2018年1月25日木曜日

1997 デビルサマナーソウルハッカーズ

元々はセガサターンで発売されたソフト、PSでのちに発売されて、3DSでも追加要素を入れて発売されております

 PS時代のアトラスの最高傑作という評価です。

 CGの出来がものすごい良いです、この時代とは思えない3DCGのクオリティ、下手したらPS2のゲームとくらべても屈指の出来だと思います、ものすごい上手くつくられてる、すげー。オープングにかぎらずグラフィックのレベルがすごい高いです。

 テーマとか内容も時代をズギュンと先取りしていて、20年後の今でも全然通用する、むしろ今となってやっと時代が追いつき始めてるって感じの世界観、これもすげぃ。パラダイムXという没入型仮想空間、VRを利用した美術館、手持ちのモバイルデバイスを駆使して悪魔を召喚して戦うというコンセプト。ものすごい時代の先取り感、2018年現在、ようやくスマホとかVRゴーグルみたいなのが現実になってますけども、まだまだソウルハッカーズ(SH)のほうが先を行っていますね。

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 ただしゲームとしては3Dダンジョンという、はい初心者乙、って感じのシステムですので、これが苦手なヒトには相当しんどい。1997というと確かFF7と同じ発売年なんですけど、知名度に圧倒的な差があるのは、やっぱりこの3Dダンジョンのとっつきにくさによるものだと思います。
 パラダイムXで教えてくれるようにまず思い通り動くことから慣れてないヒトには難しい、3Dダンジョン特有の方向感覚のわからなさ、また透明な場所に人間がいたりイベントがあったりとわかりずらいことこの上なし。
 マップ表示する機能があるんですが、それには後々手に入るアイテムが必要ですし、5個しかないスロットの2つも埋めてしまうというデメリットあり。マップの表示もただでさせてくれないところがアトラス先生ですね。

 それでもオートマップ機能があるにはあるのでマップをいちいち開きながら方向確認して・・っていうのに慣れてくればゴリゴリのオートマップなしの昔の3DRPGよりは大丈夫だと思います。(ただPS版などはロード時間が長くいちいちマップ画面を開くのにめちゃ時間がかかる、3DSはたぶんマップが表示されるので、ようやくライトゲーマーにもプレイ可能になったのでは)けどやっぱりライトゲーマーには最初のハードルが高い。
 
アトラスといえばこの3Dダンジョンシステムで、これがビギナーには非常にとっつきずらく、アトラスを長らくヲタク向けというジャンルに押しやってきました。が、このソウルハッカーズはいくらかビギナーにも歩み寄りを見せているとのことです。そういうわけでか知らないけれどラスボスは結構弱い。特にラスボスはそれまでの選択によって2パターンいるんですけど、物理攻撃パターンのラスボスはめちゃくちゃ弱い。魔法パターンのほうでも、特にレベル上げなど一切しなくても倒せる。メガテンシリーズはだいたいラスボス戦に向けて専用悪魔やレベル上げが必須の場合が多いんですけど、ワタシはまったくそんなの必要なく、倒せました(が!ラクカジャ、タルカジャが使用可能な悪魔がいることだけは必須、特にラクカなしでは絶対に無理だと思う)
 このソウルハッカーズ路線からペルソナシリーズに発展し、今ではDQ、FFと並ぶくらいの(ワタシ的には今ではもう抜いている)キラコンとなっておるのはみなさんご存知。

 そう、ゲームの難易度に関してはメガテンシリーズをやりなれているヒトには、ややマイルド、くらいなところですけど、やりなれて無いヒト。悪魔会話・・?どうやったらいいの?悪魔の喋り方なんじゃこれ・・みたいなヒトには、まぁ難しめかもしれませんね。
 相変わらず主人公死んだら終わりだし、ワンキルもやっぱりある。ちゃんと相性が合わないとダメージが通らないし、これはメガテン慣れしてるヒトにはさもありなんなんですが、普通のロープレはもっとヌルいですよね。フレスベルグなる、なんか普通の鳥っぽいやつのすさまじい攻撃力w


 さてプロットなんですが、世界観重視というのか、割りと物語はあっさりしています、悪魔に魅入られた・・というか悪魔そのものですやん、っていうのを倒していくという簡単なストーリー、最後にはちょっとひねりがあって、エネルギーそのものだけれど、人間のココロが弱いので人間とは一緒にいることが出来ない、みたいな存在と戦うことになります。
 ここだけがちょっとだけこのゲームの弱点なのかもしれません、なんか物語が薄くない?まぁ単純なだけあって誰でも好き嫌い無く、ストレスを感じないでプレイできる万人向けとも言えますけど。テイルズみたいにクソみたいにキレイゴトばっかりだったり、お涙頂戴みたいなのは辟易、っていうヒトにはこっちのほうがいいかも。ワタシはゲームに物語を求める派なんですよね、モンスターハンターみたいに物語なんていらない、っていうヒトも多いんでしょうけど。

 

 メガテンシリーズなのに、このゲームの主役は主人公でもなんでもなく、ヒロインのネミッサです。戦闘的にもずっと主力はネミッサ、プロット的にも結局はこれはネミッサの物語です。主人公はもちろんアイテムスローとネミッサの前に立ってガードするのが仕事w 本当に最後だけ物理攻撃をしますが、別にそれは仲魔にまかせてよい、主人公は物語的にも相当空気w タンクです。



 総括すると、ゲームの完成度としてはこれはかなりの名作、特に世界観づくりこれは満点に近いです。

2018年1月15日月曜日

1931 インスマウスの影  shadow over innsmouth H・P ラヴクラフト

 ラヴクラフトという名前はすごい素敵な名前だと思いませんか?

 Lovecraft 、愛の紡ぎ手。みたいなすごいファタンタジー色のある名前です。親はちょっとイタイヤツだったのかもしれません。

 結果、ラヴクラフトは親の狙いを裏切って、ダークファンタジー小説の元祖的な作家に成長していきます。

 わたしはこの手のホラー小説みたいなのは全然読まない人だったのでちっとも詳しくはなかったのですが、ホラー小説というよりはダークファンタジー小説ですね、こういう感じなら結構好きだなと思いました。


 クトゥルフ神話、というコトバを最近妙に目にするようになったのがきっかけなんですね、これはなぜかはまったくわかりませんが、ここ最近、実はクトゥルフ神話シリーズが流行っています、どこで?とか、なんでそう思うの?といわれると答えられませんが、肌で感じるのです、妙にこれが最近来ている、という。

 というわけでワタシもまったくクトゥルフ素人なので、その一応の生みの親とされているラヴクラフトに手を出したというわけ、まだまだこれから探っていく途中なのです。


ラヴクラフトという人物は、病弱で、人付き合いも悪い、ニーチェみたいな人間で、よく文学界なるクズの集まりでは、ポーの劣化コピーだ、といわれてきたようですが、ワタシはこのクトゥルフ神話ってのが、ふかーく探っていくと、一番、RPG、のストーリーってのの源流だと思います。よくD&D、がロープレの元祖で、それを作ったゲイリー・ガイギャックスがゲームの父みたいに言われるのですが、その世界観っていうかノリ、みたいなのはこのラヴクラフト、そしてラヴクラフトとかが描いていたホラー小説雑誌、らへんにあるんだと思っています。

 ファンタジー系のゲームで魚介類チックな敵が多いのは間違いなくこのラヴクラフトの爪痕です。一番印象的なのは、ワタシはやっぱり脳みそを食べるイカ、ですね。D&DにもFFにも登場する非常に印象に残るモンスター。それでも、最近のロープレはダークファンタジー的な要素は薄くなってるかもしれません、もっとポップで、おどろおどろしいモンスターとかよりも、もっともっとカネになりそうなパイオツとケツが重視されるようになってきてます。ワタシはこれは非常に問題ありだと思いますね、エロはエロ、ロープレはロープレ、分けて欲しい。エロははっきり言えばドーピングです、一度ドーピングしたら、もう二度とナチュラルでは戦えなくなる。記録は一時的には伸びるけども、最終的には骨がカスカスになって死にます。あと、脳が溶けてどんどんバカになる。これが今のゲームマンガアニメ業界の姿です。
 そこでダークな要素を取り戻せってことなのかもしれませんね。あるいはもっと硬派なころのものに戻りたい、ドーピングしてないものが見たいっていうのでクトゥルフ神話が最近じわじわキテるのかもしれません。


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 ラヴクラフトの評価が低いのは(世界文学集的なもので一切名前が出て来ることさえないのは)結局そのホラー雑誌みたいなのが、いまでいう漫画雑誌的な立場で、純文学として評価することは出来ないっていう、メディアの格、的な問題だけで語られている気配があります。今で言う、マンガは芸術じゃない、みたいなことを言うのと同じ感じで。



 ただ読者の数や、与えた影響の大きさ、で見れば、芸術よりもいわゆるエンタメのほうが膨大な桁違いの威力を持ってるわけで、カズオ・イシグロと尾田栄一郎、どっちが好き?みたいなことですわね。カズオ・イシグロなんてほとんど誰も知らないじゃん。ワタシは実は知ってたししかも英語で読んだし、それと結構好きなんですがね。それにカズオ・イシグロはどっちかというとエンタメ寄りの面白い作品を書くタイプでもあるので話がブレるんですけど。それにしたってノーベル文学賞を取るやつなんてほとんど名前を聞いたことも無いやつばっかりでしょう、わたしも8割まったく知りません。

 
 ちなみにこの小説はラヴクラフトの生前に唯一単行本化された本であり、ほかは雑誌だけの発表ということで、ラヴクラフトは生前はすごい貧しかったようです。ポーと似てるしあれですね、PKディックも同じような感じです。ガチで新しいことを始めるパイオニアってやつは、だいたいこういう人生だってことですよね。
 何か新しいことを始めたいって思う人はこういう人生を覚悟しろよってことですなぁ。

2018年1月11日木曜日

1912 彼岸過迄  夏目漱石

 序文で漱石自身によって作品の解説がされています、短編をいくつか書くがその短編が実は絡み合っていて、大きな長編を構成したら面白いのではないかという狙いでこういう作品を書いている。と。

 何か面白いものにしなければならない・・

というわけで、探偵小説風の短編連作みたいな作品になっています。

 何か面白いものを、っていうのは実は漱石はちゃんと考えるほうの人間で、オレは天才だ、わからないオマエが悪い。オレが連載を持ってるのをありがたいと思え、っていう人間じゃないんです、虞美人草など、読者がちゃんと興味を持てるように配慮した作品も書いています、彼岸、もそのひとつ。つまりはエンタメ寄りってことですね。新聞小説として連載してる以上、わかるやつだけわかれば良い。みたいなスタンスではないのですね、これは週刊連載のマンガもそうですね、なるべくたくさんの読者にわかるように作る、ジャンプのマンガは、だいたいは型にハマっています、ハマっているのではなくて、ハメていく作業なんですわね。斬新な手法とかで、意味わかんない・・って置いてけぼりにしてはいけないという狙いのわけ。


 漱石のエンタメ作品に言えることは、全然おもしろくないってことです。それは時代のそうさせてるもので、エンタメ作品ってのは時代の空気そのものなんで、娯楽作品は一瞬で錆びついてしまいます、それはそういうものなんだから仕方ないです。ファッションと同じで、その時代、のものだからその時代、の人間にしか理解できない。90年台のあの感じ、がわかってないとグランジなんてただのボロボロの普段着にしか見えないし、80年台のスーツは今からするとめちゃくちゃダサい、70年台のパンクはどう考えてもスタンドプレイが鼻につく、60年台のヒッピースタイルは今になってちょっとおしゃれに見える、50年台の禁欲的なスタイルが逆にちょっとエロチックに感じる、戦後まもなくのセカイは一切わからない。戦中は何をしてもすべてが神話のように輝いている、戦前の狂熱的な前衛主義はいくら憧れても届かない、20世紀初頭の蒸気と探偵の時代は、現代と近代が混じり合ったアナクロニックで貴族趣味のなんかファンタジーっぽいセカイ・・・っていうふうな調子。

 やっぱりこの時代はまだまだ貴族小説なんですよね、そうはいってもこの登場人物はほぼ全員貴族、生活するには別に何もしなくても下女がいて、そいつにまかせて自分は本でも読んでゴロゴロしているだけでもよい。そういう暇な貴族にとっては、暇つぶしである、恋愛、が最も大切なゲームで、恋愛至上主義的なノリが展開されている。それは王朝時代の宮廷小説でもそうです、誰と恋愛して結婚するか、それが人生の70%くらいのテーマになってる。

 この小説も基本的には、恋愛トークでして、女は学問が無いので本当にわかりあうことは出来ない。というのが主なテーマだと思います。

 漱石にはずっとこの「学問を積むと女と本当に理解しあうことが出来ない、ココロが通わない」っていうのがテーマになっています。文明開化して科学的な知識がつくと、女性、がいかにくだらない低レベルなことを拘泥して生きてるのかってのがわかってしまう。
 インテリは、恋愛至上主義を信じることが出来なくなってしまう。そしてだんだん生きてく意味がわからなくなっていく。

 これは今でもまったく変わらずその通りの問題で、インテリの99%は女ってのはバカだな・・・って思ってるので、まぁ性欲との兼ね合いだな、っていうドライな境界線を引いて、ココロを本当は開いていないものだと思います。けど恋愛至上主義に変わる、何か生きてくモチベーションみたいなものは結局は見つかってない、貴族、でなくなったので資本至上主義的にカネを稼がないといけないので、忙しくって考える、ことをすでにやめてるっていう感じですね、そりゃ誰も小説なんて読まなくなるはずだ。

1999 クロノクロス

 クロノ・トリガーの続編、なのですがクロノ・トリガーはものすごく有名で流行ったような記憶があるのですが、クロスのほうは全然知らないのは一体なぜ?またワタシのゲームのエアポケット時代の作品なのでしょう。

 クロノ・トリガーは鳥山明デザインでスクエア制作という、FFとDQのいいとこどり!これは事件だぜ!っていうものすごい煽りがありつつ、ゲーム自体もゲーム開始からいきなりラスボスに挑戦出来るみたいな、ちょっとお祭りゲームみたいなノリがあってなかなか良くできてた記憶があります。マールっていうヒロインと、カエルの剣士、そして虹、という武器があったのをすごく覚えてる。

 クロスがいまいち有名じゃない理由の第一は、デザインが鳥山明じゃないんですね、えっ!?じゃあクロノ・トリガーと関係なくない!?って感じでしてまさにその通り、ゲームシステムとかもほとんどなんの関連もない、プロットのはしばしにちょこちょこと初代の用語が出て来るぐらいで完全な別ゲームです。だから続編を期待してた人にとっては肩透かし、えっ?なんか・・違う・・・ってことになったのだと思います。

 キャラデザに関してはこれはもう断然初代のほうが良かった、完全に劣化、なんなんこのイラスト・・?っていうくらいイラストのクオリティは低い。それと変わって3DCGが当時としてはめちゃくちゃよく出来てます、イラストよりもモデリングのほうがキレイという珍しいケース。この時代としてはまさしく最先端の技術がふんだんに使われています、ムービーもやたら多い。当時のパソコンでよく処理できたなぁ・・っていう映像。ムービーじゃない普通のダンジョンも使いまわが少なく(まぁアナザーワールドっていうのはまったく同じなのですべて二回使ってるとも言えるのですが)、これはどういう技術なのか知りませんがとても良くできておりま。

 そしてプロットは、なんというのでしょう、妙に深い。さらっとしたセリフの中にちょっと子供向けとは思えない、キレのあるコトバを放りこんでいます。簡単に言うと、パラレルワールドものなんですが、もっと別の生き方があったんじゃないか?もっと別の暮らしが出来たなら?っていうのがテーマでして、主人公はパラレルワールドでは死んでしまっているという設定。割りとサクサク人が死ぬのもこのゲームの特徴。人間が星を滅ぼしたみたいな自虐的なネタも多数、ちょい鬱ゲーちっく。
 

 問題点も多数あります。まず誰もが思ったでしょうけどホームとアナザーのマップの作りが同じなのでどっちがどっちか全くわからん。あとキャラもホームとアナザーに二人いるので、こいつはホームのあいつ??アナザーのあいつ??どっちがどっち??ってなって全然ストンと入ってきません。BGMの暗いほうがアナザーっていうのがワタシの認識ですが、これは個人の感じ方次第。
 あとダンジョンから脱出するリレミト的な魔法が無いのがすごい困ります、いちいち歩いて戻るのがクソ面倒です。
 あとレベルというのがなくて、ボスを倒してシナリオをすすめるとレベルスターっていうのが手に入ってレベルが上がるというシステムなので、つまりはレベル固定です。レベル固定ということはつまりちゃんと勝てるレベルにしっかり決められているので、どうも神様の手の上で転がされてる感が否めない、手に入るアイテムとかも全部決まってるというわけで。自分で進めてるというよりも、イベントごとのミニゲームをやってるような気分にされちゃいます。育成の自由度も低い。あとザコを倒してもほとんどメリットがないので雑魚戦が苦痛でしかない、経験値とかねーし。素材がてにはいりますがほぼ使わない。

 50人近くキャラがいますが、ほぼ90%使わないです。先天属性があって、それぞれの使いみちがありそうですが、主人公は強制加入、盗む要員ファルガはほぼ固定も同然、ヒロイン的ポジのキッドはずっと抜けてるので使えないです。つまりあと一人はだれにするか?なんですが、後半は結局殴るのが一番強いというスクウェアゲームあるあるでしてw、魔法キャラは必要なし、打たれ弱いので使えないです。死亡回復手段も少ない。最後の一人は別に誰でもよいですが、ワタシは筋肉もりもりの鉄仮面を選んで、なんかむさ苦しいことこのうえないパーティになってしまいましたw

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 物語全体として、え・・、これはアナザーの話のことなの?ホームのことなの??って見失ってしまうし、これが一番の大問題なんだと思いますが、プロットを詰め込み過ぎました。超古代魔法文明、超科学の発展した未来文明、タイムワープ、次元移動装置、古代の龍達の文明、星を食い尽くす化物ラヴォス・・・、ネタバレすると、たぶんですけど、ものすごいミライの文明のマザーコンピュータ的なフェイトというセカイの運命を決めている装置があったのですが、主人公の仕業でそれがバグった。フェイト達の文明は恐竜たちの文明と時空移動したところで戦争して結果フェイト達が勝利して龍たちは封印された。主人公たちは実は龍たちに導かれて、フェイトを倒すように仕組まれていた、龍というのは実は龍ではなく 星のエネルギーそのもので、龍という形に擬態しているにすぎない。星や自然をめちゃくちゃにした人間達を龍は滅ぼそうとするので、龍と戦うのである。しかれども最終的には龍と戦うことですらなくて、ラヴォスに取り込まれている母親的なヤツに自然と調和的なことで癒やしを与えるとなぜだかすべてがオッケーになり、すべては別のセカイのこととして生まれ変わるのだ・・・

 っていう話だと思います、たぶんw 明らかに詰め込みすぎ!!中2の漫画の構想じゃないんだから面白いことを全部入れてみましたみたいになってるので絶対に整理したほうがいいです。それによくよく考えるとめちゃくちゃだ・・っていうのも多いです。フェイトというシステムはヤマネコというネコの化物になって色々悪さをしてるんですけど(実はヤマネコは主人公の父親だと最後にわかる!?)、いやいや・・なんで超未来のマザーコンピュータがよりによってネコ人間に変身するん・・?ってのもあるし、じゃったら主人公のカラダ乗っ取る必要ねーじゃんってことになるし、主人公たちが龍たちにうまく利用されてるならさっさととどめをさせやって思うし、龍たちは基本全然助けてくれねーし。
 はっきり言うと超展開です。スターオーシャン3ほどではないにせよ、なんか牧歌的な世界観から急激にクロノポリスみたいな差が激しすぎ。ですが、セリフ回しというかエピソードの一個ずつは結構暗くて、重めで、暗くて重い、バッドエンド好きのワタシとしては、なかなか良いと思いました。もっと的を絞ったほうが良かったですよね、超未来の科学と戦うでもいいし、龍と戦うならそれでもいいけど、両方をぶっこむとなんのこっちゃわけわからん、そしてさらにパラレルワールドですからね。
 あとキャラも多いんです50人くらいいる、ほんとブッコミすぎだろ!っていう感じw 黒澤明じゃないですが、マジック7。主要なキャラクターというのは7人までに絞ること、そして一言で説明出来る内容にすること。これが物語を作る上での鉄則です。
 50人もキャラがいては深く掘り下げることなんて到底不可能。

2018年1月4日木曜日

1911  現代日本の開化 夏目漱石

 夏目漱石による演説です。

 現代日本の開化というのは、どうしても必要だったので無理にやった上滑りの開化であるが、そうするより他に無いのだから仕様がない、不幸な結末である。というような内容。

 文明というものは、労力の節約、つまりは楽をしたいという願いから発展してきたものであるが、文明がどんどん進んでも、競争が激しくなるばかりで、楽が出来るどころか、生活は心配と不安ばかりで、野蛮時代とほとんど何も変わらないのではないか?
 
 また西洋が自発的に時間をかけて作ってきた文明を、半分以下の時間で追いつこうとする日本の開化では、西洋人の何倍もの努力が必要となり、結果として神経衰弱に陥ってしまうであろう、みたいなことを言ってます。


 確かにそのとおりで、文明は漱石の時代から100年もたって進歩しましたけれども生活は楽には決してなっていなく、むしろ忙しいというかどんどん時間が無いという次第、税金はどんどん高くなり、物価はどんどん上がり・・・、みたいなことで、文明の進歩より生活は楽になり、快適に生活の心配なく暮らせるというふうには全然なっていない、そしておそらくこれからもそうはなっていかないという気がしています。


 漱石も言っていますが、西洋のほうが強いのだから西洋のルールに従うほかはない。それが真実でして、真実というのは知らないで良かったと思うものかもしれないと言っています。文明が進歩するには競争しなければいけないわけで、文明がいくら進歩したってそれだけ競争をしていかなければならないのだから永久に生活が楽になることはないし、競争をやめれば、滅びるしかない。それが文明の真実、なのですが、かといってどうしようもない。

 不幸な真実ですね。

2018年1月3日水曜日

1910 思い出すことなど 夏目漱石

 ーーーー自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。ーーーー


 漱石は大量の喀血とともに臨死体験をして、死を感じることによって別のフェイズに移っていく、そして今までちょっと演出過多なんじゃないか?という感想だったドストエフスキーの境遇に惹かれていき(漱石は現代人はハッキリ自分の感情を表に出すことはない、ドストエフスキーのキャラクターってのはリアルじゃないと感じていたみたいですね、たしかにドストのキャラみたいな人間は、現実の世界には極めて稀にしかいない、写実というより思想や運命が肉体化している、今で言うなら概念の擬人化ですね)
  それ以後の作品に影響するようになった、といいます。この作品夏目漱石が1910年夏に血反吐を吐いて死にかけて、ギリギリのところで回復した経験から、それがどういう顛末だったのかということを書いた随筆のようなものです。



 有名なところとして漱石の宇宙論みたいなのが、7章あたりにあります。宇宙の誕生とか地球の誕生、人類の誕生ということから考えると、一人の人間が生きていることなんてほんの一瞬、無意味というコトですない、ただの偶然にすぎない。みたいなネガティブなことを、超一流の文体で書いてあります、病み上がりなのにこの文章の冴えはなんだよ!元気じゃねぇか!ってツッコミたくなるくらいすごい文章力です。ボクがガンダムを一番上手く使えるんだ!じゃないですけど、やっぱ文章力においてはこのヒトにはかないっこないですよ、だって自分で生み出したものなんですもの。そりゃ自分が一番上手く使えるわけだ・・・。
 文体、そのものを生み出すってことをしない限り漱石を超えることは出来ないってことですよね、しかし今更、まったく新しい文体を生み出すなんて出来るのでしょうか、文章、の書き方自体を変えるってことが。
 この作品も日記的スタイルで事実をたんたんと書いているようで、全体として季節の移り変わり、というのをキチンと構成してまとめあげてる。これは漱石の作品のほとんどがそうだと思います。季節の変化と心情とか状況の変化がリンクしていて、最後に新しい季節が来て終わる。こういうとこも憎いなぁ・・。素直にこのヒトは上手いなぁと思ってしまいましたねw


 
 死、っていうものに触れて、実生活、というものから自由になり、競争とか作品の善し悪しなどももはやどうでもよくなり、風流、というものに興味を持ち出した。みたいなことも書かれてあります。確かに風流、っていうのは西洋の物語には一切登場しない概念ですよね。なるほどって思いました。一つまえの記事に書いたんですけど、風流ってのはつまりかっこいいってことなんじゃないの?ってワタシは思いました。

 非合理的なかっこよさっていうのか、我利我利、ではない行動。かっこいいってのはどういうことなんでしょうね?

 それと自分は商業作家でそれを生業としてるのにもかかわらず、商業的な作品を軽蔑してる・・みたいなことも書かれています。わかる!w 自分もそれでメシ食ってるくせに、他のヒトも同じようにそれでカネを稼ごうとしていると、こんなのはクソだ、って言ってしまう。クリエイターってのは基本は自己中のクズの集まりですからなぁ・・・。


 なんにせよ、小説のテーマっていうのは色々あるように思えて極端に言うと、恋愛と死、の2つの大きなテーマしかないです。人間が興味があることがつまりはその2つしかないと言ってもいい、セックスと戦争、それ以外に何を書いたらいいのかちっともわからん。
 この喀血による臨死体験以降を後期漱石とするのが一般的な流れ、そんな作家の人生に前期と後期の分かれ目なんてあるわけないんですけど非常にわかりやすい区切りではあります。

 けど臨死体験で死にかけてる、なんていってるけどまだ漱石はこの時44才なんですよ、今だったらむしろ若いっていうか、クリエイターとしてはピークの年齢って感じじゃないですか?それなのに死、っていうのが身近に迫ってる。やっぱ命短しですよね、戦前の世界ってやつは、それは作家としては圧倒的に善いことだと思いますけどね。
 やっぱ人間ってのは弱いもので追い詰められないと仕事しないものです、死が近いってのをこんなに切実に感じた以上、漱石も、本気を出す時が来たな・・と感じたと思います。

2000 ベイグラントストーリー

 ベイグラントストーリーというたいとるなんですけど、 Vagrant Storyという英語をそのまま発音するとヴァグラントストーリーな気がするんですけど?

 まぁPSで出たスクウェアのアクションロープレ?です。

スクウェアらしい野心的な作品で、アクションロープレなのか、ターン制なのか?非常に独特のバトルシステムを持っています。その上に、強化システムも独特で単純なレベルではなく、武器防具の強化、それはまだ普通ですが、種族相性、属性相性、ファントムポイント、武器の耐久度、部位破壊、リスクポイントなど、入れ込みすぎなのでは?というくらい様々なパラメータが複雑に絡み合ったシステムとなっていて、その様々なダメージ計算の結果、全然ダメージが通らないw という謎のバランスになっています。

 ウソみたいにダメージが通らなくて、結果としてはタイミングよくボタンを押すと連続攻撃出来るチェインをつなげて、HPのX%、みたいな割合攻撃でいかに削るかというゲームとなっています。その結果武器自体の性能なんてどうでもよくて、どうやってチェインをつなげるかという目押し重視のタイミングゲームになっているので、アクション、的要素が多いです。
 裏を返すとこのチェインを繋げられないと勝てないので、時間をかけてレベル上げれば勝てるというわけじゃないので、出来ないヒトにはクリア出来ないタイプのゲームです。ボスなどの攻撃力も序盤からかなりのもんで、3発くらいで落ちますし、さらにクリティカルとかでワンキルもザラになってきます。
 基本的に主人公は強くなっていかないので(ボス倒すとHPとかが3、とかアップしますがまじで雀の涙w)後半はもうワンキル魔法のオンパレード、威力的にほぼワンキル確定だったり、バニシュ、という魔法に関しては、現在のHPと同じだけダメージという意味不明のインチキ魔法w そして防御手段は基本的に無い。インバリドスペルという魔法を一度無効にする魔法があるのですが、それをとにかく常時かけ続けないといけないというわけ。さらに魔法を封じるサイレントに関しては回復方法が無い。サイレント状態でバニシュされると確実に死ぬ。とにかく敵は圧倒的な攻撃力、対してこちらの攻撃は1とか2、そしてたいていはミス。
  さらに悲しいお知らせですがラスボスは高速で空を飛び回るために弓矢以外の攻撃を当てるのはほぼ無理ゲー、いくら武器合成などをしたり、好きな武器を使ったりしてても、最後は弓矢でチェインをつなぐほかない。ラスボスの魔法も即死的な威力で、唯一の対抗手段は弓で落とすことのみ、という悲しい結末w
 というわけでバランス的には完全にぶっ壊れてるゲームです。非常にストレスが溜まるというのがわかる、かなりのマゾゲーです。このゲームテストプレイしたの??って思うくらいのぶっ壊れバランス。まぁプレステの時代ですら、テストプレイでバランス調整ってのはまだまだ詰めきれて無いって時代だったのですよね、今でもこれほんとにデバッグした!?っていうゲームはザラにありますし。DQくらいですよねバランス調整で大ミスしてるってことがないのは。

 ゲームをずっとやりながらチェインをつなぐタイミングを打つのがうまくなっていくというゲームだと思います、チェインさえつなげられるなら、相手になにもさせずに1ターンで殺せる。ラスボスですら1ターンキルも結構普通に出来る。1週目だとこのゲームのほとんどの機能を使わないで終わってしまいます、武器の合成なんて一回もやらないし。(というか最初に拾った弓矢だけで最後まで勝てるし、攻撃魔法なんて一回も使わないし)、二週目をやるとやっと普通のゲームっぽいバランスになるみたいです。そうはいってもやっぱり弓でチェインつなげると勝てるので意味無い気がするけど・・・。

 最終的にワタシは普通に10チェインくらいは平均で出せるようになりました。弓矢のタイミングなんですけど!マークが出てから打ってるのでは基本無理。アシュレイが弓を構えて、弓が出てちょっと下がるタイミングを見ながら打つのが一番良いと思います、アシュレイの手先だけ見ればよい。


 ちなみにシナリオはいわゆる1シチュエーションもので、ずっと生贄のために魔法の実験場にされてきた廃都みたいなので物語は進行し、他の場所は一切出てきません。こういうワンシチュエーションものってのは、ゲームや小説としては風呂敷を広げすぎないのでスッキリ収まる、作家としては構成力が求められるもので、まぁまぁってところでしょうか。そこまで深い物語ではないとも言えます。あっさりしてる。
 デザインは割りと好きです、いつもの吉田明彦タッチ、いまだとグラブルが吉田明彦タッチですよね、絶滅危惧種のアナログタッチ(まぁ当時はそんな珍しくもなかったけれど)なのですぐわかります。
 ファミ通のレヴューで満点を獲得した唯一のPSタイトルとありましたが・・・?ん?このバランスで!?ってワタシは思いました。確かに斬新で尖ってるのは間違いないです、ユーザーにほとんど媚びてないし。けど満点とはいかないですなぁ・・・