2014年7月29日火曜日

tales of phantasia テイルズオブファンタジア 1995 SFC NAMCO

 テイルズシリーズの第一作目ですが、テイルズというとFF、DQ、という二強につづいて第三極ってとこですかね、しかしテイルズにはXX、みたいな略称記号がついてないことからもやっぱり二強に対してちょと弱いのかもしれません。
 まず歴史が浅いってことですかね、DQとFFはほんとゲームの創世記から、ゲームの歴史を築いてきたわけですけど、テイルズは95年ですから、95年というともはやスーファミからプレステの時代が始まろうかって時代ですからね。

 けどゲームとしてRPGと2Dのアクションゲームみたいな戦闘システムで、こういう動的な戦いってのはそれからの主流になりましたし、DQみたいにきっちりしたターン制のゲームはたるくて出来ないっていうせっかちゲーマーにも優しい出来上がりであります。


 SFC版とプレステ版、それ以降のリマスター版とちょこちょこ変更があります、基本的には簡単で優しくボリュームが増えてるわけで、SFCはSFCらしい、まじかよ!っていう全滅パターンがかなり用意されてます、あぁー!この感じだ。理不尽なゲームオーバー感。
 なんだかよくわからないデビルマスターという雑魚キャラのサモンデーモンを食らうと問答無用で即死ゲームオーバーします、またそんなのわかるかよっていう謎解きも多い。ラストダンジョンのワープシステムはかなりヒドイです。攻略本ありきのゲームです。
 未来のダオスがゲロ強いです、このレベル上げ絶対しなきゃ勝てないっていう敵の存在も90年代のRPGだなーって気がする、ほんとにFFVのエクスデス先生にはコテンパンにノサれたのが皮膚に染みこんでますね。勝ち方を知らないと未来ダオスには3秒くらいでやられたりします。
 何より腹が立つのは味方キャラクターはコンピューターの自動操縦なのですけど阿呆すぎます。わざわざ敵の技にハマりにいこうとしたり、敵を回復させちゃうような魔法を乱発したりと、ほとんど味方キャラが暴走しないようにコントロールするっていう、敵を攻撃するとかとは全然関係無いことに時間をとられるという謎ゲーでもあります。
 あとラスボスがなー・・・、なんというか、RPGというよりはアクションゲームみたいな感じで、無敵状態とOFFのタイミングを見計らってハメ殺すだけの、今までのレベル上げとか意味なくね?主人公1人の攻撃しかほぼヒットしないし、召喚獣とか魔法集めて来たの意味無くない・・・?最後にこんな肉弾的なタコ殴りでラスボスを倒すなら、味方の武器とかアイテム集めた意味は・・・ってがっかり感があります。なんでラスボスで手を抜いちゃったんだ!って思いたくなります、プレステ版ではそういうわけでラスボスが変更になってます、やっぱ苦情があったのでしょうねw
 

 それとこのゲームはラスボスが、実は自分の星を守ろうとした実はあっちの世界の正義の味方であったのだ、っていう種明かしがあるのですが、よく考えるとムチャクチャです。だっていきなり違う星の・・みたいなこと言ってるけど、世界のマナの中心はユグドラシル的な大樹なんですけど、えっ!?宇宙のマナの中心が宇宙のはじっこの小さな星の大樹っておかしくね?この星って宇宙でどういう立場なん?宇宙樹とかいう世界観ならわかるけれど・・・・。あと実は正義の味方であったのだ、というわりにはダオスというラスボスのルックスが悪者感100%のエイリアン的なクリーチャーですので、いやこいつは正義ではないw って思う。
 それとうすーくパーティ内で恋愛的三角関係みたいなことがあるのですけど、なんだろう1人でゲームしてるヒトにとってはただ単にブルーになるだけだからやめたほうがいいと思う・・・ゲーマーなんて三角関係でドキドキみたいな生活を送ってないわけですし・・・。
 テイルズシリーズには食べ物システム、みたいなスゲーどうでもいいシステムがあって、それにもかかわらず相当のメモリをそれにつぎ込んでいるのですが、そんなに食べ物集める奴は98%いないわけで、こりゃいったいなんなんだろう・・・



 個人的にテイルズというとデスティニーなんで、ファンタジアは微妙に知名度が低い気がするのですけどどうでしょうかね?2で人気が爆発するってのはスーファミの時代にはよくあってみんな2しか持ってないゲームというものがよくありましたね、王者はスト2、スト2、というので1つの名詞ですからね、あとがんばれゴエモン2、それとIがすげぇ思い入れがあるのがスターオーシャン2、たぶんいちばんやり込んだと思います、なんでかしらないけどテイルズとオーシャンシリーズはIの中では同じなのですが、なんでだろ?



 ともかくテイルズは初めっから完成度はものすごい高いですね、いろんなとこにアラがあるけれど・・・・、やっぱこのでもけっこうエグい敵がいるこの頃の難易度が好きかもしんない、ボス弱い、っていう悪い風潮を作ったのは絶対FFⅥのケフカのせい、ただエクスデスに勝てないで挫折ってヒトがあまりにも多かったんだろうなー・・・エクスデス、オメガ、神竜だけはたぶん死ぬまで忘れられん・・・

2014年7月28日月曜日

MAKING 171









 この漫画ってのはほんとドラマチックなことが起こらないですねw 大好き。食べたり寝たりしゃべったり仕事をしたりするカットばっかし、すげぇマンガだ。
 Op9シリーズはライフワーク的にやってるんですが、やっぱマンガを描くってのは最終的には一番楽しいものですね、爆発的に楽しいってわけじゃないけど、ずっと楽しい、他にそういうものって無いものなぁ。

2014年7月27日日曜日

1960 日本の夜と霧 大島渚

 大島渚っていうと海外ではニューシネマ運動の先鋭ってとこなんですけど、アメリカと日本ではやっぱ立場が違いますよね。アメリカのニューシネマっていうのは娯楽映画ばかり作ってきたハリウッドへのアンチとしてシリアスでダークな映画が作られたわけですけど、もともと日本には娯楽大作を作る予算も無かったわけで、戦後の日本映画というのは、始めっからシリアスで重たいテーマの映画ばっかりでした、というかつまり、55年頃まで、黒澤明時代、映画の黄金時代でありまして、別にそれを否定する必要もなかった、けど56年頃から、日本は朝鮮特需で物質的豊かさこそすべて!っていう調子になっていったので、映画、も完全に破綻してしまいました。それはもう完全に破綻というか映画会社自体がもう映画を作るのを投げたって感じでした。




 で、その状況に対して大島渚とか増村保造みたいな、なんていうのか・・・・タブーをこそ切り拓く、つまりはエログロ路線になったって気が、Iはします、Iが勝手にそう思ってるのかも。ともかく黒澤明の時代があったわけで、それに対してどうしたらいいのかってのがわかんないですよね。七人の侍、生きる、を超えるような作品を一日二日で作れるわけないもの。だから黒澤のやってこなかったテーマ、エロ、性愛、政治、ってものがテーマになった、そうせぜるをえなかったって感じかなぁとも思います、黒澤映画ってのは政治的なテーマってものはほとんど皆無ですから。もちろんもっとおーきなテーマでの政治批判はありますけどね、大企業の汚職と戦うみたいなのもあったし(悪いやつほど・・・)、生き物の記録でアンチ原子力みたいなのもありましたけど、実際に行動はしません。だから黒澤映画っぽくない映画、ってことで斬新なカット割りとか、奇妙な演出とか、きついテーマ選びをしていった結果ニューシネマとたまたま路線が被ったッて感じなんじゃなかろうかと思います。けどやっぱりそれって、一番自然なやり方をあえて外してるわけで、なんでしょう・・・、やっぱ本質からずれてんじゃないのかなーと思いますね。



 でも決して悪い映画じゃない、Iは大島渚のファンでもなんでもなくてちょこちょこしか見てないので偉そうなことは言えませんけど、他のレヴューとかを見るとキビシーですね、セリフが詰まったり飛んだりしてるって、でもわざとそうしてカットを少なくした長回しをして俳優たちの緊迫感をつくってるのでしょう、それにコトバにつまってるのだってそれがリアリティです、だって現実では、映画みたいな長台詞をしゃべることなんてないし、それもかまないですらすらしゃべるってこともありえない。だからコトバをのんだりつまったりしない、いわゆる普通の映画、のほうが不自然極まりないのですよね。でも結婚式から次々と事実がわかっていくっていう映画の作り方はまさに「悪い奴ほどよく眠る」とかぶってしまってるなって気がしました。
 津川雅彦は若い頃はこんな精悍なイケでシリアスな演技をするヒトだったんですねー、今は想像出来ません。
 

 ただほんとこの50、60年代の映画ってのはテレビには出てきませんね。自主規制ってやつですか・・

1969 東大紛争の記録  東京大学新聞研究所 日本評論社 /戦後史証言PROJECT「日本人は何をめざしてきたのか」 「知の巨人たち」第三回「民主主義を求めて」政治学者~丸山眞男~    折原浩

 なかなかどうして、面白い本でした。東大紛争が医学部のインターン問題というけっこう専門的な問題から始まって全学部ストライキ、闘争の拡大、大学首脳部のクビを飛ばし、団体交渉にいたるまで、ドラマチックです。
 この本は1969年の終わりと同時にたぶん刊行されていますので、70年1月の安田講堂攻防戦で全共闘が完全に敗北するというクライマックスは描かれてません。本の末尾には改革はこれからも長く続くだろう、とありますが、実際には半月ほどで終結してしまうのですね。で、それ以後大学の改革はなされたのかというにに、それは詳細に調べて無いからわかりませんけど、紆余曲折はあったにせよ、現在、の大学を見る限り、学生と教授とか同じ立場にたって大学自治を運営してる大学なんてどこにもありゃしませんのでね。そんなことをしようという学生もいないです。自分のキャリアだけが大事だってのばっかしですし。
 結果的には若者は当時の体制側に完全に飲まれて自らも体制側になるってことで全員腐り果てたら怖くない、っていういつもの日本人にカムバックしたって感じですかね。
 インターン問題はそもそも無給でインターンとしてほぼ無権利で働かされるってのが問題の1つなのですが、学生運動をする、っていう行為も無給で他者のために頑張ってるのです、そのエネルギーはなんなんだろう、今の学生は絶対しませんね、バイトあるから帰ります。学生に限らず、もう無料で誰かのために何かをするなんてことは考えられないっていうのがこの社会の調子でしょうね。
 そう考えるとやり過ぎだよ、っていう感じのある全共闘の方々の言ってたことが、本当は的を得てたんでしょう、ここで闘争をやめたって何も変わりはしないぞ、って。事実何も変わりはしなかったのです。より、悪化した。
 大学は産業と、国家権力、と軍隊、から自立していなければならない。と言ってるのですけど、おー!と思いますね、むしろ現代の大学は、産業に奉仕する以外の何者でもない就職予備校でして、誰も学問なんてやってないです、シューカツ、ばっかしでね。あとはセックスパーティーです。それを大学が自慢してますからね、就職率90%!インターン、企業説明会を学内で開催してます。ってな調子。全共闘のヒトが生きてたら赤軍じゃなくてもテロを起こしたくなるような状態。
 といってIは全共闘を支持するわけでも全然無いです、ただなんだろう、若者のすごいいい部分と悪い部分が明快にありますよね、今の若者ってのは若者、っていう役割を演じるのを拒否してますから、こういう若いなーー!!っていう人は・・・・必要だと思う。だって全員老人の役やってたって演劇にならないもの。





 実力行使は悪、というのは現代はもっともっと鉄の掟になってしまってるけど、話し合いってのは話し合う、意思、が無いヤツとは出来ないものです。現代は双方ともに話し合う気が無いですね、どうせ言っても無駄。管理社会の中でヘラヘラガンバルしかないよ、それが出来ないなら自殺。すぐに自殺。それほど話し合うってことに幻想を抱いてないわけで、自殺者はリアリストであるわけです。社会はリアリストになってロマンチストを駆逐したって感じがしないのでもない。


 豊かさと引き換えに何かを失ってしまった気がする・・・みたいな決まり文句がありますけれど、豊かさと引き換えに失ったものは、ものすごいはっきりしてる。
 

 それは正義、ですよ。世界がアメリカが手動ではありませんが、1つのグローバル資本主義という体制に、たった1つの独占独裁的その体制に一本化されて、内部崩壊を起こしてるわけですが、つまり世界のどこにも、正義、が無いんです。 




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 ちょうど折よく丸山眞男の特集をNHKでやってましたよ。Iも丸山っていうと口先だけのブルジョア左派って感じがするんですけど、丸山はこの闘争当時の東大にいて、しかもたぶんかなり先導するような立場にいたのですけど、学生運動に対して完全に沈黙、何もしなかった。それには色々理由があんだよ、ってことです。
 戦争に参加した世代として、暴力の本当ってのを知ってるから、ほんとのほんとは、虚妄だってことをわかっているから、けれどそれを信じ続けたいから、みたいな理由。それがでも本当だって気がする、丸山氏、阿呆ではないですから、日本人には民主主義を運営する能力なんて無いってのを気づいてるでしょう、でもそれを認めたくないんですよね。






 まぁそれはたぶん再放送があると思うので見て下さいってことなんですが、1人折原浩東大助教授という人物がいて、なんだろう、この人は、目が死んでない。って気がして調べてしまいました。やっぱり反骨の精神を持った良い学者みたいです、ホムペに丸山について書いているのでどうぞ

http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/maruyamaron.htm


 久々にこんなに遊びの無いホムペを見たぜw 今度この人の本を読んでみようと思います。専門はウェーバーらしいですね。
 





そう、書き忘れてましたけど、昭和43年・・とか昭和36年・・とか相変わらず和暦を使うんですけどNHKは、そりゃあんたら昭和に生きてた人にはそれでわかるのかもしれませんがね、平成生まれにしてはいちいち西暦にもどして考えるのは面倒なんです、それに西暦にしてその時世界は・・っていうふうに横に考える時に和暦は超不便、自分たちのことしか考えてないことを丸出しです昭和なんて、知るかって話。それくらいわかれっていう横柄な態度もわかるんですけど、こぉいう話しってのは若いヤツに興味を持ってもらわないといけない番組なんです、老人たちが懐かしいなぁって思うだけの番組なら、かってにネット放送でもしてろって話し、公共の電波でやってるんだから、若い人にもわかりやすいようにして下さい。どうせ中学生とかは丸山の番組なんて見ねぇだろっていう諦めが見える気がする。この番組を作る制作会社が、学生運動を扱って置きながら自分たちの組織では若い人の意見を汲み取れてないんじゃないのって気がしますね。





2014年7月25日金曜日

1970 いちご白書  strawberry statement film   ニューシネマ

 たぶんこの映画は世界で一番日本で知名度が高い妙な映画です、いちご白書をもう一度、というPOPソングもあるわけでそれがヒットしたことからも。

 映画としては、アメリカン・ニューシネマのトリッピーな感じに、学生運動っていうモチーフをとりあえずぶっこんだという映画です、ノンフィクションの本をベースにしてますが、あんまし本とか関係無い感じです、ともかく、ジョニ・ミッチェル、CSNYとかのPOPソングがガンガン鳴って、若者は反抗的で、最後には権力に屈するっていう、ニューシネマの文法をしっかり守っています。だから映画として別に政治的主張はほとんど感じられないです、ただなんとなく物悲しいって感じ。70年の映画ですから学生運動はすでに下火です、それがなんとなく虚無的な調子の理由なんじゃないでしょうか、60年だったらもうちょっと生き生きした感じにするはずだから。

 映画全体の完成度はちょっといかがなものか、なんでこんなにチープなカメラを使ってるのでしょう?予算が無かったのかな、写真の色調が悪い気がする。70年代だったらもっと鮮明でクリアな映像になるはずなのにな、もしかして撮影監督無しでやったのかもしれません。


 ニューシネマっていうのは、I的には、映画がテレビに取って代わられてしまって、映画が生きる道を探そうとした運動でした、やっぱしニューシネマというとイージーライダーですが、Iはやっぱ真夜中のカウボーイ、ミッドナイトカウボーイがニューシネマだなーって感じですね。
 ニューシネマはテーマが深刻なんですね、普通のハリウッド映画はテーマなんて無いに等しい、楽しいのがすべて、だから。だからニューシネマってある意味全然アメリカらしくない映画運動です、ヨーロッパ映画そのまま、バッドエンドで映画が終わるってのはずっとタブーだったんですよね、ハリウッドでは。けどニューシネマはほとんど主人公達の全滅エンドっていうシェイクスピア的終わり方をします。
 クレーマークレーマー、テルマ&ルイーズ、ボニー&クライド、カッコーの巣の上で・・・だいたいうわーっていう終わり方。

 ニューシネマはいわゆる、スピルバーグ、ルーカス時代が到来したおかげで一気に勢いを失うわけですけど、彼らが映画を駄目にした、って言うヒトは多いですね。まるでヒトラーの政権放送みたいに、社会の最低レベルの理解力しか持たない人間に訴えることが、大衆、に訴える最良の方法であるってわけで、スピルバーグルーカスフィルムはどんなバカにだって楽しめるように作られています。当然売れ行きもいいわけです。
 映画の生きる道は、映画にしか出来ない真剣なメッセージを込めるというよりは、テレビよりも大量の予算を爆発的につぎ込んで、超エンタメ作品を作ることだ、テレビよりも更に産業化されることが必要だ、という結論でそれからのハリウッドは動いていくわけですが、果たしてそれが良かったのかどうか・・・。
 けど映画ベスト100みたいなんに入るのはほとんどすべてこのニューシネマ時代の映画ですね、映画好きはいつだってこういう単館上映的な映画を評価する。大衆とは逆行して。頭がいいヤツよりも悪いヤツのほうが多いんだから、映画は産業だとするなら当然わかりやすい映画にするしかないに決まってる。
 結局売上がすべてなんだ、っていう価値観に対抗する価値観、ってものが今の世界にはありませんから、ニューシネマが敗北するのは当然なのでした、当時はあったんですね、反戦運動しかり、トロツキズムしかり、ゲバラしかり・・・・ソ連なんて国もありましたし・・・

2014年7月23日水曜日

hitler the rise of evil  ヒトラー 権力への道 2003

 CBC、CBS(Columbia Broadcasting System)共同制作による、テレビ映画、です。
ロバート・カーライル(トレインスポッティングのベグビー役をやってた人)、が主演でして、かなり豪華です。豪華っつーかテレビ映画でどうしてこんなに予算があるのやらまったく理解できないくらいきちんと作ってあります。
 ドキュメンタリー系の映画なので、それほど嘘はありません、もちろん、ゲッベルスとかゲーリングとかヒトラー幹部こんなイケメンじゃなくね? 
 レームがゲイで処分されたってとこをなんで抜かしたの?ヒトラーがアンチセマイティズム、つまり反ユダヤ主義だ、ってことを散々強調するのですが、それよりもヒトラーはアーリア人種、の優等生、というのが前提になってのですよね。


 アーリア人種が最高の人種である、つまり選民主義ですが、それがなによりの前提です。実は!ユダヤ人も選民主義なんだってことをお忘れないように。ユダヤ教では、ユダヤ人だけが、神によって救われるのです、だからその2つが互いを排除しようとするのは当然といえば当然です。根っ子の根っ子で相容れない、というか、選民主義っていう思想は自分たち以外のすべてのイキモノに対する宣戦布告と受け取られてもしょうがないと思います。ユダヤ人は無実の罪で虐殺された、というけれど、ちゃんとユダヤの歴史ってのを見れば、当然社会と対立するってのはわかる。ヒトラーが魔術を使って差別を生み出したのではなくて、ヒトラーは元からあるそれ、を利用させて、奴らを全滅させてやりたいっていう、本当はやりたいんだけど出来ない、ことを実現させたってことです。今のパキスタンとイスラエルの戦争もそうです、パキスタンもイスラエルも、相手が一人残らずWIPE OUTされればいいと心の底では思ってる。


 そんな批判はいいとして、ヒトラーの幼少期から、権力を獲得するまで、という戦争ではなく政治闘争の時代の話しってのは結構珍しいし、いいところに目をつけてるなぁって気がしますね。だって戦争シーンはものすげぇ予算食ってしまうしな。
 RISE OF EVILって副題からして、ヒトラーを悪、として決めつけてますけど、果たして、ヒトラーが悪なのか?悪が先にあって、ヒトラーがそれを利用したんじゃないかって話しです。あらゆる魅力的な悪役に共通ですけど、ヒトラーにはとても良い部分がある、それは凡人よりもずば抜けて優れたところ。ヒトラーは結構他人思いだってことです。独裁者っていうと、ふつーのイメージでは自分のことだけしか考えてなくて、傍若無人ですぐにハーレムを作って酒池肉林、ルイ14世的なイメージだけどヒトラーやナポレオンは仕事熱心だし、ハーレムでセックス三昧などをしないで、むしろ恋愛においては純粋だったりする。そして実は本当に国の為だ、って少なくとも本人は思ってたりする。

 

 このブログはことあるごとにヒトラーを取り上げてますがw やっぱしこの人物ってのは、もっとも20世紀的人物っていうか、20世紀の主役なんですよねー。

 
このヒトラーの芸術家崩れのホームレスから、生活保護者、まったく死を恐れない兵隊、敗残兵を束ねる極右政党員、天才的演説家と大衆操作の技術者、合法的な選挙による権力掌握、そして全権委任、ヨーロッパの半分以上を支配する独裁者へ、っていう流れはほんとーにどんな作家のシナリオよりも、まったく滑稽で馬鹿げているようなありえないリアリティです。

 
 ロバート・カーライルは悪い、っていうかクセのある人間をやらせたらやっぱ一流ですねー、いい俳優ですー。ただヒトラーが英語しゃべってるのは超違和感w でも相当資料を見て研究したんだろーなーって感じ、偉い。
  


 

2014年7月21日月曜日

ジブリ汗まみれ 140720   近藤喜文について

  マーニーは喜文イズムなんじゃなー、っていう話しから、近藤監督? 近藤作画監督、こっちがすわりがいいですよね、についての話しです。

 この前、近藤勝也作画監督、について書きました、耳すま以降、の作画はこの人であるからこの人が一番上手いアニメーターなんであろう、って。
 それ以前、ホタル、トトロ、もちろん耳すまの作画をやってたのがキブン、本当はヨシフミ、さんです、奇しくも両方近藤さんなので、キブン、と勝也なのですけど。キブン作画、について鈴木さんが語ってくれて目からうろこポロポロです。
 
 

 耳すまってのはアニメーションとして、抜群の出来でした、ナウシカは作品として抜群でしたが、作画は荒いとこが目立ちます、荒いっていうか、絵の具の映えが悪いっていうか・・。今ひとつ色がぱっとしないのですよね、たぶんそれは撮影機材とか絵の具の質とか紙の調子とか、が問題なのでしょうけど。
 だからアニメーターになりたい人は絶対に耳をすませばから学ぶといいなと思うのです、Iはアニメーターでもなんでもないんですけどw 絵を描く人ではありますので、絵としてものすごい出来がいいってのがわかります。

 

 あのしずくが、全然だめだよねーIは・・・、っていって体操ずわりするとこがあるじゃないですか、あそこは絵コンテではパンツが見えてるわけですけど、キブン作画によって、手を足の間に通してスカートを抑えるようになっているんです。駿作画ってのはズロースってのかかぼちゃパンツっていうのかがちらちら見えるのですけど(あんなアンダー履いてるヤツいねぇよ、90年代の女子では)キブン的にはそれは無しなんです、それでもめたらしいのですが、結局キブン作画が通りました。
 Iもなんかあのシーンはすげぇ違和感があって、妙なテンション、ってーのか、妙な感じ、恐ろしく妙な感じ、空間が歪むようなもやーっとした感じがあったのをすごい覚えています、そういうわけだったのか! 駿氏があんな、手を足の下にくぐらせる座り方をやらせるはずがないものね。
 駿氏ってのは実際オンナってのを描けないひとです、女の子、は書けるけど。キブンはオンナってのを書けるんです、少女もかけるし、オンナも描ける、そこが天才アニメーターなんですよね。自身スーパーアニメーターである駿氏が絶対にスタッフとして欲しがる人材ですからどんだけ上手いかってのがわかろうってもんです。
 だからあのシーンは、しずくがちょっと、オンナ、である、ってのが出るトコで、なんかもやっ、としたものが出るのですよねー、それがしずくのもやもやした感じが出てスゲー良いってことなんでせう。汐のオンナっぽさの無いことw 駿氏が描くオンナって全部あぁいう感じ、サディストっつーのか、おせおせの強いオンナ。ツンツンしてる。デレは一切無し。こっ恥ずかしくて描けないってわけ。それがもぉ完全におばはんにするかですねー。 風立ちぬの奈緒子もどう見たって高校生にしか見えないしなー。



 ただマーニーは見ないなw
残念ながらあの監督には才能が欠けてる、本当は才能が無いわけじゃないんですけど、駿氏と比べたらどうしたって見劣りするわけで、ちょっと才能がある、じゃ駄目なんですよねー・・・。




 そう一番書きたいことを忘れてました、汗まみれはポッドキャストでバックナンバー配信してるんですけど、政治的なテーマの回。集団自衛権の回はバックナンバーが無いわけです、TOKYOFMが拒否してるのか知らないけど、ちょっとねー。どうしてそれは禁じられてるのか、って本当に考えなおす時に来てるんじゃないのかなーと。
 汗まみれはたぶんマスメディアでほぼ唯一そういうことにたまに衣着せぬ発言をする番組でもあるのです。よくある、毒にも薬にもならない、失言だけはしないよーに、っていう政見放送の延長みたいな討論番組とは違いましてね。