講談社ブルーバックスっていう、講談社の科学とかの新書ですね。このブルーバックスっていうの読むの初めてかもしらん。
この筆者が言うには、すべては「場」の理論で説明できるってことみたいです。量子論も場、であり、素粒子も場の振動、時間も場、時間が流れているのは、ビッグバンの爆発のエネルギーが時空をエントロピーが増大していくということが「時間が流れる」。ということらしいです、たぶん。
この相対論、量子論みたいなのを解説した本無数にありますけども、語っている人によって言ってること全然違うのですよね。学者の信条によって法則が変わる。じゃあ法則、じゃあないじゃんって気がしますけど、それは法則、原理主義的発想なのかもしらん。
コンセンサスが取れた一般的な理論です「場」の理論は。っていう書き方をしてますけど、ほかの本だと、世界はヒモ、だったり、泡、だったり、高次元宇宙だったり、無から発生した量子が無限のエネルギーを持っていたりします。他の人は無、なんてない!という。
この場、の理論も、え?「場」はじゃあなんなん??ってのをまったく説明しません。場はあるのだ!場があることを前提として話を進める。っていうことになっています。これはビッグバン以前にも場は存在してるっていう前提なのかしら?っていうかビッグバンってなんやねん。謎すぎるだろ。
正直わかんないことだらけです。
だけどそれが量子論ってことなのかもしらん、真実が一個じゃなくてゆらいでる、いかようにも解釈できる。
物理法則がはっきり一個で、はいマクスウェル方程式を覚えましょー!っていうことはできない、いくつも量子論は存在するってことなのかもしらん。量子論は永久に完成しないものなのかもね。
そもそも物理学はなぜ?ってことに答えるものじゃなくて、物理のふるまいを分析するだけで、理由は問わないものなのかもしらん。
これは数学の世界でもそうみたいです、おれはそんな数学認めない、そんな前提はダメだ!いやありだ!みたいな、数学なのに答えが一つにならない、それぞれの主義主張の問題になってくる。
つまりは「相対的」になってるんですな。