2024年9月16日月曜日

-91 史記 列伝3 司馬遷  平凡社

  ヒトは、その道が通じなかったゆえに、往時を述べて、未来を思う。


 ついに超長かった史記も最終巻。


 一番大事なのは、やはり太史公自序。司馬遷が自分自身の来歴と、この本のまとめを書いてくれております。長いあとがきといったところ。

 ここで学問の総括、孔子について、いろいろとまとめてあって、非常にわかりやすい。


 司馬遷の500年前、孔子は春秋をしたため、麒麟、が捕まえられたためにそこで記述を終わらせたとのこと。

 なんで麒麟がつかまったら本が終わりなのか、これは謎です。本来麒麟が捕まるのは良いことらしいのですが・・・

 司馬遷の史記も、武帝が、白麒麟をつかまえたところで終わるとのこと。


 この麒麟ってのはもちろんキリンのことじゃなくて、幻の生き物。幻の生き物なのにつかまるとはこれいかに・・・??


司馬遷にいわせると、孔子の業績は大としながらも、儒家に対しては批判的で、言ってることは正しいが、煩雑で実践は難しく、見返りは少ない。

 墨家はさらにキレイごとで、実践に向かない。逆に法家は現実主義、冷酷非情なので人民はついてこないとしますが、それぞれに学ぶべきところはあるとします。

 黄老の道、つまり道家は、簡潔で、さらに実践しやすく、これが一番としています。これはまぁ司馬家が代々天文官であり、タオイズムの家系ってこともあるんでしょうけど。

 にしても史記は、全体を通して、儒家にはやや否定的で、孔子の500年後に新たな、価値基準の更新をしたといっていいでしょう。


 何度も言いますが、史記、がなかったら中国の歴史はまったくの空白、だったと思います。歴史の本に書いてあることは、ほぼ90%ただ史記の記述を鵜呑みにしただけです。なんの裏もとってない。

 それくらい、史記の影響は甚大。

中国3000年の歴史で一番大事な本だと思います。孔子なんかよりもよっぽど大事。