2022年4月6日水曜日

1964 チャップリン自伝

 その名の通りチャップリンの自伝。


 誰でも知ってるチャップリンですが、本当に映画の創成期に活躍した人、っていうイメージが強いですが、サイレントからトーキーという、過渡期の時代を体現する人間でもあり、「独裁者」による、反戦映画の代表的な作品を作ってもいる。

 その活動歴が50年以上もあって、ほぼ映画の歴史の半分、そして重要な半分、はチャップリンの時代って感じもします。

 

 そしてチャップリンのあと、はカラー映画の時代になる。

 

 トーキーよりもサイレントが良い、とはいいませんが、映画はやっぱカラーになるべきではなかったという気もしますね、白黒、っていうはっきり現実と違う、別の世界、が映画ってものだったのに、アニメとかははっきり現実と違いますからカラーでも違和感無いけど、カラーの実写映画ってどうも、入っていけない感はありますよね。入っていけないというよりも雰囲気が出ない、なんか演技してるけどこいつあれの人だな~・・・みたいな。

 

 チャップリンもやっぱり、サイレントのほうが良いと思う、しゃべってるチャップリンはどうも違和感がある、やっぱチャップリンはマイム、独裁者は、そのずっとしゃべられなかったチャップリンがついに口を開いて演説をするという超大なフリが効いていたわけですが、そのあとはやっぱう~む・・・という感じです。

 

 チャップリンは極貧の少年時代を過ごすのですが、この時代がやっぱ一番おもろいですね、成功してからは基本カネと女と虚栄の話ばっかりになる。

 母親が窮乏による栄養失調で発狂、チャップリン達兄弟は救貧院へと送られる、そこから脱出して俳優を目指す。まさにマンガみたいな物語。エンターテイナーってのはこういう人生じゃなきゃだめですね。

 スーパースターっていうのは必ず貧しい生まれじゃないといけないといいます、普通のスターなら金持ちにだってなれる、だけど時代を動かすスーパースターは貧しい出自じゃないと、人口の90%は貧困なのですから。現代はこういうスーパースターの生まれる素地が少なくとも先進国には無いですね。

 なんか特殊な環境じゃないとそこまでの貧困ってことはない、移民、難民、虐待とかそういうこと。でもそういう特殊な貧困、ってのはマイノリティでして、それでもだめなんですよね。貧しければ良いというわけじゃない。

 

 ワタシが印象に残ったのは、アメリカって全然自由の国じゃないよなぁってことですね。いっつもアメリカってのは敵がいないとだめで、反保護貿易、反自由貿易、反ファシズム、反ナチズム、反共産主義、反ヴェトナム、って敵を作って、それを敵と思わないやつは非国民である!!っていうやり方をするのです。

 いっつもネガティブモチベーションの国なんですわ、誰かの悪口を言うことで団結してまとめようとする。常に誰か敵を作らないとバラバラになってしまうから。結局はナチスとやり方はまったく同じなんです。

 

 現代でもまったくそのやり方。どーーーーも、昨今の戦争、何から何まで胡散臭い気がしませんか?なんかあらゆる人間がきな臭い、戦争ってのはそういうものなのかもですね。全員きな臭い。信頼出来る情報ってのが全く無い。全員嘘をついてるという自覚もなく、ただあやふやな情報を流している。知ったかぶりするバカもいれば、アジテーションをするアホもおる。誰も信用するな、これがやっぱり正解のようです。

 ///////////

 チャップリンは「反共産主義者じゃない」、ということで国外追放みたいな扱いを受けることになります、いわゆる赤狩り。共産主義者、だからじゃなくて 反共産主義者じゃない

から追放、これがアメリカのやり方。ハリウッドはチャップリンを追放したっていう汚名を晴らすことが出来ませぬ。

 

  それなのにチャップリンをアメリカの文化、みたいな調子で吹聴するんです、信じられんぜ。黒澤明も、日本の宝、みたいな持ち上げ方をしてますけども、実際は、黒澤映画は収益が悪いから黒澤は日本映画界から追放みたいな扱いを受けて、海外の熱心なファンが予算を集めて映画を作ってたような次第。

 それなのに黒澤映画はすごい、リメイクしよう、みたいなことやってる。一体どの面さげてそんなことが出来るのだ?って感じです。だからワタシは日本の映画って嫌いなんです。日本映画界も、日本映画を見てる奴らの嗜好も大嫌い。