2025年8月16日土曜日

RTA in japan 2025 Summer 感想   任天堂法務部

   もはや一年で一番楽しみなイベントの1つになっているRIJ。コミケよりもビッグなイベントになっているとワタシは思うものなり。

 今年は任天堂法務部の圧力によって任天堂タイトルがなくなり、代わりにインディゲームが多かったと思います。

 知名度があまり高くない、今まで知らなかったゲームがいっぱい見れて楽しかった。たぶんこれからイベントが大きくなれば、さらに企業とか版権もののビッグタイトルは使えなくなっていくでしょう。 

 でもインディゲームや、独立系のクリエイターに陽の目が当たるチャンスが増えていくのは未来があっていい方向性でもあると思う。有名タイトルばっかりではだんだん広告じみてくるのは目に見えていますから。 

 

 といってワタシは任天堂が悪い、と言いたいのではないのです。むしろ偉いと思った。こういうチャリティイベントでもなんでも、法人で任天堂のものを勝手に使うやつはどんなやつでも訴える、という「公平」な扱いってことなんでしょう。さすがに法律、ってものをちゃんと理解していますね。

 

 「善」や「正義」であれば、法律無視していい、と考えるヒトが非常に多い。トランプが不法移民を送り返そうとするのは非人道的だ・・云々。

 別にワタシはトランプ支持者でもなんでもないのだけど、そりゃそういう「法律」なんだからそうするでしょう。とワタシは思う。法律を文字通り運用して責められるなんて筋が通ってない。

 移民を受け入れたいと思うなら、それを法として成立させて、どうぞ移民を受け入れて下さい。

 「正義」のためなら全部無視していいっていうなら、選挙して、議員を選んで・・ってやってるプロセスは全部無駄になっちまいますからね。

 

 あなたの考えている「正義」や、「善」、がみんなと同じものだとは全く限りません。そして仮にみんなそう思ってるなら、そういう法律を作れないわけがない。


 でも実際古代から、情状酌量、忖度、超法規的措置、みたいな感情的なふるまいをするほうが、法律をきちんと運用するよりも大衆が好むものなのです。「公平」であることほど我慢できないことはないですから。 

 中国の古代国家「秦」は法律を文字通りそのまま運用したから、腐敗官僚たちが、おめこぼしされないことにヘイトを集めて滅んだ。

 


 国家が腐敗しきっていて、法律も悪法ばかり、上からの指示に従っているだけでは何も変えられないって時に行動を起こすこと、いわば「仁侠」、「革命家」たろうとするならば、ワタシはそれを否定するものではない。

 

 でも日本やアメリカは、現状は選挙は不正ではなくてちゃんとやっております。滅茶苦茶な悪法ばかり、ということもない。

  だから任天堂の言う通り「正式な手続きを踏め」、チャリティだから見逃せなんてなめるな。ってのは至極妥当な要求と思うものなりけり。

 そしてちゃんと手続きをしたとしても、任天堂は拒否するでしょう、なんの得もないから。 

 でもそっから誰かの作ったゲームに頼らず、ゲームも自分たちで作り始めたら新たな創造の場が生まれるってものです。