2022年3月21日月曜日

1965 『夕陽のガンマン』(伊: Per qualche dollaro in più、英: For a Few Dollars More)

 いわゆるマカロニ・ウェスタン、スパゲッティウェスタンとも言われる、イタリア政策の西部劇。

  

 イタリアなのに西部劇?めちゃくちゃですやん、アメリカの侍映画みたいなもんなんですが、もともとは西ドイツが始めて、それがイタリアに伝播したみたいです。

 

 イタリアっていうとフェリーニとか名作がものすごいあるのですが、この時代にはハリウッドに敗けたのか完全に落ち目、それを挽回するために西部劇を作ったらしいです。イタリアに限らず、60年代ってのは映画の落ち目、最後の輝きって感じなのですね、50年代は黄金時代、それがだんだんと転げ落ちていく・・・

 

 イタリアも黒澤のいた日本映画と同じような道筋ですね、フェリーニがやばすぎて、そのあと衰退の一途。今ではイタリアは映画なんか作ってるのかどうかすら知らん。普通に考えて映画作りたかったらアメリカ行くしか選択肢がないですわね。アメリカ行ってもCGばっかりのコミック映画しか作れませんけど。

 

 それはいいとして、この映画は名作です、モリコーネの音楽もいい、レオーネの演出もいい、俳優もイーストウッド、ヴァンクリーフ、とっても良い。

 ただ中でも抜群に良いのが ジャン・マリア・ヴォロンテ 、素晴らしいの一言。はっきり言って他のキャストを全部食ってしまってますね。 

 

ブラヴォー!

 

 雰囲気作りから、動きのひとつひとつにいたるまで、すごい作り込まれている。座ったり、立ったり、歩いたり、っていう所作だけで、雰囲気を出している、そういうことだよな。って思いますね、演技ってこういうことだよね、って久々に教えてくれました。

 この映画を期に一躍スターになった、ってのも当然って感じ。こりゃスターの演技ですわ。

 ちょっと他のヴァロンテの作品も見ないとだめですねこれは。

2022年3月13日日曜日

1991 ラマヌジャン 無限の天才 ロバート・カニーゲル Ramanujan the man who knew infinity

   本読むのめっちゃ久々ですね。


本読むくらいならマンガ読む、ワタシもそっち派なんですが、実はマンガって、テンポ、が大事、映像と同じで。だから内容を詰め込みすぎることは出来ないのです、文字ばっかやないかい。

 だからエンタメとしての小説はワタシはもう誰も読まないと思うのですが、ノンフィクションに関してはまだまだ本ってのは存在する必要があるみたい、ただ、もっと絵を増やしてわかりやすいように努力せいと思うけど。


 とにかくラマヌジャンの伝記みたいな本です。ラマヌジャンだけじゃなくて時代背景とかその周りの人、特にハーディについての記述も多いので単純に伝記ではないです。

 

ラマヌジャンは20世紀初め頃に活躍した天才数学者、奇跡的なめぐり合わせでケンブリッジへと留学して、天才のひらめき的な定理を残しました。


 今と昔じゃ留学、の敷居がまったく違いますよね、洋行、だって船で一ヶ月、あるいは2ヶ月かかるのです、行くだけで、ですよ。一週間で海外旅行行くのとは全然違う。

 

 当時インドは大英帝国の植民地でしたから、英国へ留学出来たわけですね。

 

植民地政策、というと悪の権化、みたいに語られますが、ワタシはいいとこも悪いところも半々、むしろ得した部分も多いと思います。

 まず、英語、が公用語になったこと、これは大きなアドバンテージですよね、鉄道網の整備、これもでかい。他にも大学やらインフラの整備。英国がもたらしたものは多い。もし英国じゃなくて中国やイスラムに支配されたままだったら、インドはもっと悲惨な現代を迎えていたと思われます。

 

 

ラマヌジャンの人間としての生涯は、まさにこの時代の典型的な人生ですね。身分格差、第一次大戦、そして結核。20世紀前半あるあるをすべてたどったという感じです。

 戦争と病、結局人類の歴史なんてこれの繰り返し。ブッダの時代からこればっかり。平和や安定なんてのはほんと奇跡、偶然、たまたま、でして、すぐにぶっ壊れる。現代もまさにこれ。

  結局全部運次第でどうしようもないことです。


 それだけ聞くとラマヌジャンは神童でとんとん拍子に天才の階段を駆け上ったように思えますが、実際は、家の暮らしはかなり貧しく、数学以外の教科をやるのを放棄したので大学を途中で退学、そののち長いこと引きこもり生活、仕事にありつくためにほとんど乞食のような放浪生活、いろんな人に媚を売ったり、頭を下げたり、かなり悲惨な就職活動を何年もするハメになったりと、相当な苦労人です。

 

 ラマヌジャンを例にして、形式ばかりにこだわる教育システムや、天才の才能を伸ばそうとしない社会システムに批判が加えられていますが、100年たった日本でも、というか世界のあらゆるところで、教育システムってのはほぼ何の進歩もしてないですね。

 「受験のための勉強」ばっかりやらされて、それがほとんどただの時間の無駄でしかない。テストに出ないことは勉強しても仕方ない、学校の授業なんて無駄、塾だけで良い、塾に行けない貧乏なやつは受験で勝てない。まったくなんの代わりも無く教育の弊害はずっと変わりありません。


 ワタシも「とりあえず役に立ちそうなことを全部ぶちこむ」という教育は最悪だと思いますね、とにかく時間の無駄。「やりたいこと、を先に選んで、それに必要なことを学ぶ」、絶対こっちのほうが効率的です。



/////

 内容はいいとして、この翻訳者文章ヘッタクソですね、こんなんワタシが編集だったら全部書き換え。非常に読みづらいし、言葉選びもセンスがない。良い本なのに台無しです。翻訳なのに気取った文章とか四字熟語ぶっこむなんて頭おかしいです。グーグル翻訳のほうがまだましじゃないかしら。

2022年3月2日水曜日

2001 Fast & Furious ワイルド・スピード

  実はもう9作もシリーズが出ていますが、誰も見てないでおなじみのワイルド・スピード。現代は、ファストアンドフューリアスでまったく違う。


 たしかにファストアンドフューリアスでは、何の映画かすらもわかりませんね。

 

  実際に見てみると、思ってたものとまったく違いました、ワタシはもっとイニシャルDみたいな路上でのカーレースが主軸の映画なんだと思ってましたが、実際は、車を使った犯罪者をおとり捜査で捜索するっていう、警察ものだったんですね。

 まったく予想と違う。

 

 たぶんこれはわざと、80年代のダサい映画っぽく作っていますね、わざとバカであざとく作っている、80年代リバイバルの映画なんだと思われます。

 実際そのダサい感じが受けてシリーズが続いてるわけで、たしかにやれマーヴル、やれバットマン、とコミックばっかりの映画に全然ついていけない人達には、懐かしくて何も考えないで見れる映画としていいのかも。

 

 もちろん車もたくさん出てきますが、04っていうたぶん400M?4マイル?の直線をぶっ飛ばすだけの単純なレースです。 レースなのか?

 しかれどもその単純さがいいのかもしれません、カーブなんてまどろっこしくてやってらんないねってことなのでせう。

 

 こういう懐古趣味はいかがなものかと思いつつも、懐古主義にひたりたくなる気持ちも多いにわかる、やっぱ80年代、90年代半ばがハリウッド黄金時代、CGは結果的には映画をつまんなくさせたとワタシも思うものなり。