2018年10月21日日曜日

2013 意識はいつ生まれるのか  マルチェロ・マッシミーニ  ジュリオ・トノーニ

この本は珍しく邦題が冴えている本で
「意識とはなにか?」
 というタイトルではなくて
「意識はいつ生まれるのか?」
 というタイトルなのです。

 意識とはなにか?というタイトルだと、結局は抽象的観念論で、物理的説明は一切ない、ものになりがちですが、意識はいつ生まれるか?となると、これは医学的、な問題で、物理的な解説、測定が可能になるのです。

 実際のタイトルはやたら長くて、こんなに巨大なものはない・・・意識の秘密とその測定・・みたいなタイトルです。確かにこれは直訳しても誰も買わない。

 とにかく「意識」とはなにか?っていうコトバの定義的な、いつまでたっても堂々巡りみたいな議論をスルーして、意識がある状態と、意識が無い状態をどうすれば、物理的な計測が出来るのだろうか?っていうことにフォーカスしています。だから哲学的議論は無しですんでいるのです。

逆を言えば「なんで、物質、に意識、が宿るのか?」っていう究極命題については殆ど触れていません。それが知りたいヒトにはがっかりな本でもあります。問題のすり替えをしてるのです。
 原子の積み木をしていたら、突然、ある日その積み木に意識が宿るのか?ってことです。
 本の最後の方に還元主義についての話があります、物事はその最小の単位を理解すれば説明がつく、ってわけです。それで確かに物理学などは大きく発展してきて、つまるところは電子の働きだ!ってことで、だいたいの運動がそれで理解出来るってわけです、さらに原子の中の素粒子まで捉えようっていういきおい。
 最小単位、の働きさえ理解できれば、それ以降、その積み木のブロックが組み合わさってるだけだからすべて理解出来るだろうっていう。

 意識、の問題はその還元主義が万能じゃないってことを証明してます。還元主義ってのはつまり、数学、のことで、数学じゃ捉えきれない問題もあるんだよってことだとワタシは思います。数学ってのは相互に作用する全体、みたいなのを記述出来ません。この本で言うところの統合されている全体、ってのを表す方法が無いのですね。だから未だに喘息も治せないし、花粉症も治せないし、病院に行っても原因不明ってことばっかしなのですわね。細胞一個一個の働きはわかってるけど、全部が相互作用してるとよくわからんというわけ。


 セカイは数学、で書かれているみたいなこと言いますけども、数学だけ、で書かれてるわけではないんでせう。現在の数学では、記述出来ないだけなのかもしれませんし、数学よりも優れた新しい言語、があるのかもしれません、またはもっと量子的な事象で実はスッキリ説明出来るということもあるのかもしれません。


 別にワタシは、ココロ、は数学で記述出来ない、だからかけがえのない素晴らしいものだってことがいいたいわけじゃありません、ケド世間にはそういう連中がたくさんいますね。すぐに神秘論に飛びつく人々。数学で記述出来ないってことと、ココロが素晴らしいかどうかってことは全然関係が無い。ただ、数学、をディスってるだけです。A君とB君がいて、A君がキチガイだとわかったところで、B君が良いやつかどうかなんてわかりっこない。


 科学は幻想、を打ち破ってきた、ということも書いてあります、コペルニクス的転回は地球が宇宙の中心じゃないこと、つまり神がいないってことを明らかにし、進化論は人間は特別なイキモノじゃないこと、さらに聖書は嘘っぱちだってことを証明してきました。意識、に関する科学は、数学、が不完全な言語であって、すべてを記述出来ないってことを教えてくれるじゃないですかね?


 とにかくはっきり一言で片付けると、結局意識についてはわからん、ということがわかりました。ただ物理的にこの人は今意識があって、このヒトは無い、というのが測定出来そうだ、ということだけがわかりました。

それでもこの本は、すぐに、あっ、これは頭いい奴によって書かれてるなっていうのがわかる、いい本だと思います。たいていの一般向けの科学の本ってのは、なんでそれがわかったのか?という肝心なとこが書かれていません。太陽の温度はXX度です。っていうデータを突きつけるだけで、どうやって太陽の温度がわかるの??どうやって裏をとったのだ?っていうのが書かれてません。むしろ太陽の温度よりも、そのどうやって測ったか、というのが肝心の情報なのに。
 この本はその、どうやって?の部分についての説明が半分で、なるほどそうやって測るのかってのが詳細に記述されております、誠意あるやり方ですね。



 話は変わるのですが、この本イタリア語で書かれていて、作者もアメリカの大学などで働いてるみたいですがイタリア人のようです。イタリア人にも賢いヒトっているんだな・・まぁそうかガリレオとかダ・ヴィンチだってイタリア人だものな・・と思うのですが、現在、イタリアはポピュリズム政権が財政破綻が避けられない予算をぶっこもうとしていて、国債がデフォルト危機ランプが点灯し、金利も高くなっていて、どうもイタリア人が知恵があるように思えない状態です。しょうもないファシスト政党に投票したりと、どうも現代のイタリア人からは知性が消えてるように見受けられます。
 意識、の問題はともかく、脳にはたらきかけて賢くするっていう方法を見つけることは出来ないのかなって思いました。どうやったらもっと脳を効率的に賢く出来るのか?っていう研究をしたほうがいいのでは?
 その脳が素晴らしいとか偉大だとか終わること無い話に頭を突っ込まないで・・・。

 病気の人間を普通に戻す、ということを研究するよりも、普通の人間をさらに良くする方法を見つけるほうが、社会生産的にどれだけプラスかって話です。普通の人間のほうが圧倒的に多いんですし。結果的にそれが多くの人間を助けることになるし・・・、けどそういうとこに政府は予算出さないのですよね。