ゲームをクリアして気づいたんですが今日が1月31日じゃないですか!!!ニュクスを倒した日と同じだ!くわーーー、ゲームの神様ってのはいるものですね、感動しちゃいました。
無印版、FES版、PSP版と3バージョンあってFESが追加版、PSPは携帯機へのコンバート+という感じ。FESにはエピソードアイギスというスピンオフがあるのですが・・・これは・・・・・。
ペルソナ3、ペルソナ人気を確立した3ってとこでしょうか。これまでのペルソナとは相当システムが異なっていて、高2の一年、という期限付きのスケジュールの中で学園生活を過ごしながらペルソナを強くするというかなり学園アドベンチャーテイストの強い感じになってます。恋愛ゲームみたいに女の子とハメまくったりやらしい衣装を着せたりして 仲良くなってコミュレベルをあげることで、ペルソナ合成時にボーナスが付き、また固有ペルソナも解放されるようになってます。男にも手を出せるよ♪(小学生にも手を出せるよ)
何よりもパワーアップしたのはイラストとアニメーションでやたらとアニメシーンが多く、ペルソナにもイラストが存在します。3Dモデルはメガテン3からの使い回しですがw
今までビジュアルがわかりずらかったスタンドwにもデザインが入ったという感じ。それもかなりハイクオリティです。メガテン3では3Dモデルばっかで馴染めなかったキャラクターにもかなりの数のイラストがついて、いわゆる、ペルソナデザインって感じになりました。メガテン系のオカルトテイストは払拭されて、美男美女だけで構成されてるし、声優陣が豪華です、渚君やらルカワ君、そして後半にはシンジも加入、どうせならアスカと綾波も出せばよかったのにw アスカの声優はリアルメンヘルですし、綾波は業界一高いですから無理だったんでしょうねー、声優もイケメン担当で構成されてます。
ただそのせいもあってなかなかゲームが始まりませんーーー!!!始まって2時間くらいメニューも開けない。最近のゲームあるあるですけど・・。
戦闘も主人公にかかる比重が大きく、仲間はCPUで無能w、仲間はかなり勝手に行動します。敵を回復させたり窮地を呼ぶなんてザラ、どうでもいいザコにコンセントレートやガードキルを使ったりと最後の最後まで仲間が言うことを聞かないのに苦しめられます!なんでそれだ!こらぁ!!テイルズみたいにこの技禁止ってのすら出来ないのでほんとムカっときますw
ゲームシステムを理解して何をすればいいかを理解するまでに相当時間がかかると思います、選択肢が多すぎて選べない!そしてその時には全コミュ解放には遅い。
何周もやるのが吉日というところ。はじめは全コミュ解放とか、全ミッションクリアを目指さないで、好きな女の子とイチャイチャしてそのペルソナで戦うのが素直なゲームのやり方だと思います。でもそれだと色々大変なことになったりと・・かなり難しいですこのゲーム。ゲーム初心者はEASYを選んだほうがいいかも。P3は女子人気が相当高いのですけど、普通女子にはノーマルはクリア不能だとおもふ・・これをクリアしたら立派な腐女子ですね。まぁニュクス倒さないっていう選択もあるのですけど。
特に太陽、桐条、ゆかり、風花はコミュ解放に時間がかかってちゃんとやらない限り間に合わないです。(そして攻略情報がない限りかなり無理)。女の子は恋人は1人にしないとリバースといって嫌われるので1人を完全に堕として次って感じ全部落とすなら女を先にして、ジジィとか友達は後回し!
あと序盤が一番時間が無いです、中間テストで好成績をとるのは一番シビアなので最初学力を一気にあげるのが良いかと。
ちなみにペルソナカードは可能な限り合体しまくるのがいいです、とっておく意味なし、このゲームレベルが上がりすぎないように経験値が補正されてくのでペルソナのレベルはほぼ上がりません、レベル上げてから合体とか考えないでいいし、ペルソナカードはインフレ気味にいっぱいくれるのでいらない。3体合体しまくって、上限レベルギリのペルソナをガシガシ作ってくのがいいと思います、継承とかもそこまで考えないでもって感じ。カジャ系の魔法とかも数ターンしかもたないしメガテン3みたいに強烈な威力はありません。(ランダマイザがない?)ただちゃんと弱点がつけるように全種類の魔法は用意しとくのは忘れずに。
イベントバトルで勝てないと先に進めなくなるのでは?っていうのは実は心配無用。散々ちゃんと準備しろ、ってせっつかれますけど、次々に新キャラが加入して新キャラはイベントボスを倒せる能力を持ってるので、主人公はワンキルされない体力さえあれば(これもイベントボスの経験値で補正されるので大丈夫)、ほんとはほとんどタルタロスに行かないでも攻略可能です。月に1回行けば大丈夫。敵を避けて登って行き、ターミナルで回復しながらレベル上げするのが良いです。そしてイベントボスはたいして強くない。中盤の壁、笑うテーブルがムカつくくらい強いですw メギド連発とか!鬼か!
1月になったらガシガシレベルを上げまくらないといけません、1月は2日おきにタルタルしませう。
ここでラスボス攻略。
ラスボスは弱点や耐性を変えながら最後には本気を出します。兎にも角にもどえらい長期戦になります、一時間くらいかかってしまいました。そんなに時間がかかって最後に夜、をくらって全滅では最悪、しかも時間を戻せないのでレベル上げにも戻れません、ドハマリしてしまいます。(たぶんでも最後にタルタルに入ってから回復が可能なのかも知んない?ともかくアイテム補給は不可能になる)
用意すべきアイテムはソーマ2個は必須です、4あればとりあえずドハマリは回避。けど丁寧にラスボス手前で2つ手に入るのでそれをとっておけばミニマムはダイジョブ。主人公がハマなどでワンキルされる場合があるので、ホムンクルスも2つあると安心。アバドンが受胎して手に入る虚無の書(精神無効)があればそーとー楽です。攻略サイトにはメシアサイザーがあると良いと書いてありますめどもメシアサイザーが手に入るレベルならばメシアサイザーなんて必要ないから!ほかにもハルマゲドンで一撃とかありますけど、ハルマゲドン習得レベルまでいってたら通常攻撃だけでらくらくKOできるし。
推奨レベルはラスボスと同じ76あれば何回も繰り返す忍耐力があるなら勝つことは出来ます。80あれば楽勝だと思ふ・・。それでも運が悪いと普通に死にます、万能クリティカル二発くらったり。
ラスボスは死神モードになると夜のマントとかなんかで無敵状態になって全攻撃反射になります。仲間をどうやって操るかにかかってるのですが、仲間がニュクスよりも遅いと(たぶんたいがいそう)、ダメージが通るかは運です。アイギスには補助魔法を使わせると的はデカジャをつかってくるので、アイギスは常に補助、主人公はメディラマ、神々の加護をもったやつ、たぶんティターニアで決定。でメディラマを使いながら味方のダメが通るか運任せです。Sp無くなったらソーマ。30分くらいこれを繰り返すハメになります。ニュクスが死にかけたらついに最終兵器を使って来ます、夜、は全体ダメ、全体状態異常、というラスボスにはつきもののオールバステアタック。虚無の書があれば主人公のバステだけは回避できるので、主人公魅了→行動不可、全滅、だけは回避出来ます。虚無の書がなければ後は運任せ、主人公ヤケクソも即死パターン。うまい具合にバステを回避出来るかどうかです。虚無の書あるかどうかで勝率はかなり上がります。死ぬとまた1時間くらいなのでやり直しなので正直しんどい。
おすすめパーティはアイギス(必須)、コロマル、乾、これで決まり。ゆかりのメディラマでは回復が間に合わないので回復は主人公しかいません。コロマル、乾は即死したり反射で死にますけども、別に死体を転がしてても問題なし、余裕があるときに生き返らせれば良い。死神モードは即死魔法は使わないのでそれもさらに有利。高校生組は反射を喰らわないですが、弱点で落ちすぎます。
アクセは魅了無効があれば一番いいのですが普通は無い、よって極生命?HPアップで決まり。
エンディングは、コミュ全開放のコミュだけ、誰かに話しかけると展開があります。特に太陽コミュはいい話なので個人的におすすめ、重いけどなw
////////////
ネタバレ注意
シナリオは誰と過ごすかを自分で決めるフリーシナリオ的な感じですが、ペルソナらしく、一筋縄ではいかないというか深いというか重いというか。だいたいは両親が死んでるか仲が悪いかだし、病気の母がいて貧乏にあえいでいたり、末期の病で死にかけてたりと重い~~w 特に余命わずかの青年は音楽も切なくて辛いです~~・・・。そしてこいつヤなやつだなーって思わせておいて、実は話しを聞いていくと嫌な感じなのには理由があって・・というふうに深く知っていけば味わいが出て来るという仕掛けになってます。まぁ現実には底の浅いただのヤなやつなんてザラにいますけどもw それが現実とゲームの違いです。
ただネタバレですがこうはん1月31日に世界が滅ぶという運命を宣告されてからはコミュのシナリオとゲームのシナリオが滅茶苦茶になってしまいます。世界が滅ぶはずなのに、将来の夢だとか、決められた結婚相手をどうしようかとか、噛み合ってないです、まぁそれは仕方にゃいことです・・・。
この学園アドベンチャーと不思議なダンジョン系のゲームをミックスさせるっていうゲームデザインはすごい斬新ですよねー、よく、これで行こう!ってなりましたね、今までのペルソナみたいに王道ロープレでいいじゃんってのを押し切って斬新なゲームデザインを選択したアトラスの偉い人には良い人材が揃ってるんですねー。
アドベンチャーとか育成系、不思議なダンジョン系のゲームって突然飽きるってことがありませんか?いきなり、突然、ステータスをあげるのが面倒になる。まるで賢者タイムみたいに、スイッチがばつん!って外れる。あれ?オレ何してたんだっけ?って我に帰る。モンスターファームとかめっちゃそうでした。
このゲームはそれを時間制限を設けることで飽きさせないようにしてます、まぁちょっとなかだるみはあるんですが・・・。それでもかなりバランスが取れてると思います。夏休みが長くてうんざりするw けどまぁそれもリアルっちゃリアルですわね。イベントボスが少なすぎる気がしないでもにゃい・・・。あと仲間がやっぱ阿呆すぎるー!このゲームの手強さはそこに極まります、仲間が言うとおり動くなら別にボスとてそこまで強くない。1ターン目でカジャ系で固めるとかもできようものだのに、まぁ言うこときかねー。
でももっとゲームをサクサクやりたい、アドベンチャーの話を聞くのめんどい・・っていう風流を解さないガチ勢にはまどろっこしいゲームかも・・・・。
仲間がたくさん選べるのですが耐性でいくと、ワンコ、シンジ君、デカジャ役のアイギスにみんな落ち着いてしまうってのも少し残念・・・、ポータブルでは荒木先生も使えるの?
荒木先生がいるならレギュラー確定です。
なんにせよものすごい良く出来た、システムも斬新なゲームです、ワタシのゲームランキングでもトップ10は固い、ハイレベルのゲームなり。ただ難易度は高いです、まじで。ゲームをしないけどシナリオを知りたいって人のためにアニメがあるんですね、まぁ確かにこのゲームをクリアしてシナリオを全部読める人ってほんと限られてますものね、ゲームをしない人にも知ってほしいってのはすごいよくわかります。
しかし劇場映画四本分とは!w 予算が爆発するーw アトラス金あるんですなー。TVアニメ換算でも2クール分ですからね。
2017年1月31日火曜日
ドナドナ大統領の 入国禁止の話
今日は真面目な話をひとつ。
トランプ大統領が中東からのアメリカ入国をほぼ禁止にするってことで話題になっております。もちろん、正義派を気取る連中、イメージ戦略のためにいいかっこしたい人々、パブリックイメージのためにどっちが多数派かなぁってのを見てる人々、何も考えずにとりあえず人道的臭いことを言っとけばいいだろうっていうヒト、そういうのがメディアの世界には溢れていますから、だいたいはそんなのだめよー!!っていうのが一般論みたいです。
企業のトップや政治家なんてクソ野郎どもの集まり、これはたいして間違ってないんでしょうけど、そうやって批判する自称ジャーナリストっていう連中も阿呆っていう・・・阿呆ではないですね、けど無力って時点で阿呆よりもわろし。
ワタシはジャーナリストやら批評家ってやつは、無力だから嫌いです、どうせ何をする力も意思もないんだもの、口ばっかしで。
ワタシは正直そりゃそーだろって思います。というより、今まで入国審査ってのがザルすぎたんじゃないですかね。そりゃ新しい人出が欲しい時には入りはザルにしなきゃいけないけども、別に人口なんて増やしたくないんなら、鎖国もアリでしょう。
というより、ウェルカムな奴ら、どうぞ観光に訪れて下さいっていうほうがよっぽどクソ野郎の集まりだと思います、カネ目当じゃん、国際交流とかいいつつ、外国人をオカネとして見てないですもの。それを偽善笑顔でお出迎え、おもてなし、とかほざいてるよりも、正直に、てめぇのことなんか大嫌いだ、近寄るな!っていうほうが、正直でいいと思います。正直に言って初めて、じゃあどうしようか?っていうステップにいける、営業スマイルしながらココロの底でクソ野郎ども、カネだけ払えって思ってるよりはむしろ前進だとワタシは思うのですけどね。
もっと腹を割って話をしようぜってことです、もしアパート借りてて隣の部屋がユダヤ人だったり、イスラエル人だったり、わけわかんない宗教にドハマリしてたり、毎日礼拝してたりしてたらその部屋借りる??ほんとに借りる?ってことです。宗教的に寛容であれ、他者を理解せよ、コトバではいくらでも言えるけど口先だけじゃなくて自分は受け入れることが出来る??ってことです、ワタシは無理。少なくともこのヒト本当にダイジョブ?ってのを徹底的に洗ってからにしましょう、これってものすごい普通のことだと思います。
もっともっと正直にいうとワタシは、選ばれた人間だけが住める街に住みたいです、ボケ老人も知的障害者なども、下品なおっさんも、マナーの悪い奴らも、クソうるせぇ大学生とかもいない、ちゃんとした、人間だけが住めるところに住みたいです、別に美人の若いねーちゃんだけの世界に住みたいとは言ってませんw ちゃんとした人間だけの街にストレスフリーで住みたい。ガッチリ壁で囲んでちゃんと身元のハッキリした人間だけで。ワタシはココロの狭い人間ですから。
ほんとはでもカネさえあればそういう環境に住もうとするんじゃないですか?実際金持ちはそうでしょう。誰がドヤ街に住むものか。
カネがないから仕方なく、むしろそういう環境を作りたいってのがカネが欲しいっていう理由だと思います。立川談志がおらぁ大衆ってやつが嫌いだ、ほんとならバカな奴らとは二度と関わり合いたくねぇよって言ってました。素晴らしいーw でもそういう醜い本音を言ってくれるから他の言うことも本音なんだろうなって思うわけで、世界平和を願う、とか言ってるやつの言うことは何一つ信用しませんもの、シャブに手を出してるのかな?とは思うけども。
トランプ大統領が中東からのアメリカ入国をほぼ禁止にするってことで話題になっております。もちろん、正義派を気取る連中、イメージ戦略のためにいいかっこしたい人々、パブリックイメージのためにどっちが多数派かなぁってのを見てる人々、何も考えずにとりあえず人道的臭いことを言っとけばいいだろうっていうヒト、そういうのがメディアの世界には溢れていますから、だいたいはそんなのだめよー!!っていうのが一般論みたいです。
企業のトップや政治家なんてクソ野郎どもの集まり、これはたいして間違ってないんでしょうけど、そうやって批判する自称ジャーナリストっていう連中も阿呆っていう・・・阿呆ではないですね、けど無力って時点で阿呆よりもわろし。
ワタシはジャーナリストやら批評家ってやつは、無力だから嫌いです、どうせ何をする力も意思もないんだもの、口ばっかしで。
ワタシは正直そりゃそーだろって思います。というより、今まで入国審査ってのがザルすぎたんじゃないですかね。そりゃ新しい人出が欲しい時には入りはザルにしなきゃいけないけども、別に人口なんて増やしたくないんなら、鎖国もアリでしょう。
というより、ウェルカムな奴ら、どうぞ観光に訪れて下さいっていうほうがよっぽどクソ野郎の集まりだと思います、カネ目当じゃん、国際交流とかいいつつ、外国人をオカネとして見てないですもの。それを偽善笑顔でお出迎え、おもてなし、とかほざいてるよりも、正直に、てめぇのことなんか大嫌いだ、近寄るな!っていうほうが、正直でいいと思います。正直に言って初めて、じゃあどうしようか?っていうステップにいける、営業スマイルしながらココロの底でクソ野郎ども、カネだけ払えって思ってるよりはむしろ前進だとワタシは思うのですけどね。
もっと腹を割って話をしようぜってことです、もしアパート借りてて隣の部屋がユダヤ人だったり、イスラエル人だったり、わけわかんない宗教にドハマリしてたり、毎日礼拝してたりしてたらその部屋借りる??ほんとに借りる?ってことです。宗教的に寛容であれ、他者を理解せよ、コトバではいくらでも言えるけど口先だけじゃなくて自分は受け入れることが出来る??ってことです、ワタシは無理。少なくともこのヒト本当にダイジョブ?ってのを徹底的に洗ってからにしましょう、これってものすごい普通のことだと思います。
もっともっと正直にいうとワタシは、選ばれた人間だけが住める街に住みたいです、ボケ老人も知的障害者なども、下品なおっさんも、マナーの悪い奴らも、クソうるせぇ大学生とかもいない、ちゃんとした、人間だけが住めるところに住みたいです、別に美人の若いねーちゃんだけの世界に住みたいとは言ってませんw ちゃんとした人間だけの街にストレスフリーで住みたい。ガッチリ壁で囲んでちゃんと身元のハッキリした人間だけで。ワタシはココロの狭い人間ですから。
ほんとはでもカネさえあればそういう環境に住もうとするんじゃないですか?実際金持ちはそうでしょう。誰がドヤ街に住むものか。
カネがないから仕方なく、むしろそういう環境を作りたいってのがカネが欲しいっていう理由だと思います。立川談志がおらぁ大衆ってやつが嫌いだ、ほんとならバカな奴らとは二度と関わり合いたくねぇよって言ってました。素晴らしいーw でもそういう醜い本音を言ってくれるから他の言うことも本音なんだろうなって思うわけで、世界平和を願う、とか言ってるやつの言うことは何一つ信用しませんもの、シャブに手を出してるのかな?とは思うけども。
AU OPEN 2017 FINAL Federer - Nadal
いやぁ、意外というか、えっ!って感じでフェデラーが勝ちましたね。接戦にならずにどっちかに流れが行く感じでセットが入れ替わり、ファイナルセットもブレークを繰り返す波乱の展開、最後にはフェデラーの鮮やかなバックハンドが決まりまくって勝利って感じでした。
ふむー!フェデラーはすごいですねー、35で4時間もぶっ続けで動き続けられるってのがまずすごいです。タフネス!。しかも一日じゃなくてトーナメントで何試合もしてんですからね、タフですよほんとに。テニスはほんと1人だけだし、めちゃんこ体力使う競技ですよね。野球とかなんて動いてない時間が殆どだったりするじゃないですか、サッカーやバスケは時間が短いけどテニスは3時間以上、ほとんど休み無しですものね。すごいタフネスですー。
フェデラー、グランドスラム何勝してるわけ??もう二度と出てこないですよこんなヤツ・・・。錦織氏もなかなか頂点まで遠いな―って感じですね。ナダルが復活したら全仏はきびしーだろうし、ウィンブルドンは芝の王者フェデラーの独壇場、全米か全豪がやっぱしチャンスなんですが今回もフェデラーに負けて敗退してしまいました。
フェデラーは嫁が不細工なところがやっぱ好感度高いとこですねw なんかはいはい、モデル上がりの美人のおカネ大好きのビッチと結婚するのねって感じよりも人間性がわかる。だいたいそのビッチと結婚するようなヤツは、車もフェラーリ、時計はロレックス、みたいな調子で物を買うみたいに女を選んでるなってのがまるわかりなわけです。
しかしまぁビッチはビッチの良さがあるのかもですねー 老けたら捨てればいいやっていう感じで、軽ーく付き合えるというか・・・w
ふむー!フェデラーはすごいですねー、35で4時間もぶっ続けで動き続けられるってのがまずすごいです。タフネス!。しかも一日じゃなくてトーナメントで何試合もしてんですからね、タフですよほんとに。テニスはほんと1人だけだし、めちゃんこ体力使う競技ですよね。野球とかなんて動いてない時間が殆どだったりするじゃないですか、サッカーやバスケは時間が短いけどテニスは3時間以上、ほとんど休み無しですものね。すごいタフネスですー。
フェデラー、グランドスラム何勝してるわけ??もう二度と出てこないですよこんなヤツ・・・。錦織氏もなかなか頂点まで遠いな―って感じですね。ナダルが復活したら全仏はきびしーだろうし、ウィンブルドンは芝の王者フェデラーの独壇場、全米か全豪がやっぱしチャンスなんですが今回もフェデラーに負けて敗退してしまいました。
フェデラーは嫁が不細工なところがやっぱ好感度高いとこですねw なんかはいはい、モデル上がりの美人のおカネ大好きのビッチと結婚するのねって感じよりも人間性がわかる。だいたいそのビッチと結婚するようなヤツは、車もフェラーリ、時計はロレックス、みたいな調子で物を買うみたいに女を選んでるなってのがまるわかりなわけです。
しかしまぁビッチはビッチの良さがあるのかもですねー 老けたら捨てればいいやっていう感じで、軽ーく付き合えるというか・・・w
2017年1月30日月曜日
AU OPEN 2017 SF Nadal - Dimitrov
いやぁ、久々にものすげー試合でしたねー。っていうかナダル復活は本当に嬉しいです。ここ数年ずっと怪我で本調子でなく全然ダメだったんですが、ついにナダルが帰って来ました。
やっぱラファの試合は面白いですよねー。カリスマ性なんでしょうねー、ともかくヒトを惹きつけるものを持ってるんですよね、理由じゃないんです。ことさらイケメンだとか、スーパーテクニシャンだとかいうわけでもないんですけど、ヒトを熱くさせるものがあるんですなぁ。
テニスってのは生で見ないと時間を見るだけで5セットまでいってるとか、ここでブレークするなってのがわかってしまうんで生で見ないといけないんですけど、5時間もテレビの前にいるなんてちょっと無理な話しですー、どんだけ暇やねんって話しですからね。5時間て!!すさまじーぜ。ナダル30才なのに、すげーです。
決勝もフェデラーだし、こりゃ楽しみーー。もう10年くらいこの2人を見てる気がしますねー。
最高のライヴァルですよね、スーパー鮮やかなプレイをする貴公子フェデラー、そして泥臭くてひたすらエネルギーの固まりのようなパワープレイのラファ、マンガ映えする設定だよにゃーw
やっぱラファの試合は面白いですよねー。カリスマ性なんでしょうねー、ともかくヒトを惹きつけるものを持ってるんですよね、理由じゃないんです。ことさらイケメンだとか、スーパーテクニシャンだとかいうわけでもないんですけど、ヒトを熱くさせるものがあるんですなぁ。
テニスってのは生で見ないと時間を見るだけで5セットまでいってるとか、ここでブレークするなってのがわかってしまうんで生で見ないといけないんですけど、5時間もテレビの前にいるなんてちょっと無理な話しですー、どんだけ暇やねんって話しですからね。5時間て!!すさまじーぜ。ナダル30才なのに、すげーです。
決勝もフェデラーだし、こりゃ楽しみーー。もう10年くらいこの2人を見てる気がしますねー。
最高のライヴァルですよね、スーパー鮮やかなプレイをする貴公子フェデラー、そして泥臭くてひたすらエネルギーの固まりのようなパワープレイのラファ、マンガ映えする設定だよにゃーw
2017年1月29日日曜日
1200 ?? エギルのサガ
アイスランドサガ、谷口幸男 新潮社 収録です。
この本も激古いので手に入らないと思いますが、この本の他に日本ではサガを扱ったものはほとんどありません。というかサガシリーズの翻訳者ってのが、この谷口幸男って人しかいないんですね、全部この人だ。ヘイムスクリングラ、もこの人がやっております。
古代アイスランド語、なんて超マイナー言語を使える人間がいないのでしょうしそんな学部ないですものね。
北欧、と一言で言ってなんとなくエコっぽくて、落ち着いた感じというイメージがあると思うんですけど、北欧ってのは地図で見るとちーちゃいけど実はかなり広大な領域でして、西洋とはやっぱし全然違う文化圏なんだなーってのを痛感しますね。
ヴァイキングする、ってのが動詞だってのにびっくりです、まるで稲刈りみたいに夏はヴァイキングで船に乗って略奪に行く。その略奪、ってことと、普通の生活ってのの境界、が無いんですよね、お決まりの行事みたいにヴァイキングに行くのです。人を殺すってことの境界、も曖昧です。エギルはなんでかわからないけど酒に酔っ払いまくると誰かを殺すのですが、まぁそれもしゃあないっていう感じの描き方なんですよね。
ともかく北欧=知的で落ち着いている、というのとはまったく真逆のマッチョな世界観です。
それとやっぱキリスト文化圏じゃない、ってのが大きいのでしょう、キリスト教化以前、の北欧、特にノルウェー、アイスランドの時代をエギル、は扱っているので、全然価値観とか、境界の引き方が違う。エギルは巨人で、オオカミ男であるクヴェルトウールブの血を弾く、禿頭で眉毛が顎まであるという、詩人、でありヴァイキング戦士です。
なんだそのキャラクター感!!破綻してますよね、現代の感覚では。巨人で禿げ上がっていて、しかも詩人、ミスマッチも甚だしい。しかも狼男の孫だなんて、盛りすぎだろって感じ。斬新極まりない。
そういう感じでサガは普通の歴史書みたいに書かれつつ、いきなりルーンの魔法を使い出したり、魔女が空を飛んだり、伝説の道具みたいなものが飛び出す、リアルとファンタジーの境界、もまた無いんですよね。
境界の引き方の違いってのがやっぱ古い本を読む楽しさですよね。
神話の類いだから短いのかなーと思ったら結構なが~くてびっくりしましたね。またこのアイスランドサガという本がでかくて重いこと・・・。けどそうとうこの谷口氏が時間をかけてやったんだなーというのが伝わって来ますね。なんかそりゃあすげぇって気がしますね、だって翻訳で何十年も人生を使ってしまうのはどうしても勿体無いとIは思ってしまうのですけどねー。自分で何かを作りたいじゃないですか、普通、古典から学ぶのは大事だけれど、それの研究と翻訳で人生を使い果たすなんてちょっともったい気がする。古代の人間は古典を学ばなかったですからね、古典ってものが存在しなかったし、翻訳する必要もなかったから。
続いてサガ、第一の傑作と言われておるニャールのサガも読んでみようと思います・・。
///////
引用
あと三歩足りなかったか・・・(敵の槍の盾の密集陣に突撃して)
うつ伏せに倒れた者の復讐は遂げられる
この本も激古いので手に入らないと思いますが、この本の他に日本ではサガを扱ったものはほとんどありません。というかサガシリーズの翻訳者ってのが、この谷口幸男って人しかいないんですね、全部この人だ。ヘイムスクリングラ、もこの人がやっております。
古代アイスランド語、なんて超マイナー言語を使える人間がいないのでしょうしそんな学部ないですものね。
北欧、と一言で言ってなんとなくエコっぽくて、落ち着いた感じというイメージがあると思うんですけど、北欧ってのは地図で見るとちーちゃいけど実はかなり広大な領域でして、西洋とはやっぱし全然違う文化圏なんだなーってのを痛感しますね。
ヴァイキングする、ってのが動詞だってのにびっくりです、まるで稲刈りみたいに夏はヴァイキングで船に乗って略奪に行く。その略奪、ってことと、普通の生活ってのの境界、が無いんですよね、お決まりの行事みたいにヴァイキングに行くのです。人を殺すってことの境界、も曖昧です。エギルはなんでかわからないけど酒に酔っ払いまくると誰かを殺すのですが、まぁそれもしゃあないっていう感じの描き方なんですよね。
ともかく北欧=知的で落ち着いている、というのとはまったく真逆のマッチョな世界観です。
それとやっぱキリスト文化圏じゃない、ってのが大きいのでしょう、キリスト教化以前、の北欧、特にノルウェー、アイスランドの時代をエギル、は扱っているので、全然価値観とか、境界の引き方が違う。エギルは巨人で、オオカミ男であるクヴェルトウールブの血を弾く、禿頭で眉毛が顎まであるという、詩人、でありヴァイキング戦士です。
なんだそのキャラクター感!!破綻してますよね、現代の感覚では。巨人で禿げ上がっていて、しかも詩人、ミスマッチも甚だしい。しかも狼男の孫だなんて、盛りすぎだろって感じ。斬新極まりない。
そういう感じでサガは普通の歴史書みたいに書かれつつ、いきなりルーンの魔法を使い出したり、魔女が空を飛んだり、伝説の道具みたいなものが飛び出す、リアルとファンタジーの境界、もまた無いんですよね。
境界の引き方の違いってのがやっぱ古い本を読む楽しさですよね。
神話の類いだから短いのかなーと思ったら結構なが~くてびっくりしましたね。またこのアイスランドサガという本がでかくて重いこと・・・。けどそうとうこの谷口氏が時間をかけてやったんだなーというのが伝わって来ますね。なんかそりゃあすげぇって気がしますね、だって翻訳で何十年も人生を使ってしまうのはどうしても勿体無いとIは思ってしまうのですけどねー。自分で何かを作りたいじゃないですか、普通、古典から学ぶのは大事だけれど、それの研究と翻訳で人生を使い果たすなんてちょっともったい気がする。古代の人間は古典を学ばなかったですからね、古典ってものが存在しなかったし、翻訳する必要もなかったから。
続いてサガ、第一の傑作と言われておるニャールのサガも読んでみようと思います・・。
///////
引用
あと三歩足りなかったか・・・(敵の槍の盾の密集陣に突撃して)
うつ伏せに倒れた者の復讐は遂げられる
070 HOLY BIBLE 聖書
まず福音の事をGOSPELという事を初めて知った。
私が読んでいるのは文藝春秋文庫の新約聖書です、文春は私はダイキライだけれども、文庫の聖書ってのがあんまりないからこれを読んでます、どうせ新共同訳だし、他に英語のJAMES版も参考にしてます。この解説の佐藤優某もとても嫌い、というか私は外務省とか官僚のやつらはダイキライ。インテリ右派=糞自己中
マタイ、黙示録、ルカ、が引用されるのが一番多い気がします、あらゆる本の中で、創世記、モーセ、詩篇、ソロモンが続いてか・・・しかし最近マルコが実は一番原典?に近いらしくて注目されてるようです。
ともかくマタイについて・・・
世間ではキリスト教=博愛主義、支配者が押し付ける保守的な社会維持哲学と思われてるように思えるけれど、キリスト教はユダヤ教のかなりの左翼で、実は少数革命理論を教えている。そしてイエスは信じれば誰でも救われるなんて言ってない、耳があるものは聞け(ほとんどのやつは理解する能力がない)と、選民エリート主義で一貫している。隣人、兄弟を愛せとは人類愛を歌っているのではなくて、自分の味方を愛せといってるようにしか普通に読めば読み取れない。味方じゃない人間は、徴税人、娼婦、ファリサイ派、律法者など、人間扱いしてないから。だれかが、キリスト教を人類愛的で博愛主義的で、好戦的じゃないものに無理やり変えた・・・その正体は・・・・
キリスト教は革命の宗教である、だから、テロリストは宗教を持つ、過激派は宗教を悪用しているというのは間違いで、キリスト教が、現在の自由資本主義体制と相容れないのはどう考えても明らか。私は平和でなく剣をもたらしに来たと書いてある、もちろん初期キリスト教徒というのは、トルストイが勝手に創造した倫理的な野郎どもでは全然なく、武装カルト教団だったのだから、そのパンフレットとして書かれたマタイがそうであるのは当たり前の話・・・・
どこかでキリストは復活したという、エピソードが追加されているらしいのです、60~80年頃に、誰が思いついたんでせう、何が目的で?
マルコについて
マタイのところにも書いたけれど、本当はオリジナルに一番近いのではないかと言われる、マルコ。文体がスッキリしていて、意味のわからないたとえが少ないように感じます。
またマルコだけに描かれた、亜麻布を来たなぞの若者がいます。
A イエスが捕まって弟子たちが全員逃げた後で一人ついていって裸で逃げ出した。
B 毒薬を飲まないで十字架にかけられたイエスがついに弱音をぶちまけた後に、毒薬を差し出す為にかけよる
C 墓に入れられたイエスの墓を暴き、二人のマリアにイエスの復活を告げる
D マグダラのマリアだけにイエスが姿をあらわす。
マルコによる福音ではイエスが復活したというのが、どうも嘘っぱちらしいというのが如実にあらわれていて、マグダラのマリアがイタイ狂信者のヒステリー女感が強い。なぞの若者は一体何者かはすごい気になる、そしてユダは自殺してない。じゃあなぞの若者はユダで彼が、イエスと共謀して、イエス復活の狂言芝居を打ったんじゃないかという線が残る・・・
意図的ではないにしろ、新約は同じストーリーが4つの違う意図と語り口で語られるという特異な文体で書かれていて、芥川の藪の中、黒澤羅生門的な、まったくわけがわからねぇ、とうそぶきたくなる不思議さと面白さを持っている。こういう形態は挑戦してみる価値があるかもしれない。
たぶん、ブルガーコフの巨匠とマルガリータはマルコによる福音をベースにして書かれている、そして太宰のユダについての小説、タイトル忘れた・・はマタイによるもの。マルガリータ、はハリーポッターの元ネタです。
ルカ
LUKE
個人的にはルカという名前が好きですが、内容は好きではないです。
本人も語る通り、これは普及版というか、ブルジョア宣伝向けの福音書パンフレットで、極左的革命理論を訴えていたイエスを
まさしくイエスが毛嫌いしていた偽善者にしてしまっている。ルカはいわゆる世間的イメージのキリスト像を描いています
すべての人を分け隔てなく愛せ、許せ、善をなせ、神を信じろ、信じれば誰でも救われる、云々・・・
まったくこれは偽善者のそれで「すべての人に抱えきれない重荷を背負わせ、自分はその十字架を追わない」
律法者、ファリサイ派とまったく同じ事です。本人もそれを自覚しているのか、マタイ、マルコでは繰り返される偽善者への
バッシングがルカでは殆ど無い上に、イエスの人間としてイメージも失われている(聖杯を取り除いてほしい、神よあなたは私を
見捨てたのか)、特にマルコのイエスは普通の人間が、苦しみながら生きていく、実存主義的な感動があるけれど
ルカにおいてイエスは完全に偶像化されています。
これは偽善者、為政者にお得な、押し付けるための宗教です。
なぜそうなったのかは簡単にわかります、キリスト教がだんだんと権威、力を持つにいたって、革命理論としてのキリスト教は
使い物にならなくなった、自分たちが権力を持った今になって、革命理論を支持するわけにはいかない、権力を捨てよ
と言ってるのだから。でも権力はこれは、まぁいいものであって、捨てるには惜しい。よし偽善者になろう。というわけです。
ニーチェやら19世紀中頃から、徹底的に攻撃にさらされたのはこの偽善者としてイエスであって、社会主義、共産主義
マルキズムは、キリスト教を否定したといいつつ、実は、マタイ、マルコ的、特にマルコ的革命理論としてキリスト教を復活
させたといえるのではないでしょうか。
突き詰めれば、権利、権力、金、力 etcは実は同じもので普通それは悪、と呼ばれるもので、それが悪である事を認めないのなら
それは偽善以外にはありえないというわけです。キリスト教の権力者というのははっきり言うが、絶対にありえない。
善い、権力者というものもこれはまったくありえない。
ヨハネについて
明らかに実際のイエスをモチーフにしただけの完全なフィクションであるし、どうやら筆者は職業作家でイエスに会ったこと
なんてちっともないというのが文体でわかる。だからダメというわけではないです。
むしろ何度も何度も作家はイエスのモチーフを使って物語を作ってきたのであって、これはその初期の完成形であって、私個人の感想
でいうと、こいつは100%偽善者で、しかもどうやら体制側のぬるいブルジョアみたいな言い草だなと思いながら、旧約をしっかり
と読み込んで、ギリシャ哲学も勉強し、推敲を重ねて書いたんだろうなという感じがする。職業作家として手腕がある、
ヨハネは文章化、扇動家、トリックスター的な才能に恵まれているとおもわれる。事実、文学的に参照されるのはほぼヨハネの福音
そして黙示録です、この2つが、美、という観点でいくと、ソロモンについで完成されている気がする。ただそれが伝えている
メッセージは、イエスとはほぼ何の関係もない、ちんぷんかんぷんな、ちゃちぃヒーローどまりであることは疑い無い。現実感が
全くない。ただ、頭の中でこういう人がいればいいなという感じで作られている、復活したラザロもえぇ・・って感じだし
当然の話ですけど説教臭い(説教そのものなんだけど)。
ただ、不器用な文体であったマルコなどを、装飾して演劇的場面にしたてあげた手腕は評価しないといけない、事実二千年も
読み継がれている物語なんだし・・・名言も多い。
光ある内に、光の中を歩め・・・
使徒言行録 ACTS of apostles
ペテロ、パウロの後日談。
イエスは民族主義者で、イスラエルの民だけを救うものでした。選民主義、エリート主義をイエスは語っていたけれど、キリスト教は
ユダヤ人の激しい反発にあったので、ユダヤ人以外に信徒を増やすために、ペテロが勝手に、異邦人にも神の救いがあるということを
決定しました。そしてよりユダヤ教と対立することになる、ここでキリスト教とユダヤ教はまったく違うものになる。
イエスはユダヤ教の改革者だったけれど、パウロはキリスト教の創始者というわけです
パウロがペテロの教義を広めて、最期には、アグリッパ王(これはアウグスティヌスの片腕のアグリッパの子孫、アグリッパ二世)
ローマで布教をするというもの。
ゴスペルに比べて、とてもなんか現実感が強い、パウロが地中海世界を渡り歩くオデゥッセイア的な感じもあって、旅行記みたいに
読めます。作者はルカの福音を書いたルカらしいのです。そしてどうやらお話はクラウディウス帝のころ・・・
ローマはアウグスティヌスが死んでからトラヤヌス、ハドリアヌスが出てくるまでまぁポンコツ将軍ばっかりです、クラウディウスは
賛否あるみたいだけれど、やっぱ器じゃない。カエサルは信長に冷静さと文才を与えたような完璧な指導者、アウグストゥスは
秀吉、家康を合成したような、超豪腕の曲者です。
けれど一番印象に残るのはローマ帝国がそれでもかなりしっかりしてるなぁという感じです、裁判をしないと鞭は打たない
罪がなければ罰しない。護送などもしっかりやる。現代の国家でもそんなしっかり法整備(運営)されてるとこなんて数えるくらいしかないのに。
ローマは偉大ですね。
epistle to ROMANS 56年ごろ
パウロ書簡ですが、偽物が多いなかでこれはパウロの真書らしいです。
パウロは死因が私調べでははっきりわからないです、ペトロはネロに逆十字固めをくらって華々しく死んだのですが、パウロは
たぶんなんかグダグダで年食ってちょっとボケたりして死んだんでしょうね。
パウロ書簡は、結局のところどうせいっちゅうんじゃという、具体性のまったく無かったイエスの教えを、彼特有のロジックと
日和見主義、修正主義で肉付け、そう肉、づけをしてます。パウロの印象は肉ですね、イエスは精神、ペテロは骨、パウロは肉です。
パウロがラディカルではないところはいろんなところでわかります、ことあるごとに、おれはローマ市民権を持っていると自慢して
危機を回避しようとするところ(ペテロはむしろ死ぬことが偉いと信じていた節がある)、おれはファリサイ派だ、とか偽証をして
みるところ、結局のところ保身がけっこう重要なところ。
ペテロとパウロが実は敵対していたという話もありますが、納得です、ふたりとも異邦人への布教という主線では一致してましたけれども
どうもパウロは口先だけの野郎的胡散臭さがある、だからこそ、現代のキリスト教に直接つながっているのはパウロでしょうね、みんな
口先だけの偽善者ばっかりですから。それを政治的手腕とも言えるのだけれど。ご都合主義、論理のトリック、言い訳、で切り抜ける・・
ペテロ的ないわゆる聖人はむしろ東方教会的で、多くを語らず、命を軽蔑する路線(修道院系)として
これも残っていくんですけれど。プロテスタントとかもその流れかなぁ・・・
to colinthians 1 2
パウロ書簡
パウロが、私は手紙だと強行だが、実際に会ってみると大したことないと言われるが、そんなことは無い。と自分でも白状してますが(というか図星だから言い訳してるんだろうけど)パウロの口先だけ感が強まります、けれど口先だけをとってみれば、使徒の中でも彼に並ぶものはいないのでしょう。彼は好き勝手に教義と理論を積み重ねていきます。文体は演説体で、マルチリンガルだったこともあってたしかになにかダイモンを感じますね。
EX 神>キリスト>男>女
パウロの教義は女は男に支配されなければならない、他にもかぶりものをせよとか、うるせぇ!といいたくなるようなことばっかりです。まるでファリサイ派そのもの。けれど!ここが重要なのですが、パウロは明らかに女を魅了するタイプだったんだろうなということ、だいたいにおいて、指導者というのは女から支持を得ますが、どういうわけか女が支持するのは、パウロみたいなガチガチの女性蔑視主義者で、フェミニストは女から毛嫌いされます。奇妙な話ですが、アンチ・フェミニストのほとんどは女です。フェミニストの女=ブスのオールドミスという軽蔑を最も強く持っているのが女だからですかね。
その他偽書簡 ヘブライ、エフェソ、テトス・・・
ほとんどがパウロの文体を踏襲していることがわかります、キリスト教の語り口=パウロ風の文体というのはずっと変わらない、内容はころころ変わっていくけれど。これもやはりパウロがマルチリンガルでおそらくいろんなコトバで、キリスト教を語ったのと関係あるんでしょう、だいたい言語に詳しい人は、より一般的でわかりやすい表現をするし、さっぱりした文章を書くようになる。
注目すべきはテッサロニケの一節 man of sinについて。
まず神に対する反逆者が現れる、あらゆる神に反感を持ち、あらゆる崇拝されるものを唾棄する、滅びのものは傲慢にふるまい
神殿に居座り、やがては自分が神だと宣言する・・・
超人。
ザラトゥーストラでも現れるのでせうか。
思うに、実は昔の人々も神無しでは目的、テロスが無いということに気づいて、科学的世界観の後に、神を生み出したのではないかというか気がする、伝道の書、ギリシャ哲学などを見ると、神は人間は阿呆だから作られたのではなくて、空の空を体験した知識人が、人間を救う為に作ったのだというきがする、つまる、野蛮ー科学ー神と進歩していったのに、19世紀以降の近代人は、それを忘れて、また科学、そして野蛮へと帰っていくのではなかろうか。文明は緩慢な崩壊をしていて、数世紀の後に完全な野蛮へと帰っていくのではないか、ドストの予言は今度も当たりそうだなぁ・・
Apocalypse
あらゆる荒唐無稽な本でも、最高にめっちゃくちゃな本。フィネガンズ、は黙示録にはかなわなかった。ラブレーも良いのですが。
大枠としては、ローマ帝国に対する恨みつらみを、ドラッグでハイになった預言者がぶちまけるというもの。それだけなら誰も顧みないのですが、このジャンキーの想像力はかなりの学識と、博識に支えられつつ、ぶっ飛んでいるのでおそらく福音につづいて聖書では重要な本です。7や12など数にこだわる、ピタゴラス派みたいな雰囲気、北欧神話的神と悪魔の戦い、ゲテモノ、大淫婦バビロン?などのネーミングセンスなど気になるものも多数。
そしてちょっと当たっていたりします、チェルノブイリが苦よもぎと呼ばれるという偶然の一致、ローマ帝国は確かにキリスト教に滅ぼされて、キリスト教による暗黒時代が確かに1000年ほど続いた事。千年王国の事をミレニアムということ・・・
キリストの千年王国はだいたい、313年のミラノ勅令からプロテスタントとカトリックがブンレツする1520年くらいになりますか?そのあとはサタンが復活して、ゴグ、マゴグとよばれる諸国民を惑わせて戦争を起こさせる、その数は海の砂のようだったうんぬん、けれどサタンに天から火が降ってきてサタンは敗北し、ついに神の国が訪れる。
千年王国のアイデア、キリストの千年王国の後に、神の国がおとずれるという二段階の破滅と再生というのは、グッドアイデア賞ですね。確かにローマがキリストに封印されてから、千年王国がおわり、再生したローマ帝国は第二のローマである欧米連合です。ゴグ・マゴグは増えすぎた人口といえる、サタンは諸国民を惑わせて戦争が起こる、正解。1520年から戦争の激発が続いている、最期に天から火が降ってきて一度世界は終わる。
三次大戦で原爆スコールが降り注ぐのでしょうか?
私が読んでいるのは文藝春秋文庫の新約聖書です、文春は私はダイキライだけれども、文庫の聖書ってのがあんまりないからこれを読んでます、どうせ新共同訳だし、他に英語のJAMES版も参考にしてます。この解説の佐藤優某もとても嫌い、というか私は外務省とか官僚のやつらはダイキライ。インテリ右派=糞自己中
マタイ、黙示録、ルカ、が引用されるのが一番多い気がします、あらゆる本の中で、創世記、モーセ、詩篇、ソロモンが続いてか・・・しかし最近マルコが実は一番原典?に近いらしくて注目されてるようです。
ともかくマタイについて・・・
世間ではキリスト教=博愛主義、支配者が押し付ける保守的な社会維持哲学と思われてるように思えるけれど、キリスト教はユダヤ教のかなりの左翼で、実は少数革命理論を教えている。そしてイエスは信じれば誰でも救われるなんて言ってない、耳があるものは聞け(ほとんどのやつは理解する能力がない)と、選民エリート主義で一貫している。隣人、兄弟を愛せとは人類愛を歌っているのではなくて、自分の味方を愛せといってるようにしか普通に読めば読み取れない。味方じゃない人間は、徴税人、娼婦、ファリサイ派、律法者など、人間扱いしてないから。だれかが、キリスト教を人類愛的で博愛主義的で、好戦的じゃないものに無理やり変えた・・・その正体は・・・・
キリスト教は革命の宗教である、だから、テロリストは宗教を持つ、過激派は宗教を悪用しているというのは間違いで、キリスト教が、現在の自由資本主義体制と相容れないのはどう考えても明らか。私は平和でなく剣をもたらしに来たと書いてある、もちろん初期キリスト教徒というのは、トルストイが勝手に創造した倫理的な野郎どもでは全然なく、武装カルト教団だったのだから、そのパンフレットとして書かれたマタイがそうであるのは当たり前の話・・・・
どこかでキリストは復活したという、エピソードが追加されているらしいのです、60~80年頃に、誰が思いついたんでせう、何が目的で?
マルコについて
マタイのところにも書いたけれど、本当はオリジナルに一番近いのではないかと言われる、マルコ。文体がスッキリしていて、意味のわからないたとえが少ないように感じます。
またマルコだけに描かれた、亜麻布を来たなぞの若者がいます。
A イエスが捕まって弟子たちが全員逃げた後で一人ついていって裸で逃げ出した。
B 毒薬を飲まないで十字架にかけられたイエスがついに弱音をぶちまけた後に、毒薬を差し出す為にかけよる
C 墓に入れられたイエスの墓を暴き、二人のマリアにイエスの復活を告げる
D マグダラのマリアだけにイエスが姿をあらわす。
マルコによる福音ではイエスが復活したというのが、どうも嘘っぱちらしいというのが如実にあらわれていて、マグダラのマリアがイタイ狂信者のヒステリー女感が強い。なぞの若者は一体何者かはすごい気になる、そしてユダは自殺してない。じゃあなぞの若者はユダで彼が、イエスと共謀して、イエス復活の狂言芝居を打ったんじゃないかという線が残る・・・
意図的ではないにしろ、新約は同じストーリーが4つの違う意図と語り口で語られるという特異な文体で書かれていて、芥川の藪の中、黒澤羅生門的な、まったくわけがわからねぇ、とうそぶきたくなる不思議さと面白さを持っている。こういう形態は挑戦してみる価値があるかもしれない。
たぶん、ブルガーコフの巨匠とマルガリータはマルコによる福音をベースにして書かれている、そして太宰のユダについての小説、タイトル忘れた・・はマタイによるもの。マルガリータ、はハリーポッターの元ネタです。
ルカ
LUKE
個人的にはルカという名前が好きですが、内容は好きではないです。
本人も語る通り、これは普及版というか、ブルジョア宣伝向けの福音書パンフレットで、極左的革命理論を訴えていたイエスを
まさしくイエスが毛嫌いしていた偽善者にしてしまっている。ルカはいわゆる世間的イメージのキリスト像を描いています
すべての人を分け隔てなく愛せ、許せ、善をなせ、神を信じろ、信じれば誰でも救われる、云々・・・
まったくこれは偽善者のそれで「すべての人に抱えきれない重荷を背負わせ、自分はその十字架を追わない」
律法者、ファリサイ派とまったく同じ事です。本人もそれを自覚しているのか、マタイ、マルコでは繰り返される偽善者への
バッシングがルカでは殆ど無い上に、イエスの人間としてイメージも失われている(聖杯を取り除いてほしい、神よあなたは私を
見捨てたのか)、特にマルコのイエスは普通の人間が、苦しみながら生きていく、実存主義的な感動があるけれど
ルカにおいてイエスは完全に偶像化されています。
これは偽善者、為政者にお得な、押し付けるための宗教です。
なぜそうなったのかは簡単にわかります、キリスト教がだんだんと権威、力を持つにいたって、革命理論としてのキリスト教は
使い物にならなくなった、自分たちが権力を持った今になって、革命理論を支持するわけにはいかない、権力を捨てよ
と言ってるのだから。でも権力はこれは、まぁいいものであって、捨てるには惜しい。よし偽善者になろう。というわけです。
ニーチェやら19世紀中頃から、徹底的に攻撃にさらされたのはこの偽善者としてイエスであって、社会主義、共産主義
マルキズムは、キリスト教を否定したといいつつ、実は、マタイ、マルコ的、特にマルコ的革命理論としてキリスト教を復活
させたといえるのではないでしょうか。
突き詰めれば、権利、権力、金、力 etcは実は同じもので普通それは悪、と呼ばれるもので、それが悪である事を認めないのなら
それは偽善以外にはありえないというわけです。キリスト教の権力者というのははっきり言うが、絶対にありえない。
善い、権力者というものもこれはまったくありえない。
ヨハネについて
明らかに実際のイエスをモチーフにしただけの完全なフィクションであるし、どうやら筆者は職業作家でイエスに会ったこと
なんてちっともないというのが文体でわかる。だからダメというわけではないです。
むしろ何度も何度も作家はイエスのモチーフを使って物語を作ってきたのであって、これはその初期の完成形であって、私個人の感想
でいうと、こいつは100%偽善者で、しかもどうやら体制側のぬるいブルジョアみたいな言い草だなと思いながら、旧約をしっかり
と読み込んで、ギリシャ哲学も勉強し、推敲を重ねて書いたんだろうなという感じがする。職業作家として手腕がある、
ヨハネは文章化、扇動家、トリックスター的な才能に恵まれているとおもわれる。事実、文学的に参照されるのはほぼヨハネの福音
そして黙示録です、この2つが、美、という観点でいくと、ソロモンについで完成されている気がする。ただそれが伝えている
メッセージは、イエスとはほぼ何の関係もない、ちんぷんかんぷんな、ちゃちぃヒーローどまりであることは疑い無い。現実感が
全くない。ただ、頭の中でこういう人がいればいいなという感じで作られている、復活したラザロもえぇ・・って感じだし
当然の話ですけど説教臭い(説教そのものなんだけど)。
ただ、不器用な文体であったマルコなどを、装飾して演劇的場面にしたてあげた手腕は評価しないといけない、事実二千年も
読み継がれている物語なんだし・・・名言も多い。
光ある内に、光の中を歩め・・・
使徒言行録 ACTS of apostles
ペテロ、パウロの後日談。
イエスは民族主義者で、イスラエルの民だけを救うものでした。選民主義、エリート主義をイエスは語っていたけれど、キリスト教は
ユダヤ人の激しい反発にあったので、ユダヤ人以外に信徒を増やすために、ペテロが勝手に、異邦人にも神の救いがあるということを
決定しました。そしてよりユダヤ教と対立することになる、ここでキリスト教とユダヤ教はまったく違うものになる。
イエスはユダヤ教の改革者だったけれど、パウロはキリスト教の創始者というわけです
パウロがペテロの教義を広めて、最期には、アグリッパ王(これはアウグスティヌスの片腕のアグリッパの子孫、アグリッパ二世)
ローマで布教をするというもの。
ゴスペルに比べて、とてもなんか現実感が強い、パウロが地中海世界を渡り歩くオデゥッセイア的な感じもあって、旅行記みたいに
読めます。作者はルカの福音を書いたルカらしいのです。そしてどうやらお話はクラウディウス帝のころ・・・
ローマはアウグスティヌスが死んでからトラヤヌス、ハドリアヌスが出てくるまでまぁポンコツ将軍ばっかりです、クラウディウスは
賛否あるみたいだけれど、やっぱ器じゃない。カエサルは信長に冷静さと文才を与えたような完璧な指導者、アウグストゥスは
秀吉、家康を合成したような、超豪腕の曲者です。
けれど一番印象に残るのはローマ帝国がそれでもかなりしっかりしてるなぁという感じです、裁判をしないと鞭は打たない
罪がなければ罰しない。護送などもしっかりやる。現代の国家でもそんなしっかり法整備(運営)されてるとこなんて数えるくらいしかないのに。
ローマは偉大ですね。
epistle to ROMANS 56年ごろ
パウロ書簡ですが、偽物が多いなかでこれはパウロの真書らしいです。
パウロは死因が私調べでははっきりわからないです、ペトロはネロに逆十字固めをくらって華々しく死んだのですが、パウロは
たぶんなんかグダグダで年食ってちょっとボケたりして死んだんでしょうね。
パウロ書簡は、結局のところどうせいっちゅうんじゃという、具体性のまったく無かったイエスの教えを、彼特有のロジックと
日和見主義、修正主義で肉付け、そう肉、づけをしてます。パウロの印象は肉ですね、イエスは精神、ペテロは骨、パウロは肉です。
パウロがラディカルではないところはいろんなところでわかります、ことあるごとに、おれはローマ市民権を持っていると自慢して
危機を回避しようとするところ(ペテロはむしろ死ぬことが偉いと信じていた節がある)、おれはファリサイ派だ、とか偽証をして
みるところ、結局のところ保身がけっこう重要なところ。
ペテロとパウロが実は敵対していたという話もありますが、納得です、ふたりとも異邦人への布教という主線では一致してましたけれども
どうもパウロは口先だけの野郎的胡散臭さがある、だからこそ、現代のキリスト教に直接つながっているのはパウロでしょうね、みんな
口先だけの偽善者ばっかりですから。それを政治的手腕とも言えるのだけれど。ご都合主義、論理のトリック、言い訳、で切り抜ける・・
ペテロ的ないわゆる聖人はむしろ東方教会的で、多くを語らず、命を軽蔑する路線(修道院系)として
これも残っていくんですけれど。プロテスタントとかもその流れかなぁ・・・
to colinthians 1 2
パウロ書簡
パウロが、私は手紙だと強行だが、実際に会ってみると大したことないと言われるが、そんなことは無い。と自分でも白状してますが(というか図星だから言い訳してるんだろうけど)パウロの口先だけ感が強まります、けれど口先だけをとってみれば、使徒の中でも彼に並ぶものはいないのでしょう。彼は好き勝手に教義と理論を積み重ねていきます。文体は演説体で、マルチリンガルだったこともあってたしかになにかダイモンを感じますね。
EX 神>キリスト>男>女
パウロの教義は女は男に支配されなければならない、他にもかぶりものをせよとか、うるせぇ!といいたくなるようなことばっかりです。まるでファリサイ派そのもの。けれど!ここが重要なのですが、パウロは明らかに女を魅了するタイプだったんだろうなということ、だいたいにおいて、指導者というのは女から支持を得ますが、どういうわけか女が支持するのは、パウロみたいなガチガチの女性蔑視主義者で、フェミニストは女から毛嫌いされます。奇妙な話ですが、アンチ・フェミニストのほとんどは女です。フェミニストの女=ブスのオールドミスという軽蔑を最も強く持っているのが女だからですかね。
その他偽書簡 ヘブライ、エフェソ、テトス・・・
ほとんどがパウロの文体を踏襲していることがわかります、キリスト教の語り口=パウロ風の文体というのはずっと変わらない、内容はころころ変わっていくけれど。これもやはりパウロがマルチリンガルでおそらくいろんなコトバで、キリスト教を語ったのと関係あるんでしょう、だいたい言語に詳しい人は、より一般的でわかりやすい表現をするし、さっぱりした文章を書くようになる。
注目すべきはテッサロニケの一節 man of sinについて。
まず神に対する反逆者が現れる、あらゆる神に反感を持ち、あらゆる崇拝されるものを唾棄する、滅びのものは傲慢にふるまい
神殿に居座り、やがては自分が神だと宣言する・・・
超人。
ザラトゥーストラでも現れるのでせうか。
思うに、実は昔の人々も神無しでは目的、テロスが無いということに気づいて、科学的世界観の後に、神を生み出したのではないかというか気がする、伝道の書、ギリシャ哲学などを見ると、神は人間は阿呆だから作られたのではなくて、空の空を体験した知識人が、人間を救う為に作ったのだというきがする、つまる、野蛮ー科学ー神と進歩していったのに、19世紀以降の近代人は、それを忘れて、また科学、そして野蛮へと帰っていくのではなかろうか。文明は緩慢な崩壊をしていて、数世紀の後に完全な野蛮へと帰っていくのではないか、ドストの予言は今度も当たりそうだなぁ・・
Apocalypse
あらゆる荒唐無稽な本でも、最高にめっちゃくちゃな本。フィネガンズ、は黙示録にはかなわなかった。ラブレーも良いのですが。
大枠としては、ローマ帝国に対する恨みつらみを、ドラッグでハイになった預言者がぶちまけるというもの。それだけなら誰も顧みないのですが、このジャンキーの想像力はかなりの学識と、博識に支えられつつ、ぶっ飛んでいるのでおそらく福音につづいて聖書では重要な本です。7や12など数にこだわる、ピタゴラス派みたいな雰囲気、北欧神話的神と悪魔の戦い、ゲテモノ、大淫婦バビロン?などのネーミングセンスなど気になるものも多数。
そしてちょっと当たっていたりします、チェルノブイリが苦よもぎと呼ばれるという偶然の一致、ローマ帝国は確かにキリスト教に滅ぼされて、キリスト教による暗黒時代が確かに1000年ほど続いた事。千年王国の事をミレニアムということ・・・
キリストの千年王国はだいたい、313年のミラノ勅令からプロテスタントとカトリックがブンレツする1520年くらいになりますか?そのあとはサタンが復活して、ゴグ、マゴグとよばれる諸国民を惑わせて戦争を起こさせる、その数は海の砂のようだったうんぬん、けれどサタンに天から火が降ってきてサタンは敗北し、ついに神の国が訪れる。
千年王国のアイデア、キリストの千年王国の後に、神の国がおとずれるという二段階の破滅と再生というのは、グッドアイデア賞ですね。確かにローマがキリストに封印されてから、千年王国がおわり、再生したローマ帝国は第二のローマである欧米連合です。ゴグ・マゴグは増えすぎた人口といえる、サタンは諸国民を惑わせて戦争が起こる、正解。1520年から戦争の激発が続いている、最期に天から火が降ってきて一度世界は終わる。
三次大戦で原爆スコールが降り注ぐのでしょうか?
008 メタモルフォ―ゼ オヴィディウス
95%くらいは神々が女の子をレイプしてはらませてしかも何かにさせる。っていう筋だけを考えるとかなりキワモノのエロ本みたいなストーリーを
延々と繰り返す本です。しかしそれが綺麗な文体と詩、神話という舞台を持つことで文学となるってわけです。
残りの5%は血みどろの争いです。
シェイクスピアの文体に一番影響を与えたのはこのメタモルフォーゼだと思います、ことあるごとにWSもメタモルからの説話のメタファーを使ってます。
この本はグラマースクールの教科書に採用されていたらしいので、ラテン語を習っていた中世にはお馴染みなんですね。そいでセックスと殺人、というテーマ。
これもWSの大好きなテーマですし、結局のとこ人間の興味というのはセックスとバイオレンスに極限されていくのですね。
セックスとバイオレンスが人格形成だ、って考えるのはフロイトっぽい考え方ですけどね。いやいやそれだけじゃないよ、懐かしさ、とか友情とか
ポエジア、みたいなものもあるでしょう。ってのはユング的なんでしょうかね?
でもやはり物語を作るときに、セックスとバイオレンス無しでやるのはムリだって言っていいでしょう、ムリじゃないにせよつまんねーのです。
学者はかっこつけてエロスとタナトス、とかいうけどセックスと殺人、のほうが直接的でいいとIは思います。
今の基準では到底NGなエログロ話が盛り込んであります。特にひどいのは、夫に妹が強姦されて舌も切られて口も聞けないようにされたと知った姉が
自分の息子を殺して切り刻んでシチューにして夫に食わせることで復讐するというテレウスとプロクネのお話ですが
こんなもん放送出来るかwって感じのストーリーですわね。こんなオチ現代の怪奇小説でもやり過ぎのたぐいです。
古代のヒトはどういうつもりでこういう話を聞いてるのですかね・・家で想像リョナニーでもするの・・・?
そういうわけではサドやバタイユの元ネタもメタモルには含まれてるのでしょうね。
ギリシャ神話ってやつは同人作品ですよね、だいたいの設定があってみんなが勝手に書き足していっていいのです、こういう逸話もある。こういう話もあったのだ。
って、キャラクターはだいたいは同じ、ユピテル、ユノー、アポロン・・・っていうふうに。キャラを使いまわして、みんなで書き足す。
ある程度の設定が決まっている、という制約、が創造力を掻き立てるのですわね、フリが効いてるともいう。フリが効いてないまったくのフリーダムでは
それはカオスと同じで面白くないのです。
このメタモルも、ギリシャ神話という同人作品のアンソロジーみたいなものです。
作品は作家個人のもので、それは絶対の権利で勝手に手をくわえちゃいけない、っていう著作権神話、はごく最近のもので、作品は誰しもが手を加えていいもの
だったのです。結果としてどちらかより良い作品を生み出したかというに・・まぁそれはみなさんが考えるべしなんですけど。
海賊版というのもそうですよね、海賊、と誰かを罵っている人間は、勝手に誰のものでもない土地を自分が独占する権利を絶対の所有権として掲げている略奪者
なんです。海賊からすれば、土地を独占しようとする農民こそが土地の略奪者なのです。戦争を始めたのは農民です、農業と戦争は同じものなので
戦争がいやなら、農業をやめなきゃいけないのですよ、といくら平和主義者にいってもわかってくれません。
それにしてもこの本がキリストが8才の時の本だってのは不思議な感じがしますよね。というかアウグストゥスの時代の本だってのも。
イエスっていうのは結構現代よりの時代の人なんですよね、言ってることはハチャメチャですが。イエス自身も、ローマ最盛期の人間だってことです。
ローマ最盛期の時代にあらゆるものが生まれてるのですね。
カエサルと比べるとアウグストゥスはなんかキャラが見えてこない人ですよね、この本の最後はアウグストゥスへのおべんちゃらがのっててカエサルよりも
尚素晴らしいです~、わんわん。って感じのえげつない追従があるわけですが、2000年の後にはやっぱカエサルのほうがすごいってのははっきりしてるわけです。
カエサルは面白い人物だからですよね、借金大王であり、女の子大好きのハゲオヤジであり、演説の天才、文才にも優れ、戦争の指揮官としても図抜けた能力
を持ってた。アウグストゥス自体はひ弱でカラダが弱かったらしく、それでも頭はキレて賢く内政にチカラを発揮したのですけど、どうもおぼっちゃんって感じですね。
ティベリウスにいたっては恐ろしく知名度が下がる。
/////////
最後に残った処女女神 アストライア「正義」 も殺戮の血に濡れた地上を去った
リュカオン 暴虐を付くして狼になってしまったオトコ
デウカリオンとピュラ ローマ神話のノアとその妻。大洪水でパルナソス山だけが洪水を免れてそこにたどり着く。善良な人間だったため
ユノーに助けられる。
ユノーはユピテルの姉であり妻、最高位の女神、そしてミネルヴァを加えて三位一体のカミ UNI、として祀られていた。
曙 アウロラ (朝焼け)
アイギス ミネルヴァの持つ盾(神盾 )
他の神がしたことを、無効にすることはどんな神にも出来ない
(ユノーがテイレシアスを盲目にしてしまったので、ユピテルは代わりに予言の力を与えた)
妻のエウリュディケが死んで、タルタラへ向かったオルペウスは振り向いて妻を失った。それ以降オルペは少年愛に目覚めてそれをトラキアに広めた。
少年愛を始めたのはオルペなのだ!!
V10ー620
アタランタ「このヒトはIと一緒にいたいが為に死ぬのか、胸に抱いた愛のゆえに不当な罰を受けるのか
エキオン
キュベレ女神
ピュタゴラスが科学的思考を初めて、ベジタリアンを始めたのも彼である
最後(いやはて)の日
セカイの中心 天と地の真ん中にファーマ(ウワサ)の館があり、あらゆるでたらめや真実がかしましく響いている
延々と繰り返す本です。しかしそれが綺麗な文体と詩、神話という舞台を持つことで文学となるってわけです。
残りの5%は血みどろの争いです。
シェイクスピアの文体に一番影響を与えたのはこのメタモルフォーゼだと思います、ことあるごとにWSもメタモルからの説話のメタファーを使ってます。
この本はグラマースクールの教科書に採用されていたらしいので、ラテン語を習っていた中世にはお馴染みなんですね。そいでセックスと殺人、というテーマ。
これもWSの大好きなテーマですし、結局のとこ人間の興味というのはセックスとバイオレンスに極限されていくのですね。
セックスとバイオレンスが人格形成だ、って考えるのはフロイトっぽい考え方ですけどね。いやいやそれだけじゃないよ、懐かしさ、とか友情とか
ポエジア、みたいなものもあるでしょう。ってのはユング的なんでしょうかね?
でもやはり物語を作るときに、セックスとバイオレンス無しでやるのはムリだって言っていいでしょう、ムリじゃないにせよつまんねーのです。
学者はかっこつけてエロスとタナトス、とかいうけどセックスと殺人、のほうが直接的でいいとIは思います。
今の基準では到底NGなエログロ話が盛り込んであります。特にひどいのは、夫に妹が強姦されて舌も切られて口も聞けないようにされたと知った姉が
自分の息子を殺して切り刻んでシチューにして夫に食わせることで復讐するというテレウスとプロクネのお話ですが
こんなもん放送出来るかwって感じのストーリーですわね。こんなオチ現代の怪奇小説でもやり過ぎのたぐいです。
古代のヒトはどういうつもりでこういう話を聞いてるのですかね・・家で想像リョナニーでもするの・・・?
そういうわけではサドやバタイユの元ネタもメタモルには含まれてるのでしょうね。
ギリシャ神話ってやつは同人作品ですよね、だいたいの設定があってみんなが勝手に書き足していっていいのです、こういう逸話もある。こういう話もあったのだ。
って、キャラクターはだいたいは同じ、ユピテル、ユノー、アポロン・・・っていうふうに。キャラを使いまわして、みんなで書き足す。
ある程度の設定が決まっている、という制約、が創造力を掻き立てるのですわね、フリが効いてるともいう。フリが効いてないまったくのフリーダムでは
それはカオスと同じで面白くないのです。
このメタモルも、ギリシャ神話という同人作品のアンソロジーみたいなものです。
作品は作家個人のもので、それは絶対の権利で勝手に手をくわえちゃいけない、っていう著作権神話、はごく最近のもので、作品は誰しもが手を加えていいもの
だったのです。結果としてどちらかより良い作品を生み出したかというに・・まぁそれはみなさんが考えるべしなんですけど。
海賊版というのもそうですよね、海賊、と誰かを罵っている人間は、勝手に誰のものでもない土地を自分が独占する権利を絶対の所有権として掲げている略奪者
なんです。海賊からすれば、土地を独占しようとする農民こそが土地の略奪者なのです。戦争を始めたのは農民です、農業と戦争は同じものなので
戦争がいやなら、農業をやめなきゃいけないのですよ、といくら平和主義者にいってもわかってくれません。
それにしてもこの本がキリストが8才の時の本だってのは不思議な感じがしますよね。というかアウグストゥスの時代の本だってのも。
イエスっていうのは結構現代よりの時代の人なんですよね、言ってることはハチャメチャですが。イエス自身も、ローマ最盛期の人間だってことです。
ローマ最盛期の時代にあらゆるものが生まれてるのですね。
カエサルと比べるとアウグストゥスはなんかキャラが見えてこない人ですよね、この本の最後はアウグストゥスへのおべんちゃらがのっててカエサルよりも
尚素晴らしいです~、わんわん。って感じのえげつない追従があるわけですが、2000年の後にはやっぱカエサルのほうがすごいってのははっきりしてるわけです。
カエサルは面白い人物だからですよね、借金大王であり、女の子大好きのハゲオヤジであり、演説の天才、文才にも優れ、戦争の指揮官としても図抜けた能力
を持ってた。アウグストゥス自体はひ弱でカラダが弱かったらしく、それでも頭はキレて賢く内政にチカラを発揮したのですけど、どうもおぼっちゃんって感じですね。
ティベリウスにいたっては恐ろしく知名度が下がる。
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最後に残った処女女神 アストライア「正義」 も殺戮の血に濡れた地上を去った
リュカオン 暴虐を付くして狼になってしまったオトコ
デウカリオンとピュラ ローマ神話のノアとその妻。大洪水でパルナソス山だけが洪水を免れてそこにたどり着く。善良な人間だったため
ユノーに助けられる。
ユノーはユピテルの姉であり妻、最高位の女神、そしてミネルヴァを加えて三位一体のカミ UNI、として祀られていた。
曙 アウロラ (朝焼け)
アイギス ミネルヴァの持つ盾(神盾 )
他の神がしたことを、無効にすることはどんな神にも出来ない
(ユノーがテイレシアスを盲目にしてしまったので、ユピテルは代わりに予言の力を与えた)
妻のエウリュディケが死んで、タルタラへ向かったオルペウスは振り向いて妻を失った。それ以降オルペは少年愛に目覚めてそれをトラキアに広めた。
少年愛を始めたのはオルペなのだ!!
V10ー620
アタランタ「このヒトはIと一緒にいたいが為に死ぬのか、胸に抱いた愛のゆえに不当な罰を受けるのか
エキオン
キュベレ女神
ピュタゴラスが科学的思考を初めて、ベジタリアンを始めたのも彼である
最後(いやはて)の日
セカイの中心 天と地の真ん中にファーマ(ウワサ)の館があり、あらゆるでたらめや真実がかしましく響いている
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