2018年1月11日木曜日

1912 彼岸過迄  夏目漱石

 序文で漱石自身によって作品の解説がされています、短編をいくつか書くがその短編が実は絡み合っていて、大きな長編を構成したら面白いのではないかという狙いでこういう作品を書いている。と。

 何か面白いものにしなければならない・・

というわけで、探偵小説風の短編連作みたいな作品になっています。

 何か面白いものを、っていうのは実は漱石はちゃんと考えるほうの人間で、オレは天才だ、わからないオマエが悪い。オレが連載を持ってるのをありがたいと思え、っていう人間じゃないんです、虞美人草など、読者がちゃんと興味を持てるように配慮した作品も書いています、彼岸、もそのひとつ。つまりはエンタメ寄りってことですね。新聞小説として連載してる以上、わかるやつだけわかれば良い。みたいなスタンスではないのですね、これは週刊連載のマンガもそうですね、なるべくたくさんの読者にわかるように作る、ジャンプのマンガは、だいたいは型にハマっています、ハマっているのではなくて、ハメていく作業なんですわね。斬新な手法とかで、意味わかんない・・って置いてけぼりにしてはいけないという狙いのわけ。


 漱石のエンタメ作品に言えることは、全然おもしろくないってことです。それは時代のそうさせてるもので、エンタメ作品ってのは時代の空気そのものなんで、娯楽作品は一瞬で錆びついてしまいます、それはそういうものなんだから仕方ないです。ファッションと同じで、その時代、のものだからその時代、の人間にしか理解できない。90年台のあの感じ、がわかってないとグランジなんてただのボロボロの普段着にしか見えないし、80年台のスーツは今からするとめちゃくちゃダサい、70年台のパンクはどう考えてもスタンドプレイが鼻につく、60年台のヒッピースタイルは今になってちょっとおしゃれに見える、50年台の禁欲的なスタイルが逆にちょっとエロチックに感じる、戦後まもなくのセカイは一切わからない。戦中は何をしてもすべてが神話のように輝いている、戦前の狂熱的な前衛主義はいくら憧れても届かない、20世紀初頭の蒸気と探偵の時代は、現代と近代が混じり合ったアナクロニックで貴族趣味のなんかファンタジーっぽいセカイ・・・っていうふうな調子。

 やっぱりこの時代はまだまだ貴族小説なんですよね、そうはいってもこの登場人物はほぼ全員貴族、生活するには別に何もしなくても下女がいて、そいつにまかせて自分は本でも読んでゴロゴロしているだけでもよい。そういう暇な貴族にとっては、暇つぶしである、恋愛、が最も大切なゲームで、恋愛至上主義的なノリが展開されている。それは王朝時代の宮廷小説でもそうです、誰と恋愛して結婚するか、それが人生の70%くらいのテーマになってる。

 この小説も基本的には、恋愛トークでして、女は学問が無いので本当にわかりあうことは出来ない。というのが主なテーマだと思います。

 漱石にはずっとこの「学問を積むと女と本当に理解しあうことが出来ない、ココロが通わない」っていうのがテーマになっています。文明開化して科学的な知識がつくと、女性、がいかにくだらない低レベルなことを拘泥して生きてるのかってのがわかってしまう。
 インテリは、恋愛至上主義を信じることが出来なくなってしまう。そしてだんだん生きてく意味がわからなくなっていく。

 これは今でもまったく変わらずその通りの問題で、インテリの99%は女ってのはバカだな・・・って思ってるので、まぁ性欲との兼ね合いだな、っていうドライな境界線を引いて、ココロを本当は開いていないものだと思います。けど恋愛至上主義に変わる、何か生きてくモチベーションみたいなものは結局は見つかってない、貴族、でなくなったので資本至上主義的にカネを稼がないといけないので、忙しくって考える、ことをすでにやめてるっていう感じですね、そりゃ誰も小説なんて読まなくなるはずだ。