2012年8月25日土曜日

アエネイス ヴェルギリウス・マロ BC11年 未完 Aeneid Virgil

   時々古代のものを呼んでいると、これが2000年以上も前のものだってことは信じられない、軍国主義日本の文献や明治の文献を読むと、あぁ明治は遠くなりにけりなのに、どうして何千年も前のものがこんなに新鮮で、活力に満ちているのやらという感じ・・・

 所有欲が戦争の元凶だとVは述べております、ホメロスなど古典古代時代には知的所有権が無く、すべての人間が参加者、すべての人間の宝として作品はできていた、例えば都市とか街のように作品はあった、けれども、紀元が始まる頃には、個人技で作品を作るようになっている、まだまだ作品はすべて自分のものとはいわないけれど・・
 聖書やホメロス、いわゆる伝説、など、アノニマスで巨大な作品をもう一度生み出したい、市民がみんなで作る都市を作りたい、誰かがここはおれの土地だ、などと言って好き勝手にやるものでなく、これはおれの作品だといって、それを見せるのに金をせびるようなこともなく・・・そんな巨大な作品を作れるだろうか?文明が進歩するにしたがって、芸術の知的所有権の強化のベクトルはずっと登りっぱなしである、これをまったく逆ベクトルにすれば、確実にそれは芸術のカタストロフであって、革命である、ピカソや印象主義の革命などとは比較にならない、凄まじい破壊、凄まじい創造、それが人類に出来るだろうか?新しい文明を作るのだ・・・

 ホメロスを超える作品は無いといわれてきた、今でもそういう人はいる、けれどアエネイスは生まれたし、カラマーゾフは生まれた、何時の時代でも、もう絶対に超える事は出来ないだろうというものは存在している、けれど実際にはまったく違うやり方でそれは克服されていく、今の時代はもうネタ切れだというのは絶対に間違っている、何時の時代だってそういうわれてきた、2500年前からそうなのだから・・・・果たして何が次の時代を作るんでせう・・・