落にならないことになっているというニュースを連日目にします。でもあの何人、死んだ、っての止めてくれませんかね。なんでその何人、何人。っていう数にそんなに拘るわけ?もっと建設的な話をしようぜ。何がいるのかとか、どういう状況なのかとか。何人死んだ、ばっかし伝えられてもどうしようもないじゃん。どうもなんかそのセンセーショナルな見出しを弄んでるだけにしか思えないです。



 ここ100年で最大の台風だって言ってますが、この先10年では大きな台風の内の1つでしかないでしょうね、それに対応するCOP19は今回もなーーーーーーーーーーんの成果も挙げないでしょうね。実際でも住める場所が減ってるのは事実なんでしょう。被害を受けてるヒトに言いますけど、先進国は自分たちの被害が出るまではなーーーーーーーーーんにもしないですよ。赤道±20くらいは死滅するかもしれませんぜ。出方を考えないとね。

2013年11月11日月曜日

MAKING 123 集中力のタイプ





 人数が多いカットは時間がかかるってこってす、言い訳ですw


 起きたのが12時ってのもかなりありますねw みなさんはでも集中力が持つタイプですかね?Iは30分仕事、30休憩、を繰り返すショートコンセントレートです。回復はまぁまぁ速いので、サーキットでやるのですが。4,5時間がガー―ットやってあとは完全にゾンビっていう、マラソン型もいますよね。1つのことならずっとやれるけど、たくさんのを一気にはできない、分業タイプ、いろんなのを同時にやりたいベクトル職人型。一日12時間を半年やってあと10年くらい廃人っていう映画監督破滅型もいます。午前中はだらだらして深夜にドラッグの力を借りて一気にやる明治文豪タイプ。



 NBAはペイサーズガチで強いですね、なんか体格がすげぇな!PaGがものすげぇ成長してるし全体的にすごい、運動能力がすごい。やけにしぼれていてなんか怖いです。ネッツのホームでもなんか凄みを見せましたな。プレイオフはやっぱヒート、ペイサーズがビッグマッチの予感やでー!

2013年11月10日日曜日

1975 MACINE GUNNERS  ロバート・ウェストール

 ・3/15日にはカエサルもそう思ってたんだろうな(事件が起こるのは今日じゃないだろうという意見に対して、3/15はカエサルの暗殺された日) 




戦争ものの児童文学としてくくられると、えっ!?・・・こんなのガキが意味がわかるかな?とおもうのですが
だんだんとこれは、確かにガキ向けの本であって、本質的な部分は、ガキにとって、トモダチってものがどういうものかっていう友情話になっていくわけです。

 でもほんとは、トモダチ、ってものの大切さに気づくのはやっぱしオトナになってからで、オトナってのはほとんどはトモダチなんて1人もいないわけで、バカ女と
セックスして子供っていう、強制トモダチを作るのが積の山だってわけです。そういうわけでやっぱしガキ向けの本ではない気がする。


 その、ガキにとって、トモダチってのがどういうものだったかな・・っていうのがたしかにこれはめちゃくちゃよく描かれています、戦争なんて実はあんましどうでも
いい。はぶられて、普段よりも、なんだろう・・・下位グループのトモダチしかいなくなって、それもいなくなって、ハブられた、浮いてる人間だけで固まって
そのハブられグループが何かをするってのは、テーマとしてひじょ~~~~に良いですね。

 現代であれば、そいつらがテロリストになって、学校中を虐殺する、っていう風に、自爆として描くと思う、あるいはもっと、悲劇的な結末にするはずです、そうせざるを
得ないから。たぶん戦争ものってことで、ハッピーエンドではないけれど、バッドエンドにはしないでいい余裕がある、どういうわけか戦争ものは楽観的に終わらせることが
出来るのです。学校でなく国家と対決するでもいいけれど。
この時代には敵、ってものがきちんと存在するから、良い方に進むけれど・・・・、前者はどういうわけか子供に読ませられる本にはならんのですな。


 ほんとガキってのはいぢめが好きで、というかヒトってのはいぢめが大好きなイキモノで、常に誰かをいぢめてないと生きていけないのですが
それが喜びの原点なのかもしんない・・・・いぢめるってことが。どんなエンタメだっていぢめ要素はあるものです、アリスはロリいぢめだし、エロだって基本そう
暴力ものはさらにそう、正義と名がつくものは常に悪へのいぢめがあるし、貧乏系の話、推理ものは警察の異端者へのいぢめです。いぢめなしで物語を作るのはかなりむずい。

 
 弱い者達が夕暮れ
更に弱い者達を殴る・・・

 
 ですね。弱いものいぢめというけれど、強いものをいぢめるのはいぢめじゃなくて、革命というのです。弱い者いぢめは卑怯じゃない、勝つための手段です。
みんなそうやって強くなる、強くなる以外に他に方法なんてない。刺し違えて強いものと心中するしか・・・

 いぢめっこかカクメーカか、どっちかなんですな。どっちでもないって結局いぢめを無視してるやつらが一番のいぢめっこなわけです。

 ガイ・フォークスがちょっと取り上げられているのがその暗示だとしたら、相当良く出来ている。けどこれはたまたま
上手くいったのでしょう。名作ってのはやっぱその偶然がバッチリハマるっていう運の要素がかなりある。




 やっぱしこの本に呼ばれてた感があって、PEREATの台本で悩んでたところもちょっと描けそうな感じがしてきました。本ってのは呼ばれるもんなんです、これはまぢで。




1975年か・・・・最近思うのですけどIたちってほんとに過去のことを何にも知らないですね、知りようもないのですけど。とくに戦後は著作権でがちがちに守られていて、ほんとは知らないといけないことは一切知らされない。知るにはカネを払えってわけで。観光名所みたいに入場料がとられるわけです、おまえが作ったわけでもなんでもないのに。

Making 122  /映画嫌い、の話   新しいフォーマット GANMA






 ず~~~いぶんぶりのMAKING更新。さぼってるわけではなくて、インプットをやるモードに入ったってことですね。



YOUKUが調子悪いすね。広告がイカれてしまってる、か、日本IPのブロックがunblock youku では突破できなくなっておるってわけで、プロキシを使えばいいのですがめんどうなのでいいかとおもふ。あぁ、あのテロですね、検閲がさらにハードになっているみたいです、中国電脳世界は。閉鎖されるかもしれませんね。閉店ガラガラ・・・




 小説を読むことが多いこのごろ、やっぱ、映画って未完成のフォーマットなのか、とも思う。小説ほど完成してない。映画って見るのが苦痛です、だらだらしすぎてる。小説は読むヒトによってスピードが全然違いますから、マンガも。だから小説やマンガのほうがサクサク読めて良いですよね、映画もやり方を変えるべきなんじゃないかと最近強く思ふ。映画ってスピードが絶望的に遅いんです、見てらんない。ゲームも自分のペースだし。ペースが相手側ってのは本当にもう耐え切れない。といってノベルゲーム、エロゲーみたいなものも、やっぱしずっと画面見ながらテクスト読むのはしんどい。本みたいに持ち運びが出来ないと駄目だし、ポータブルゲームは画面が小さすぎる。




 新しいフォーマットをはやくつくらないと、少しというかかなり前に、星降るっていう短篇を作りましたが、これは音楽もついた新しいデジタルマンガをPDFで作ったんですが、やっぱデスクトップでながなが物語を読むのはしんどい、肩こりがパネェし。といってタブレットやEリーダーは普及率も悪いし、高いし、遅いし、何よりPDFに対応してなかったりする。カラーに対応してないのもある始末。やっぱ寝転がって読めないといけないので・・・まだまだインフラが出来てないんですよね、調子にのって作っても読みようがない。

 ってか電子出版で本を買ってタブレットで読んでるってヒトどのくらいいるんですかね?10万もいないような気がするのだけど・・・。

 でもいつかは映画に変わる新しいメディアが誕生するでしょう、速い、映画のようなもの。GANMAという名前だけ提案しときます。

 



 

2013年11月9日土曜日

adventure of sherlock holmes 1891 シャーロック・ホームズの冒険 オーディオブック

http://www.booksshouldbefree.com/book/the-adventures-of-sherlock-holmes


 オーディオブックのリンク。


 冒険、ADVは初の短篇集で、どちらかというとここからホームズ人気は出てきて、先行した長編2つは短篇から興味を持ったヒトが遡って読んだっていう感じのようです。

 ホームズ自身が言うように、短篇集はデータからの論理的帰結が重視されていて、事件自体は深刻な事件、は少ない。必ず殺人事件が起こる、他の探偵物とは違っているのです。

 その中でも赤髭、親指、ぶな屋敷とかは、芯をくってる、というかアクション要素が強くて、冒険、という題にあってますね、
推理モノで、冒険、っていうタイトルは変ですものね。純粋な推理モノっていうよりは、007みたいな、なんだろう・・エンタメ小説でもあるわけです。そういうわけでは、やっぱ大衆受けするようなもの、元祖はかなりの程度ホームズが親玉なんでしょうね。
 こういうものって本当にこれ以前にはあんまし無かって、それ以降はこういうものしかなくなってくるっていう、まったくもって業界を変えてしまいましたね。そういうわけでは功罪がありますよね・・・

 携帯電話が他の通信、手紙やらを絶滅させたみたいに、話が長くて、おもっくるしい哲学的主題を書き連ねたり、だらだら恋愛を語るような作品は、一発で時代遅れにされて、絶滅させられたってことです。ホームズはそういうわけでは以降の作家の書き筋に甚大な影響を与えましたね、面白くないといけないってのは、恐ろしい制約です。すぐつまんない、って投げ出されてしまうから・・・


 またたまたま見たドキュメンタリーでは、現代の警察の科学捜査もがっちりホームズの影響を受けていて、そういうわけで実際の世界に影響を及ぼすという点でも、共産党宣言には及ばずともすごいエネルギーを持ったシリーズであるわけですね。ハリポタが流行ったからといってみんなが魔法を使うということは無いわけで。


 どういうわけか知らないけれど世間もホームズ再ブームのようなのです、ある種のシンクロニシティーですけど、映画もリメイクされて、ドキュメンタリーや、ドラマの再放送も始まってます。Iもなんにも考えずに風邪で仕事が出来ないから手にとっただけなのに。
 社会が不安定化して、犯罪が日常化して、日常が退屈になって、リスクがあってもスリリングな快楽を求めるっていう状態が、現代にシンクロしてるからなんでしょうかね。一番良いのは、これが物理世界の中の物語だってことでしょうね、だからシンクロすることも出来る。日常が退屈だからといってありもしないファンタジー、やれゲームの中に入ってしまった、だの、特殊な能力が手に入っただの、は実際に生きる糧にはほとんどならない、ただの何の根拠もない一般論、最後まで諦めてはいけない、みたいなことを伝えるだけです。

 だからあんましIはファンタジーや行き過ぎたSFって好きじゃない、やっぱし物理世界のルールは守るべきなんだと思いますけどね。じゃないと感情移入出来ないもの。制約があったほうが面白いっていうのであれば、物理世界という制約はやっぱし共通体験であるわけで面白いんだと思います・・・



 では次はMEMOIRでお会いしましょうw



 

2013年11月7日木曜日

星のカービィ3 1997  任天堂 / PS4 批判

 ちょっと全部のステージでおまけイベントをこなして、裏ボス倒すのは勘弁して下さいw そんな時間ないです・・・ 
 でもこういう裏面のほうがオモテ面よりも何倍も大きくて、どこまでやったらいいのかわかんないのは困りますよね。ヘビーゲーマーならいいんだけどライトゲーマー的にはシーキビです。作りてからするとごちゃごちゃ言われない裏面でやりたい放題やるのが楽しいんでしょうけど。他のメディアではありえないですよね、おまけのほうがボリュームあるってのは・・・・。


 カービィ3ってI見たことも聞いたこともなかったですね、SDX(スーパーデラックス)はもぉ、スーファミのボタンが凹んで帰ってこないくらいやり込みましたけどw そして64も持ってたし、スマブラもマリオ64も阿呆ほどやったし(あの頃の気合はまぁ戻らんですね~~、スター全部集めたもんなぁ・・あの純粋さはどこへいったのやら)カービィユーザーとしてはかなり思い入れあるのになんでカービィ64には一切手を出さなかったのかもわかりません。

 このゲームはヨッシーアイランドのカービィ版みたいなもので、でもゲームが出来た頃にはPSやら64の時代になっていて、うわたっ!ハード間違えた!みたいな不運に陥ってしまった作品みたいですね。ゲームのコンセプトとしても、原点回帰でかなりそぎ落としたゲーム、ゲームボーイみたいなゲームです。ほいで任天堂のスーファミのラストを飾ったソフトなんですってね。

 まったく宣伝もしなかったためにちっとも売れなかったある意味黒歴史ソフトのようなんですけど、Iはやっぱゲームってこぉいうデザインがいいと思いますね。ガキ、ナオン向けってわけでもないですが・・・


どういうわけか妙に悲しくなるのはなぜでしょうw
本当にガキのころトモダチがいて、妙にカービィとかが好きで、でもな~んとなくグループからは浮いてて、でもIも休み時間にマンガ描いてるようなタイプでしたので(でもそれほどIはういてはなかったけれど)、なんとなく気があって。そのトモダチ少ない子のうちで、一緒にカービィやったのをめちゃくちゃ思い出すからですかね。なんだろうあの感じはw 名前すら覚えてないけれど・・・・なんだこの話w でも本当にIが気があったのはともだち百人タイプではなくてそういうややネクラーソフのヲタクちゃんだったんでしょうね。でもそういう子とずっといるとだんだんその子とふたりぼっちみたいになってしまって、なんとなくいずらいものです・・・・でもだいたいにおいてIはそういう浮いてる子が好きで、そういう子に近づいてくタイプではあるのですけどね。
 


 そしてこのカービィ3もやたらそのトモダチとかパートナーを全面的に押し出すからなんか胸に来るのですかね、最初は孤独に戦ってたのに、カービィ・・。仲間キャラを変えると、変えられたキャラがさみしそうな顔をするのがすっごいヤダ。置いていけなくなるっていうか、どれも選べなくなる、そんなのって・・・・・・でも任天堂ってそういうちょい悲しい、みたいなの放り込んできやがりますね、ピクミンとかもそうだものな・・・


 絵面的にはやっぱIはこういうのが好きですね、リアル系は好かないし、テイルズとかスターオーシャンみたいなふる~~い80年台アニメ、マクロス的な
デザインはまったく肌に合わない。親近感0、といって京アニ、萌えスタイルも好きじゃない。ジブリも最近のはヤです、書き込みすぎ。未来少年コナンぐらいが
好きだったな・・。カービィもすごい良いと思います。ロックマンやや好き、キヌ系のカプコンデザインも好きですね。



 カービィってそいでちょっと毒があるっていうか、いきなりちょちょいとエグいのを入れてきたりするのですSDXも最後はちょっとシリアスはSFチックな敵が出てくるし・・・・。カービィ3も裏ボスは怖いって噂だけどそんな時間ない・・・・・(今YTのプレイ動画で確認・・・コワッw)

 やっぱその落差がでも大事ですよね、最初からシリアスでこられるとどっちらけです、落差がドキドキ感がある。書き込みまくりの重厚なマンガとかってなんか読む気しないもの。スクエアで確か・・・なんだったけな・・ゼノギアスだったかな?そんな感じのゲームがありましたが、なんだかグロ路線でおもた~~いゲームでしたね。それもなんか入ってこない。最初から全員シリアスなんだもの、7以降のFFもそうだって言われますね。もっと洒落がわかるやつだったです、バッツにしろ、マッシュにしろ、クラウド以降ビジュアル系のクールになってしまってついていけませんね。韓流ブームだのEXILEだのジャニーズだのに一切ついていけないのと同じで。メタリカだの、スリップノットだのならまだついてけるけどw(ちょと違うようですね)
 もっと馴染みやすいキャラクターが、どんどんシリアスなものになるっていう落差が、大事だと思いますね。ギャップ・・・というか・・・、リアリティ・・・・


 かなりEVAのあれなんですけどね、ダークマターとゼロは・・・・任天堂の社員が相当EVAにハマってたのがわかる・・・・ドハマりです。






 それよりもちょいと大事な話しだと思うですが、カービィ3は、そぎ落とし路線なんです。キャッチコピーがだって、

 最近のゲームは難しすぎる、もっと楽しく遊びたい


 ですからね。ハードのハザマに入って見落とされたっていうよりも、複雑化とハイテク化に反旗を立てたっていうのが正しいのかもしれない。事実Iは64以降はやってないわけですし。
 けれど時代はいつだってそうなるんだ、後戻りやセンチメンタリズムはやめろおっさんが!っていう批判をするひとは、現代音楽とか絵画とかがどうやって廃れていったかを知らないのですよね。
 音楽も複雑とハイテク化でまったく意味不明になってしまって、クラシックの進歩はそこで絶たれてしまって、今では本当に昔の音楽を演奏する団体になってしまいました。でもクラシックって古いっていう意味ではなくて、本当は、正統な、っていう意味です。だからどんどん新しい曲を演奏していいのだけれど、完全にオーディエンスに見放されたって形です。
 
 絵画もそうで、リアリズムが行き過ぎてアカデミーは完全な頭打ちになって、そっから印象派、その印象派たちも、アブストラクトだのなんだのって、複雑になりすぎて結局空中分解してしまいました。
 
 音楽も単純で削ぎ落とされたPOPに、絵画も簡略化された、アニメ塗とか、イラスト、にとってかわられてしまった。
 文化は逆行しないと思われていますが、実際には文化は逆行と進歩を繰り返して螺旋状に進んでいくものです。

 やっぱりゲームも何を加えるかじゃなくて、何をそぎ落とすかが大事なんだと思います。




 海外のテレビでNBAを見てるのですけどPS4のCMがかなり流されています。でもちょっとひどすぎますね、戦場で撃ちあうようなゲームばっかなんだもん。それがリアルだとか言ってるんですが、それって・・・リアルじゃないでしょう。そんなスタイルの戦争もぉやってないし、化学兵器と無人兵器の時代だってのに・・・。それと本質的な事を言いますが、それって痛くないと面白く無い。自分が死ぬっていうスリルがなかったらやっぱつまんないと思います。
 それがイヤだからゲームで違うセカイを作って来たんちゃうの?戦争やりたいならやればいいじゃん、けどそれよりももっと面白いセカイが作れるかもしれないよ?っていう、アンチ写実路線を進むべきだと思うなぁ・・・・・カミサマ、が作ったセカイよりも楽しいセカイを作ってやる!ってのがゲームクリエイターの志だと思うんですけどね。まるで現実の第二次大戦に参加してるようなゲームを作ったところで、だからなんやねん、としかIは思いませんな。有り物をコピーしてるだけじゃん・・・



 まぁそれが売れるからしゃあないんでしょうけどね、とくに北米では。カネがかかるから売れ線しか作れないし。論点は舞い戻ってやっぱし、盲目的な複雑化と高度化は、どっかでヒトの感性を外れていってしまって、意味不明のものになってしまうんじゃないですかね。誰もシュトックハウゼンやメシアンなんて聴いてませんよ・・・武満徹がいいなんてさっぱし思わないし。現代芸術なんてクズだとおもふものなりw

2013年11月6日水曜日

アルジャーノンに花束を 1959 ダニエル・キイス


 古典、になった作品としてはかなり新しい部類ですよね1959年ですから。
 当時は、というか戦後は、まだ研究のブラックボックス化がそれほど進んでなかったので、こういう神経外科、ロボトミーみたいなことは
本当に研究されていたし、成果も出ていた。デルガドみたいな研究者の脳の電磁誘導みたいな実験も雑誌に載ってた。けどそれは今ではなかったことにされている
というかすべてブラックボックス化して地下に潜っただけで、その実験が終わったとは思えないですけどね。ともかく、表立って神経外科的な人体実験は出来なくなりました。
 バイオ系の研究もね。ただ学会に発表されなくなったってだけだと思いますが。


 だからあんまし当時の人々よりもピンと来ないと思いますね、原爆だのなんだの科学万能主義の時代でもあるし。あるいは科学万能主義が終わりつつある時代でもあって
切実さはやっぱ当時のほうがあったでしょう、半世紀後のIたちよりも。50年台のヒトは恐ろしく前向きです、頑張れば何か出来るかもしんないっていう事をマジで信じてる
事実、確かにチャンスは今よりも圧倒的にあったのでしょう。
 
 左派的な偽善団体が政権を握るようになってから、あるいは選挙がマスメディアのイメージだけで、内容はまったく問われなくなってからは、本当の事を公表する事は
まったく無意味というよりも、有害になったということでもあります。

 演劇としてはすごいよく出来てるんですね、I個人としては、絶対やりたくない禁じ手みたいなものがあるとして、知的障害者物に限らず障害者物
死にかけの親と子の話、姥捨て山みたいなの。
 は、絶対に作りたくない。そういうものって、なんでしょう、感動するのが目に見えてるから。お涙頂戴がハナにつくからですね。マンガのリアルもまぁ
それです。別に他人の作ったそういう作品を見るのは、そこまでは抵抗無いですけど、まぁどうですかね・・・そしてなによりもめちゃくちゃな数がそういうジャンル
ですからね。どうもそれを批判するとクズ扱いなので批評も優しいしね。Iはプラトンを支持しますね、不健全者は、生まれた時に、静かに洞窟へ捨てるべきだ。
 クズ発言w でも思ってない事描くよりは本音を吐くべきでしょう。誰も障害者と暮らしたがらないじゃんか。ホームレスとかとね。誰も何もしないでしょう?
レスのほとんどは重度にかかわらず知的障害だって話です、社会から見捨てられた障害者なんですね。なのに口先だけでは優しくなんてひどい話です。
 埋めるのが優しさだとIは思う、I自身そうして欲しいから。ただそれでは演劇にならないけどね。障害者を生まれる前に処理していては。


 科学的な説明としてなんか、うん?ってとこが多々あります、そんなん演劇ながらもっと説得力を持たせる必要なんて無いってことなんかもしれませんが、なんで知能が
増大したら下がっていくのか、っていう説明がほぼまったくナッシングで、そうだからそうなんだ!の一点張り、まぁ演劇的飾りとして仕方無いってことなんですけど・・・
ふ~~~む、好き好きですね、演劇効果を優先するのか、ちゃんとリアリティを優先するのか。そいでやっぱし愛だ恋だというのはハナにつきますけど、そんな馬鹿な・・
一二度会っただけでそこまですきになったりしねぇって・・っていう。キニアン先生も納得いかないですね・・・特に納得いかないですね。たぶん、演劇ではキニアンには
必ず美人を当てることになるのですけど、そんな美人で優しい女が、知的障害者の教員をやってるなんつーのは死ぬほどリアリティが無いです。別に美人でやさしい人間なんて
この世にいないと言いたいわけではないけれど、どういうわけかそういうヒトは、もっといいポストに収まっちまうわけですね。引く手あまただし。優しいけれど意思や
展望に欠けていたりしてね。もっと直裁的にいうと、美人で優しい=アタマからっぽのメス犬 
っていう黄金方程式が・・・w


 でもチャーリーの母親も、白痴化してしまってるというのは、良いアイデアだと思います、まだチャーリーが32才だから50そこそこのはずなのに、イカれてしまってるって
のは、これはナルホドです。座布団三枚。遺伝だったんですね。
 

 ふと最近怖くなるのは、まとも、な人間が今どれだけいる?ってことです。別に日本だけじゃなくて、日本では、だってまず子供は判断力無いです、老人も終わってます
団塊の世代はたぶん戦後で一番、バカです。それが白痴化してってもっともっとバカになる、もうバカが5割、6割なんじゃないかって気がして非常に怖い。それは
あの世間で見下しているようなバカのことではなくて、もう病的な白痴化が進んでるのじゃないかってことです。農民の無知とかいうレベルじゃなくて、教育を受けてない
無知とかではなくて、教育不可能なレベルの白痴がめちゃくちゃな数にのぼってるんじゃないかってことです。ワレンの精神病棟がパンパンになってる。




「今ではアルジャーノンも自分の排泄物に埋もれて動かない・・・Iはどっちかな キレイ組かキタナイ組か」