夏目漱石が学習院大学で行った講演だということです。
内容は個人主義、について。まぁ漱石先生というやつは非常にまっとうなことを言う人間です。キレイゴトを大上段から振りかざしたりもしないし、右派的で保守的なゴリゴリの権威をふりかざしたりもしない。常識、バランスのとれたヒトです。
漱石先生が自分の人生を通して、他人の意見や、西洋の意見をただ借用するのではなく、自分の意見を言うべきだ、ということ、自分の考えを一から組み立てて創作をするようになったということを言ってくれます。まぁいい演説ですこと、私は実体験で、こいついい話をしよるなぁ、という人間に会ったことがありません。演説の上手な人間、大衆の前でしゃべることの出来る人間っていうものに。ヒトラーやキング牧師などは伝説上の人間です。
ヒトラーとキング牧師を並べるのはどうかって思われるかもしれないけど、明らかにキング牧師のしゃべりかたってのはヒトラーの喋り方にすごい似ていて、大衆を盛り上げるテクニック、っていうのはかなり丸パクリだと思います、内容が真逆というだけでテクニックは同じ。
つまりは繰り返し、です。いやみったらしいくらい同じことを繰り返す。この繰り返すってのが演説、ってものの本質で、選挙演説でただ名前を連呼してるのもこの基本に忠実なんだともいえます。
漱石先生のそれってのはそういうたぐいの名演説ではなくて、しっかり聞くとなるほどなぁという内容をきちんと持っているものなり。
漱石先生っていいますけども、漱石は49で死んでますから、すごい若々しいというかなんていうのか、老成したような意見を最後まで言わない、ずっと漱石がみずみずしい感覚っていうのを持たせるのは、老いぼれた漱石ってのが存在しないからなんですね。漱石の文体、ってのは新鮮さ、っていうのが主軸なのかもしれません。
最終的にはこの演説は国家主義と個人主義というテーマになるのですけども、国家主義、っていうと今では悪の代名詞的な感じですけど、特にこの日本って国では。
でもキレイゴト、って国家主義の倫理なんですよね。トモダチを大切に、とか社会の為になるように一生懸命働く、などなど、全部国家主義、の価値観です。道徳、っていうものは国家主義から来てる、けど実際の社会は個人主義、それも漱石が考えているような義務をもった自由による個人主義じゃなくて、単なる自己中心主義としての個人主義です。道徳の教科書の言うとおりに生きたらすぐに借金地獄で首をくくるハメになるのはそういうわけ。
今では道徳、や倫理、っていう学問自体が存在しないものになっているようですが、時間がないのでこのへんで失礼させて頂きますw