2015年7月31日金曜日

1967 日本のいちばん長い日 岡本喜八

ポツダム宣言受諾から天皇の玉音放送までのドキュメンタリーテイストの映画です。
 キャストはお馴染み東宝俳優、監督は岡本喜八なのです。
まぁ一応ドキュメンタリーですのでストーリー云々は最初っからオチが見えてるわけですわね。まさか青年将校たちの
決起が成功するわきゃあない。そいで陸軍大臣が三船みたいなかっちょいいおっさんであるわけもない。

 ただ内容云々よりも、東宝にはこの頃は役者がいっぱいおるな~って気がしますね、ゼロ戦のパイロットの超脇役の男の子でも
すごいいい顔つきをしてます。やれこの俳優出しておけばオンナの客が入って、それで集客率がこうこうで、スポンサーがこの企業で・・
っていう金のためにやってます、ってのが、そりゃあるに決まってますけど、気にならないですね。現代のそれを見てるともうワンカット
ワンカット、金のニオイがぷんぷんしてうぉえーーっ!!!って内蔵をぶちまけちゃいますけど。

 それとちょっと1967年っていうテイストもありますよね、ちょっとノリが学生運動っぽいっていうのか。終戦キッズ、たちが学生運動
キッズなわけです、終戦セックスで生まれたガキが丁度20そこそこ。そいつらが学生運動をやってるってことは結局、終戦に反対してる
人間はまだまだいるってことですわね。そして学生運動セックスで生まれたガキが90年台の世紀末キッズなわけです。90年台の
刹那主義的でどっか、終末論っぽい感じ、すぐにセカイを滅ぼしたがるEVA世代です。
 それはびみょーに学生運動をひきずってるわけですね。でも彼らはなんかフラストレーションが溜まってはいるけれどもかなりアメリカナイズ
されてますので敵がいないのですね。



 全然知らなかったのですけどこの映画のリメイクがこの夏公開なんですって、嘘だろって感じです。こんなフルくさ~い映画誰が見に行くの・・?
ほっっっっっんとリメイクを作る人間のモチベーションがIにはわかりません、黒澤のリメイクだとか、はぁ!?って感じ。どうせクソだっていう
のももちろんあるけど、仮に出来が良かったとしても、そんなに才能があるなら、その才能で新しい物を作ったほうがいいいでしょうに。
 宣伝に金がかからない、っていう、これもお金のニオイがしましてうげってなりますね。リメイクっていう時点、お金再回収としか考えられないもの。


 事実に即してるのかどうかわかりませんけど帝国軍の装備がわかるのはグッドです、あと侍従官とか普通の戦争映画で現れない宮城が舞台なのもなかなかへー、ってなりますね。

2015年7月29日水曜日

ブログのデザイン

ブログのデザインが変わったぜYEAH!!
 
夏らしくなったぞ! YEAH!

 さて・・テンション上げて疲れました・・、クソ暑いなマジで!キレそうです・・。
暑いっていうより何か死の危険を常に感じますね。よく野球なんかやってますよこの天気で・・・。

2015年7月26日日曜日

1986  マンガ黄金時代 60年台傑作集 文藝春秋

 

 いつの時代のいつの文庫本の話をしとるねん、って話ですけどたまたま読んだのでひとつ。

ちょこちょこ名作もあるのですけど、一番面白かったのは・・・一番面白いのはつげ義春のマンガですけどIは全集で読んでるので、一番興味をひいたのは最後の赤瀬川原平の後説でした。鋭いこといいよるな~って感じです。Iは解説ってのは作家同士が書くものだと思ってます、自分でも作品を作るひとだけが他の作品について語る権利がある。Iも一応作家ですのでね、赤瀬川さんの作品を別にいいとは思いませんけどw でも散文はズバリ、このヒトはマンガよりも文章に才能があるんじゃないですかね。
 以下にその論旨を書いときます・・・・


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忍者武芸帳 
カムイ伝
   白土三平

 白土三平と反権力エネルギー・・安保精神がみなぎっとると言われる



 ・・むかしの若者にはアメリカ支配を覆してやろうという闘争心を持っていた。
それが古き善き時代といわれる所以で、今は敵がいない。
いないというよりそれは見えないもので、見えないというより敵は分散して自分自身の中にも
入り込んでいるので若者が闘争しようとしても自虐的にならざるを得ない



白土三平が中心のGARO、手塚治虫中心のCOM、同人漫画雑誌のような2つの雑誌が青年向け雑誌の走りであった

前衛芸術はいくところまでいってしまって間が抜けた、それを突き抜けたところにマンガが現れた。
特につげ義春

 GAROの作家
滝田ゆう
林静一
佐々木マキ

マンガ自体が好きなわけではなく、面白いマンガ家の作品が面白いだけ。
 企業マンガが面白くない、会社の業績の為に線をひいてるのが見える。それはテレビと同じで平均点以上に面白くしてはいけない。
暇つぶしのためのメディアで、暇が無い人には向かない。

 ヤクザ映画というのは安保闘争がなし崩しに経済成長に切り崩されて、行き場のない闘争心のセンチメンタリズムとして始まった。

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Iは白土三平ってあんまし読んだことないんですよね、Iは時代物ってのが大嫌いなんです、というのは昔の封建制度で殿様はこんなに偉そうで不平等で農民は貧しくて悲しい・・みたいなことを言いますけど、知ったようなこと言ってんじゃねぇって思います、文章で読んだだけではほんとのとこどうなのかってのは誰にもわかりません、その時代に生きたヒトじゃないと、今の時代だってそう、歴史にはコンピュータが更に進歩し、経済発展が続いたが長い不況で・・・みたいなことを書かれると思うのですけど、知ったようなこと書いてるんじゃねぇって感じですよね?実際そんな簡単に割り切れるものか。実際生きて肌で感じたものだけがほんとです、それに同じ時代を生きてたとしても、人それぞれ全く感覚は違う。数行の文字は何も反映してない、それはどんな時代でもそうです、戦争だ、といって戦争だって全部違うし、一人ひとり全部違うものです。




 侍はこういうもので・・、忍者はこういうもので・・・、っていうの、絶対に嘘だと思う。実体験が無さ過ぎます。ほんとう、が無さ過ぎる。全部ほんとうじゃなくてもいいけど、Iはどれだけほんとう、が作品の中にあるのか、で作品を見ます。

 現代では書きづらいテーマをただ時代劇というパッケージをして、ほんとは現代の気持ちを投影してるのだ、ってよく言われます。しかしソ連の検閲くぐってるわけじゃあるめぇしなんでそんなまどろっこしぃやり方をしなきゃいけないのですかね?時代劇にする理由はただひとつで、形があってやりやすいからです、恋愛という形、ファンタジーという形、探偵、推理モノ・・・・形を覚えて少しだけニュアンスを工夫する。そのほうがやりやすいしわかりやすいからですわね。特に読む側がそれに安心するからです。


 でもまぁそれほど言うならおべんきょーも兼ねて白土三平読んでみます。Iは手塚治虫も大嫌いなんですよね、これは理由も何もなく絵面が嫌いなんです、拒否反応。内容など何も入ってこない、構図も線もデザインもすべてそりが合わないのです。



Iは昔のマンガそれほど詳しくないですけど、まぁのらくろとかつげ義春全集を読んでるってだけで、普通のヒトよりはかなり詳しいのかもしんないですけど、やっぱ芸術的にはつげ義春は図抜けてると思います、内容もそうだけど、つげ義春は絵が上手いです、構図、コマ割り、天才的です。そうかぁ?って思うヒトも多いと思いますけど、マンガ作家としては天才的です。うまさってのは鳥山明みたいなアメコミ的技術でも、井上雄彦みたいな写実的うまさでもなく、マンガ的上手さなんですわね。マンガ、というメディアの中での、絵の上手さですね。


水木しげるももちろんちゃんとした作家ですけど、もっと長い歴史で見た時に、つげ義春だけがこの時代の作家として古典として残るでしょうね。
 マンガなんてガキのもので読むとバカになる、なんてことを言う人が減ったのはちょっと悲しいことですけどw つげ義春なんてそんなバカ発言する連中にはまったく理解不能の高度な芸術ですから殆どの人間には伝わらないでしょうねー。


 企業マンガはテレビと同じでつまらん、という赤さんの意見はすげー同意です。Iも企業マンガ大嫌い。だから企業マンガじゃない、インディペンデントの漫画、エロ同人でもいいですけど、まぁ違うルートを持ったマンガが、これからのキーになるメディアだと思いますけどね、まぁ自己弁護でもあるのですけどw

 
 ちなみに裏世界2、あるいはSPECという同人作家、このヒト気が狂ってるんですかねw でも明らかに一般の表現のレベルから飛び抜けたこの作家が、時代の最先端だと思いますね。ともかくエネルギーがすげぇ、一体何者なんですかねー。潔癖症のヒトには絶対に勧められないけど、この作家が今の時代を体現してると思います。ただほんと知らない人にこの作家の作品を持ってるのを見られたらどえらいことになりますわね。違うよ、これはある意味芸術として・・・なんて言い訳通用するわけないもん。

2015年7月25日土曜日

1968 大菩薩峠 岡本喜八

 岡本喜八というと技巧派の監督でして、いわゆるアーティストアーティストですね、一般人よりもアーティスト仲間で評判が高い。
 構図やライティング、そしてとくにカッティングのタイミングが絶妙だと思います、テンポ。EVAの庵野監督も岡本映画でカット割りを勉強したようなので、タイミング
を比べてみると面白いかもしれませんよ。レイアウトでは宮﨑駿、カッティングでは岡本喜八、カラーの出し方はバーグマン、ライティングは・・レンブラントw
かなぁ、そのあたりから学びたいものです。
 ただもうそんな時代じゃないですけどね、そんな映画の基礎技術なんかよりまずCGソフトの使い方を覚えるのが今の映画ですわね。


 
 ただ岡本喜八の映画自体の内容やストーリーテリングの技術、テーマってのは?って感じです。まぁエンタメ映画だから・・・と割り切るにはそれほど
エンタメでもないし。
 ん?って思うものが多い。散々演出しておいて何が言いたいのかわからんって気がIはする。ともかく技術の監督ですね。ほんとに映画の技術は相当高いです
セカイでも指折りじゃないですか?基本通りだし、そして上手い。タルコフスキーみたいな超スーパーカット、みたいなのは無しできちんと絵コンテ描いて
きちんとコマを合わせるって感じ。是非テレビドラマを撮ってるような何の技術もないくせにプライドだけは高いクソ業界人どもは見習ってほしいですね。
 ただちょっとあざとい気がするのも事実、岡本映画には正面からのカットがやたら多いのと、ズームアップ、そしてドリーアップっていうのですか。カメラ自体を
動かすアップがかなり多用されてます、ん~・・、むぅ。まぁ好き好きなんでしょうけど、ちょっとやり過ぎって気もする。


 キャストがすげー豪華。若大将って若いころと今の顔がまっっっったく違いますよね、仲代もそうですけど人間ここまで顔が変わるものですか?それに引き換え
田中邦衛はずっと同じ顔w イケさんは顔が崩れるのでしょうなぁ・・・。演技派といえば仲代、っていうくらい仲代は演技派ですが、声がいいですよね。
 声ってほんと大事、いくら顔がイケさんでも声が二枚目ってことはひじょーにある。仲代の一番の売りは声だと思う。三船はオーラで何もしなくてもすごい。
三船は演技しませんよねwそのまま。いっつも三船。
 若大将の若いころからのファンって人は一体どれだけいるんでしょうか、黒澤映画にも出てるし、かなりいい映画にも出てる・・・それにこの人公爵の家系
なんですってね。本当に貴族じゃねぇか。ほんとに大将になる家系の人なんですよね。その超金持ちのボンボンの、イノセントな感じが加山雄三の味なんですけど
それはそれでいいです。
 この映画1968年ですけどまだまだ日本映画はそれでもちゃんとしてますよね、一体どのへんでむちゃくちゃになってしまったでしょうか?70年台のどこか
なのは間違いないけど急激にレベルが下がりましたよね。テレビに客を取られたというけど、だからっていきなりカメラの使い方を忘れるわきゃあねぇと思うのですけど・・



 昔の映画会社ってのは映画を舞台とする劇団で、だいたい同じ俳優とスタッフですごいペースで映画を作りまくってたのですね。それが解体(倒産)されて、映画を作るのは
制作会社、制作会社がスタッフや俳優を事務所からかき集めて映画をつくる、あるいはテレビ局がドラマの延長で映画を作る。テレビドラマを作ってるのも制作会社
配給、のメジャーっていうのか、マスコミっていうのは、リスクを取らないでただ横流しするだけで手数料を取る会社なんですね。いつだってギャンブルは胴元だけが
得をするように出来てる。映画ってのはギャンブルですから、自分で映画なんて作らないで、誰かに作らせたものを、放送するだけで金をせしめるほうがいい。
 だから映画をつくるチーム、劇団みたいな映画を作るチームってのがいなくなった。お抱えの俳優、銀幕スターってやつも。俳優は事務所が抱えて、企画ごとに貸出。
けどチームプレーがそれで出来るのでしょうか、結果はNOってことですね。この映画は東宝チーム、が作ってるわけです、劇団東宝が、だから技術がしっかりしとる。
 これはIが勝手に考えたお話で事実とは異なってるかもしんないけどだいたいそういうことですわね。

 
 だから舞台じゃなくて、映画を作る劇団、ってのを作ればいいのかもしんないですね。配給はメジャーを通さないで小さな小屋を使う。まぁ儲からないこと山のごとしw
まぁそこまでして、映画、ってものが存在する必要があるのかどうかですわね。映画っていうメディアはもう死んだんだし、死んだままにしておけ、歌舞伎みたいなもので
廃れるままに伝統芸能として見ればいいのかもしんないです。


 三船はスター・ウォーズのオファーがあったときにこんなくだらねぇ映画に出れるか、と突っぱねたっていう伝説があります。それを三船は映画の新しい時代についていけなかったと考えるのか、三船は映画っていうものが何かをちゃんとわかってたと思うのか。Iはもちろん後者ですけどね、映画の時代は終わったのですよね、スター・ウォーズってのは映画を絶滅に追い込んだ犯人です。



 ちなみにこの映画予算が無くなったのか最後まで筋を語らずに途中でぶった切られてます。顛末を語るっていうのがめんどくさくなったのか。まぁ筋はベタベタの時代劇ですので丁寧に筋なんて語らなくてもいいだろうってことなんでしょうね。
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遊びというのはくだらないほど面白い・・・

2015年7月22日水曜日

新作 スタイル  鉛筆水彩

新作のスタイルを今模索中なんですけど、こういう鉛筆X水彩っぽいスタイルに落ち着きそうです。アニメ塗りとかフルCG、イラスト塗り、古典的マンガ(つまりペン画)、とかあるわけですけど、あんまり綺麗な絵にしすぎると時間がかかりすぎるってのもあれですけど、エロマンガみたいになっちゃうんですよね。それに絵の綺麗さ、で勝負してもハリウッド映画とか、巨大なバジェットを持ったものに勝てっこないので、インデペンデントなアーティストってのはどんどんアナログ、自分にしか出せないスタイル、写実から離れるってのがテーマになってると思います。
 この絵はでもPAINTERだけでほぼ書いてるのですけどね。ニセアナログ。
 
 このおしゃまちっくな子は別に何の意味もありませんw ただガキの服装って絶対クラシカルなほうがいいですよね、ガキはカジュアルな服を切るべきじゃないとIは思うものなり。ガールならまぁ・・14、くらいからカジュアルにするべきで、いきなりカジュアルな服から始めると、崩す楽しさ、ってのが無いと思う。ヤリマンはいいのだけれど、純情な子がヤリマンになっていくのはいいけど、いきなりオサセではダメですよね。

2015年7月20日月曜日

1590 ヘンリー六世第三部

 第三部になってやっとこの演劇のメインテーマが現れてきます。
ヘンリー六世は信心深く、優しく寛容で知恵のある王でしたが、というかそれ故に、王としてふさわしくなく。内戦を産んでしまうのです。
 内戦により息子が父を殺し、父が息子を殺す、そういう悲劇を見て、ヘンリー六世は内戦の酷さをまざまざとしる・・・。
ヘンリー六世という演劇のテーマは実は内戦の悲しさ、だったのですね。2-5のヘンリーの独白シーンは見ものです。
 しかしほんとWSってやつは呆れるほどに才能がありますね、鮮やかすぎる。
同時代人が一躍人気作家になったWSに当てこすりをしてる記事が残ってるみたい
です、謙遜してるが内側には虎のような野心が詰まってると、でも実力がありすぎるのだから仕方ないですね。

 裏を返せばキリスト教に頼ってばかりで、実力行使をしないヘンリー六世は無能で国家を破滅させる、もっと狡猾で強権的な王でないとダメだ。と
言ってるようにも聞こえます。クリフォードも言うように。
 本文中にもマキャベリのように残酷にならないとな、というリチャードのセリフもあるように、WSはかなりマキャベリストなとこがあります。
そこがまたかっこいいのだw

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exterminating angel = 皆殺しの天使

1-4
王妃「・・・お願いおもいっきり泣いてIをもっとウキウキさせてよ・・・」
(捉えたヨークに向かっていうサディスティックなことば

ヨーク「・・ アマゾンの淫売みたいに勝ち誇りやがって・・・」

クリフォード「これはオレの誓いの為、そしてこれは父の死のためだ」
 といって剣をヨークに二度突き刺す・・。
(ドラゴンボールの元ネタはこれだったのか)

  
鳥の王者である鷲だけが、太陽へと向かって飛び、太陽を見ることが出来るという伝説・・・

2-3
ウォリック「おれはオレの馬を殺す、自ら退路を断つのだ」

2-5
息子(ただの脇役)「どんな風が吹いたとしても誰かの得にはなるだろう、オレが一対一で殺したこいつだって
少しは金を持ってるだろう・・・」
 息子は殺した相手が自分の父親だと気づく・・・

3-1
  戦に負けて王位を奪われたヘンリーに猟師が誰だと聞く
ヘンリー「身分は見た目以上生まれ以下のものだ。少なくとも人間だ、それ以下にはなりようがないからな」

3-2
 獲物には風下から近づくのだ
(ニオイを悟られない為にね)

3-3
リチャード「・・おれには笑顔がある、笑いながらヒトを殺せる・・・」
 リチャードは三男の上に、こぶだらけの奇形として生まれた、それにより彼は惡の華となり王位を狙う・・

5-6
リチャード
・・・ 見ろ哀れな王の死を悼んでIの剣も泣いている
 ・・年寄りどもがありがたがってる「愛」なんてものは似たもの同士の人間のもとに存在していればいいさ・・・
(カタワとして生まれたリチャードがヘンリーを暗殺し、他のあらゆる人にも宣戦布告する、孤独に闘う運命を背負わされたもの・・・
*悪役だけれど親近感がわく、これは上手いやり方)

2015年7月18日土曜日

1902 W・W・ ジェイコブズ  猿の手 

 たぶん殆どのヒトはこの話を読むことはないと思うのでオチも書いちゃいますけど。つまるところはなんでも願いが3つ叶うけど・・・。っていう魔法のランプシリーズのお話です。


 猿の手のミイラには高位のインド僧による魔法が使われており、持ち主の願いを3つ叶える。それをもらった老人はあまり信じないで200ポンドくれや、って頼むと、息子が事故死してその保証金として200ポンドが与えられる。2つ目の願いで息子に帰って来て欲しい・・・って頼むと・・・・・っていう話です。


 こういう、型があるお話ってありますよね、特に短編は。こういうのって小説っていうよりは大喜利なんですわね。探偵小説を読んでてもそう思います、物語っていうよりはそれは大喜利に近い。そうじゃない短編も探偵物もある、雰囲気ものってやつです。特に何がいいたいかわからんけど雰囲気があるっていうの、キャッチャー・イン・ザ・ライとか、バスカヴィル家の犬とかは雰囲気ものです。


 まぁメモで書いてる記事なので短めに。