ある時から、しゃべることをやめて、車に乗るのをやめて、徒歩でアメリカ横断を始めた黒人の話です。
でも横断といっても、ハードでストイックなものではなくて、普通にカフェに入ったりホテルに止まったりしております、途中大学に通ったりと、すごくゆるーい旅です。
ハードなサバイバル物語を期待するべからず。
なんでこの本を読んだかというに、ワタシは車が嫌いなんです。車は邪魔すぎる、車のおかげでどんだけ狭苦しくなっているか、車と道路のおかげでどんだけのスペースを無駄にしてるかって話なのです。環境うんぬんよりも、とにかくワタシは車は邪魔すぎると思う。渋滞するのも、一人に対して、スペースがでかすぎるのです。
この本はストイックなサバイバル本ではなくて、環境について考えるみたいな本なのでたいして面白くはありません。
でも他人と論争しないためにしゃべるのを辞める、ってのは新しいですよね、なるほど、そういう視点もあったか、って感じ。
よく論破、とかいうけども、論破したって、相手は行動を変えたりはしません、ただ怒らせるだけです。話し合いとかいうけども、話し合ってわかりあえる相手は、話さなくてもわかるとワタシは思う。話が通じない相手には、どうやっても通じない。
つまり話し合う意味はまったくないというわけ。
ほいで、この本を読むと、アメリカ人というと自然破壊の第一人者で、人類を滅亡させることに躍起な、何にも考えてないアホ、だけではないのだなとわかります。
やれ環境保護だ、核戦争に反対だとか、軍需工場に反対、キリスト今日の平和活動コミュニティ、インディアン保護グループ・・エトセトラ・・・
などなど、様々な言っちゃあれですが、綺麗事言うだけでなんの力もないコミュニティが無数にあるのですね。
まぁ99%は、そんなことどうでもいい、いまが良ければなんでもいい、とにかくカネ、っていう、イメージ通りのアメリカ人なのでしょうけども、1%でも300万人いることになり、それは結構な数です。
ただ結果的には何も出来てませんし、カリフォルニアの山火事とかどえりゃーカタストロフになっていて、バッドエンドだったということです。
この人たちは何も出来なかった、というバッドエンドの物語というのは、リアル、ですわね。