2012年8月30日木曜日

Gospel LUKE ルカによる福音書


 ルカ
LUKE
 
 個人的にはルカという名前が好きですが、内容は好きではないです。
本人も語る通り、これは普及版というか、ブルジョア宣伝向けの福音書パンフレットで、極左的革命理論を訴えていたイエスを
まさしくイエスが毛嫌いしていた偽善者にしてしまっている。ルカはいわゆる世間的イメージのキリスト像を描いています
すべての人を分け隔てなく愛せ、許せ、善をなせ、神を信じろ、信じれば誰でも救われる、云々・・・
 まったくこれは偽善者のそれで「すべての人に抱えきれない重荷を背負わせ、自分はその十字架を追わない」
律法者、ファリサイ派とまったく同じ事です。本人もそれを自覚しているのか、マタイ、マルコでは繰り返される偽善者への
バッシングがルカでは殆ど無い上に、イエスの人間としてイメージも失われている(聖杯を取り除いてほしい、神よあなたは私を
見捨てたのか)、特にマルコのイエスは普通の人間が、苦しみながら生きていく、実存主義的な感動があるけれど
ルカにおいてイエスは完全に偶像化されています。
これは偽善者、為政者にお得な、押し付けるための宗教です。

 なぜそうなったのかは簡単にわかります、キリスト教がだんだんと権威、力を持つにいたって、革命理論としてのキリスト教は
使い物にならなくなった、自分たちが権力を持った今になって、革命理論を支持するわけにはいかない、権力を捨てよ
と言ってるのだから。でも権力はこれは、まぁいいものであって、捨てるには惜しい。よし偽善者になろう。というわけです。
ニーチェやら19世紀中頃から、徹底的に攻撃にさらされたのはこの偽善者としてイエスであって、社会主義、共産主義
マルキズムは、キリスト教を否定したといいつつ、実は、マタイ、マルコ的、特にマルコ的革命理論としてキリスト教を復活
させたといえるのではないでしょうか。
 突き詰めれば、権利、権力、金、力 etcは実は同じもので普通それは悪、と呼ばれるもので、それが悪である事を認めないのなら
それは偽善以外にはありえないというわけです。キリスト教の権力者というのははっきり言うが、絶対にありえない。
 善い、権力者というものもこれはまったくありえない。