この前やったFF12がベタベタの設定ばっかしだったとすると、レジェンディアはベタをかなり外しにいってます、回復キャラが序盤は筋骨隆々のハンマーを持ったおっさんという、まじか?という設定です、まず筋肉もりもりのハンマーを持ったキャラが物理攻撃はほとんどしない魔法担当ってのがすげー裏をかいてます。でもやっぱなんとなくヤダw 普通にカワイイ魔女っ子みたいなヤツが回復にしたほうがいいですね。ベタの裏を掻けばいいというわけでもないんだなーと思います。
それに主人公の武器が素手で、剣を使うのが女剣士ってのもベタを外して来てるのですけど、どうも素手のリーチの狭さがひどすぎて主人公使うきにならないのですよね、かといって剣士も攻撃力がえら低くてなんかこれだ!っていう操作性のキャラがいませぬ。結局Iはモーゼスで遠距離攻撃だけで攻略してまいましたけど、どうも闘ってる感じがしない。
しかれども、ずっとヒロインが名目上の妹で、お兄ちゃんお兄ちゃん助けて!みたいなお兄ちゃんをゴリ押ししてくるし、最初はその姉のほうが好きだったのに姉のほうが死んじゃう、けど妹もほんとは好きみたいな、安い同人みたいなヲタク設定でして、ナムコ気が狂っとるんか!って感じでもありますw そいで序盤は若い女の子が次々と死んでいくという欝展開ですので注意ですね。
ゲームのシステムとしてレジェンディアはシンプルに、がモットーとなってるようでして、横スクロールの3Dキャラのアクション戦闘なんですが・・・・ん~、それって一番最初以下に戻ってるんじゃないか?って気がしてしょうがないですね、2Dキャラのほうがやっぱ手が混んでるような気がするし。シンプルに、というのと手抜きっていうのは違うんですけどねー。
けどこの時期ゲーム離れっていうかゲームがフクザツになりすぎてて、ビギナーにはよくわからんってのが言われてた時代だったような気がします。で、アクションが苦手なヒトにでも楽しめるってわけで、たいがいそういう触れ込みのゲームはヌルゲーなんですけど、これもレジェンディアもご多分にもれずかなりのヌルゲーではあります、けど序盤のオーガみたいなボスだけはやたら強い。テイルズシリーズっていうとだいたいは後半の雑魚キャラの全体魔法が死ぬほどダメージで、ラスボスは即死攻撃ばっかりで結局主人公1人の肉弾戦って感じですけど、今回あまり全体攻撃ってのが存在しないで、遠距離から攻撃すればノーダメージで叩けるので、魔神拳がかなり重要な技になってくるっていうシリーズ初の展開です。
ラスボスもまぁまぁ弱いです、で、裏面的なところがすごい長いんですが、というか裏面からのボリュームがゲームの40%くらいあります。・・・・ん~、やっぱテイルズシリーズはデスティニー以降は迷走してるって感じがしますね、個人的にはデスティニーのPs2リメイクが一番出来が良かった気がします。今のところ。キャラが立ってた。
個人的に一番しっくりこなかったのはヒロインのシャーリィっていうキャラのデザインが気に食わなかったのがかなりあるのかも・・・、結局はこのゲームはシャーリィが主人公のセネルにフラれたのにキレて世界を海に沈めようとするっていう嘘みたいなストーリーです。しかも実は自分たちが他の星からやってきた宇宙人だったという、19世紀のSFみたいなオチですし・・・。
2015年2月28日土曜日
2015年2月24日火曜日
MAKING 192
最近日が出てる間は仕事をするのをやめました、なめんなwって感じですけど、やっぱ昼間っからなんか作品を作るのって違いますよねー、そんなんじゃない。そりゃ子供だましのものだったり、ガキ向けのものだったら別に昼間から出来るけど、そういうことじゃないですもん、だから昼はゲームしたり、散歩したりしてますー。 なんだこの話題w
2015年2月19日木曜日
Making 191
ブログのバナーが変わったよ♪
なんだそのテンション、ってわけです、やっぱ海里ってのはずっと昔から描き慣れてるというか、描きやすいのですけどユキは何度描いてもうまくならないというか、かっちり、こう描けばいい、というのが見つからない不思議なキャラクターです。
飽きないっていう点では主人公としていいのですけどね、たぶんユキみたいな顔のヒトってのは普通主人公じゃないからですね、背が高くて、ど貧乳で、アスリート体型で・・・主人公ってのはだいたいは背は普通、胸もエロ漫画じゃなけりゃ極端じゃなく普通、B、Cぐらい。体格もいわゆるアイドル体型って感じが普通です。体型でいくとユズキが主人公のタイプのツラとボディですな。
2015年2月15日日曜日
spirit of beehive ミツバチのささやき 1973 ヴィクトール・エリス ☆7
スペインの映画です、スペインの映画で一番有名と言ってもいいかもしれませんね、それほどスペインの映画ってのは馴染みがないってことです。つっても最近はギレルモ・デル・トロとかアモーレス・ペロスとかのほうが有名ですか・・・
スペインというのはものすごい特殊な国ですよね、大天才を産むけど、なんでしょう、大衆のレベルは低い、なんて言ったらスペイン人にキレられそうですけどw
全体としてなんか、前近代的っていうか、いっつも時代の後ろを歩いてるのですね、鉄の軍艦が主流になったのにアルマダは世界最強だ、と自惚れていて惨敗したり、宗教革命の時代なのに厳格なゴリゴリのカトリックを押し通して内戦になったり、それはもっと前から、十字軍がイスラム世界に対して反旗を翻してるのにまだまだイスラムの支配から抜けられなかったり、現代になっても失業率がいっつも高くて破産寸前でEUのお荷物だったり・・・・。
しかし気候とか土地的には超恵まれていてヨーロッパで一番過ごしやすい場所でもある。スペイン人の気質ってのもよくわかんないですよね、ラテンの明るいノリってわけでもなく、頑固で、ヒゲが大好き。職人肌ってことなのかもしれません、保守的なんですよね。
さぁそんなスペイン批判をしてても仕方ないんですけどこの映画はあれです、批評家に称賛される3つの要素を完璧に抑えてるってことでしょうね、批評家っていうか老人が好む映画の三要素
戦争、子供、ピクチャリスク (ヨーロッパなら、アメリカとかワールド市場なら恋愛)
です。テレビの三原則、ガースーの言う
ペット、子供、ラーメン
みたいなもんです、この要素を抑えておけば映画祭での賞はもう取りたい放題。ピクチャリスクってのは絵画っぽい画作りってことです、ベイルマンに代表されるような。これを書いてる今テレビをザッピングしたら、4つは食い物特集、1つは永遠の0というゼロ戦のドラマでした、NHKは大河(これも戦国か明治維新もの)、ね?
宮﨑駿が評価してることからわかるように、この映画は少女が主人公で、内戦で負傷した兵隊さんを助けるっていう、まぁベタ中のベタですけど、ロリコンも戦争好きの老人もがっつり取り込んでるために評価が高いんでしょうね。ジブリも基本的には子供と戦争、っていうあらゆる人間が食いつくものがメインテーマです。
確かに良く出来ているけど、たぶん普通の人間には退屈すぎるしテンポが遅すぎる気がします・・・・。しかしよく出来ているのはできています、カメラワークも実はひじょーに凝ってるし、あぁこれは映画の批評家が好きそうなやり口だな・・・ってのを全部抑えてます、ライティングに工夫があったり。
何より主人公のANA がカワイイのでロリコンにはそれだけで満点でしょうね。いわゆる天才子役ですけど、やっぱ子供でも顔だなーって非常に思い知らされる作品でもあります、顔がいいだけでものすごいいい子に見える。
ただIは子供ってやつが好きじゃないんですよね、子供嫌いなんです、戦争好きだけど子供が嫌いなんであんまりハマりませんでした・・・。Iはひじょーに正直にいうと、ぽちゃぽちゃに肥えてるだらしないカラダのメガネ系の地味で巨乳なオタク系の女の子が好きなので全然ハマりません。でもそんなリアルなヲタクの女子を主人公にした映画なんてありませんわね、AVですわそりゃw まず巨乳ってのは俳優には向いてないのかもしれません、全然演技に目がいかないですからね。
そいでなんで子供の頃可愛い子ってのはオトナになると残念な感じになるんですかね、このアナ・トレントもあちゃー・・・って感じです。
しかしよく出来てることは間違いない。
けど賞レースではまったく評価されないスタイルの映画ってありますわね、まずアクション、そいでエロ、お笑い、あとマンガ原作のあるもの、こういうのは一切賞レースでは勝てません。それって賞自体のくくりが間違ってるって気がしますけどね、アカデミードラマ映画部門のアカデミー賞だったり、カンヌ、ヒューマンドラマ部門の監督賞、ベルリンも同じく・・・っていうふうにジャンルを分けないと、えっこの年を代表する映画がこれ!?ってあとで見てなりますもの、映画っておもんなーって映画自体の人気を損なうことにもなるし・・・。なんて40年以上前の映画について語るのもどうかと思いますけどねw
スペインというのはものすごい特殊な国ですよね、大天才を産むけど、なんでしょう、大衆のレベルは低い、なんて言ったらスペイン人にキレられそうですけどw
全体としてなんか、前近代的っていうか、いっつも時代の後ろを歩いてるのですね、鉄の軍艦が主流になったのにアルマダは世界最強だ、と自惚れていて惨敗したり、宗教革命の時代なのに厳格なゴリゴリのカトリックを押し通して内戦になったり、それはもっと前から、十字軍がイスラム世界に対して反旗を翻してるのにまだまだイスラムの支配から抜けられなかったり、現代になっても失業率がいっつも高くて破産寸前でEUのお荷物だったり・・・・。
しかし気候とか土地的には超恵まれていてヨーロッパで一番過ごしやすい場所でもある。スペイン人の気質ってのもよくわかんないですよね、ラテンの明るいノリってわけでもなく、頑固で、ヒゲが大好き。職人肌ってことなのかもしれません、保守的なんですよね。
さぁそんなスペイン批判をしてても仕方ないんですけどこの映画はあれです、批評家に称賛される3つの要素を完璧に抑えてるってことでしょうね、批評家っていうか老人が好む映画の三要素
戦争、子供、ピクチャリスク (ヨーロッパなら、アメリカとかワールド市場なら恋愛)
です。テレビの三原則、ガースーの言う
ペット、子供、ラーメン
みたいなもんです、この要素を抑えておけば映画祭での賞はもう取りたい放題。ピクチャリスクってのは絵画っぽい画作りってことです、ベイルマンに代表されるような。これを書いてる今テレビをザッピングしたら、4つは食い物特集、1つは永遠の0というゼロ戦のドラマでした、NHKは大河(これも戦国か明治維新もの)、ね?
宮﨑駿が評価してることからわかるように、この映画は少女が主人公で、内戦で負傷した兵隊さんを助けるっていう、まぁベタ中のベタですけど、ロリコンも戦争好きの老人もがっつり取り込んでるために評価が高いんでしょうね。ジブリも基本的には子供と戦争、っていうあらゆる人間が食いつくものがメインテーマです。
確かに良く出来ているけど、たぶん普通の人間には退屈すぎるしテンポが遅すぎる気がします・・・・。しかしよく出来ているのはできています、カメラワークも実はひじょーに凝ってるし、あぁこれは映画の批評家が好きそうなやり口だな・・・ってのを全部抑えてます、ライティングに工夫があったり。
何より主人公のANA がカワイイのでロリコンにはそれだけで満点でしょうね。いわゆる天才子役ですけど、やっぱ子供でも顔だなーって非常に思い知らされる作品でもあります、顔がいいだけでものすごいいい子に見える。
ただIは子供ってやつが好きじゃないんですよね、子供嫌いなんです、戦争好きだけど子供が嫌いなんであんまりハマりませんでした・・・。Iはひじょーに正直にいうと、ぽちゃぽちゃに肥えてるだらしないカラダのメガネ系の地味で巨乳なオタク系の女の子が好きなので全然ハマりません。でもそんなリアルなヲタクの女子を主人公にした映画なんてありませんわね、AVですわそりゃw まず巨乳ってのは俳優には向いてないのかもしれません、全然演技に目がいかないですからね。
そいでなんで子供の頃可愛い子ってのはオトナになると残念な感じになるんですかね、このアナ・トレントもあちゃー・・・って感じです。
しかしよく出来てることは間違いない。
けど賞レースではまったく評価されないスタイルの映画ってありますわね、まずアクション、そいでエロ、お笑い、あとマンガ原作のあるもの、こういうのは一切賞レースでは勝てません。それって賞自体のくくりが間違ってるって気がしますけどね、アカデミードラマ映画部門のアカデミー賞だったり、カンヌ、ヒューマンドラマ部門の監督賞、ベルリンも同じく・・・っていうふうにジャンルを分けないと、えっこの年を代表する映画がこれ!?ってあとで見てなりますもの、映画っておもんなーって映画自体の人気を損なうことにもなるし・・・。なんて40年以上前の映画について語るのもどうかと思いますけどねw
walk on wild side Lou Reed 和訳 解説
まず和訳からいきましょうドン。
Holly came from Miami, F.L.A.
ホリーはマイアミ、フロリダからやってきた(FLA というのはFlorida の略名でアメリカという国は何にでもこの三文字アルファベットの略称があるんです、NBA、MBAみたいに)
Hitch-hiked her way across the U.S.A.
ヒッチハイクでアメリカ中を走り回った
Plucked her eyebrows on the way
眉毛をピンとさせて
Shaved her legs and then he was a she
すね毛を剃ると女の子に変身
She says, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
Cは言うんだ、ねぇねぇ、危険な道を歩こうよ
Said, "Hey, honey,
Take a walk on the wild side."
言うんだ、ねぇねぇ、危ないことしてみない?
Candy came from out on the Island
キャンディーは島国から飛び出して
In the back room she was everybody's darling
楽屋でもみんなの恋人だった
But she never lost her head
Even when she was giving head
けどいつだって正気を失わなかった、フェラチオしてるときもだ
She says, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
Cは言う、誰も歩いたことの無い道を歩こうよ
Said, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
Cは言う、ワイルドな方の道を歩こうよ
And the colored girls go
"Doo do doo do doo do do doo..."
そいで黒人のコーラスは歌う Doo do Doo...
Little Joe never once gave it away
Everybody had to pay and pay
リルジョーは金を払ったことはない、いっつもみんなが支払いをする
A hustle here and a hustle there
どこでも問題を引き起こして
New York City's the place
Where they said, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
NYっていう場所は人々はこういうんだ
なぁ、踏み鳴らされてない道を歩こうぜ
I said, "Hey, Joe,
Take a walk on the wild side."
Iは言うんだ、なぁジョー、面白いことをやろうぜってさ
Sugar Plum Fairy came and hit the streets
Looking for soul food and a place to eat
シュガープラムフェアリーはNYに来てストリートに出た、ソウルフードと何か食うものを探してね
Went to the Apollo
You should've seen them go, go, go
アポロ・シアターに行ったら、奴らがトリップしてるのが見れるよ
They said, "Hey, sugar,
Take a walk on the wild side."
彼らは言うんだ、なぁシュガー無茶しようじゃないか
I said, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
Iは言う、ねぇお嬢ちゃん、ハメを外そうじゃないか
All right, huh
オーライ
Jackie is just speeding away
Thought she was James Dean for a day
ジャッキーはいっつもアクセル全開、一日ジェームス・ディーンになった気分
(ジェームズ・ディーンは自分のスポーツカーをぶっ飛ばして事故死)
Then I guess she had to crash
Valium would have helped that bash
IはCははいつかクラッシュするだろうと思った、でもそれはバリウムで対処することが出来るだろう
(これは二通りにとれます、ジャッキーがたぶんヘロイン、でトリップしていつか死んでしまうだろうからその中毒をヴァリウムでなんとか止めれるだろう、ってことと。ジャッキーがクラッシュして死んでしまった悲しみも、ヴァリウムでなんとか誤魔化せるだろうっていうドライな発想です)
Said, "Hey, babe,
Take a walk on the wild side."
I said, "Hey, honey,
Take a walk on the wild side."
And the colored girls say,
"Doo do doo do doo do do doo..."
繰り返し
英語がわからないヒトには、ワイルドサイドを歩こうぜ、ってのはポジティブな感じのメッセージの歌なんだろうなー、という感じがすると思いますが、実際はまったく違うわけでもないけどもっとえぐいブラックな歌です。
この歌に歌われている人々、ホリー、キャンディー、ジョー、シュガーは全員実在してる人間で、全員すべていわゆるアンディー・ウォーホルスーパースター、と言われている人々です。アンディー・ウォーホルスーパースターってのは非常に簡単にいうと、ウォーホルの囲ってたゲイのグループです。ウォーホルはゲイでしたので、何人もファクトリー、と名づけたスタジオで、ハーレムを作ってました、ルー・リード自身もそのファクトリー、の一員です。ホリーは、いわゆる日本でいうニューハーフの男娼で、カラダを売ってヒッチハイクをしてたってわけ。
めちゃくちゃだ!って思うかも知れませんけどアメリカ、っていう国には、オトコの娼婦、ってのはゴロゴロいくらでもいます。その実情を知りたければリバー・フェニックスが出てた映画があったので見てください。キャンディーはいわゆる性同一性障害ってヤツです、でみんなのセックスフレンドでしたと。ジョーはジョー・ダレッサンドロのことで、当時のゲイのポルノ業界のスーパースターです、イメージ検索すればなるほど、と思うはず。超絶イケメンです。
シュガーは典型的ドラッグクイーンでして、本当に若くして死んでしまいました。まるでジェームズ・ディーンのように、っていう予想どおり。
そんな愉快な仲間たちがNYに集まってくるのを描いた曲なのです、
ワイルドサイド、を歩こうぜ。
はそういうわけでも、当時のグラムロックというか、アンダーグラウンドのテーマソングみたいな曲です。
歌詞はそういうわけでヒジョーにきわどい内容ばっかりなんですけど、曲調はひじょーにリラックスというか、気持ちいい明るい曲です。プロデュースはデヴィッド・ボウイなので、LOUの曲にしてはかっちり作りこんであるな、って気がすると思います。この時代のすごいなこの曲、ってのにはほとんどボウイが絡んでるのですよね、一時期のフィル・スペクターとかジミーペイジみたいな感じ。
なんとこの曲ってベースが二本なんですね、ダブルベースとエレキベースが二本入ってるのに気づきました?ツインベースの曲なんて超珍しいですけどそれがこの曲の独特の空気感をもたせているのですね。
ともかくこの時代、もう一つの革命、性の革命ってのを担ってたのが彼らスーパースター、の人々だってことです公民権運動で黒人の権利が戦われた後に、最後の前線として残った、セクシャルマイノリティの人たちの戦いだってわけ。
日本なんかでも今でもゲイはいいとして男娼、なんてのはウルトラタブーですけどね。Iは男娼だ、ってカミングアウトしてるヒトは見たこと無い、あとビアンをカミングアウトするひともほぼいない。
そいでも
ワイルドサイド、誰も歩いてない道を選べ、ってのは不滅のメッセージですよね。
2015年2月14日土曜日
Making190 PEREAT
溜め込みすぎですねw もっと速く更新しますわ。マンガのやつはPEREATのヤツですが、まだ全然スタイルが固まってません。でもIは描きながら考えればいいやってことでとりあえず始めることにしました。ずっと構想ばっかやってていつまでも作画出来ないってのはひじょーにあるあるだと思います、とりあえず手を出してみるってのは一番いいんだと思います・・
ともかくPEREATは手書き、にこだわるってことで。
FF12 2006
FF12をクリアしましてん、感想など1つ。
ともかく世界観がスターウォーズに激似。Iだけの意見ではないみたいです、訴えられてもおかしくないレベル・・・何が似てるかって街の作り方からキャラクターまであのスターウォーズの
リザード、人間、変なクリーチャー、ジャバ・ザ・ハットみたいなデブのラップタイルっていうのか、えっ!?ほんとに大丈夫なんかこれ?ってぐらいそのままです。
むしろ許可を取っててオマージュとしてやりますって裏で契約が出来てるんだと思いますね、じゃなきゃマジか?ってくらいつまんでます。
けどよくよく考えて見ると、この作品はスターウォーズに似ているっていうか、ハリウッドのやり方に似ているのですよね。世界観というか、ストーリーとかキャラの造形、人間の顔立ちとかが
ハリウッドそのもの。特にバッシュはまさにハリウッドにこういうやついるだろって感じの顔。
それはでもそのとおりなんですよね。実は現代の世界で一番メインストリームのメディアってゲームなんですよね、映画じゃなくて。ゲームは映画の10倍くらいの予算と時間を作ってます。
市場もとっくの昔に映画はゲームに負けてる。テレビ、というのは装置であって、メディアじゃないのでしょう、テレビで映画も流してるし、テレビでゲームも出来るし・・・。
ともかくハリウッド、の役割を大作ゲームは担うようになってハリウッドは用済みになったってことなんでしょう。
よってその一番大きい市場で一番の売上を目指すと、結果、一番ベタベタの誰でもわかる設定を使わざるをえないのでしょう、それくらいベタだなーーーーっていう設定ばっかしです。
まず悪くて強大な帝国、そして帝国に狙われる悲劇の王女、2つの大国に挟まれた小国の運命、戦争孤児の主人公、海賊(空賊)だけど実は良い奴の仲間、おさなじみで主人公に好意を
寄せてる女の子、力に目が眩んだ帝国の王子・・・
どれもこれもこれでもかってくらいこすり尽くされた設定ですよね。むしろわざわざベタを拾いにいってるとしか思えないくらい、何一つ、違和感を覚えるような設定はありません。
ゲームはゲームとして面白きゃいいんだからフクザツなストーリーなんていらんっていう開き直りなのかもしれません。そういうわけで、ゲームとしてなかなか面白いけれど
一切何も記憶には残りませんw 恐ろしいくらい何も脳に残していかないゲームです。なんでだろう・・・・やっぱ仲間が結局最後まで1人も死なないんかいってのが記憶に残らない原因かも
しれません。FFというと仲間が次々に死んでいって入れ替わるのがいつものやり方なのです、今回もIはどうせ最後はヴァンとアーシェだけ残って他は入れ替わるだろう、と思って特にアーシェは
全然キャラとしてすきじゃないのに育てましたけれど、最後まで全員仲間は6人同じなので、嘘だろ!!って感じでしたw じゃあこっちのラビットみたいなヤツ使ったのに・・・
しかも控えメンバーはレベルが上がらないという設定なので、後半で使うキャラ入れ替えるのはほぼ無理であーあなんだよー!って感じです。ラビットとパンネロ使えばよかった・・・・って
すげー後悔・・。
ゲームとしてはよく出来てると思います。でもこれFFなんだ、ってぱっと見たヒトにはわかりませんでしょうね、なんか今までのFF感は名前だけにしか残ってません。召喚獣もお馴染みの
やつは全然出てこず恐ろしいくらい親近感が湧かないイキモノが召喚獣です(そして召喚なんてほぼ使わない)。
ただ1つだけ、っていうかこれがゲームの根幹に関わってくるのですけど、3Dアクションのように見えて実はターン制っていうかゲージがたまるまで動けないっていうやつなのです。
それいる!?ってすげー思う、まーでも普通のリアルアクションにすると無双とか、同じようなゲームはいくらでもあるってことなんでしょうけど。なんかフラストレーションが貯まる
っていうかもっとバシバシ攻撃したいのにーー!!ってなる。
確かにまぁほとんどのRPGが3Dアクションスタイルになってて、全部同じやん、って気がしないでもないのは確かです。違うのはちょっとしたシステムと魔法とかの名前だけってことは
確かにある・・・それもやっぱ市場がでかくなりすぎたことの副作用ですよね、失敗出来ないからベタなものになってしまう。多数派を取り込むには多数派に流れるしかないってわけで
斬新なゲームってのは作りづらいってわけですが・・・・
それにしたって、やっぱこの戦闘システムはちょっとなんか遅い、気がする。二倍速でプレイして丁度くらいです。それと敵のバリエーションが少ない気がする・・・、色違いで強い敵
ってのばっかしで・・。
やりこみ要素が多くて裏ダンジョンが4つもあるんですけど、ラスボスには簡単に勝てるのに裏面の雑魚にボコされて即死ってのは、えー・・・って思いますね。ラスボスが弱すぎるのか・・
でも全体的に雑魚は強いし、一番困るのは金が異常に貯まらないゲームです。常に金欠、ガンビットの先頭に盗むをつけて1人は盗み専門をやれって攻略サイトに書いてありますけど、ちょっと
せこすぎませんかwヒーローなのに、ゲームの中で80%以上は盗みしかしないってのは・・
こっからはアドバイスです
1つ気づかないといけないのはミストナックを習得しないかぎりMPが増大しないってこと。でもそんな説明ほぼなかったぜ・・・魔法使うキャラにミストナックを覚えさせないといけません。
なんとMPが二倍になります。
レベル上げがゲームに組み込まれてるゲームでしてレベル上げしないと進めません、バトルチェインっていうい同じ敵を倒し続けるとボーナスっていう、さぁレベル上げせんかいっていう
システムも搭載でしてドラクエのセーブ消えが組み込まれてるように地味なレベル上げをしないとハマってしまいます。
武器は結局弓と剣しか使わないです特に弓。
あと後半の敵はバマジクとか絶対防御とかいって、まったくダメージを受けずに一方的に攻撃する無敵時間があります、なんじゃそれ、って感じです、ただ時間引き伸ばしてるだけじゃん・・・
しかも回避する方法も解除方法もなく2分間ひたすらこっちは回復連打するだけです、これはちょっとゲームとして良くないと思う・・・。
ともかく世界観がスターウォーズに激似。Iだけの意見ではないみたいです、訴えられてもおかしくないレベル・・・何が似てるかって街の作り方からキャラクターまであのスターウォーズの
リザード、人間、変なクリーチャー、ジャバ・ザ・ハットみたいなデブのラップタイルっていうのか、えっ!?ほんとに大丈夫なんかこれ?ってぐらいそのままです。
むしろ許可を取っててオマージュとしてやりますって裏で契約が出来てるんだと思いますね、じゃなきゃマジか?ってくらいつまんでます。
けどよくよく考えて見ると、この作品はスターウォーズに似ているっていうか、ハリウッドのやり方に似ているのですよね。世界観というか、ストーリーとかキャラの造形、人間の顔立ちとかが
ハリウッドそのもの。特にバッシュはまさにハリウッドにこういうやついるだろって感じの顔。
それはでもそのとおりなんですよね。実は現代の世界で一番メインストリームのメディアってゲームなんですよね、映画じゃなくて。ゲームは映画の10倍くらいの予算と時間を作ってます。
市場もとっくの昔に映画はゲームに負けてる。テレビ、というのは装置であって、メディアじゃないのでしょう、テレビで映画も流してるし、テレビでゲームも出来るし・・・。
ともかくハリウッド、の役割を大作ゲームは担うようになってハリウッドは用済みになったってことなんでしょう。
よってその一番大きい市場で一番の売上を目指すと、結果、一番ベタベタの誰でもわかる設定を使わざるをえないのでしょう、それくらいベタだなーーーーっていう設定ばっかしです。
まず悪くて強大な帝国、そして帝国に狙われる悲劇の王女、2つの大国に挟まれた小国の運命、戦争孤児の主人公、海賊(空賊)だけど実は良い奴の仲間、おさなじみで主人公に好意を
寄せてる女の子、力に目が眩んだ帝国の王子・・・
どれもこれもこれでもかってくらいこすり尽くされた設定ですよね。むしろわざわざベタを拾いにいってるとしか思えないくらい、何一つ、違和感を覚えるような設定はありません。
ゲームはゲームとして面白きゃいいんだからフクザツなストーリーなんていらんっていう開き直りなのかもしれません。そういうわけで、ゲームとしてなかなか面白いけれど
一切何も記憶には残りませんw 恐ろしいくらい何も脳に残していかないゲームです。なんでだろう・・・・やっぱ仲間が結局最後まで1人も死なないんかいってのが記憶に残らない原因かも
しれません。FFというと仲間が次々に死んでいって入れ替わるのがいつものやり方なのです、今回もIはどうせ最後はヴァンとアーシェだけ残って他は入れ替わるだろう、と思って特にアーシェは
全然キャラとしてすきじゃないのに育てましたけれど、最後まで全員仲間は6人同じなので、嘘だろ!!って感じでしたw じゃあこっちのラビットみたいなヤツ使ったのに・・・
しかも控えメンバーはレベルが上がらないという設定なので、後半で使うキャラ入れ替えるのはほぼ無理であーあなんだよー!って感じです。ラビットとパンネロ使えばよかった・・・・って
すげー後悔・・。
ゲームとしてはよく出来てると思います。でもこれFFなんだ、ってぱっと見たヒトにはわかりませんでしょうね、なんか今までのFF感は名前だけにしか残ってません。召喚獣もお馴染みの
やつは全然出てこず恐ろしいくらい親近感が湧かないイキモノが召喚獣です(そして召喚なんてほぼ使わない)。
ただ1つだけ、っていうかこれがゲームの根幹に関わってくるのですけど、3Dアクションのように見えて実はターン制っていうかゲージがたまるまで動けないっていうやつなのです。
それいる!?ってすげー思う、まーでも普通のリアルアクションにすると無双とか、同じようなゲームはいくらでもあるってことなんでしょうけど。なんかフラストレーションが貯まる
っていうかもっとバシバシ攻撃したいのにーー!!ってなる。
確かにまぁほとんどのRPGが3Dアクションスタイルになってて、全部同じやん、って気がしないでもないのは確かです。違うのはちょっとしたシステムと魔法とかの名前だけってことは
確かにある・・・それもやっぱ市場がでかくなりすぎたことの副作用ですよね、失敗出来ないからベタなものになってしまう。多数派を取り込むには多数派に流れるしかないってわけで
斬新なゲームってのは作りづらいってわけですが・・・・
それにしたって、やっぱこの戦闘システムはちょっとなんか遅い、気がする。二倍速でプレイして丁度くらいです。それと敵のバリエーションが少ない気がする・・・、色違いで強い敵
ってのばっかしで・・。
やりこみ要素が多くて裏ダンジョンが4つもあるんですけど、ラスボスには簡単に勝てるのに裏面の雑魚にボコされて即死ってのは、えー・・・って思いますね。ラスボスが弱すぎるのか・・
でも全体的に雑魚は強いし、一番困るのは金が異常に貯まらないゲームです。常に金欠、ガンビットの先頭に盗むをつけて1人は盗み専門をやれって攻略サイトに書いてありますけど、ちょっと
せこすぎませんかwヒーローなのに、ゲームの中で80%以上は盗みしかしないってのは・・
こっからはアドバイスです
1つ気づかないといけないのはミストナックを習得しないかぎりMPが増大しないってこと。でもそんな説明ほぼなかったぜ・・・魔法使うキャラにミストナックを覚えさせないといけません。
なんとMPが二倍になります。
レベル上げがゲームに組み込まれてるゲームでしてレベル上げしないと進めません、バトルチェインっていうい同じ敵を倒し続けるとボーナスっていう、さぁレベル上げせんかいっていう
システムも搭載でしてドラクエのセーブ消えが組み込まれてるように地味なレベル上げをしないとハマってしまいます。
武器は結局弓と剣しか使わないです特に弓。
あと後半の敵はバマジクとか絶対防御とかいって、まったくダメージを受けずに一方的に攻撃する無敵時間があります、なんじゃそれ、って感じです、ただ時間引き伸ばしてるだけじゃん・・・
しかも回避する方法も解除方法もなく2分間ひたすらこっちは回復連打するだけです、これはちょっとゲームとして良くないと思う・・・。
2015年2月12日木曜日
the art of movie storyboard Fionnuala Halligan
海外映画のストーリーボード、日本でいう絵コンテを紹介する本です。他のヒトのレヴューを見るに、絵コンテなんてほんの少ししかのってねぇじゃねぇか!って怒ってましたけれど、けどたぶんそれって絵コンテを描かないヒトの意見ですね。
別に絵コンテってのは全部見る必要は無いです、まぁ見れたらいいにこしたことは無いけど、だってそれは映画自体で確認すればいいですやん。
それに大量に収録したところで、日本のアニメみたいに初めから最後まですべて絵コンテを作ってる場合は少ないし、カメラワークが簡単なダイアローグのシーンとかはまぁ絵コンテ不要です、だから全部並べたとしても、まず時系列になってないし、繋がりも無いってのがほんとのとこです。
本編ではカットされた、とか実現不可能だった、というのはCG全盛の今ではまぁ無いんですけど昔はそれはありました。けどそれは絵コンテのミスです。出来ないこと、けどそういう演出がしたかったという本当の意思を見たい、っていうのは、なんでしょー、それも含めてプロダクションの力量ですからね。出来もしないこというな、時間の無駄、って感じです。
映画の仕事の100%は資金集めです、まずそっからスタートしないと始まりもしないから。映画の芸術の部分ってのは200%の部分。
Iが思うに映画ってのは減点方式の芸術なんですよね。まず台本で100点、絵コンテで5点マイナスで95、資金繰りに失敗で50、俳優が大根で20、ポストプロダクションで破綻して5点、みたいな感じで、どんどんコラボレートして良くなってくってのはまず無いです、そんな奇跡は起こらない。デモクラシーじゃないんです、どれだけ最初の持ち点を守っていけるかってものです。俳優が自分の想像よりもいい仕事するなんてことはまず無いですから。
映画はみんなで協力して作るってのはキレイゴトだと思います、みんなで協力するってよりは、天才っていう独裁者の青写真にみんながどれだけ近づけるかっていうスターリニズムです。
話を元に戻すと絵コンテの、描き方、さえわかれば十分です。描き方ってのはつまりどういう絵コンテシートだとか、素材だとか、画材だとか、極論2シーンだけでも、描き方ってのはわかる、あぁインクとペンね、木炭ね、陰影法はクロスハッチね、ベタ塗りね、水彩と鉛筆ね、あとキャラクターの描き方(どのくらいデフォルメするか、ただ顔の向きだけ書くか)背景の描き方、色の選び方・・・
それだけわかれば、それを当てはめてコピーするのはたやすいです、映画からさかのぼってこういう絵コンテか、っていうふうに。
Iはぱぱーと流し読みましたけれど、明らかにダントツで1人上手いのはメンター・ヒューブナーです。Iはそのヒトを知りませんでしたけれど、やっぱし超有名なヒトみたいですね。圧倒的にこのヒトだけ上手い、現代の映画、ってのも紹介されてますけれど、そっちは空間、が無い。書き込まれていたりカラフルだったりするのですけど、画がベタっとしてます、絵が上手いってのは写実的に描けるってことじゃなくて、空間描写が上手いってことです。それってでもほんと生まれ持ったものでして、空間力ってのはあまり努力で伸びるもんじゃないんですね。
その空間力を持ってた稀有な才能人は宮﨑駿だったのです、だった、のです。ルパンのテレビシリーズの2つ、カリオストロ、ナウシカ、ラピュタ、耳すまでは圧倒的でしたのに、この本はジブリからは権利とれなかったのでしょうねー。ラピュタなんて空間描写以外には殆ど何の内容も無い映画なのに。まさに絵コンテの教科書みたいな映画なのに・・・。
追記ですけどディズニーの初期、たぶんファンタジアまで、のディズニーは最高だっていう、まぁそういう信念をお持ちの方、いらっしゃいますけど、あれはでも世界恐慌で、才能が有る人間をほぼタダ同然で大量にスカウトしてきたから出来たもので、そんなん景気を良くするには他の二国を戦争させて漁夫の利を得ればいいんだよ!第二次大戦でアメリカがやったみたいにって言ってるようなもんです。ある種完全な裏ワザですからねー、ウォルト・ディズニーってのはえげつないビジネスマンです・・・
2015年2月9日月曜日
PEREAT MUNDUS 予告 ツァイトガイスト 原点回帰 マンガの未来
次回作として、今回は紙とペンに戻ろう、をテーマに、最近せこせことアナログのGペンを動かしてます、超描きずれぇw
Iはデジタルネイティブの世代なので、Gペンで画を描いたことはほぼまったくないのですよねー、でもなんとなく、Opus9はかなりデジタルへと傾斜してしまってるので、手を動かしたいなーという欲望が湧いてるわけです。
プロのセカイってのは保守的な人間の集まりですけど、それでもどんどんデジタル作画が進んでいると思います、キレーな仕上がり。ジャンプの集英社って奴らは基本的には体育会系の脳筋集団なので頑なにアナログに固執してましたけど、それでもジャンプの電子書籍化とかにもなってくるとデジタル化は加速するでしょうねー。
デジタルだとカラーのインク代も不要ってわけでマンガのカラー化は加速すると思いまする。
けどどうなんだろーってのも思いますよね、どんどん綺麗でハイテク化してくと、それって結局ハリウッド映画に近づいてくんじゃないか?すごいCGと大画面、迫力満点・・・ハリウッドのブロックバスター映画ですよねそれって、それでCGの綺麗さと人海戦術では予算が一桁違うハリウッドには勝てるわけないです。だからそれってほんとは違うんじゃないかって思うんですよね・・むしろそれの逆を行かないといけないんじゃねぇかって、ハリウッドのCG、っていうメインストリームがあって、それには無い独自路線ってのを歩まないといけない、それはアメリカにいないすべてのアーティストにとって至上命題でもあるわけです。
マンガの役割ってやっぱそこですよね、金がふんだんにあるなら、誰もマンガなんて描かないですよ、アニメーションにする。アニメよりもマンガが好きってひともいるかもしれませんけど、アニメーションのコマを切り取ればマンガに出来ますからね。あとは全部自分が絵を描かないといけないっていう変態じゃない限り。実際はほとんどの人間は金も自分の思い通りになるスタジオも持ってないからマンガっていうものが生まれる・・・
でも実際にはハリウッドの真似に失敗したか、ハリウッドに完全に飲まれたような映画を誰もが作ってますね、見るに耐えないですそれって。
だから長い目で見た時に、やっぱマンガってのは手書きに帰るっていうか、そこにしかマンガの居場所ってやっぱり無いんだと思いますなー。日本のアニメーション、っていうものも。3DCGアニメーションだったらピクサーやディズニーに勝てるはずねぇもの。アイデア云々じゃなくてやっぱ予算が全然ちゃうし、市場もプロモーション力もぜんぜんちゃう。
ハリウッドのブロックバスター映画ってのの始まりはなにかご存知でしょうか?
それのパイオニアはジョーズだって言われてます、そいでその流れを一般化させたのはスター・ウォーズです。1977年。だからそれ以後に生まれた人にとってハリウッドというのはスター・ウォーズみたいな映画を作る場所だっていう認識だと思ってると思います、スター・ウォーズっていうのがハリウッドっていう場所のカラーを決めてしまったわけですね、そっから死ぬほどスター・ウォーズ路線の映画を作り続けて来ました、それは現在も。アバターなんて、世界観とか方法論はスター・ウォーズからほとんど何も変わってないですものね、VFXが進歩しただけで。
でもそれ以前はちょっと違ったのですよね、確かに大作映画を作って来ましたが、ハリウッド黄金時代は実はスター・ウォーズ以前のもっと前で、大きな映画スタジオが、スタジオ主導で映画を作ってた時代、監督じゃなくてスタジオがスターやら映画の内容をほとんど決めていた時代がありました、だんだんそれが斜陽になって、映画づくりがハリウッドから飛び出してアメリカン・ニューシネマの時代がやって来ました、ほとんどの映画好きにとってはこのニューシネマの時代が映画の黄金時代なんですけど。
衰退したハリウッドの反撃として、スター・ウォーズ系のエンタメ超大作映画、つまるとこブロックバスター映画(ブロックバスターってのは超大型爆弾のことで、街の一区画、ブロック、まるごとぶっ飛ばす、くらいのボックスオフィスでの収益をあげるってことです)、が生まれたきた。だからもうすぐ40年、このブロックバスター路線が続いてるわけで、いい加減これも飽きられてるのも事実。はっきり言えばパッケージが違うだけで全部同じですからね。ちょっとSFテイストだったり時代物だったり戦争ものだったりするだけで、流れは全部同じ。演出の方法論もすべて。Iに言わせりゃロード・オブ・ザ・リングにしろスター・ウォーズにしろ、ハリポタだってダイ・ハードだって全部同じです。
結論はハリウッドもマンガも、ちょっと原点に立ち返ってみることも必要じぇね?ってこってす、Iがただたんに昔のマンガが好きだってだけかもしれませんけどね。ほんとなんか小奇麗で上手に描かれてるマンガを読んでると虫唾が走るっていうか、こんなんじゃない!って思うのですよね、PEREATのテーマでもあるのですけど、マンガ、のあの毒々しさを取り戻せ、ってことです。なんだこれ・・気持ち悪っ・・・っていう、圧を感じるようなマンガをほーーーんと久しく見てません。圧。それはアニメもそう、なんじゃこれは・・・っていうのを感じるような圧を持った作品ってのをほんと見てない。小奇麗になりすぎてる。それはでも読み手とか客にもすげー感じるのですよね、真剣でどぎついテーマだったりうっ、と来るようなものを避けるようになりましたよね、もっと軽い簡単なもののほうがいいやって・・・あらゆるものに対して、負担を全然感じたく無いって感じなのです。
房州さんの名言を思い出します
痛くなきゃ、面白くねぇ
これってやっぱほんとだと思うんですけどね、本当に面白いものって、ある程度、っていうかかなり、何か突き刺さる、っていうかうぐーーーってなるものがあると思うのですよね・・・・痛い思いするもののほうがいいよ・・・物づくりの面白さってのも本質的にはそこだと思う、辛いから面白いのですよ、簡単に音楽が作れるー♪簡単に絵がかけるー♪みたいなものが蔓延してますけど、それって真逆です、全然出来ないから面白いんですよ。
Iはデジタルネイティブの世代なので、Gペンで画を描いたことはほぼまったくないのですよねー、でもなんとなく、Opus9はかなりデジタルへと傾斜してしまってるので、手を動かしたいなーという欲望が湧いてるわけです。
プロのセカイってのは保守的な人間の集まりですけど、それでもどんどんデジタル作画が進んでいると思います、キレーな仕上がり。ジャンプの集英社って奴らは基本的には体育会系の脳筋集団なので頑なにアナログに固執してましたけど、それでもジャンプの電子書籍化とかにもなってくるとデジタル化は加速するでしょうねー。
デジタルだとカラーのインク代も不要ってわけでマンガのカラー化は加速すると思いまする。
けどどうなんだろーってのも思いますよね、どんどん綺麗でハイテク化してくと、それって結局ハリウッド映画に近づいてくんじゃないか?すごいCGと大画面、迫力満点・・・ハリウッドのブロックバスター映画ですよねそれって、それでCGの綺麗さと人海戦術では予算が一桁違うハリウッドには勝てるわけないです。だからそれってほんとは違うんじゃないかって思うんですよね・・むしろそれの逆を行かないといけないんじゃねぇかって、ハリウッドのCG、っていうメインストリームがあって、それには無い独自路線ってのを歩まないといけない、それはアメリカにいないすべてのアーティストにとって至上命題でもあるわけです。
マンガの役割ってやっぱそこですよね、金がふんだんにあるなら、誰もマンガなんて描かないですよ、アニメーションにする。アニメよりもマンガが好きってひともいるかもしれませんけど、アニメーションのコマを切り取ればマンガに出来ますからね。あとは全部自分が絵を描かないといけないっていう変態じゃない限り。実際はほとんどの人間は金も自分の思い通りになるスタジオも持ってないからマンガっていうものが生まれる・・・
でも実際にはハリウッドの真似に失敗したか、ハリウッドに完全に飲まれたような映画を誰もが作ってますね、見るに耐えないですそれって。
だから長い目で見た時に、やっぱマンガってのは手書きに帰るっていうか、そこにしかマンガの居場所ってやっぱり無いんだと思いますなー。日本のアニメーション、っていうものも。3DCGアニメーションだったらピクサーやディズニーに勝てるはずねぇもの。アイデア云々じゃなくてやっぱ予算が全然ちゃうし、市場もプロモーション力もぜんぜんちゃう。
ハリウッドのブロックバスター映画ってのの始まりはなにかご存知でしょうか?
それのパイオニアはジョーズだって言われてます、そいでその流れを一般化させたのはスター・ウォーズです。1977年。だからそれ以後に生まれた人にとってハリウッドというのはスター・ウォーズみたいな映画を作る場所だっていう認識だと思ってると思います、スター・ウォーズっていうのがハリウッドっていう場所のカラーを決めてしまったわけですね、そっから死ぬほどスター・ウォーズ路線の映画を作り続けて来ました、それは現在も。アバターなんて、世界観とか方法論はスター・ウォーズからほとんど何も変わってないですものね、VFXが進歩しただけで。
でもそれ以前はちょっと違ったのですよね、確かに大作映画を作って来ましたが、ハリウッド黄金時代は実はスター・ウォーズ以前のもっと前で、大きな映画スタジオが、スタジオ主導で映画を作ってた時代、監督じゃなくてスタジオがスターやら映画の内容をほとんど決めていた時代がありました、だんだんそれが斜陽になって、映画づくりがハリウッドから飛び出してアメリカン・ニューシネマの時代がやって来ました、ほとんどの映画好きにとってはこのニューシネマの時代が映画の黄金時代なんですけど。
衰退したハリウッドの反撃として、スター・ウォーズ系のエンタメ超大作映画、つまるとこブロックバスター映画(ブロックバスターってのは超大型爆弾のことで、街の一区画、ブロック、まるごとぶっ飛ばす、くらいのボックスオフィスでの収益をあげるってことです)、が生まれたきた。だからもうすぐ40年、このブロックバスター路線が続いてるわけで、いい加減これも飽きられてるのも事実。はっきり言えばパッケージが違うだけで全部同じですからね。ちょっとSFテイストだったり時代物だったり戦争ものだったりするだけで、流れは全部同じ。演出の方法論もすべて。Iに言わせりゃロード・オブ・ザ・リングにしろスター・ウォーズにしろ、ハリポタだってダイ・ハードだって全部同じです。
結論はハリウッドもマンガも、ちょっと原点に立ち返ってみることも必要じぇね?ってこってす、Iがただたんに昔のマンガが好きだってだけかもしれませんけどね。ほんとなんか小奇麗で上手に描かれてるマンガを読んでると虫唾が走るっていうか、こんなんじゃない!って思うのですよね、PEREATのテーマでもあるのですけど、マンガ、のあの毒々しさを取り戻せ、ってことです。なんだこれ・・気持ち悪っ・・・っていう、圧を感じるようなマンガをほーーーんと久しく見てません。圧。それはアニメもそう、なんじゃこれは・・・っていうのを感じるような圧を持った作品ってのをほんと見てない。小奇麗になりすぎてる。それはでも読み手とか客にもすげー感じるのですよね、真剣でどぎついテーマだったりうっ、と来るようなものを避けるようになりましたよね、もっと軽い簡単なもののほうがいいやって・・・あらゆるものに対して、負担を全然感じたく無いって感じなのです。
房州さんの名言を思い出します
痛くなきゃ、面白くねぇ
これってやっぱほんとだと思うんですけどね、本当に面白いものって、ある程度、っていうかかなり、何か突き刺さる、っていうかうぐーーーってなるものがあると思うのですよね・・・・痛い思いするもののほうがいいよ・・・物づくりの面白さってのも本質的にはそこだと思う、辛いから面白いのですよ、簡単に音楽が作れるー♪簡単に絵がかけるー♪みたいなものが蔓延してますけど、それって真逆です、全然出来ないから面白いんですよ。
2015年2月2日月曜日
1908 三四郎 夏目漱石 漱石と宮﨑駿
三四郎は実は前にもブログに書いているのですね、けど遠い遠い昔のことで、すげー淡白な感想しか書いてません。
夏目漱石っていう人間は、たぶん・・・日本の芸術界、の中で未だ持って一位に君臨しているのだと思います。ドイツの芸術の最高峰はベートーヴェン、イギリスはシェイクスピア、フランスはこれは評価がワレますけどバルザック(かランボー、かヴェルレーヌか、ボードレールか等々好みが別れますねー)
ともかく日本を代表する芸術家は誰?とアンケートをとったら、たぶん漱石が圧倒するんじゃないでしょうかね。それは芥川にせよ、太宰にせよ、他のどんな作家にせよ、仮想的、っていうか超えるべき壁であり目標としてずっと漱石はいると思うからです。小説家じゃなくっても、物語を作る人には絶対漱石、ってのはどっかに残ってる、ロックバンドに対するビートルズみたいな存在ってわけです。
三四郎は其の中で、中間点に位置する物ですよね、たいして三四郎自体が、屈指の名作だとはだれも思わないでしょう、けど漱石が、猫だの坊っちゃんだの、草枕だのって、ある種洒脱な、軽い感じの作品の名手としてデビューしたけれど、三四郎以降は、すべて、生と死っていうか、主人公はほぼ100%深刻な鬱病っていうか、漱石いわく神経衰弱を抱えた青年、に限られるようになる。つまるところ三四郎は、純文学、ってものの出発点なんですね、それは漱石の、じゃなくて、日本文学の、日本の物語文化の、この時点から純文学ってものが始まるって言っていいと思います。
それ以前の美しい文章を書く、漱石、から、文章の美しさよりも、人間の内面へと切り替わっていく。
本当はそれはタブーなんですよね、本当のこと、生きてく意味なんか無いぜ。あるいは神様なんかいないっていう本当のコト、それを言うのはずーーーーーーーーっとタブーだったわけです。その本当のコト、と向き合うとこから純文学ってのが始まる、
純文学以前の芸術の仕事ってのは嘘をつくこと、だったわけです、それが本当のコトを言うことっていう風に、パラダイムが180度変わっていって、それくらい純文学の誕生ってのはものすごい衝撃だったわけですね、それは今でもずっと続いてると思います。
けど実際には、嘘が真実に劣っているってのは、純文学が勝手につくった価値観でして、嘘は真実よりも価値のあるものなのかもしれません、真実ってものにこれほど価値が置かれたのは丁度日本では100年前、西洋ではおよそ200年前の出来事、これが絶対の価値観じゃない、長ーーいこと、嘘は真実よりも大切にされてきた。嘘のコトを昔の人はキボウと呼んできたし、現在では幻想だって言われてる・・・・
そんな深い話は切り上げますけど、つくずくIは漱石と宮﨑駿ってのを重ねて考えてしまいますね、両方とも本格的デビューはメチャクチャ遅い30代の終わりですので、突然完成された形で
いきなり世界に現れた、そっから10年の間に主要な作品を一気にすべて完成させる、漱石はそれですぐに死んでしまうわけですけど、駿氏は割りと長生きします。けど駿氏がルパン、ナウシカ、ラピュタ、トトロ、耳をすませば、で死んだほうが、なんとなくスッキリしてると思いますね。Iはもののけは大失敗だったと思いますねー、別にそれは詳細しませんけど。
両方共、国民的、作家です。けどふたりとも結構なヤヴァいヤツで、奇跡的に世間に受け入れられてる。アニメーターや漫画家はずっと其の存在を忘れられないでしょう、そいで100年後に、図書館みたいなところに作品が残ってるのは結局駿作品のいくつかだけって気がすごいする。
夏目漱石っていう人間は、たぶん・・・日本の芸術界、の中で未だ持って一位に君臨しているのだと思います。ドイツの芸術の最高峰はベートーヴェン、イギリスはシェイクスピア、フランスはこれは評価がワレますけどバルザック(かランボー、かヴェルレーヌか、ボードレールか等々好みが別れますねー)
ともかく日本を代表する芸術家は誰?とアンケートをとったら、たぶん漱石が圧倒するんじゃないでしょうかね。それは芥川にせよ、太宰にせよ、他のどんな作家にせよ、仮想的、っていうか超えるべき壁であり目標としてずっと漱石はいると思うからです。小説家じゃなくっても、物語を作る人には絶対漱石、ってのはどっかに残ってる、ロックバンドに対するビートルズみたいな存在ってわけです。
三四郎は其の中で、中間点に位置する物ですよね、たいして三四郎自体が、屈指の名作だとはだれも思わないでしょう、けど漱石が、猫だの坊っちゃんだの、草枕だのって、ある種洒脱な、軽い感じの作品の名手としてデビューしたけれど、三四郎以降は、すべて、生と死っていうか、主人公はほぼ100%深刻な鬱病っていうか、漱石いわく神経衰弱を抱えた青年、に限られるようになる。つまるところ三四郎は、純文学、ってものの出発点なんですね、それは漱石の、じゃなくて、日本文学の、日本の物語文化の、この時点から純文学ってものが始まるって言っていいと思います。
それ以前の美しい文章を書く、漱石、から、文章の美しさよりも、人間の内面へと切り替わっていく。
本当はそれはタブーなんですよね、本当のこと、生きてく意味なんか無いぜ。あるいは神様なんかいないっていう本当のコト、それを言うのはずーーーーーーーーっとタブーだったわけです。その本当のコト、と向き合うとこから純文学ってのが始まる、
純文学以前の芸術の仕事ってのは嘘をつくこと、だったわけです、それが本当のコトを言うことっていう風に、パラダイムが180度変わっていって、それくらい純文学の誕生ってのはものすごい衝撃だったわけですね、それは今でもずっと続いてると思います。
けど実際には、嘘が真実に劣っているってのは、純文学が勝手につくった価値観でして、嘘は真実よりも価値のあるものなのかもしれません、真実ってものにこれほど価値が置かれたのは丁度日本では100年前、西洋ではおよそ200年前の出来事、これが絶対の価値観じゃない、長ーーいこと、嘘は真実よりも大切にされてきた。嘘のコトを昔の人はキボウと呼んできたし、現在では幻想だって言われてる・・・・
そんな深い話は切り上げますけど、つくずくIは漱石と宮﨑駿ってのを重ねて考えてしまいますね、両方とも本格的デビューはメチャクチャ遅い30代の終わりですので、突然完成された形で
いきなり世界に現れた、そっから10年の間に主要な作品を一気にすべて完成させる、漱石はそれですぐに死んでしまうわけですけど、駿氏は割りと長生きします。けど駿氏がルパン、ナウシカ、ラピュタ、トトロ、耳をすませば、で死んだほうが、なんとなくスッキリしてると思いますね。Iはもののけは大失敗だったと思いますねー、別にそれは詳細しませんけど。
両方共、国民的、作家です。けどふたりとも結構なヤヴァいヤツで、奇跡的に世間に受け入れられてる。アニメーターや漫画家はずっと其の存在を忘れられないでしょう、そいで100年後に、図書館みたいなところに作品が残ってるのは結局駿作品のいくつかだけって気がすごいする。
MAKING 189 / スーパーボール
さてEp30は描き方を色々変えていくと宣言の通り、色々試行錯誤してます、どこが?って思うかもしれませんが、影の塗り方です。違うソフトも試していってますー、painter はやっぱ独特でおもしろいんですけど、思った通りに使えるようになるには超タイムイーターですね・・・。
影を紫で入れる人っていますよね、紫派。寒色でも暖色でもない不思議な色合い、けど現実世界には紫ってほぼ存在しないので絵っぽい絵作りになりますね。
たぶんあと数時間後にはスーパーボウルが迫って来ました、アメリカの大イベントってやつはだいたい向こうの日曜の夜でして、日本では月曜の朝になってたいてい誰も見れないわけですけど、こういうときこそサラリーマンじゃなくて本当に良かったとおもふw Iの子供の頃の夢はともかくサラリーマンにだけはなりたくない、でしたw
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