2017年12月31日日曜日

よゐこ無人島生活  なすD 友寄D

http://www.miomio.tv/watch/cc358090/

 毎年恒例の無人島生活なんですけど、今回はもうほぼ100%なすDと言われている友寄Dという人物に食われてしまっています。

 わたし全然知らないでこの番組見るまでまったくわからないで那須っていう名前のディレクターがなんでかテレビ出てるのかな?と思ってましたら、まぁすげぇですね。

 こんなテレビにまだ情熱を持ってる人間がテレビ業界にいたんだ!ってちょっと感動してしまいました。ともかく野生児というか、ものすごいサバイバル力を持った素人なんですが、意味不明なくらいのバイタリティを持っていて、とにかく一番衝撃だったのは、無人島に漂着した中国のペットボトルに入っていた黒い液体をなんとそのままがぶ飲み。
 うっっそぉおぉぉんw まじで漂着物に入っていた液体飲みますか!?信じられない、お茶じゃなくてガソリンとかだったらどうすんの!?

 「死ぬギリギリを見せないと面白くない、そうじゃなきゃ見てもらう価値なんてない、頑張ってるところを視聴者は見たいんだから」


 コトバだけなら誰もいえますけども、このヒトのコトバには重みがありました、ペラペラの業界人の誇大広告気味な煽り文句じゃなくて、ガチで命がけで番組作ってんじゃん。頭おかしいぜw 面白いからって漂着物のペットボトルの中身飲めるやつなんてほんと今の業界に5人いないんじゃないですか?うんこ食べるくらいの覚悟がいりますよ。・・・そういうとうんこ食べるのが好きなやつも実はいるからなんか焦点がズレてしまいましたがw



 ほんとにこういう熱い人間がまだいたんだ、って感動してしまいました。結構今年の初めくらいから注目されていたらしいんですが全然知りませんでしたね~。すっかりファンになってしまいました、来年にも続編があるみたいなので期待大。やっぱ熱いのって面白いです、暑苦しいのは嫌、もっとおしゃれでクールなのにしようぜっていうのがありますけど、やっぱし熱いのは面白い。

  

 ただ画面の下にツイッターのコメントが流れるんですけどこれがまじで鬱陶しい、テレビでニコニコ動画の真似事やってどうすんだよ、って感じです、それにコメも凡コメばっかり、そりゃ無難なのを選んで流してるんだからそうなりますけど。みなさんのコメントを反映といいつつ、ディレクターが選んで流してるんだからそんなの視聴者の声を反映してるんじゃなくて、イエスマンを集めてるだけじゃんか、この偽客観性みたいなのがすごくムカつく、それに字が流れると人間の習性としてそれを見てしまうのでほんと邪魔でしかないです。邦画で日本語の字幕出てるくらい邪魔。
 素人がガタガタ言ってんじゃねぇってのも思いますし、こういうのに投稿しようなんてやつもことごとくクズどもだからほんとに嫌です。テレビの生放送見ながらツイッターするなんてクズ中のクズじゃないですか、暇すぎるだろ。
 画面の下を隠して見えないようにして見ましたけどなんでこんなことをしなければいけないんじゃ。

2017年12月22日金曜日

1996 新スーパーロボット大戦

 以前なんでスパロボってこんなにグラフィックが進歩してんのにいつまでもSDっぽい感じでやってるの?っていうことを書いたのですが、実はSDではないリアル等身のスパロボっていうのが存在していたのですね。それが新スパロボ、妙に知名度が低いのは、シナリオに問題がありすぎるってことがレヴューされてますけども、シナリオっていうよりはゲームの構造に問題があります。スパロボの物語部分読むやつなんてごくわずかですよ、みんなスキップしてます。



 8話あたりで地上と宇宙に分岐するんですが、これはスパロボいつもの分岐だなって思ったらそうじゃないんです、以下一切地上編と宇宙編は交わりません、宇宙に行ったロボットは二度と使えませんし、地上のシナリオは最後までずっと地上だけ。宇宙用のスペックが存在する必要ないじゃん!
 っていうかデータの無駄が多すぎますって、一方のシナリオを選んだらゲームの半分のデータはドブに捨ててるようなもんです。同じゲームの中に二種類のゲームが存在してる感じでして、スパロボの一番の売りである、お祭りゲーム的にアムロと機械獣が戦うみたいなことが一切起こりません。地上編を選んだらそもそもアムロが出てこないし。こりゃひどすぎる。しかもこの分岐がものすごい大事だよ、みたいなヒントは一切なし。


 両方の分岐を遊んでねってことなんでしょうけど、だったら8話とか微妙なところに分岐を置く意味がわかんないし、最初のオープニングで選ばしてくれりゃいいのでは?ともかくデータの無駄遣いです。分ける意味がそもそも無いですもん。
 話数も34くらいまでしかなくて、だいたい40レベルくらいまでしかあがりません。これもヴォリューム不足な気がする、2つのシナリオをあわせてミックスさせなきゃだめじゃん何考えてんすか!?
 


 グラフィックなんですが、これは相当緻密に作られていますし、当時としてはめっちゃ手間暇かかったろうなぁっていうムービーなどもあります、SRXなんて一回しか出てこないのにここにどんだけ労力を集約してんだよっていう感じ。リアル等身のロボットは・・・実際見てみると、たしかに、可愛げが無いかも・・・、っていうかスパロボの絵って背景に対して遠近感が無視しててあおりで描いてるじゃないですか、それがすごい変。空間が歪んでいて頭がちーちゃい。特にガンダム系は顔がちーちゃいと表情がわかりにくいというか・・・割りとイマイチかも。とにかくこの新スパロボ、が失敗作として認知されてしまったおかげで、リアル等身で描くっていう流れは廃れて、基本SD、カットインでリアル等身でCUするっていう形に決まっていったのですね。あとやっぱりリアル等身描くのがしんどいってのもあるんでしょうね、最近のロボット無駄にディテールがあったりしますものね。


2017年12月19日火曜日

にけつッ!!

 みなさんにけつっていうテレビ番組を見てますか?深夜にやってるケンコバとジュニアの二人が劇場でトークするだけという単純至極な番組。


 ガキの使いでダウンタウンがトークをしなくなって、その代わりとして生まれた番組といってもいいでしょう、スタッフがほぼガキと同じだし構成が高須のみっちゃんなのでそのままやん。

 ポストダウンタウンとして二人が選ばれたわけですけど、ワタシは、ジュニアがあんまり好きではないっていうか、ガキをずっと見てきて、どうも劣化版松本人志みたいな気がしてなんだか好きになれないというわけです。ケンコバはハマちょんの代わりじゃないし、全然色が違うのでかなり好きなんですけど。

 でもふとしたきっかけでガーッと10年分だいたいを見ました。


 やっぱりフリートーク番組こそ、実力が出るっていうのか、ワタシはネタってのが好きじゃないんですよね、笑わせよう笑わせようっていうのが鼻につくから、偶然というか、狙いすましてない、むしろ天然がツボなんです。
 ともかくそうはいってもジュニアは実力者なんだなぁと今更思いました。構成力がしっかりしてるっていうのか、松本人志イズムを受け継いでいるというのか。やっぱりしゃべれる 芸人さんですよなぁ。喋れる芸人、って実は本当は少ない。フリートークだけでちゃんと成立させることが出来るヒトってほんの一握り。

 じつはしゃべれる芸人、っていうのは、ラインを3本くらい走らせられる芸人なんだとワタシは思ってます、ひとつのことをしゃべっていながら、頭の中ではその話題、というライン、次の自分がしゃべる話題、トーク全体の構成、みたいなのが何本も走っていて、最初の話題のキーフレーズを三本目の話題と絡ませたり、トークの最初から最後まで、っていう全体の構成ってのが見えてないと、フリートークだけできちんと成立させることが出来ません。面白い話があって、それだけをしゃべることに100%使っているようではいつまでたってもゲストとして呼ばれるレベルを抜け出せない。
 このレイヤリングの話術、ってのが使えるのがしゃべれる、芸人です。でもこれはめっちゃ疲れるんですね、だからみんなやりたがらない。


 ちなみにさらに昔にはパペポといって、大阪ローカル?で鶴瓶と上岡龍太郎、という二人のトーク番組、ガキの使いは実はこれをパクってるのがあって、二人のフリートークだけ、というスタイルはそっから来てるのですね。

 それとガキの使いのトークは最初っから面白かったわけじゃないというのも大事なとこです、最初は結構グダグダだったけど5年くらいやり続けて完成されていったわけですね。松本人志は天才だってみんないいますけど、最初っからすべてに完璧超人だったわけじゃない、成長出来る場を用意したヒトもすごいんだよってことです。今はそうやって成長の場所、を与えるってことをしないから、ちゃんと能力が育たないんじゃないのって思ったりします。


 ともかくこういうフリートークだけの番組ってのは一番、今、ってのが直で伝わるメディアなのでニュース嫌いのワタシには大事な番組です。

1939 太宰治 火の鳥

 ヒトにはヒトを偉くすることなんて出来ない


ドキュメンタリー風に描かれた作品ですが未完です、大筋は架空の娼婦のような生活をしている女性が、黒色テロをして自殺をする男と出会って、心中するが自分は生き残ってその後女優になるという顛末。


黒色テロ!?

 耳馴染みがないコトバですが、黒はニヒルの黒。赤は共産主義者の赤。ってわけ。無政府主義者、といっても、無政府のほうが、自由競争によってうまくいくっていう市場至上主義みたいなのと、完全に虚無、すべてを滅ぼしてやりたいっていう全然違うのを指しますよね。この小説の場合は多分後者の完全な虚無主義者でしょう、たぶん。そのテロリストについてはあまり触れられていません。がすげぇプロットだなおい。っていう感じです。

 テロ、ってのが21世紀を象徴するワードだと思います。けど当然の成り行きといえばそうで、ガチでドンパチとなると核戦争になってしまって両方全滅になってしまう、けど、話し合いでは何一つ解決しない、階級は固定化される・・ってなるとそれが水道が流れるようにテロに向かうわけですね。この1939年の戦前、っていうのもだいたいそんな感じで、どうしようもない空気ってのが充満してる。けど戦前にはもちろん戦争という形がそれが爆発するわけですけど、21世紀は爆発する事もできずに、戦争無き戦前状態ってのがずっと続いてるわけです。

 そういうわけで、現代とシンクロするのはやっぱり1930年台なんですよね、すごい共感、出来るんじゃないでしょうか。

 すぐに死にたくなっちゃう!自殺っていうのがすごく身近に存在していて、生きてくのがしんどいってのが非常に伝わってくる。かっこいいんですよね、そぉいう感じが。かっこいいってのがすごい便利なコトバで、面白い!っていうコトバがあまりには汎用性が高すぎてもはや無意味になってるのに変わる新しい万能用語になるとワタシは思っています。

 かっこいいです、この小説のキャラクターたちは。未完となってますが、こんなの発表出来るわけない、って途中ではっと気づいた感じですね、熱に浮かされるようにダーッと書いて、ちょっと冷静になって、いやいや、これは本当のことを言い過ぎてる。ってやめる。けっこうこれって物書きあるあるだと思います。ちょっと待て、本音を書きすぎてる、だめだよ、っていう気分。

2017年12月15日金曜日

1986 Top Gun トップガン

 有名だけど見てない映画を見ようのコーナー。

 戦闘機映画といえばトップガン、ほかにあんまし戦闘機をフィーチャーした映画ってのは聞かないですよね、第二次大戦でスピットファイアだのムスタング、B-21とかが出てくるのはありますけど戦後の超音速戦闘機が出て来るのは少ないし、出てきてもネタとして登場というか、リアリティの無い登場の仕方をします。

 実際に戦闘機が戦った、という事実が相当少ないのですわね、相手もちゃんと戦闘機で戦ってくれる国ってのが存在しないわけで、中東の戦争だって、一方的に爆弾をぶち込むだけで戦闘機同士が戦って活躍するなんて機会はないし、っていうかもしそんなことになってたら、核戦争のリスクがありすぎてやれ戦闘機の空中戦がどうのというレベルの話ではなくなってしまうから。


 核ミサイルが死ぬほどあるのに、わざわざ莫大な予算をつぎ込んで戦闘機を作る意味がまぁわかんないですけどね、軍需産業にカネをあげるためだけにやってるようなもので。


 映画としてはほとんど内容は無いに等しいようなもので、トム・クルーズが若くてイケメンであって、金髪の上司とセックスしたり、同僚が死んだりするっていう物語です。
 ただ戦闘機のシーンは他の映画では見られない映像というか、なるほどなぁ・・っていうシーンばっかりです。一体どうやって撮影したのかって感じ、それとめちゃくちゃお金かかったろうなぁ・・・っていうことだけが深く印象に残ります。今みたいにCGじゃなくて本物を使ってますからね。

 絶対にハリウッド以外には作れない映画ですね。F-14、トムキャットは複座機で二人乗りってことすらも普通のヒトは知らないですものね、戦闘機ってのはだいたい一人乗りだと思っています。まぁ後ろのヒトが何をやってるのかちっともわからないのですが。

2017年12月12日火曜日

1844  早すぎた埋葬  the Premature Burial E・A ポー

ポーの短編小説で、いわゆる生き埋めモノの始祖的な作品。火葬するタイプの国からするとあまり理解しづらいテーマですが、キリスト教とか、死者復活系の文化のところには常に刺さるテーマみたいですね。

 ポーという作家は、新たなジャンルをたくさん生み出した、ジャンル自体の創出者として他にいないくらいのパイオニアです。

 まずこの小説にもあるようなホラー小説、そしてルーモルグの殺人のような探偵小説、スリラー小説、サスペンス小説、そして象徴派風の詩。

 こんなにたくさんのジャンルを生み出した作家は他にいないんじゃないですかね?本屋の棚を見ると、ほぼポーが生み出したジャンルは、今では小説の三分の一は確実に占拠している状態。

 純文学は全体の5%以下かさらに少ない、ファンタジー小説は戦後にかなり勢いを伸ばして、いわゆるラノベみたいなのもファンタジーに入れると25%くらい、歴史小説、SFが10%くらいずつ、あとは官能小説とか、どうしようもないクズみたいな小説(恋愛小説のことね)、がちょこちょこあるって感じです。ちなみにポーはややSFチックな作品も書いています。

 いわゆる文学賞的なものも今では純文学っぽいのは少なくてほとんど、サスペンス小説をちょっとこねくり回したものがほぼ全てです。

純文学って何なの??っていうとこれはもう終わりなきBGMで結局はっきりとした答えはないんですけど、ワタシが思うにはつまりはリアリズム小説のことなんじゃないの?って思います。カミサマとか魔法とか魔物、殺人鬼とかが出てこないやつ。殺人鬼は実際にもいるじゃんって言うでしょうけど、そんなの一億人に一人くらいの確率でしか存在しません。そんな超特異な性質の人間を主人公にしてるのはやっぱリアル、ではないんじゃないの?って感じです。


 ワタシはホラーっていうジャンルがすごい苦手で、なんでわざわざ怖い思いをするのに時間やカネを使わないといけないんじゃ、って思うタイプです。でも探偵ものとかサスペンス系は結構好き。

 それでもやっぱりワタシが一番すごいって思うのは象徴派的な詩まで作ってるところですよね、いわゆるこういうホラーとかやたら黒が多様されるジャンルの人間で、詩までこなすってのは特異な才能ですよね、だからホラーとか苦手やなぁ・・・とかなんか重い、暗いっていうのが苦手なヒトにも刺さるように小説も作られています。構成力というのか、書き方、っていうのもかなり独特で19C前半の人間としてはどう考えても早すぎる、時代の先を行き過ぎてます、生前はかなり貧乏だったというらしいのですがさもありなん、図抜けて優秀すぎて周りは一切ついてきてない感がすごいです。

2017年12月11日月曜日

2000 ドラゴンクエスト 7 Ⅶ

 今更こいつはなにを言ってるのか!?と思われるでしょうけど最近DQ7をプレイしました。実はワタシのゲーム履歴って初代プレステがぽっかり抜けてるのですよね、ちょうど受験とかでゲーム離れしてた時代というわけで。よってプレステ時代のゲーム補完計画が始まることになったのである・・・

攻略情報

・石版の間までの道のりが非常にめんどいとお困りのみなさん、ルーラで謎の神殿に移動するとすぐに石版のところにいけますよ、最初に説明してよ!!何回もあの道のりを歩いてしまったぜ!

・キャラの抜け入りが結構あるのでどう育てていけばいいのかわからん!というヒトに単純な答え、全員をゴッドハンドに目指せば間違いないです。
 ちなみに
キーファ、序盤の終わりで抜ける。
ガボ、加入から最後まで
マリベル 中盤で抜ける ラスダン手前ぐらいで復帰
メルビン  中盤の後半で加入 最後まで
アイラ  終盤で加入 最後まで
 です。マリベルはたぶんほぼ使わない。終盤で再加入してもずっと棺桶でもおk
回復はしゅくふくの杖と賢者の石しかほぼ使わないので僧侶すら不要。打たれ強いやつに杖をふらせれば良い。ゴッドハンドにするまえにパラディンになるので結局全員僧侶は通過する羽目になる。

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今回のドラクエ(も)わりかしノーヒントすぎて石版集めがすごい大変。今回は石版は必須アイテムで取り逃したら進めないのですけど、それが普通にダンジョンの宝箱に入っていたりフラグの立ち方がわからなかったりと非常に攻略情報なしだとストレスを抱えますこのゲーム。
 まぁドラクエは昔っからうそぉん!そんなのわかんないよ!っていうのがあったりするゲームでしたけどね。ワールドマップの沼でラーの鏡を拾ったり。この7は特にそれが多い気がします、街の全員と会話しないとわかんないじゃんみたいなの。過去と現代を行き来してイベントをこなさないといけないのですがこれもかなりムズい。

 とにかく長いというのが7の一般のレビューのようです。(最終的にプレイ時間は70時間くらいでした。ワタシはロープレは50時間は遊べないとだめっていう基準なので、これはかなりの合格点)確かにヴォリュームという点では素晴らしい。エンドコンテンツという便利なコトバが今はあって、つまりは裏面のことですけど、せっかくキャラを強くしたのにその強さを発揮する場所がなくてゲームが終わってしまう、裏面はあるにはあるんだけど、ゴリゴリのコアユーザーにしかクリア不能でレベル上げのやる気が起きない。っていうことがなくて、ギリギリ耐えられるくらいのレベル上げで攻略出来るようになってます。
 といってもワタシはレベル上げすぎました、たぶん42くらいでラスボス勝てるんですが、47くらいまで上げてしまって、全員ゴッドハンドにしてしまったので、ラスボスめちゃ弱っ!ってなってしまいました・・・。レベル上げるつもりはなかったんですけど、ゴッドハンドにはしたかったので・・・。
 ともかくバランス調整がすごく緻密になされています。レベル上げはたぶんギリギリまでしないで大丈夫。転職システムなどがあって自由に育成出来るとかにすると難易度のバラ付きが多いんですけど、全然戦闘向きじゃない職業ばっかり、ってことにしなければ、ギリギリ勝てるラインにボスが設定してあります。
 (ワタシみたいに最短で全員ゴッドハンドにするとヌルゲーになってしまいます、あと剣の舞が優秀すぎ・・裏を返すとゴッドハンドという職業が圧倒的に最強すぎて他の職業が存在する意味がほぼ無いです、モンスター職なんて一回もならなかったし・・・ゴッドハンドはアルテマソードという最強の攻撃、ザオリク、ベホマラーを覚えるので万能です、ゆうしゃはまったく意味の無い職業、ここだけバランス調整が出来てない気がする・・、ほとんどの職業がほぼ空気)


 ゲームで一番重要なのはバランス、これがワタシの信念。ドラクエっていうある意味単純なロープレが今もずっと人気であり続けるのはドラクエはゲームバランスにおける信頼感があるからだと思います。雑いゲームだと、あるキャラが強すぎて他がゴミ、オーラバトラーが無双、主人公一人で勝てる、バランスブレイカー技が存在していて他の技一切使わない、ってことがしょっちゅうですけど、ドラクエはいっつも発売延期を繰り返してギリギリまでそのバランスを調整しているのでしょう。ワタシはドラクエ派では全然ないんですけど、そこは素直にあっぱれ!w

2017年12月8日金曜日

1909 永日小品  夏目漱石

 短編というかエッセイみたいなものを色々に織り交ぜた作品で。

 夏目漱石っていう作家は、何が言いたいのか、というのをはっきり言わない作家です、どういうことなの??っていうのを読者に委ねる。突き放したようでもあり、ミステリーや謎解きになっているともいえます。一体この作品は何がいいたいのか?っていうのを考えながら読まないといけないから、読み手を試しているようで、なかなか・・おっおれはわかったよ、こういうことだろ??っていうのに勇気がいったりします。他にこういう書き方をする作家はあまりいません、独特のスタイルなんですよね。

 イギリスに留学していた頃の昔話がかなり書かれているのですけど、やっぱり20世紀初頭ごろのイギリスに日本人が、しかもあの夏目漱石がいるってのはすごく妙なアナクロニズムみたいな感じを受けます。あの乗合馬車と霧のホームズが走り回っている頃のロンドンに、日本人の学生が詩とシェイクスピアを学びに来ているというのは、脇役として登場したらとっても変な感じですよね。

 戦前という時代は実はものすごく現代よりも先に言ってるというか残心だなぁおいっていうものがあったりします、戦前のほうが前衛的だったって気がかなりする。挑戦的なエネルギーに満ちています、ファッションなどを見ると、戦前のモードファッションってのはすごい。セカイ全体が持っているエネルギーってのはもぉパンパンに膨れきっていていつ爆発してもおかしくないという空気感がすごいのです、実際爆発するんですけど、そういうスケールの大きな感じ、ってのを感じさせてくれるものが現代にはあまりないのですごい羨ましいですね。

2017年12月4日月曜日

1983 フラッシュダンス

いわゆる映画名作ランキング!みたいなのに入らないけれど、一部の世代に非常に刺さった作品っていうものがありますね、映画にかぎらず、名作や古典として残ってはいないけれど、記憶に残っているっていう。

 この映画もその手のもので、現在40くらいの人々にかなりビシっと刺さった映画だと思います。

 映画レヴューや映画賞みたいなのってつまんない映画に賞を与えますよね、映画賞としてのかっこつけだったり、批評家としてのおごりだったり。結局は病気もの、戦争もの、子供、刑務所、がだいたい賞をとることになります。はいはいまた中東の戦争ね、へぇへぇ・・・。っていう感じ。


この映画は青春ダンス映画みたいなもんで、ダンスの正式な教育はまったく受けてない女主人公が、バレエダンサーになりたいという夢に向かって頑張るっていうものすごい王道極まりない青春映画。ただ、女性主人公ってのは当時は珍しかったのでしょうね、今ではむしろこっちが主流なんですが。夢を追う若い女性たちっていうのがテーマになっているのではかなりパイオニア的な映画のようです、だからこそ当時の若者にはかなりぐっときたんでしょうね。

 ストーリーも至極わかりやすいこと極まりない、バレエのオーディションなのにブレイクダンスのようなポップダンスをかまして合格するという、なんか漫画でよくありそうなやつの元祖なのかもしれません。今ではポップ系のダンスのほうがむしろメインストリームみたいになってますけどね。

 ダンスってのはポエムと同じくらい現金化しにくいメディアです、ダンスを見てお金を払うっていう文化が無いというかそういうルートが存在してないというか。結果、バックダンサーみたいなことで脇役みたいなことをして小銭を稼ぐことになる。
 けどだからこそ尊いってこともあると思います、脇役にとどまるということじゃなくて、お金にならない芸術だからこそ素晴らしいと。

 ある数学者が言っておりました、数学な実生活には何の役にも立たないものだからこそ美しい。

 カネにならない芸術だからこそ美しいってわけです。ワタシは未だにお金持ちの表現者ってやつを信用しないという前時代的な反骨精神を信奉してますw 

 CDは今は売れないから音楽業界はだめになるってJASRACのクズどもは言ってますけどワタシは絶対にそんなことないと思います、宅録の技術も進歩してるし、っていうか一般人はそんなに音質なんかにこだわっちゃいないですし、カネにならないから音楽辞めるっていうやつは辞めても続けても、いい音楽が生まれるかどうかには一切関係ないという気がします。
 カネなんかなくたって情熱とアイデアと才能さえあればいい曲は出来ます、映画とかとは違うんですから。