2012年6月11日月曜日

ドストエフスキーと日本文学

タイトル的には、300ページくらいの容量があるテーマですがあっさりと。
 日本文学のピークは文明後進国だった日本では1890~1945くらいでしょう。明治初期はひたすら海外のを学び、やっと自分の表現になる、ロシアではそれが1830~1870年くらい。ロシア=ヨーロッパの糞田舎なので、西洋はもちっと早い。日本で文学が流行った頃にはもう西洋は現代芸術の時代です、ジョイスやらキュビズムの時代、シュールレアというとなんかよろしくないですが、現実超越主義芸術です、わかりやすく言えばアンチ写実、アンチアカデミック、印象派、世紀末ウィーン派なども含みます。
 日本人が留学したってなんのこっちゃわからないに決まってる、あっちは相対性理論の時代で、日本はまだマックスウェルをしっかり学ぼうというくらいですもの。
 漱石は初めはドストはどうもやりすぎだという感じだったらしいのですが、後期(喀血)の後、読み始めたということです。芥川、太宰は初めからもう無視出来ない存在だったようです、近代小説のベートーヴェンみたいなあれですから。
 以上一般論ですが、バッハの音楽は人類の至宝だ、とよく言われてますが、バッハが死んだ後は随分忘れられていて、メンデルスゾーンによるマシューズパッションの再上演で再評価が始まったといわれてます、人類の至宝が古臭いと忘れられていた?なんじゃあそりゃあ、という気がしますね。ドストもそうかもしれない、こういう文学者の誇張は一面的な世界観でしかないのかもしれないですね。あるいは芸術は人類とか人間とかいう一般性を持ってないのかもしれないですね、けっこう少ないタイプの人間の趣向によるものだと思ったほうがいいかもしれません。