2011年8月29日月曜日

RHCP Im with you

何一つ悪くないし、出来もいいのに、さっぱり印象が残らない作品ってのはいくつもあるけどこれもそうな気がする、代わりにJIMI HENDRIXをお勧めします。

fellini satyricon

いつも思うのだけれどフェリーニの映画に予算を出してる人がすごい。フェリーニを存在させている社会や共同体がすご(かった)。今じゃこんな映画作れっこないもの・・・

 食欲減退効果があるのでダイエット中の方に是非。

2011年8月27日土曜日

seven samurai

説明不要・・・本物中の本物。

もののけ姫は明らかにアニメで七人の侍を超えようとねらってるし、シーンなどの借景も多いというか駿さんのいつもの映像記憶力でそれを出してしまうのでしょうね。でもやっぱこれを超える事は出来なかったと思います、映画は監督の頭の中にあるそれで99%決まる、それをコンテに書こうと書くまいと、それ以上に良くなることはない、けど奇跡が起こるとそれ以上のモノが生まれる事がある、三船が奇跡を起こせる俳優だったし、駿には三船はいないって事でしょうね。アニメは実は一人で作られるもので、映画は一人では作れないものなんでしょう、どちらが良いとは言えないけれど。

tommy the who

ーーを久しぶりに、歌詞とにらめっこで聞き直した。
whoはウィルソン?のベースとムーンのドラムが好き、ボーカルとタウンシェンドはいまいち、全部同じ曲に聞こえてしまう。
 ローリング・ストーンズのインタヴューでタウンシェンドが語ってる、完全にラリってるけど、ゾクゾクするようなイメージがわかる。最近っていうか、70年代からこういう完全にトリップしてる人が少なくなった、ドラッグをやってる人はむしろ増えてるのに、彼らは病院に閉じ込められて惨めなだけで、ステージに出てこないし出させてもくれない。
 社会は衛生的で小奇麗で殺菌された子供を育てようとしてるけど、出来上がったのは結局クソみたいなスクラップだった(自分たちと同じように)、若者に未来が無いというけど、それは老人にだって中年にだっておんなじ事。未来がなければ今を生きろと言うしかないんじゃないの・・・

 今日は久しぶりに凶暴で人類の破滅を願ってる彼が僕の人格を握ってる、こいつは久しぶりだ。明日朝起きれば違う人間なんだけど。でもこいつはなんかギラギラしてて楽天的で嫌いじゃない。今日描いたカットもこいつの趣味が投影されてる・・・

2011年8月20日土曜日

パンダコパンダ

熊猫家族

なんかこの中国語タイトルのほうがいい感じ。

駿某は同じネタを何回も繰り返し使って悪びれないとこがすごい、友達が巨匠ってのは結局一つしか言うことが無い奴なんだ、と言っていた。
ヒトラーの名言「民衆は理解力が無い、ただひたすら繰り返せ」も含めてそういうものかなと思う。ただストーリーはなんかすごい、やりたい放題だ。70年代ハレルヤ。

2011年8月19日金曜日

Cries and Whispers(Viskningar och rop)

ベイルマンを久しぶりに見る。

構図や色彩をなんであんなにフェルメールにこだわったのでしょう?
内容はイワンイリイッチの救いがないヴァージョン・・・

ベイルマンの作り方は完成度、だから古典主義的。伝統的、アカデミー的。

それがいいかどうかはやはり好みの問題でしょう。

ドヴジェンコ 大地 earth 1930

原題はゼムリャーで、earthという意味です。ソ連映画の古典、タルコフスキーの言及有り。

 人目見てあっ、これはちゃんと見ないと、と思うテンションのある映画。しかしドヴジェンコなんて監督あんまり知らん・・。

 ソ連がなくなればいい映画が生まれると誰もが信じていたけど、実際ソ連の検閲がなくなるとロシア映画は死んでしまいました、まぁ時代的にも映画は死んでしまったからただソ連や資本主義化のせいではないと思うのですが・・・、ともかくソ連映画は100年以上残る映画をいくつか生んだ、ということは大事なことだと思います。何か真剣で真実なものがそこにはあった。

自分らしくあるという事以外の道を私は知らない(タルコフスキー)

2011年8月10日水曜日

2011年8月7日日曜日

タルコフスキーの映画術


水声社というところから出てます。



タルコフスキー関連の本は結構読んでますが、彼の映画理論、というか映画以前の映画を作る人間の理論というのは、ケージの音楽のそれと同じように唯一無二で本質的なものだと思います。
 ただ時代はタルコフスキーや、ブレッソン、やらフェリーニ、絶好調の時のクロサワとかがやってたような真実へと進む映画を作るのは、社会的枠組みの中で作ることは不可能になってしまったと思います、もしそういう本当の映画が作られるなら必ず個人的なものにならざるをえないでしょう。もしくはたった一人の人間によってそれは達成されるしか方法が無くなった、それが漫画であったりアニメであったりするかもしれない、小説では絶対に無いし、音楽で表すには向いていない、音楽はもっと完全に善なものであって、人間という不完全性を宿してないでしょう、音楽は完全な芸術を作る可能性がある、人間は不完全な物だから不完全な物を作るでしょう。
 ともかく、社会が進歩して豊になれば、集団としての真の芸術へ向かう方向は失われる(もう失われた)、たった一人で進む強さが芸術家には必要になっている、宮本武蔵の水墨画には本質的なものがあった。今日水墨画を図書館に調べに行きましたが、本当に本質的な水墨画を描いてるのは武蔵と雪舟くらいなもので、他は何か濁っていた。色彩は日本画を駄目にしている、それは美しさではなく心のにごりのようである。

2011年8月4日木曜日

気になるコトバ

このまえたまたまNHK教育をちら見したら火星に着陸を目指す宇宙飛行士が話をしてた。
ぼくは火星に行くなら命をかける、とあっさり言ってた、別に宣言しなくても火星に行くなんて明らかに命がけの行為に決まってるんだけど・・・やっぱりすげぇと思った、もちろん彼の同僚も同じような信念を持っててそういう人間をNASAが雇ってるんだけど・・・命をかけれるってやっぱりすごい。

 一人の人間が命がけでやったとしても何ができるかどうかわからない、けど命をかければあらゆることに挑戦できる、本当に大事なのは成功することじゃなくて挑戦することだ。

 沁みた。

2011年8月1日月曜日

コクリコ坂から

を見てきました、内容は自分で見てください。

好きな映画でした。