2024年9月28日土曜日

1929 七つの時計 The Seven Dials Mystery

  バトル警視もの、とされてますが、ほとんど主人公はバンドル、という女性。

変な名前・・バンドル??


 アガサが好きな、女性だけど行動力にあふれている活発な美少女。1929年という時代を考えると、フェミニストな女性。

 

 冒険小説と、ミステリーのちょうど半分って感じで、トリック重視でもないけど、一応トリックみたいなものはあり、バンドルが無茶な冒険をするっていうアクション要素もあります。


 まだまだ、アガサの若い頃の作品ですが、だんだんと、アガサのスタイルってのが固まりつつあるって感じ。


 アガサは女性を描くのが上手いと前かきましたが、それは当然であるのですけど、男、の書き方もやっぱり特殊って感じがしますね。イケメンが多く登場する。

 女性の作家ってのをワタシはあんま読まないのですけど、あぁ・・・、っていうイケメンが出てきますね。ふーむ。これは上手いとは言えないのですけど、なるほどねって感じ。


 もちろんトリックは言えないのですけど、これも、ちゃんとしています。なんじゃあそりゃあってことにはならない。

  

 傑作ってわけじゃないですけど、登場人物の数が多く、なんか学生たちの冒険みたいな感じがあって独特の味わいがある作品です。ややジュベナイルものって言えるのかも。

2024年9月19日木曜日

1989 R-TYPE II

  超名作R-TYPE初代から続いて作られたⅡ。

ですが、まぁ初心者お断りの難易度でして、あまり名作とは呼ばれてません。


 難易度は、まぁでも、理不尽、弾幕ゲーとかよりはまぁできるっちゃあできるって感じです。がアーケードで1プレイ1コインでプレイすると考えると、鬼畜としかいいようがありません。

 初見じゃぜってー無理、ってとこも多いし、死んで装備はがされたら終わりですし、何回も死にまくって攻略法を見つけていかないといけないので・・・。

 なんにも知らない子供がゲーセン行ってクリアするってのはまず無理ですね。やる気勢のオトナが100円タワー積み上げて、一日かける意気込みがなければ・・・


 いろんな移植がなされていて、それぞれに内容が全く違うわけですが、オリジナルはプレステ版のRーTYPES、っていう1,2セットになってるゲームでプレイできます。


 ただ実機は処理落ちするのに、移植だと処理落ちしないのでむずくなってるとかなってないとか・・・・


 でも1989年でこのグラフィックはほんと圧巻って感じです。1999年でも十分通用するグラフィック。

 そして独特のエログロハードSFのデザインですね・・・・。R-TYPEというと卑猥な形のボスが出てくるで有名・・・

 

 武器は赤(リングレーザー)みたいなのが一強、ほかは罠です。でも罠がめっちゃ避けづらかったりしていやらしい・・

 ラスボスはアンチがあってそこにノズルを突っ込めば終わり、だが知らないと超ホーミングミサイルで必ず死ぬ。という理不尽ボス。

 あるいはオプションを飛ばして、うまい具合にひっかけるってやりかたもあるけど、これもグリッチっぽいやり方・・・正攻法があるのかしら・・・?


 エンディングは割と悲しい、ニ周目行くとグッドエンディングある・・・けどそっからは人修羅の世界、常人の立ち入る場所ではない。

1999 ドンキーコング64

  わたしは3Dレア社のゲームあんまやってこなかったのですな。この頃スマブラ死ぬほどやってて他のゲームをやってなかったみたい。たぶんそういうヒト多いのでは?そんぐらいスマブラ持ってないやつは、子供の社会では死んでるのと同じだった。


 ドンキーシリーズの64ですが、ほぼシステムはバンジョーカズーイの使い回しと言われておる。

 ほいでその通りなんですが、違うのはドンキーたちが5キャラいてそれを交代しつつ進めていく、という非常にパズル的難解さが際立つげーむ。

 このキャラを変えるってのが、ロードが長かったらまじでうざいのですが、そこがロムカセットの真骨頂。キャラの変更やテレポの読み込みの速さはすごい。

 サイズがそもそも小さいってのもあるけど、こんなにスムーズにテレポできるゲームはサイズが肥大化した昨今のゲームでは考えられない。

 ロムでしか成立しないゲームシステムですね。


 アクションなのにすっっっごい時間がかかる、ボリュームがあるというのか・・・フルコンプまでの道のりは、やり方を全部わかってても10時間。わかってないと30時間はかかる、さらに下手くそだと100時間はかかる。というか下手にはまずクリア不能。超えられない壁がある。(まったく参考にならないですがバグ技満載のRTAで5時間半です、これはでも一見の価値あり)


レア社おなじみの隠しアイテムとか収集アイテムがてんこもりぞーであります。


 マップも複雑で、しかもコンパスみたいなのが無いので、どこにいるかすぐにわからなくなる。もちろんゲーム内マップなどない。


 さらに64時代特有のカメラの視点の悪さと操作性の悪さもあって、ひじょーーーにむずい。水中の動作とかはまさに苦行。もちろん後半になればなるほど難易度上昇・・・

 でもそれはフルコン狙えばの話で、クリアするだけならなんとかやれるのではないでしょうか?

 マリオ64に慣れていると逆にこのレア社の操作がしっくりくるまでに非常に苦しむことになります。


 でもゲームのボリュームでマリオ64に対抗できるアクションゲームはこのドンキー64しかありえない。バナナは201本。 君は集められるか?


 完全クリアのタイムみたいなのを見ると、ドンキー64は時間的にマリオの2.5倍も時間がかかる。死ぬほど遊べるドン!


 クリアには100本(バグを駆使すれば0本)、半分はスルーできるのでクソムズバナナは全部スルーしても全然OK、クリアするだけなら操作に慣れさえすれば小学生でも可能。ただ完全クリアはガチじゃないと無理ですね。

  だが! 悪名高きラスダンの最後の扉で、 レアコイン、とN64コイン、が必須だとわかる。これがわけのわからんゲキムズミニゲームをクリアしないと手に入れられず、その難易度が異常に高いので、このドンキー64をムズゲーにさせてる大きな要因。

 さすがにこれはレア社やりやがったな、って感じ。バンカズもクリアに必須なアイテムめちゃくそ多くてむずかったのですが、こりてないレア社。

 でもヨーロッパのゲームってなんかそういうのありがちなんですよね、ものすげー高いハードルクリアしないとラスダン入れてやらない、っての。昨今はなくなりましたが。

 レアコイン、ってのはレアなコインじゃなくて、レア社のコインのことね。


あと設計図は数に応じてラスダンのタイムリミットの時間が増えるのであったほうがいい、一番集めやすいし。


 あとラスボスはなぜかボクシング?をすることに・・・

なんじゃあそりゃあっていうヒトは、ユーモア、を解さないひとですね、これが本場イギリスのユーモアじゃい!

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 3Dアクションって色々あると思うのですけど、このゲームの難しさはほんと、デモソみたいな死にゲーよりも、はるかにむずい。この手のゲームで最強難易度だと思う。スーマリサンシャインが高難易度だって言われますが、それをはるかに凌ぐ難度。それがドンキーコングというメジャーゲームなので、まじで小学生は絶望して投げたでしょうね。

 難易度も、同じ種類の難易度ではなくて、難度の質が異なる・・っていうか本当にまったく別のゲームが始まるw

 でもその難度から、コアゲーマーを惹きつけてやまない。クソ難度ミニゲームをクリアした時の達成感は脳汁出ます。カルトゲームです。


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 レア社がなくなってさみしい限り。この頃任天堂とレア社はライバルになるくらい名作を連発してたのに・・・。

 レア社消滅はまぁレア社のせいで、内部分裂、空中分解。本当にもったいない。

今はゲームはもうほぼFPS、3Dアクションと任天堂のほぼ3択。プレステがもう子供には絶対に手が出ない値段になったので、更に任天堂一色。ゲーム売上ランキングとか上位10で9つ任天堂、一個だけFFとかモンハンとか、ってな状態。

 ハードゲーマーはFPS、子供は任天堂、に二分化されてしまった。

 本当にwish you were here. レア社がいてくれたらイギリスのブラックユーモアを効かせた誰にでも楽しめる痛快なゲームを作ってくれたのに・・・

 誰もが感じてると思いますが、最近のゲームはどれもこれも似通って来ている。一番プレイヤー人口が多くて売れそうなゲームを作りますから。アイドルと同じ、全員顔が似通ってくる。全部同じやってなる。

 マリオのライバルはやっぱドンキーしかいない。少年漫画じゃないですけどやっぱライバルがいないと苦しいものなのです。

2024年9月16日月曜日

-91 史記 列伝3 司馬遷  平凡社

  ヒトは、その道が通じなかったゆえに、往時を述べて、未来を思う。


 ついに超長かった史記も最終巻。


 一番大事なのは、やはり太史公自序。司馬遷が自分自身の来歴と、この本のまとめを書いてくれております。長いあとがきといったところ。

 ここで学問の総括、孔子について、いろいろとまとめてあって、非常にわかりやすい。


 司馬遷の500年前、孔子は春秋をしたため、麒麟、が捕まえられたためにそこで記述を終わらせたとのこと。

 なんで麒麟がつかまったら本が終わりなのか、これは謎です。本来麒麟が捕まるのは良いことらしいのですが・・・

 司馬遷の史記も、武帝が、白麒麟をつかまえたところで終わるとのこと。


 この麒麟ってのはもちろんキリンのことじゃなくて、幻の生き物。幻の生き物なのにつかまるとはこれいかに・・・??


司馬遷にいわせると、孔子の業績は大としながらも、儒家に対しては批判的で、言ってることは正しいが、煩雑で実践は難しく、見返りは少ない。

 墨家はさらにキレイごとで、実践に向かない。逆に法家は現実主義、冷酷非情なので人民はついてこないとしますが、それぞれに学ぶべきところはあるとします。

 黄老の道、つまり道家は、簡潔で、さらに実践しやすく、これが一番としています。これはまぁ司馬家が代々天文官であり、タオイズムの家系ってこともあるんでしょうけど。

 にしても史記は、全体を通して、儒家にはやや否定的で、孔子の500年後に新たな、価値基準の更新をしたといっていいでしょう。


 何度も言いますが、史記、がなかったら中国の歴史はまったくの空白、だったと思います。歴史の本に書いてあることは、ほぼ90%ただ史記の記述を鵜呑みにしただけです。なんの裏もとってない。

 それくらい、史記の影響は甚大。

中国3000年の歴史で一番大事な本だと思います。孔子なんかよりもよっぽど大事。

2024年9月14日土曜日

1993 ヴェルレーヌ伝 アンリ・トロワイヤ

 フランスの詩人ヴェルレーヌの伝記。


 フランスの詩人というと、ワタシは、ボオドレエル、ヴェルレエヌ、ランボオの三大詩人って感じなのですがどうでしょうか?

 普通ユーゴーも有名なのですけど、どうにも現代の感性にはユーゴーはぴんとこない。現代でユーゴーの詩を嗜んでるってやつを見かけたことがない。


 ほいでこの三人は、その生き方、がそれぞれ破天荒で、まさに芸術家という点が重要なのです。共通して言えるのは三人とも、破滅的な結末を迎えたということ。ランボーに関しては、若くして一切芸術から足を洗うという、非常に斬新な終末を迎えることになる。


 ワタシは芸術家ってのは金持ちになったら絶対に駄目だと思う。結婚して裕福で金持ち、そんなやつが、芸術を生み出しうるとワタシは絶対に思わないものなり。ガキだと言われましょうが、ワタシはこの考えは変えませぬ。


 宮崎駿は尊敬すべき作家ですけども、やっぱりエンタメ、であって、芸術ではない。他にも結婚もしていて、成功もしていて、金持ちで、才能もあって、地位も名誉もありて・・・更に才能も技量もある。という人々がいますけども、やっぱりそれはエンタメであって、芸術ではない。

 

 もちろんエンタメも大事。エンタメも必要。でも芸術、とは違う、この線引きは必要だとワタシは思う。

 寿司だって好き、カレーも好き。だが寿司カレーなんていらないし、寿司屋でカレーを出されても困るし、その逆もしかり。エンタメはエンタメ。芸術は芸術。


 しかし昨今、本当の芸術家、は極めて稀なり。みんなすぐに金持ちになって、すぐに働かなくなる。


 ヴェルレーヌ、は途中までは呑兵衛で、酒乱で、男色の傾向もあり、ってことですがそこまで破天荒とは言えない。役人としてちゃんと?仕事もしてたみたい。

 こういう呑兵衛なんてのは普通中の普通で、ワタシのイメージでは西洋人なんて9割はずぶずぶのアル中で他はゴリゴリに宗教に染まってるガンギマリ連中で、シラフでまともなのは1割程度っていうイメージ。


 まぁ9割は言いすぎですが、半分はアル中でしょう。だからいたって普通。そのままでいれば、ヴェルレーヌはあまり売れなかったが才能のあった詩人、という程度しか歴史に残らなかったでしょう・・


 が!ご存知の通り、ある決定的な出会いがすべてを変えることになる・・


悪魔の子 アルチュール・ランボー。

 既存の権威、伝統、ルール、決まり事、あらゆるものにつばを吐きかけ、老いぼれどもは容赦なくこき下ろし、ヘボ詩人どもは罵倒し、金持ちとブルジョア、安定した暮らしを求めるすべてのカスども に憎悪を向け、ボロボロの身なり、暮らしはルンペン、全身シラミまみれ、酒と麻薬でズブズブ、無一文で世界を放浪する・・・

 だがその才能だけはまぎれもなく天才、まさに神童。現代詩とはランボーから始まり、ランボーそのもの。ランボー以降の詩人はみんなランボーに憧れ、しかしランボーにはなれないという存在。デカダンスの権化。破壊と堕落の王。ヒモ、クズ男の究極完全体。このモンスター・・・


 働くなんてのは、クソだね!


 ヴェルレーヌはランボーに出会ってしまい、そのすべてをこの若者に捧げることになる。子持ちのおぢさんと未成年の青年のプラトニック?ラブ。という全方位に喧嘩を売るようなスキャンダル。

 過去にも未来にも、この二人を超えるようなスキャンダルな天才ってのは二度と現れないのではないでしょうか。


 坂を転げるというより、奈落に落ちるような、堕落の始まり。アル中で妻を殺しかけたり、DV、逃亡、浪費、借金・・・


 この二人の愛憎の生活はほんともう、支離滅裂、ハチャメチャとしかいいようがないのですけど、やっぱり時代、もあると思われます。

 19世紀のフランス、は一言でいうと没落、であって、フランス革命、ナポレオン戦争、の時代は世界の中心は明らかにパリ。そこから全てが始まる、という時代があったのですが、ナポレオンが敗れ、そのあとはもうぐちゃぐちゃ。

 プロイセンにはコテンパンに負け、プライドはガタガタ。このあとの戦争はすべてフランスはすぐに負ける、弱小お荷物国家に。

 海外の植民地もどんどんイギリスに削り取られ、まったくのいいとこなし。三流国に成り下がっていく・・・。

 だからこそのデカダンス、退廃趣味。崩れていく、終わりゆく破滅の美学がある。

 国家の実力はずんずんと下降していきましたが、芸術では、やはりパリは、いや、更にパリは、花の都になっていく。もはやそれしかすがるものがないっていうことで。



  ヴェルレーヌは破天荒でめちゃくちゃだといいますが、確かにまぁその通りなんですけど、ランボーを銃で撃って牢獄にぶちこまれてますし。だがランボーという、真の、破天荒と比べると、かなりまともに見えます、クソ野郎という程度。

 ヴェルレーヌの破滅は、いわばまだ、理、の範囲内。ただのクソ野郎です。カネがあるとすぐ酒と娼婦に使ってしまい、泥酔して大暴れ。ダメですが、意味はわかる。

 ランボオのそれは、もう理、から外れてる。ポスト・モダンですね。


 だから二人がたもとを分かったのは当然と言えます、ランボオは、詩、とか作品、芸術、とかいう「理」からも飛び出して行ってしまう。

 ヴェルレーヌはまぁ一般的にはクズ人間なんですけど、でも芸術家ってそういうものだと ワタシは思う。普通の社会人として生活できないからこそ、芸術家なのであって、品行方正、まともな作家なんてのはカスです。そんなやつの作品なんて誰が読みたいものか。

 多様性だとかふがふが言ってる、ブルジョアどもは、前科者だとか、こういう社会のあり方、に適合できない人間には厳しいという気がする。


 さて晩年は足を病んでしまい(もちろん飲み過ぎが原因で)、ほとんど障害者として、国家の援助に頼り切りとなってしまいました(がもちろん、酒は止めず)。

 しかしじわじわと、悪魔的天才のランボーはカリスマとなり、ヴェルレーヌも、伝説の詩人としてカルト的人気を得るようになっていく。

 ただ詩、ってやつは、大金持ちの道とはまったく無縁のもので、生活はまぁ生活保護って感じですね。


 ヴェルレーヌが自分を分析して、「僕の性は女だ、それですべて説明がつくだろ」

と言ってます。それを聞くとたしかにすべてが納得がいく。自分の性としては女性だけど、男性の文才がある。

 暴言吐きますが、文才のある女性というのはいません。それはたぶん、破滅型の女性、ってのがいないからだと思います。身持ちの悪かったり、貧乏な女性はいるかもしんないけど自ら破滅を求めていく女性ってのは本質的にいない。ましてやランボーみたいに 理、から外れた異常人間は女性にはいない。

 女性は賢くてまともなのです。まともであるということは、つまらんということと同義。狂人みたいなのはいるでしょうけど、知性はしっかりしつつも、壊れてるってことはない。

 ヴェルレーヌは女性であり、男性の能力がある、これが確かにすべての説明になってる。


 ヴェルレーヌは死ぬまで貧困に苦しみますが、別にヴェルレーヌに限ったことではなくて、他の文士も同じようなもの。19世紀の文筆業なんて全くカネにならないものなのです。ユーゴーみたいなのが超例外なだけで。

 トルストイはごちゃごちゃ言ってるが自分の土地は手放なさい、貴族地主でしかない。ってわけ。

 でもそんなカネにならないことのために一生を捧げる、この時代の作品の切実さ、本気さ、ってのはそこにあるのです。