2024年5月30日木曜日

-91 史記 世家

  「政治は簡素で容易でなければ民は親しまない」 周公旦


「ワタシは美女を愛するほどに、道徳を愛する人を見たことがない」 孔子


「大きすぎる恩は、逆に報われることはない」


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 「世家」というのはここでしか聞かない言葉ですが、いわば、春秋戦国時代の各国史、です。


 春秋時代というのは、基本的に、周、という統一国家があったのだけれど、それが弱体化して、諸侯が、公、として独立していく、という状態なのです。

 それでも一応、周、という国が正当であり、それを補佐する、のが、覇王、という体裁になっています。日本の戦国にまさにうりふたつ、だから日本の戦国を戦国という・・


 ですが周は結局衰えまくって滅びます(ー256)それでも周は少なくとも800年ほど続いた最長の王朝の一つです。

 そっから、戦国、となり、諸侯は、血みどろの国盗り合戦をすることになる。最終的にはご存知、始皇帝こと「政」が中国を統一する(-221)


 なぜ秦が勝ったかというに、これは地の利につきます、秦は山奥にあって、後ろは砂漠、入口は細い谷になっていて、つまり難攻不落。

 はじをとったものが勝つ、これが戦略ゲームのセオリー。だが、日本の戦国は真ん中の国が勝つという非常にレアケース。でも最終的には薩長、というやはり、はじっこ、に勝敗があがったというべきか・・?

 

 ほいでこの諸侯、というのは、周の王族の血筋が地方に赴いてその子孫なのです。


 古公亶父→文王→武王、その弟 周公旦。 この周を築いた、特に文王、武王、周公旦、が中国の古代文明の中心人物。

 さらに中でも周公旦、が、実在した人物、の中で一番の名君と呼ばれていて、中国の古典、とはつまり周公旦の決めたこと、と孔子が後にそれを注釈したようなもの、が中心となっています。中国文明のルーツは、ほとんど周公旦にある。


 ガキの頃に 殷 周 秦 漢・・・とおぼえたと思われますが、殷と周は実在は不明、って感じだったのですが、最近周はどうやら確実に存在していたということになっているようです。

 太公望については、まだ不明らしいですけど。


 紂王については、周が戦争で勝ったあとに、悪王としてでっち上げをした可能性が特大ですので謎です。


 ほいで周から秦、の間は1000年近くあるのです、めっちゃ乱暴に覚えさせられたものだ。中国の歴史で一番長いのは、春秋戦国時代なのです。それが飛ばされてるというわけ。

 ほいで史記、とはつまりこの千年続いた春秋戦国時代についてまとめた歴史書なのです。


 中国の本の中で一番大事な本であるのはもちろん、ヨーロッパのイリアス、インドのマハーバーラタ、と並んで、人類の三大古典だと思いますね。この3冊でほぼ人類の叡智は出尽くしてる。


 さて各国史である「世家」なのですが、なぜか孔子は列伝ではなくて、「世家」にその生涯がのっております。

 つまり孔子、を王家、と同じ扱いにしたということ。この司馬遷が孔子を特別扱いしたことが、歴史的に孔子のステータスを決定づけたと言えます。

 でも孔子の何がすごいのかワタシにはあんましわからぬ。礼がなっていないと下賤の者を殺したり、いわば、階級主義者であります。

 現世の権力も求めてみたりと、とても聖人、とは言えない。

  共産党に嫌われたのもわかる、孔子はようするには保守主義であり、階級を保存することが社会の安定であるってことだと思われます。

 ほいでも東洋の倫理観ってのはどっぷりこの儒教につかっていたのでした。いまでもそうです。

 孔子の本を読むと当たり前のことしか書かれてない、親を大事にしろとか、礼儀正しくしろとか、それはそれが当然と思えるくらい、根深く洗脳されてるってことなのですわね。



 史記は漢、代の歴史になると急激に言動が不明瞭になる。これは当然現在の王朝について悪く言えないからでして、これが史記、の最大の欠点と言えます。