2018年2月22日木曜日

武蔵野線 人身事故  安楽死制度について

 今日の朝、ゴリゴリの早朝に武蔵野線 船橋法典駅で人身事故があって武蔵野線は完全にDEADになっていました。

 わたしも間接的に影響を受けて電車の中で30分ほど缶詰にされてしまいました。
そのあともどえらい混雑してたみたいですね。武蔵野線はもう機能停止になってたみたいだし。(まぁ武蔵野線はごつい名前のクセにすぐ止まるで有名なんですけど)



 人身事故っていうか投身自殺だったみたいですけど、この人身事故ってなんやねんって学生の頃からずっと思ってましたね。なんかぼやかしてる、変死した。みたいな言い方。変死ってなんやねん。変じゃない死に方なんてあるの?安楽死くらいじゃないですかそれ。
 同じように非常事態における自衛権、みたいなのも、非常事態じゃない時の自衛権なんて存在しないだろっての。通常状態での戦争状態、ってどういう状態なの?って話ですし。

 駅のホームからヒトが飛び降りて死にました、遺体の処理の時間がかかっています。でいいと思うんですけど、そんなこと言うんじゃねぇ!!って怒るヒトがいるのでしょうかね?そんなことよりも事態を正確に伝えて欲しい。事故で生きてて救出してるのか、すでに死んでて後処理をしてるのか、でこっちの心境も違いますもの。


 で本当のテーマはそこじゃなくて、やっぱニュースってtwitterが一番早いなぁってことです。昔は2chのニュース板が最速である、ってことを言われてましたが、今一番速度の早いニュースソースはそうはいってもtwitterなんだなってのを再認識しました、事故現場の様子とか駅がどういう状態か?ってのを一番最初に伝えてくれる。2chだってニュースとしてあがったものを転載してるだけですけど、twitterは即現場からのレポートなわけで確かにそれを上回るスピードってありえないですからね。
 もはや宣伝とかPRとかにしか使われなくなってきたTwitterですけど、ニュース速報ツールとしてまだまだ使いみちがあるなぁと思った次第です。



 それにしたって朝の6時に自殺ってどういうことやねん、って思いますね。早起きかよ!っていう。それとも眠れない夜をずっと待っていて決行したのでしょうか。


 これは世間一般には絶対賛同されないことなんですが、ワタシは自決補助制度ってのを作ったほうがいいと思うのです、安楽死賛成派。よくこういう人身事故で、ふざけんな、クズが、勝手に死ねや、ヒトに迷惑かけんな!っていうストレートな意見を言うヒトがいます。
 まぁそれもわかるんですけど、じゃあ自殺したいときにヒトに迷惑かけないやり方があるの?っていうとこの国では自殺は禁止されてるので無いわけです、だから上みたいにふざけんな!派のヒトよちょっと待てよ、ってワタシは思うわけです。自殺する派のひとにすれば、ふざけんな、の言い分は、食うものなければケーキ食えばいいだろが!!って言われてるような話になってしまいます。


 自殺が禁止な国でも銃が売ってる国は話が早い、拳銃自殺ほど簡単なものは無さそうだし、痛くなさそうな感じもする。銃が売ってる国で電車に身投げするヒトはたぶん相当少ないはずです。
 銃殺ってのは残酷なように思えて実は慈悲深いやり方なんですよね、なんでって銃弾はタダじゃねぇからです。ゴヤの絵で銃殺の絵があり、ナポレオン軍はなんてひどい!!っていうのを強調したかったみたいなんですが、銃殺するなんてナポレオンはやっぱ紳士だな。と思ったのはワタシだけでしょうか?

 銃殺に弾薬を使うのは勿体無いというわけで、日本軍は・・・を焚き火にしたりしてました。これはほんとゲスの極みです、最低最悪です、生きたまま焼いて殺すなんてほんとクズかよ!って話ですよね。ユダヤの強制収容所も最終的には餓死するまで放置、ということになっていてこれも本当最悪です。


 話は逸れまくってしまいましたが、やっぱり安楽死制度は必要だと思います、人身事故も減るだろうし。洗剤を混ぜるような輩も、おそらく危険ドラッグに走るひとも減ります。クソかよ!!ってキレてる方々、ただ怒ってるだけじゃなくて安楽死制度を作るように働きかけるほうが建設的な意見だと思います。
 もちろん安楽死制度が整備されない理由もわかってます、こういうのにムキーっ!ってヒステリックにキレるBBAも大量にいて、そういう連中からの票が減るし、さらに欧米ではキリスト教が自殺を禁止してるので、そっからの票も落としてしまいます。政治家は嫌われないのが仕事なんで、建設的ではあるがリスキーな法案を通そうなんて志を持った政治家はいませんものね。




 さらに付け加えると商業出版では自殺を擁護したりそれを進めるような表現、というのは実質禁止されています、出版社が叩かれたくないので自主規制ってことなんでしょう。安楽死制度を議論する、こと自体が禁止されてるわけです。けどみんなで議論して決める、ってのが民主主義なんだとしたら、議論すること自体禁止したら、それはもうカミサマが決めたので議論の余地なし、的な扱いで、それを許すと、はいこれもカミサマが決めたことなんでダメー、議論出来ませーん、ってことで、全部「カミサマがそう言ってるんで」方式で押し切られてしまうことになります。


 それにパット見自殺を擁護してるように見える作品なんていくらでもあります、サド、バタイユ、プラトンみたいな古典、特にキリスト教化がされてないギリシャ哲学系とかにはいくらでもあるし、太宰治の「人間失格」なんてまさにだし、最近とりあげた夏目漱石の「こころ」、だってどこにもそれでも読者の皆さん、自殺なんてしちゃだめだぜ、なんて言い訳は書かれてないです。


 無駄な争いは避ける、さっきの政治家スタイルのやり方、があらゆる所に蔓延してますよね。いらん揉め事は起こすな。バカと話し合っても無駄、クレーマーはクレーム言いたいだけの連中だから無視するに限る。とりあえずはいはい言うこと聞くフリだけしとくという。「議論を避ける」、のがむしろ優しさ、スマート、みたいな感じになっています。


けどこの「バカとは関わり合いになりたくない」、ってのは「民主主義」なんてイヤだってのと同じことですからね、自分と意見の違う人間とは関わり合いになりたくない。世界的にこのアンチ民主主義、的な感じ、ってのを受けます、そしてワタシもそういう感覚はすごいわかる。わかるゆえに、良くないなぁ・・・とも思う、パッと見、嫌だなぁと思っても、イヤイヤ、実際は違うかも、って手を出してみる人間でありたいもんですね。