2015年8月27日木曜日

NOSTRALGHIA   MAKING 2   HMDヘルメットのモデリング




 ヘルメットが結構出てくるので3Dモデルを用意することにしました。色々な理由によりて一から作るハメに。大概はネットにあるフリーのモデルをちょこちょこと手を入れて使うのですけど。



 ヘルメットのモデリングはこちらのチュートリアルを参考にしました。

https://www.youtube.com/watch?v=SK0GZvYbVU4

こういうモデリングの手法をhard surface modelingって言うんですね、最近の流行りみたいです。

 けどこのチュートリアルは結構高度なのでちょこちょこ見たって程度です。Iはマンガ家なのでやりすぎないようにってのをいっつも思ってます、ハリウッド映画みたいなクオリティはマンガだと不要だし、どうせやつらに勝てっこないので、まぁまぁ・・、くらいでやめとかないと、ほんとキリがないですからね。ほんとはイヤーパッドとエアーコンダクターをもっと念入りにやりたかったけど・・・・、それは2日仕事になりそうでしたので・・・。


 チュートリアルはとてもたくさんネットに流れてますけど、タイムラプスとかで、いや・・それじゃじぇんじぇんわかんない・・・。って感じ、出来るヒトが出来ないヒトに教えるのはダメですよね、出来るようになったヒトがこれから初めるヒトに教えるのが一番良い。このチュートリアルも、最初にスカルプとで整形っていいますけど、スカルプトの使い方がわかんなかったのでフリーズしてしまいましたw
 パソコンじゃなくてIがフリーズ。結局、スカルプトのマニュアルを見て、なんだよ、ミラーボタンを押さないといけないんじゃんか!!って感じですわ。


 しかしネットを見るとものすげークオリティの3Dモデラーがごろごろいますわね。暇か!って感じですけど、アメリカ人がこういう時に発揮するGEEKYなファイティングスピリットってのはほんと称賛に値します。
 しかし趣味は悪いですねw ごちゃごちゃしてる。ごちゃごちゃ感が好きって人もいますけど、IはすいっとしたSLEEKYなデザインが好きです。

 
 SFのデザインとかでものすごいごちゃごちゃ装置がついてるのってあるじゃないですか、Iはそれは一体何の機能なの?これは一体なんの装置なの?ってのが気になるので、無駄な部品をつけたりしたくないんですよね。こういう意味があってこういうデザインで、こういう機能があるってのが決まってないとヤダ。


 デザインってのはほんと大事でして、セカイはデザインを求めておるのですね、このヘルメットのデザインを考えるのだって結構時間食ってしまいましたわ。ダセーんですもの、リアルワールドのヘルメットって、なんでこんなにダサいデザインばっかなの!ってどっかにクレーム入れたくなるくらい。参考になるものがじぇんじぇん無かったのですが、ハリウッドのコンセプトアーティストのイラストを見てなるほどって思って結果こうなりました。ハリウッドオワタ、つまんない、みたいなのが決まり文句になりつつあるけど、実はハリウッドは売上を伸ばしてるのですよね、そいでやっぱし才能人が集まっています、カネも集まっているし。

 ほんとリアルワールドのデザイナー達、ちゃんと仕事してプリ、リアルワールドのデザインはひどいです、これマジで。

1592 Comedy of errors

シェイクスピアのコメディの第一作、そうじゃなくても最初期の作品と言われています。元ネタがあって、ギリシャの古典喜劇からプロットはだいたい借用して、変更を加えています。つまるとこカバーってわけですわね。
 シェイクスもカバーをやってたんだ、ってことは、今の同人の作家にも朗報じゃないでしょうか、パクリは悪、というのが今の著作権独裁みたいなセカイの定説として与えられているのですけど、そんなのまっっったくの嘘、作品を保護して金を死ぬほど稼ごうってのはほんとに20世紀くらいからの概念です。それまではもっと自由に改作やら変曲やら、創作の自由はありました。芸術ってのはコピー、前フリ、オマージュなどなど、常に何か元ネタを持っているものです。神話のシーンだとか、聖書のシーンだとかっていうふうに。

 オリジナリティってのは0からまったく新しいものを作るってことじゃない、決まったスタイルの中で自分が新たに変更を加えることなんですわね。



 それはともかくとして作品としては非常にあっさりしてます、生き別れになった双子、そしてそれぞれに双子の召使、それがある街に偶然居合わせて、巻き起こるドタバタ劇ってわけです。それにくわえて身代金が払えず死刑直前の生き別れになった父親、修道院長になった実の母、夫を間違える妻などなど、色々な要素が、最後にはシュルシュルーーっと一気に解決、めでたしめでたしってやつです。

 大筋としては単純極まるものですが、この喜劇の見せ場は多彩なダジャレから上手いこといったり掛詞をやったり下ネタ、浮気、エトセトラ、トークで見せるってわけですね。

 ただまだまだシェイクスは若いな、って感じがしますね、天才シェイクスといえどもコメディはまだまだ研究中って感じ、すごくあっさりと読めます、ヘンリーシリーズみたいな歴史物が何時間にも及び大作なのと違い、喜劇はたぶん2時間くらいで終わるささーっとしたものです。


 ただこの演劇には二組の双子と、姉妹ってのが登場するわけですけど、実際に上演するときにそう上手いこと双子のペアが見つかるとは思えないんですよね、しかも双子のツーペアは同年同日に生まれたっていう設定もあって上演不可能って気がする・・仮面でもつけてやってたんでしょうか?オヤジや母親もまったく似てないヤツってわけにもいかないし。


 ちょっと思うのですけどシェイクスみたいなしっかりとした演劇をやる団体がいてそれを楽しみに見に行くってのはすごい楽しいことですよね、羨ましい限り。常設小屋があって、次々新しい出し物っていう・・、今の演劇ってなんであぁいうことになっちまったんですかね、だいたい珍奇で奇をてらった、ハイハイ鬼才奇才ッて感じ、なんでもいいからもっとちゃんとしたの見たいです、それに小屋も貸出で常設小屋を持ってる演劇団体なんて宝塚くらいなもんでしょう。それに演劇ってクソみたいなチケットの高さですわね、ありえねーっての。それに人気の劇団とかのチケットは毎回おんなじやつらが握ってしまうのでだいたいいつも同じ客、そりゃ演劇のムーブメントなんて起こりっこないですよ。

2015年8月26日水曜日

ギア  MAKING 001


 バックアップを兼ねて新作、通称ギアの画像を上げていきたいと思います。やっとこのブログの当初の目的に戻りましたね。


 世紀末の渋谷がオープニングカットです、映画のポスターとかそれっぽいでしょうw 一応建物は109をイメージしてます。あの門のところにトーラスのパイプが連なったみたいな屋根があるじゃないですか、これ名前なんて言うんですかね? 作るのに困りました、名前がわからん・・って。あと映画のポスターが張ってある四角いハコあるじゃないですか、それも名前がわかりませんでした、これ何ていうの?海外とかには無いんだろうか・・? 結局全部自分でモデリングすることになりましてん。

1960 青春残酷物語  大島渚

 ある年代の人には大島渚ってすごい崇拝者がいますよね、大島渚は名作を作った、ヌーヴェル・ヴァーグだ、ゴダールなど世界中の監督に影響を与えたエトセトラ・・・


 この映画はいわゆるなんでしょう青少年の破滅物で、ありがちっちゃあありがちですね、ありがちというかこの映画が、その破滅物のベタを作ったのかもしれません。セックス、暴力、無軌道な青春、そいで最後は国家権力やらヤクザやらにボコられ全滅エンド。

 もし1960年にこれを見てたら、わぁ!なんて斬新な映画だ、って思ったかもしれませんが55年後の今見ると、ありがちやね~~、って気がするだけですわね。


1960年っていうと、新しい文化の始まり、学生運動熱い時代って感じですが、映画、はむしろ1960年、ほんとはもっと前(1956年)から斜陽の時代なんですね、落ち目の芸術、黒澤と入れ替わる感じで大島渚が出てきて、落ち目の映画を徹底的にぶっ壊したって感じでしょうか。


 まぁ一言で言うと面白くは無いです。Iはゴダールも嫌いですし・・・。ちゃんと仕事しなよって思う。Iは、ちゃんとロケハンやらセット、衣装、構図、プロットそういうのを細部までうんうんやりながら映画を作ったほうがいいと思いますね、即興的な演出と素人の演技で鮮烈でフレッシュな印象、といいますけれど・・・・下手すりゃただの手抜き、カネが無いことへの言い訳。


 実際この予算が無いってのが1960年台からの斜陽の映画の切実な問題なんですわね、そこからひねり出されたのが新しい映画のスタイル、というわけ。もっと潤沢な予算があればこういうふうに映画は作られなかったのではないですかね・・・。

 ある意味ハリウッドは身売りっていうか、志無しっていうか、映画なんて大衆のエンタメであればいいんだ、芸術性や社会へのメッセージなんているか、ってわけで、スピルバーグスタイルっていうのか、ただ映像として面白いってものになる、他の映画産業はすべてポシャる。ってことになったわけですね。


 ほんと唯一の例外はキューブリックくらいなものですね、キューブリックはその落ち目の映画産業で、どういう魔法かしらないけれど、巨額の予算で、別に大衆受けを狙ったわけでもない、すごい映画を作ってます、まぁユダヤ金融ネットワークの成せる技って感じでしょうか、キューブリックの図抜けた才能ってのもありますし。

 しかしほんとに大量の予算が使われて、細部まで徹底的に作りこまれてて、しかも俗受けじゃない映画ってものはほんと見なくなりました。まぁむちゃくちゃですわねそんなの、金儲けをする気じゃないが、巨額の予算を出せ、なんて、そんなの通るわけないもの。

2015年8月25日火曜日

1592 リチャードⅢ シェイクスピア

 リチャードⅢはシェイクスの一応四番目の作品であり。ヘンリーⅥ三部作に続く、薔薇戦争のクライマックスです。薔薇戦争四部作の終わりってわけでもあるのですが、リチャードⅢという演劇は、その大河ドラマのオチという風に描かれたのではなくて、おそらく劇団の作家集まりで描かれたヘンリーⅥシリーズではなくて、たぶんリチャードはシェイクス1人の執筆によるものです。別に何の考証もなく、ただの作家の勘です。
 
 というのはリチャードⅢだけが図抜けてよく出来ているし、続き物というよりは1つの作品として独立させてやろうっていう感じなのです、歴史物として歴史を追っていくというよりも、リチャードⅢという人物を一流のアンタゴニストに仕立てあげて、すべてリチャードを中心に物語を展開させていきます、歴史物ではなくて歴史フィクションになるのですわね。



 ほぼリチャード以外の人物は脇役です、最後に登場する正義役のリッチモンドなんてほんとに演劇の最後2シーンくらいしか登場しないし、性格描写も何もありません。リチャードと怨みっぽい元王女老婆マーガレット、兄王の妻エリザベス、くらいが主要人物ですが、それもリチャードという悪役を引き立てる引き立て役でしかありません。
 シェイクスの最初の頃の目標は魅力的な悪役を生み出すってことだったんだと思いますね。実は物語っていうのは、悪役、アンタゴニストが始めるのです。正義の味方っていうのは常に アンタゴニストの行動に対する リアクション を起こす人物。何か最初に始めるのは悪役。だから物語っていうのはどのような悪役、を生み出すかってところなんです、ほんとに大事なのは。

 よく言われてるようにムスカみたいな、ほんとにただの自分の欲望だけの陳腐な悪役だと、物語全体もシンプルで、子供向けのものになります。ラピュタは筋だけでいくと単純極まりない小学校低学年向けです。コナンもまたしかり。ナウシカの悪役は自然を破壊する人類全体なわけで、これがナウシカのスケール感を産んでるわけですわね。

 悪役が複雑な人物、リア王ではリアが悪役なのですけど、リアという人物は相当込み入ってます。

 リチャードは悪役としてはそこまで込み入ってはいませんが、微妙に屈折しています。まずリチャードは生まれが奇形として生まれていて、ルックスが悪い、それに生まれた時から犬の子だ、として周囲から疎んじられていた人物、しかし戦場では無類の強者であると。リチャードは平和の時代、薄っぺらなキレイゴトとセックスのようなつまらない喜びだけの時代には自分の居場所は無い、だからオレは悪になる、悪に溺れてみせる。と宣言して、悪役になるってわけ。
 どこまで悪を無し暗殺やら裏切りを繰り返しても、どっかリチャードが魅力的っていうか、憎めない人物と見えるのは、生まれがブサイクで平和の時代には居場所が無い、っていうシチュエーションってのは、ものすごいユニヴァーサルなもんですわね。生まれ持った物では誰一人に愛されない。だから戦うって戦果を上げて、自分を周囲に認めさせないといけない、だから死ぬまで戦わないといけない・・・・


 オレは悪になってやる!って言って始まるのです、斬新やなぁ・・・



 リアを引き合いに出しましたけれど父王とその遺産を受け継ぐ三人兄弟の分裂の顛末っていう物語の構造でリアとリチャードⅢは似てます、この筋立てを進化させていくとリアになるわけですね。

 ほんとつくづく感じちゃいますけどシェイクスピアは嘘みたいな天才ですね、たぶんまだルーキー、たぶんキャリア2,3年なのにここまでの脚本をものにするなんて、誰にも書けるわけないです・・ほんと恐るべき子現るって感じだったのでしょうね。

 私が思うには暗殺者2人の掛け合いのシーンはほんと見事です、すげぇ。


 たぶんリチャードⅢを書き終えてから、シェイクスはちょっと目線を変えようってわけで喜劇、ラブコメディとかに取り組むわけです、殆どのシェイクス研究家は、というか批評家ってやつは悲劇ばかり重視します、けどシェイクスが喜劇に取り組んだってこと自体で、シェイクスはもっと全然違うところまで見えてるってことですね。ほんと普通の人間とは見える領域、見えてる世界が違うんだなって思いますなぁ・・・




 一般的にはリチャードⅢはマキャベリズムとその失敗を見せるというけれど、それはほんと浅ーーい見方ですわね、リチャードはじゃあどうやって生きれば良かったのか?ってのを考えないといけません。悪いコトをして権力を手にしてもすぐに破滅する、なんていう陳腐な教訓劇では全然ありません、さんざんシェイクスはリチャードⅢにそれを強調させてますからね。
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 1-1
 since I cannot prove a lover
    To entertain these fair well-spoken days,
    I am determined to prove a villain
    And hate the idle pleasures of these days.

 キレイゴトだらけの時代に、恋人を喜ばせることも出来ないなら、悪党になる決意をして
この時代のくだらない楽しみなどを憎んでやる
      
            リチャード

リチャード
Go tread the path that thou shalt ne'er return.
    Simple, plain Clarence, I do love thee so
    That I will shortly send thy soul to heaven,
    If heaven will take the present at our hands.
 そうだ二度と戻れない道を歩め、単純でバカのクラレンス、なんて愛おしいヤツ、すぐにでもその魂を天国に
送ってやるぜ、もし天国ががそのプレゼントをもらってくれるならな
 
   嘘の予言で濡れ衣を着せて監獄送りにした兄のクラレンスへのコトバ。


1-3

             RICHARD
I do the wrong, and first begin to brawl.
    The secret mischiefs that I set abroach
    I lay unto the grievous charge of others.
    Clarence, who I indeed have cast in darkness,
    I do beweep to many simple gulls;
    Namely, to Derby, Hastings, Buckingham;
    And tell them 'tis the Queen and her allies
    That stir the King against the Duke my brother.
    Now they believe it, and withal whet me
    To be reveng'd on Rivers, Dorset, Grey;
    But then I sigh and, with a piece of Scripture,
    Tell them that God bids us do good for evil.
    And thus I clothe my naked villainy
    With odd old ends stol'n forth of holy writ,
    And seem a saint when most I play the devil.

 悪事をなしてそれをひとになすりつけ、聖者を演じてデビルを為す・・
  

Mudereres
  Talkers are no good doers. Be assur'd
    We go to use our hands and not our tongues.


Murderers 2
・・・It beggars any man that keeps it.
    It is turn'd out of towns and cities for a dangerous thing;
    and every man that means to live well endeavours to trust
    to himself and live without it.
  良心を持っていると乞食になる・・・


 4-2
RIC「The deep-revolving witty Buckingham
    No more shall be the neighbour to my counsels.
    Hath he so long held out with me, untir'd,
    And stops he now for breath? Well, be it so.

 腹心だったバッキンガムが皇太子暗殺にひよるのを見て、すぐにバッキンガムを捨てる決断をするリチャード
 
 疲れも見せずここまでよくついてきたが一息をいれたいだと、ならそうさせてやる・・

リチャードはひたすら転げ落ちるように悪へと染まっていく、誰もそれに付いてこれないほどに。リチャードの孤独がある・・
悪夢でうなされて眠る事もできない。

        RIC
Murder her brothers, and then marry her!
    Uncertain way of gain! But I am in
    So far in blood that sin will pluck on sin.
    Tear-falling pity dwells not in this eye
 
 王権を確保する為に、王太子を殺し、兄王の子供と結婚する・・綱渡りだ、しかしここまで血の海につかってしまったら
罪が新たに罪を生み出すのだ、涙を落とすような憐れみがこの目にやどることはない・・・。

 4-4
DUCHESS. Why should calamity be fun of words?
  QUEEN ELIZABETH. Windy attorneys to their client woes,
    Airy succeeders of intestate joys,
    Poor breathing orators of miseries,
    Let them have scope; though what they will impart
    Help nothing else, yet do they case the heart.

 なぜ悲劇はコトバに満ちているのか
 コトバは悲劇の口やかましい弁護人であり、遺言の無い喜びの虚しい相続人、悲しみをぜぇぜぇ語る雄弁家・・・
 それでも機会を与えましょう、何の助けにもならないのだけれど、ココロの慰めにはなるのだから


5-3

 リチャードは眠りにつくと次々と今まで殺した相手の亡霊が現れて言う
 Despair, and die
 絶望して、そして死ね。

 I shall despair. There is no creature loves me;
    And if I die no soul will pity me:
    And wherefore should they, since that I myself
    Find in myself no pity to myself?

 亡霊の悪夢から目覚めたRICの独白。
 絶望するべきだろう、Iを愛するイキモノは1人もいない、Iが死んでも1つの魂も悲しいと思わない
そのはずだ、だってI自信が、自分に対して何の同情も起こさない・・・

 RICは亡霊の言うとおりの絶望、を味わう。これが絶望、誰にも愛されず、死んでも誰にも悲しまれなず、自分自身すら
自分を同情しない・・・。

2015年8月22日土曜日

ワールドスポーツMLB 8/22

 この番組は数少ないMLBのハイライト番組なんで、たぶんIがほぼ唯一欠かさず見てるテレビじゃないですかね、ガキの使いも最近は、最近っつってもここ5年くらいは外れエピソードも多いので・・・あとごぶごぶも見てますか。


 この番組のアナウンサーでなんとかルミっていうNHKらしからぬ、きゃぴきゃぴした、アイドル路線丸出しのアナウンサーがいるのですね。やたらノースリーブ着ておっさんの数字を稼いでいるのです。別にNHKなんだから肌を出しておっさんの数字稼がなくてもいいのに・・。ってわけでIはもっとMLBの試合がみたいので、うっせーこいつって思ってたのですけど、今日イチローの軌跡、みたいな特集、特集っつっても5分くらいのVTRがあったのですね。

 でV明けにルミっていうアナウンサーに切り替わったら泣いてるんです、イチロー選手!感動しちゃいました~って、うそぉん!! この番組たぶん生放送です、すぐに訂正やら、ミスやらが入るので。あの5分のVでそこまで泣けるかぁ? このアナウンサーブリブリしやがって!!ってことじゃなくて、すげぇって思ってしまいました。うそなきだったにせよ、その演技力はすごい、プロフェッショナルやな~~~。
 それか本当に純粋で良い人なのかもしれない・・・と思いました。どっちにせよすごい。なんかテレビで久々に事件を見たって感じでした・・


 

 イチローはタイ・カッブを抜き、もうすぐピート・ローズに届くのですってね、ピート・ローズはヒットの世界記録を持ちつつ八百長に関わってほぼ野球界から追放されてますので、みんな何も言いませんね、ピート・ローズの記録を抜いた時、ピート・ローズはメディアに映るのですかね、それとも無い人扱いなのか、それも気になってしまう。
 惜しいのは日米通算、っていうことになっちゃうことですよね、イチローがロサンゼルス生まれですぐにMLBだったら、もっともっとすごい選手になってただろうに、もったいない・・・・。

 なんにせよイチローみたいに、ほんとに頑張ってるヒトがやってるぞっていう姿を見せてくれるってのはやっぱ大事なことですよね、すぐになんで俺だけこんな頑張ってんだろ、ってヒトは思うもんですから、まぁイチローは今日も頑張ってるししゃあない仕事するかっていう気持ちになるから・・・だからって泣きはしないけどw

2015年8月21日金曜日

コスチュームデザイン と コスプレ 

 最近は新作のデザインをやってたりしますが、コスチュームデザインって実はすげー大事ですよね。Iが好きだからそう思うのかもしれないけど、どういう服を着てるのかってのは一番わかりやすいそのキャラクターを説明出来るポイントです。
 よく説明ゼリフは最悪だっていいます、

「だってあなたはエースパイロットじゃない、あなたに適うヒトなんていないもん」


 これは少しは洗練されているけれど、それでも露骨な説明ゼリフです。そうじゃなくて、エースパイロットの制服を整理してる時に、チラっと勲章のワッペンが見える。それで識別して、ホレって制服をわたす。これはかなり上手い説明シーンです。(上手くねぇわっていう意見があるかもですけどw実際コトバで説明するよりはそうやって間接的にやるほうがオシャレですわね。
 
「ワタシはアイドルになってみんなに笑顔を届けたい!」

 これは最低最悪の説明ゼリフ、自己宣言型ってでもいうのか、そんなヤツいねぇ、だいたいにおいて日本人はそういうしゃべり方をしません、明らかに芝居がかったセリフ回し。でも朝ドラとかオーディエンスのレベルが痴呆寸前の小学校低学年クラスに合わせるとこういう直接的なやり方をしたほうが伝わるでしょう、コロコロコミックでもそういうしゃべり方ですものね

「仲間を傷つけるやつは絶対にゆるさないぞ!」

みたいな。


 まったく主題からズレてますけどw ともかくコスチューム、衣装デザインってのはほんと大事。けれどもあんまり評価されてない、あの映画の、アニメの、衣装デザイン誰?っていうので答えられるのなんて殆ど無い、例外としてヘップバーンとジバンシィ、デヴィット・ボウイと山本寛斎みたいなことがありますけどね、殆どはわかりません。アニメとかでもそう。

 しかも実写で衣装デザインの賞をもらうのって大概レオパード、とかヴィスコンティとか、フランス革命時代の衣装を再現した~~、宮廷生活のデザインを~~~、みたいな時代劇の衣装デザインにばっかし賞が与えられるのですよね、クソかよって感じです。
 Iはほんと時代劇ものって大嫌い、やる気あんのかこいつらって思いますね。昔のヒトの服装を考古学者とかにも聴きつつ再現、クソくだらねーですそんなの。オリジナリティのカケラもねぇ。というか実写映画って殆ど手抜きしてるようにしか思えないのです、適当なところでロケやりやがって、ちゃんとセット作れ、ちゃんと一から考えろってすごい思う。
 最近小説とかにも思うのですよね、いや文章だけって!これで完成なの・・?って思う。背景を考えて、コスチュームを考えて、キャラクターを考えて・・・、それが物語の大事な部分で、文字だけっておいおいおい!って思ってほんと小説が読め無くなってしまいましたね~・・・。


 アニメやマンガの衣装デザインってのはコスプレイヤー、レイヤーがクローズアップしてくれたおかげで、なんかちょっとリアライズされるようになって来ました。これはもう確実な予言ですけど、10年以内にコスプレをもっとリアルクローズに落としこんで洗練させたようなファッション、ネオレイヤースタイル、みたいなのが主流になります、これは間違い無いと思う。


 いまのリアルクローズってほんとめちゃくちゃ退屈なデザインが多いですよね、みんなユニクロでいっか、買い物めんどいし、どうせほんとに欲しい服なんてどこにも売ってないし。かっちょいいハイブランドの何万もするシャツやら数十万もするジャケット買えるはずもねぇって思うから。実際そうです。結果みんな数パターンのそれっぽい感じ、っていうスタイルになってる。自称ファッションデザイナーやらアパレル関係っていうバカ女は腐るほどいますけど、殆どみんな同じやん。って思う。オリジナリティが無さ過ぎ。こんなこと言うと絶対怒られるのですけど基本オンナってオリジナリティが無いのですよね、全員似通ってるのです。アンドロイドみたい。だから法律とか、会計、みたいな退屈な仕事に向いてるのですよね。オトコはオリジナリティはあれでもセンスが伴わないってことになりがち、それはものすげーダセーことになるか、優れたセンスを発揮することになるのですけど・・・




 で、最近才能あるデザイナーはどこに行ってるかというに、だいたいゲーム会社で働いてますね、海外もそぉです。ファッション業界はめちゃ保守的、それは未だにファッションの都パリ、とか言ってる時点でわかりますわね、パリて・・・フランスなんてナチスにコテンパンにのされてから四流国じゃん・・・、なんにも新しいものなんて生まれて来るはずねぇっすよ。フランスはでも観光業では世界一なんですよね、観光客ってのはどのレベルの人間で構成されてるかわかろうってもんです。
 


 ともかくなんか、ハッ・・とするデザインってのはだいたいゲームで見るようになりました。映画はハリウッド映画は最近はコミックばっかしなので、しかも古いコミックなので糞ダセーですね、っていうか基本的にアメリカ人ってデザインセンスがからっきし、ファッションセンスとデザインセンスは実は違うものです。バットマンやらスパイダーマンなんてこいつら正気か・・・って思いますもん。なんてーこったい。

 やっぱデザインセンスは西洋と北欧に集中してるんでしょうね、特にIはロンドン、ベルリン、らへん。
 ナチスは退廃芸術展を行って現代美術を滅ぼそうとした、ってよく言われますけど、Iは完全にヒトラーのセンスのほうがいいと思う、だって実際退廃芸術はクソですもん。現代美術、まぁ~ひどい。現代美術とナチスが広めたスタイル、どっちが後の影響を持ったかというに明らかにナチスのデザインはあまねく世界に広がりましたもの。黒のつや消しのオートバイ、モノクロを貴重としたサディスティックなデザイン、女軍曹w みたいなキャラも生み出しましたしねw 。

 現代美術のスタイル、って言われても殆ど何も浮かんでこないけど、ナチスのスタイル、というと明らかにナチスのスタイルってものがありましたもの。ヒトラーはアーリア人種は最高の民族だと言っていましたがあながち根も葉もない嘘っぱちってわけではありません、確かに彼らの、量より質、クオリティ重視のスタイル、ってのは抜きん出てすげーもんです。

 コミュニズムのスタイルもありますけどね、まぁ~~そのデザインのひどいこと、彼らの服装を見れば、あっソ連はダメだこりゃってわかります。死ぬほどダサいもん。制服がかっこいいからレジスタンスよりもナチスの親衛隊に入りたいですw 



 なんて適当に書きなぐる・・・