ヒトは、その道が通じなかったゆえに、往時を述べて、未来を思う。
ついに超長かった史記も最終巻。
一番大事なのは、やはり太史公自序。司馬遷が自分自身の来歴と、この本のまとめを書いてくれております。長いあとがきといったところ。
ここで学問の総括、孔子について、いろいろとまとめてあって、非常にわかりやすい。
司馬遷の500年前、孔子は春秋をしたため、麒麟、が捕まえられたためにそこで記述を終わらせたとのこと。
なんで麒麟がつかまったら本が終わりなのか、これは謎です。本来麒麟が捕まるのは良いことらしいのですが・・・
司馬遷の史記も、武帝が、白麒麟をつかまえたところで終わるとのこと。
この麒麟ってのはもちろんキリンのことじゃなくて、幻の生き物。幻の生き物なのにつかまるとはこれいかに・・・??
司馬遷にいわせると、孔子の業績は大としながらも、儒家に対しては批判的で、言ってることは正しいが、煩雑で実践は難しく、見返りは少ない。
墨家はさらにキレイごとで、実践に向かない。逆に法家は現実主義、冷酷非情なので人民はついてこないとしますが、それぞれに学ぶべきところはあるとします。
黄老の道、つまり道家は、簡潔で、さらに実践しやすく、これが一番としています。これはまぁ司馬家が代々天文官であり、タオイズムの家系ってこともあるんでしょうけど。
にしても史記は、全体を通して、儒家にはやや否定的で、孔子の500年後に新たな、価値基準の更新をしたといっていいでしょう。
何度も言いますが、史記、がなかったら中国の歴史はまったくの空白、だったと思います。歴史の本に書いてあることは、ほぼ90%ただ史記の記述を鵜呑みにしただけです。なんの裏もとってない。
それくらい、史記の影響は甚大。
中国3000年の歴史で一番大事な本だと思います。孔子なんかよりもよっぽど大事。