2021年10月29日金曜日

Fgo 2.2章 ゲッテルデメルング

  2.2章も突破しました。


ネタバレ警報

 

今回は北欧神話が舞台。


 シナリオの出来はまぁまぁでしょうか。


 というかシナリオライターの腕、というよりは、北欧神話自体、がおもろすぎる世界設定なんですよね。世界設定が抜群に面白くて、使えるネタもふんだん、ありすぎるくらいあるんだから、これでつまんなくしようってほうが難しい。単純に神話通りに物語にするだけで十分面白い。

 リア王を演出しろ、と言われたら、よっぽどのことがない限り面白くなります、リア王がだってめちゃくちゃおもしろいのですもの。

 

 RPGの原型はD&Dと言われておりますが、それよりも、本当の母体、は北欧神話にあるとワタシは思っております。

 北欧神話ってものすごい特殊、でして。その一番の肝、がこのタイトルにもなっているゲッテルデメルング。つまり「神々の黄昏」 運命の女神によって、ラグナロク、最後の戦いが起こり、神々は全て死ぬ。というのが最初に予告されて、神話がスタートする。物語のはじまりでグッと心を掴んできやがる。


 まず神、が死ぬ、って設定が斬新ですよね。神は全知全能、無敵、なにより不死、死なない。ってのがだいたいの神話のお決まり。冥界に行くことがあっても、存在ごと抹消されるってことはない。

 けど北欧神話の神々はもう全員死ぬ。これを思いついた古代の人、自分のアイデアに震えたでしょうね。


 オリジナルの原典を読めばわかるのですが、北欧神話って、真面目一辺倒、殺伐としてシリアスな殺し合いだけじゃなくて、どっかユーモアがある、戦う英雄たちの陽気さ、みたいなものがある。カラっとして清々しい。


 何より戦うこと、を肯定しているのが大きいと思います、だいたいの神話の着地点は戦うことが愚かであり、全ての欲望を捨てよ、解脱して悟りを得よ、殉教、殉死、をよしとする、っていう、結果的には生きること、を否定する結論に至る。


 北欧神話は、戦って、笑って、酒を飲んで、恋をして、泣いて、かっこつけて、生きることを楽しもうぜ、っていうポジティブエナジーがどっかにある。それはどこから来るんだろうか?っていうと最初に戻りますが、やはり死ぬ、からだろうと思いますね。

 

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 このシナリオ、良いと思うところがあります。

ゲルダという少女が出てくるのですが、この世界の人間は25までしか生きられず、人間牧場みたいなところから出ることが出来ずに生きるという運命を負っている。最近こういう設定多い。


 だいたいもうこういうシナリオでは、ゲルダはその牧場から抜け出して、自由に生きていくのでした、おしゅうまい。っていうくだらない終わり方をするものですが、このシナリオではゲルダは世界の消滅と共に消滅します。


 子供を殺してはいけない、っていう不文律があります。自殺を称賛する物語は書いてはならない、っていうルールと同じように。子供が殺される映画とかも撮ってはいけない、ビデ倫みたいな審査で通らない。出版も出来ぬ。


 もちろんこのシナリオでもキレイに後味が悪くないように何重にもフォローしてますが、子供を殺してシナリオが進んでいく、その咎を負って進め。っていうのは珍しいですよね。

 オレは世界を滅ぼしてしまった、みたいなのはありますけども、はっきり、子殺し、を主人公がするってのはなかなか珍しい、思い切った決断。「主人公は嫌われてはならない」っていう鉄則がある。特に長編では。


 ゲルダがいかにもこの子は絶対に殺させない、っていう綾波レイみたいなタイプじゃないのが惜しいところです。読み手が感情移入して、いやだ!絶対この子は救う!運営許さねぇ!っていうくらい、ギャルゲー美少女みたいなキャラだったら、さらにワタシは褒めてあげたいですね、攻めますなぁって。


 実は生きてました、っていうクソみたいなオチだけはやめてほしいと願うばかり。


 

2021年10月27日水曜日

1983 ダーティハリー4

  シリーズ四作目はイーストウッド本人が監督。


 内容としては、レイプされた女性が、復讐としてレイプに関わった人間を殺していくっていうお話です。


 こういう非常に取り上げづらいテーマを扱うってのがイーストウッドスタイルになっておりますよね、人種だったり、尊厳死、マイノリティ、エトセトラ。エンタメ映画にするにはあまりにもえぐいテーマ。映画賞がすぐにべた褒めするようなテーマです。


 そういうわけで全然エンタメ映画じゃなくなってしまいました、シリアスがすぎるぜ。


イースウッドがすでにおじいちゃん過ぎて、こんな年食った刑事いるわけねーだろ!って無理が出てきています。

 ベッドシーンもあるんですが、さすがに無理がないかい?こりゃシリーズ終わらせたほうがいいなと誰でも思うよね。

 でもハリウッド映画ってこの、おっさんと若い美女のベッドシーンがありますよね、日本人的には、いや、そんなわけねーだろって思うんですが、海外の人は、そういうこともあるよねー、ってことなんでしょうか?老け専。

 噂では海外の人間は大人であることを重視する、みたいに言葉では聞くのですが実際の確証めいたものはまったくない。


 でも映画としては、さすがそこはイーストウッド、ちゃんとしてるっていうのか、地肩が強いっていうのか、ダーティハリーっぽいアクションはなりをひそめましたが、なかなか見れますね。

2021年10月26日火曜日

2017 アニメ Fate/Apocrypha

  オリジナルは小説で、2012年。

Fateのアポクリファ、外典、ですね。


 スピンオフ、とありますが、アポクリファ、ってのは外典、ですからちょっと違いますね、言葉の意味的に。


 一言で言うと、劣化版、本編よりも、いろんなところがダサい。そういう意味でも正しく外典です、聖典として認められてない。


 ワタシが見たのはアニメ版ですから、小説は出来が良いのかもしれません、それはわからぬ。でもゲームのスピンオフの小説なんて普通読む?

 アニメの小説版スピンオフとかって言われても・・えー??って感じがしませんか。


アニメはアニメ、小説は小説、マンガはマンガ、だとワタシは思うものなり、アニメ化とかマンガ化、みたいなコンバージョンで良くなるってことは滅多にない。小説で面白い物語と映像で面白いものって違うもの。

 小説をベースにしてるけど、全然違う話、っていうのならアリなんですけどね。キューブリックの「ロリータ」とか、原作よりもむしろ良い。

 でもそれが機能するのって、映像化、とかをしてる作家のほうが、原作作家よりも優秀な場合のみですね。というかそれはコンバージョンが成功してるってことではなくて、オリジナルよりも優秀な人間に描き直してもらってるってだけなのかも。


どこが良くないかと改善点を模索します。


・しゃべりすぎ


これがノベルから映像化でだいたいやる失敗なんですが、小説のセリフの尺感ってのは映像にすると、ものすごいダサい。声に出すように書かれてませんから、実際声にするとものすごいダサい、こっちが赤面、聞けたものじゃない。

 自由ってのは何だろう?

こんな言葉、って頭おかしいやつじゃなきゃ声には出しませんよ。変です。めっちゃ書かれた言葉を読んでるって感じがする。

 アクションシーンでもべらべらしゃべってるんですが、それもやっぱおかしい、戦ってるやつはしゃべりませんよ。

 とにかくがっつりセリフをカットですね。意味なんかわかんなくてもいいんです、アニメなんだし。言葉じゃないもので伝えるのがアニメですし。


・浅い

 これは根本的な話になってしまいますが、話の内容が浅い。特にヒロインのジャンヌですね。最初は弱気だったり、ワタシには何もわからない・・みたいなこと言ってみたり、突然強気になったり、いきなりデレたり。言ってることもどっかで聞いたような一般論ばかり。頭悪いやつの哲学講義ほど耳障りなものはないです。お笑い芸人に人生の生き方、みたいなの講義されたくないでしょう?

 作家が頭悪いですね、単純に才能と頭脳が足りてない。それならそれで、何も考えないで気楽に楽しめる物語にすればいいのに、一応ジャンヌ・ダルクっていう実在?した人物をモデルにしてるのにこんなペラペラなキャラにして、浅い正義を語らせてしまっては失礼ってものです。それじゃ他人を騙って勝手に自分の意見を言ってるのと同じですもの。

 物語の構造的に、ジャンヌってキャラはいらないですね。ジャンヌのせいで、主人公も空気になっている、邪魔してるだけです。


 面白さが足りない

いや!じゃあダメじゃん!ってとこなんですが、もっと面白くなるようにしなきゃいけないのでは?と思いますね。

 基本的に、技名を大声で叫んでるだけです。それで強いやつはとにかく強くて無敵。はなっから戦っても無意味。


「技名!!」

「効かない!強いから!」

「うわぁ!」


「技名!」

「効かない!無敵だから!」


「オレは無敵だ!」

「無敵を貫く武器を持ってた!」

「うわぁ!」


小学生の喧嘩レベル。クソです。


 なにか制限とか理屈、がなきゃいけないと思いませんか?

なんでこいつが勝ったの?

もとから強いから。

 ・・・おもんなー。


必殺技は何回まで、とか、クラス相性とか、それがなきゃ戦略性みたいなものがまるで無い。というより、戦う理由がない。

 ジャンプ式のマンガであれば、修行する、ってのがあります、勝てない相手に、努力して必殺技を習得して、それで勝つ!ベタですが、王道です。

 ジョジョみたいに戦略で勝負ってのもあります。殴り合いでは勝てなくても、罠にハメたり協力したり。

 なんでもいいから、勝つための、理由付け、をしなきゃまったく面白くないです。生まれつき強い、もともと武器が最強、そりゃないぜ。

 確かにそれはリアル、ではありますけどね。現実はそういうもの、生まれた時点で圧倒的強者。どうあがいても無敵。だから現実は面白くないわけです。エンタメなんだから面白くしたほうがいいのでは?

 いや、どうしてもオレは現実の不条理を描きたい、面白くなくていい!っていう志があるなら、それはまぁ仕方ないですが・・・。確かに面白くなくてはいけないっていう決まりはない。夏目漱石の後期の作品とかも、お話の面白さ、を放棄して、めちゃくちゃつまんないのですが、もはや面白さを求めない、っていう領域に達したようです。確かにもうすぐ死ぬんだし、誰かのために書く理由がなくなったのでしょうが。

 その代わりに誰も見ないですけど。


 小さな問題

・主人公ジークのキャラデザが非常にイマイチ。髪型が変、コスデザも悪い。単純に良くないとしかいいようがない。


・作画はそれなりに、パーツが多すぎて描きにくいキャラをちゃんと動かしてると思うのですが、アニメーションの基本として、「重さ」、が感じられるのがいい動画だっていいます、量感っていうのか。足をちゃんと大地に踏みしめてる感。

 でもこのアニメのアクションはその重さ、が全然ないんです、とにかく派手でスピード感を出したいってことで、魔力で戦ってるんだから重さがなくてえぇねん、ってことで、たしかにそのとおりなんですけど、自由すぎると、逆に不自由になるってことで、アニメーション自体としてはつまんない動画になってしまってますね、エフェクト多用しすぎ。

 誰かが、ロボットが宇宙で戦うアクション一体何がおもしろいのかわからん、って言ってました。ただ銃撃ってるだけやん。宇宙はもちろん重力ないですから、面白いアクションをつけんのが逆にむずいんですよね。共感もしずらい、宇宙行ったことないし。

 足が地面の雑草に触れる感覚、相手を殴った時に自分の手も痛くなるような感じ、そういう共感出来る感覚を起こさせるのが良いアニメーションだと思いますけどね。

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 まぁ結論としては、このアニメ、クソつまんないです。面白いものを作ろうとしてるのであれば、この作家はもう二度とものを作るべきじゃないです、単純に才能が無い。

 それが現実ってもの、現実の不条理を伝えたくて、あえてつまらないものを作ったのだとしたら、まさにそのとおり、これを作った人には生まれつき才能がなくて、努力ではどうすることもでない。何をしても無駄、面白い作品を作れるかどうか、生まれつき決まってるから。




 

 

2021年10月25日月曜日

FGO アナスタシア 編

  今更アナスタシア編をクリアしました。


ネタバレ有り



セイレムのシナリオがひどすぎたので、続ける気力奪われてしまうところでしたが、このロシア編は、無難な出来ですね。

 謎解きみたいな要素は無い、ワタシの分類では


 うぉぉおおおお!!  系の物語です。ようするになんかトリックとかミステリーみたいな要素はなくて、最終的には気合でどうにかなる。うわぁぁあ!!って主人公が覚醒すると無敵になって、メカでも出力を超えて新しい必殺技が使えて、絶対攻撃を受け付けない!!とさんざんふれこんでいた強敵でも簡単に倒せるっていうあれです。

 ロボットアニメってだいたいこれ。気合でなんでロボットが強くなるのかまったく意味不明、実はロボットではなくて生体メカだとかうんちゃらかんちゃら・・・。

 機械仕掛けの神方式って言ってもいいのかも、最後には非常に都合の良い無敵の存在が登場してすべてまるっと収まる。


 別に批判してるわけではなくて、子供向けにわかりやすい作品を作るには一番の手法です。古代から、いやそれなんでもありやん、とアリストテレスにもツッコまれてもこの手法が残ってるのは、これがエモくて熱いシナリオにはピッタリだからですね。だって感情とか情熱で強くなれるんだもの、エモーションがそのまま力に変換できる、こんな便利なものはないぜ。 

 どんなに最悪の状況でも強引にハッピーエンドに出来るってのもあるし。


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 それよりもこの第二部、が始まって、さんざん頑張ってきたはずなのにあっさり人類滅びてるやんってのがウケますね。そしてまぁそれは過ぎたことっしょ!って感じでスルーされてるのもウケる。


 このロシア編、弱者を見捨てるかどうか?ってのがテーマのようで、弱肉強食の世界の世界じゃいやだ!幸せになれない!って共産主義者みたいなことを言います。(ロシアだからか?)

 もちのろんで、主人公はキレイゴトばっかりほざく、ワタシは誰も見捨てない!なるべく殺さない!みんなを救いたい!世界を救うのだ!


 共産党の政治家かよ。

 

 現実でも選挙が近づいていて、共産党だけじゃなくて誰もかれも、弱者を見捨てない!全員幸福になれる社会!ってことをほざいております。


 マルクスの時代からそうなんですが「貧富の差のない平等で幸せな社会」ってのが

「実際にはどういう社会なのか?」

 っていうのを誰一人掲示出来たものはいません、想像することすら出来ぬ。

いわば「重力の存在しない、新しい物理法則の世界」

と言ってるみたいなもの。それって実際にはどういうことなの?ってのを誰も理解出来ないし、考えることも出来ない。

 あまりにも現実とかけ離れすぎるている、言葉を組み合わせただけの概念で、ほぼ意味不明なんですね。そんなもの本当に信じてるなんてアホすぎる、言葉に酔ってるだけ。


 SNSなどで誹謗中傷が問題となっていて、AIがそいつらを自動で排除する、っていうふうになってますが、それが見捨てる、ってことです。どうしようも無いやつの存在を抹消する、それが見捨てるってことです。


見捨ててるじゃん、見捨てるでしょう?普通。


 見捨てるってゲームの中みたいに善良で無垢な弱者を見捨てるってことじゃない、他人の悪口を言うことしか生きがいの無いどうしようもないクズを見捨てること、これが現実の、見捨てる、とうことです。

 誹謗中傷といいますが、いわれのないことで悪口を言ってるのはそうかもしれないけれど、本当に死んでほしい、本当に大嫌いだ!という怒りや憎悪、妬みは別に嘘ではない。まじで死ねばいいのにって思ってるのは本音でしょう。

 クズやカスみたいな人間が、現実には、存在する。ゲームの世界はそういう存在を始めっから見捨てることで成立してる、だから楽しい。だから見捨てないってことも出来る。

 

それでも見捨てないの?


どうやって見捨てないの?


見捨てないってのは一体どういうことなの?意味わかっている?死刑制度のある国なのに誰も見捨てないとか言ってる人たちの頭はどうかしてますわ。


ちょっと話変わりますが、抹殺されてる意見、にワクチンを拒否する理由。ってのがありますね。明らかに、メディアには流してはいけないっていうことになってるみたいです。

 

 副反応が怖いから、とか、陰謀論に凝り固まってる!っていう、ワクチン拒否者はアホっていうネガキャンをやってますが、ちゃんと考えてワクチンを拒否してる人だっておりますでしょう。


 その一つは「自然に逆らうな」ってことだと思われます、人間が伝染病で死ぬのは自然のこと、季節が変わるように、人間の数が減るだけで、自然破壊も少なくなり、気候変動も抑えられる。可愛そうだ!「見捨てない」「命が何よりも大事!」みたいなことを言って、無理に自然に逆らうと、自然のバランスがぶっ壊れて、システム自体が完全にクラッシュして絶滅することになる。

 明らかに人間が増えすぎて、この星のバランスが圧倒的にぶっ壊れてるのは誰の目にも明らか、ウィルスは、自然のシステムがそれを元に戻そうとする、スタビライザー、それにまた逆らって、自然を攻略する、という愚行を繰り返せば、アクセル全開でさらにスピードを上げて生態系の破滅へと突き進むことになりますよ。


 ってことだと思います。この意見を支持するかどうかは別にして、意図的に反対意見だけ抹殺して、ワクチン拒否者はアホ!っていうレッテルを貼るのはやり方が汚いですわ。



2021年10月21日木曜日

2019 映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ

  子供向けの60分の映画なのですが、異様に高評価で大ヒットした作品。


 すみっコぐらしワタシは良く知らないのですが、たぶん、サンリオ、たれパンダ、みたいなグッズキャラ・・・ですよね?マンガ、とかそういうことではないと思われる。キティさんみたいなことだと思います。


 60分の映画ですけどなんかと抱き合わせ上映?東映映画祭りみたいなことではないと思われる、でも60分の映画で普通のチケット代?色々謎。


 手書きアニメと思わせて、手書き風3Dアニメなんですが、背景などは手書き、というか、「手書きの絵」を「3D空間にテクスチャとして張り込む」っていうやつですね。これをどういうジャンルとして扱うのか謎、たぶんアカデミー賞にもこの区分がまだ無いんじゃないですか?Fake 2Dアニメっていうのか。

 でも実際は現在の2Dアニメ、ほぼどっかしらに3Dが入っていて、もはや手書きかフル3DCGか、なんて意味の無い質問であります。

 キャラは基本3Dモデルを作ってありますが、この手法がこれからどんどん増えると思われますね。まぁ予算の問題ですわ。

 


 映画だけでなくて、ゲームもなんでもですが、金をかければいいというものではない、っていう時代になっております。Tiktokが流行ってるのとかもそうで、問題は画質とか、作画クオリティとかじゃなくて、結局のとこ、面白いかどうか。なんですよね。

 ムービーばっかりの大作RPGよりも、ユーザーとの相互関係が強いスマホゲームだったり・・・

 

ただのこの「面白さ」、ってのは数値化出来ないし、こうすれば面白くなる、という方程式も作りにくい、ようは才能だとしか言いようがない。曲、とかもそうですね、金をかければいい曲が出来るかというとそうではない、「アイデア」、がすべて。でもグッドアイデアを出す、やりかた、マニュアル、みたいなものは無い。

 

 でも一番大事なのはこの「アイデア」、そこに金や人材をつぎ込んでどんどんおもしろくさせることは出来るけども、アイデア、自体は才能、が生み出すしかない。



 映画の内容は、要するに、すみっこ、達が絵本の中に入り込み、一人ぼっちのひよこ?の居場所を探すっていう物語です。

 この「友情もの」ってのはいつだって普遍的。恋愛とか戦争とかは受け手を選ぶけども、友情は誰にでも伝わる。好きな人間のタイプはそれぞれ、戦いを好むかどうかも人それぞれ、でも友達がいらないやつなんているかい?って話。

 人は誰か一人でもいいから愛されていれば生きていけるといいますが、ワタシは別に誰からも愛されてなくても、友達がいれば生きていけると思う。というより、友情は愛情の上位互換だとワタシは思っている。愛情は血の繋がりだとか、性欲だとかが付随してきますが、友情にはそれがない、さらに愛情ってのはクローズド・サークル、誰か一人、だったり家族、だったり、周りに壁を作るけれど、友情は炭素みたいにどんどん鎖を無限に増やせるというわけ。

 だから「友情もの」映画がたくさん生まれそうなものですが、実際にはそうはならない。だいたい恋愛ものか、残酷なバトルものです、なんで「友情もの」が多くないのかというに、エンタメ、としてそれを作るのが難しいからだと思います。


 エンタメとはなにかっていうと基本的には「他人の不幸を見ること」ですから。不幸な境遇から頑張る話でも、ただ不幸に残虐に殺される話でも「他人の不幸」、がエンタメの柱、それを「友情」と絡めるのはなかなかむずいのですね。

 だからいわゆる癒やし系、ゆる系、日常もの、に落ち着く。それと「友情もの」の一番の弱点は、観客が友達のいない一人ぼっちだと、ただただ寂しいってことですね。でも友達がいる、人のほうが本当はレアなんだと思いますけどね。

 

2021年10月14日木曜日

 2016  i am Brian Wilson Beach Boys ブライアン・ウィルソン自伝

  不安と創造力は同じもの、何も無いのに不安を感じることが出来る人は、何もないところから物語や歌を作れるはずだ 


ビーチボーイズというと、ワタシの中では、アメリカそのもの、アメリカのバンドと言えば?と聞かれたらビーチボーイズと答えます、未だにレッチリではなくてビーチボーイズ。


 けれどビーチボーイズは、謎の多いバンドです。謎だらけだと言っても良い。その主たる原因は、ビーチボーイズの天才作曲家であるこのブライアン・ウィルソンが謎の人物だからです。


 医者に30年近く洗脳されていた、あるいはもともと気が狂っていた、重度のジャンキー、アル中、肥満、などなど、嘘か真か、虚々実々。

 

 この催眠をかけられたいた、とか、洗脳されていた、とか、やっぱり本人に原因が9割あるとワタシは思いますね、X Japan、オセロの黒い方、トム・クルーズ、マンソン・ファミリー・・・、催眠や洗脳ってのは自分からされに行かない限りそうそうされるものではない。もちろん強制的に監禁されて、薬物漬けにされたとかそういうことなら話は別ですが、そんなアメリカのグアンタナモ収容所みたいなこと普通の人はあまりされないでしょう。


 洗脳されていたが、まともに戻った、と言われても・・・、いや全然やべーやつだけどな、と思います。洗脳されていた、人間は、明らかにすぐまた洗脳されますもの。


ただビーチボーイズでブライアンだけがやべーやつというのは間違いでして、まぁこの時代のアーティストは全員ですがどっぷりドラッグに浸かりきっていて、デニスはアル中で酔って溺れて死亡、カールはヤニとドラッグで肺がんで死亡、マイクはスピリチュアルにどっぷり、瞑想だなんだとほざく始末、ついでにいうと親父は典型的DVクソ親父。

 という具合、まぁまぁ早めにウィルソン兄弟は死んでおるのです。フィル・スペクターは殺人容疑で牢屋行きして、今年コロナで死亡してますし、一番やばいやつであったブライアン・ウィルソンはまだご存命でいらっしゃる。


 でもワタシはそういうものだと思う、普通に生きれない人間だから、ミュージシャンであり、エンターテイナーであるわけです。マリリン・マンソンじゃないですが、犯罪者になるか、アーティストになるか、の二択。


 「Good Vibration」の生まれた理由は?


マリファナでリラックスしていたから。


 なんて正直な。昨今、ぶっ飛んだ突き抜けたトリップ感を持つ曲が少ないのは、骨の髄までドラッグでずぶずぶっていうミュージシャンが少なくなったからなんでしょう。自分のカラダを犠牲にしてまで、歴史に残る名曲を生み出す、ということじゃなくて、ドラッグに頼らないと生きていけないタイプの人間だからこそ、アーティストなんだってワタシは思うし、ワタシはそういう破滅型のアーティストが大好きですね。そういうぶっ壊れたやべーやつが見たいだけのために生きてるとも言える。

 日本ではそういうアーティストが少なめなのは、そういう人間がいないのではなくて、そういう人間を社会的に抹殺するからですね、「社会の恥」として存在を抹消しようとする、アメリカは未だに、「勝手に死ぬなら勝手に死ね」、っていうところがあって、そこはアメリカのひじょーに良いところ。

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 ビーチボーイズというバンドは、ほとんど身内で組まれたバンドで、ウィルソン三兄弟と、いとこ、そして友達、の5人組。ウィルソン三兄弟が、ほとんど顔が同じなので見分けがつかない、そしてもちろん声も似ている、それによって、誰が歌ってるのかもわからない。これがビーチボーイズの独自のハーモニーであって、他のバンドには絶対真似できない。三人兄弟でない限り。まず三人兄弟って現在少ないですから。

 この家族ぐるみのバンドってのもアメリカだなぁって気がします。そして必ず確執があって揉めるんですよね、ジャクソンズしかり。

 そりゃもめるよ!って話だと思う、家族ってのはカネの管理をするには最悪の母体ですから。揉めないわけがない。殺人で一番多いのは身内といいますし。


ビーチボーイズをさらに初心者お断りにしてるのは、曲のクオリティの変動がめちゃくちゃ激しいのです、歴史的名曲もあれば、カスみたいな曲もたくさんある。こんなのカネを取って売っていいクオリティではないってアルバムもたくさんあります。


ブライアンは片耳がもともと聞こえなかったらしく、それがブライアンの作曲のスタイルになってと思います、横の広がり、じゃなくて、縦のハーモニーなんですね、対位法、和声法、音の縦の並びが大事なスタイル。どんどん単純化されてる最近のポップミュージックではこの縦のハーモニーのスタイルってのはほとんど聞かれないですね。

 ミュージシャンには実は耳が不自由って人が多かったりします、もちろんベートーヴェンは難聴、ブライアンも片耳、フランク・シナトラも片耳、確かシュトックハウゼンも片耳しか聞こえなかったといいます。そういうことって実は多くて、失うことで逆にセンスが敏感になるってことが大いにある、目や手が不自由な絵描きなども多い。



 大衆ってのはアホですから、「最近の曲は全部同じように聞こえる」、と文句をいいつつ、斬新で新しいものが出てくると、「意味がわからない」、って文句を言うんです。大衆が本当に求めるのは、いつだって、「新しいように見える、本当はまったくいつもと同じもの」です。実験、が出来るのは成功者の特権、金がなくては実験は出来ぬ。



 この本自体は、ブライアンの語り、みたいな体裁をとっていて、時系列などもめちゃくちゃ、思い出した順に書かれてるって感じなので、ちゃんと整理されてもいずにビーチボーイズの全体像ってのはぼやーっとしかわからない。でもやっぱり本人の語ったことってのがそれが嘘っぱちであったとしても他の人間から聞く間違った情報よりも断然大事です。


 ワタシも、最高の一曲をあげるなら?と聞かれたら

「God only knows」か「Good Vibration」と答えますね。ブライアンの1,2フィニッシュ。どっちも、狂気に堕ちるスレスレのエクスタシーみたいなものを感じる、そんなヒリつくような限界ギリギリの状態で作られているのに、曲にはとてつもなくポジティブなエナジーに満ちてる。何万回聞いても震えるほどすげぇ!ってなる曲です。真似しようと思っても絶対ムリ、発狂する寸前まで自分を追い込める天才にしか作れない曲ですわ。


 




2021年10月13日水曜日

FGO セイレム 

  さて、FGOのメインシナリオをもりもり消化していて、セイレムをクリアしたんですが・・・



 いや!こりゃひどい。結論先に言います、読まないでスキップするべき。


これまでの中でも最低のシナリオでした。なんでこんなことに・・?とにかくひどいです、これはワタシの好き嫌いじゃなくて、シナリオの出来がめちゃくちゃ。悪口ばっか言ってても仕方ないので、改善策を考えて今後に活かしましょう。


 物語の流れとしては、宗教的なキチガイばかりの村に監禁されて、魔女裁判的でどんどん人を処刑していく環境でどんどんみんなSAN値が下がっていき、最終的に、アビーという無垢な少女に「外なる神」が降臨して、戦うことに・・・っていう流れです。

 これはまぁ良いです、いっつもそれじゃん、隔離されたクローズド・サークルでみんな狂気に陥って・・っていう批判もあるけどそれはまぁ仕方ない、そういうスタイルだといえばそうだし、Fateに限らず最近はこのタイプのストーリーがめっちゃおおい。何か閉じ込められた環境で狂気に陥ってバトルロワイヤルっていうの。つまりエログロ、ですね。平和が長く続きすぎると、退屈すぎてどんどん猟奇的なものを求めるようになっる。


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 まず第一に「無垢なる少女」、の悲劇、っていうパターン、これ、もう時代遅れも甚だしいです、いったいいつまでそれやってんの?ナウシカじゃあるまいし。無垢な純真な少女、は?このアビーという主人公が全然共感が持てない。「純真な少女」は救われないといけない。幸福にならないといけない。なんで?

 ずっとアビーは被害者面です、あの子を助けてあげて、無実な人を殺さないで、ひどいことしないで、なんかすごいムカつく。とにかくひどくイライラする。なんなんだこいつ。

 美少女で純粋無垢な子供を主人公にするってのはシナリオとして最悪だとワタシは思います、それってもう最初にバッドエンドに出来ないってオチを言ってるようなものじゃないですか?

 子供は純粋だったけど、めちゃくちゃに〇〇されて無残に〇〇されました。なんの救いもありませんでした。って終わりには出来ないじゃないですか?そして敵が、「絶対悪」になってしまう、子供の女の子殺そうとしてくるやつを、どうやったら魅力的な悪役に出来ますか?

 こういう目的があった、こういう志があった、というフォローを入れたって、女の子供殺すやつを、オーディエンスも誰も許さないでしょう。

 これがとにかく一番の悪い点「主人公がムカつく」 それだけで話が全然入ってこない。どんだけシナリオがめちゃくちゃであっても、主人公さえ、魅力的でさえあればなんとかなってしまうもの。つまりはエンジンです、このシナリオエンジンがはなからぶっ壊れている。

 ナウシカは、魅力があるのです、なぜか?まずナウシカは全然無垢じゃないです、普通にキレて人を殺したり、めっちゃ差別もする。そして他の人が嫌悪する蟲を愛する。何より、自分でなにかを変えようと行動する。

 

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第二のポイントはとにかく都合が良すぎる、ご都合主義すぎる。設定がめちゃくちゃすぎる。

村は隔絶されていて脱出出来ない

お約束どおり通信は出来ない

村は特殊な環境で能力が使えない

記憶を操作されていて思い出せない

歴史、過去も改変されている

未来も改変できる

別の宇宙から干渉を受けている

でもある特定のキャラはその制約を受けない


 ちょっとまってくれ!!なんでもありがすぎるだろ??そんなミステリーってありますか?さんざんトリックや謎をふっておいて

「記憶を改ざんされていた!」

 こんな種明かしってあるかよ!ふざけんな!って話です、夢オチと同じです。さらに過去も未来もすべて変えられるんならなんでもありじゃん、何それ??

 設定があまりにもひどい。さらに処刑されても仮死状態になる薬を飲んでいたから大丈夫・・いやいやいや・・・、小学校低学年かよ、なにそれ・・。

 記憶や狂気で証言が間違っているってもうミステリーの根幹から崩れてる、それじゃ謎になりません。読む気が失せる。


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 第3はストーリー全体で無駄が多すぎる。


キルケーというギリシャの魔女、聖書に出てくるシバの女王、なども登場するんですが、それぞれの物語が単発で全然絡んでない。本当に関係ない人の関係ない話がぶっこまれているって感じで、シナリオとして無駄でしか無い。全カットです、そういうゲームという仕様上仕方ないと言っても、もうちょっと工夫しないと駄目です、まじで途中で全然関係ない話をされる。

 さらに劇中劇という、主人公たちが旅芸人となって、劇の中で劇をやるっていうのも、それももうやり尽くされておる・・・。聞き飽きた展開です。またこれか・・・、だいたいどのロープレも一回はあります、なぜか劇に参加することにぃ!?ってやつ。

 ようするにハムレットなんですけど、ハムレットのようには全然効いてない。なんとなく魅力的そうなギミックを挿れてみただけって感じ。

 

 全体として当然、クトゥルフをベースにしてるんですけど、クトゥルフ的な雰囲気の魅力ってのが全然ない、ただたんにグロかったり残酷なだけ。そしてクトゥルフ知らん人はどうすりゃえぇねん、っていうフォローもない。突然、外なる世界の神が降臨します・・・なんて言われても、はぁ???って感じだと思います。

 言うなれば、美学、が無い、ラブクラフトはホラーですけども、どっかホラー的美しさみたいなものを残してます。

 単純に文章が下手でもある、無駄なセリフばっかり。


 バシッと言ってしまいますが、才能、が無いです、この脚本。物語って作曲と同じでほぼ単なる才能の問題ですから、努力でどうなるものでもない。向いてないってことです。





1976 ダーティハリー3

  ダーティハリーの3作目。


イーストウッドってこの時期からおじさんだけど、ずっとおじさんですよね。50年近くおじさんのまま。

 若作りしようとして、めちゃくちゃになっていくパターンはあるけれど、若いのに激渋で、ずっと激渋ってのは少ない、かっこいいおじさんってのは、なかなかいないものです。いつまでも若い、よりも、かっこいいおじさんになりたいものです。やっぱ山田康雄はいいなぁ。


 今回のDHでは女性新人刑事とコンビを組む、って時点で結末は読めたようなものですが、そこはDH、お涙頂戴みたいな、野暮なところがない、いつだって、ボガーン!!!って一発で仕留めて終わりです。ごちゃごちゃしゃべらない。けどシリアス一辺倒ってわけではなくて、ハードボイルドギャグみたいなものもあります。

 

おい!


ボガーーーーン!!


終幕。


 セリフというのは少なければ少ないほど良い。これはいつだって見習いたいものです。

2021年10月6日水曜日

1973 新釈漢文大系 38 史記1 本紀上

  なんか最近軽薄な、何も考えずに読める、見れる、系のものばっかりだったので、どっしりしたものが久々に読みたくなって「史記」を読み始めました。


 史記のダイジェストみたいな本はいくらでもあるんですが、全訳はかなり少ない。この新釈漢文大系、は原文、読み下し文、翻訳文、さらに用語解説が詳細にあって、めちゃんこしっかりした本。翻訳というのはこうあるべしっていう本ですね。


 ただ1973年と古いし、文章が当然のことながら漢文調なので、かなり読むのはきつい。ネットで調べようにも漢字が出てこない。ここがネットの弱いところでもある。


 本紀、とはつまりダイジェストで、ササッと、王朝の全体の流れを時系列に書いてあります。だから春秋戦国、など複雑極まる時代は、〇〇が死んだ、XXが勝った、XXが滅びた、みたいな単純な事実の羅列でなんのこっちゃまったくわからぬ。

 この本紀上では伝説の皇帝、半分龍?半分人間、の化け物が王だった時代から、秦の崩壊までを扱っています。


 けれども、始皇帝、の扱いだけが別格でほとんどが始皇帝の記述と言ってもいいですね。殷の伝説的悪王紂帝、を武王が討って周王朝ができた。ってことなんですが、このあたりもまだまだ半分伝説半分事実、みたいなところで、ほんとかなぁ?って感じ。

 紂王も悪として誇張されすぎてる気がしますし、武帝が完全無欠すぎます。実際いたんだろうけど、実際とはかなりかけ離れてると思われます。

 周王朝が衰微して春秋戦国になってようやく、本当の歴史、が始まります。特に戦国、になって、急にすべてがリアルになる、ようするに何万人殺した、何万人殺した、っていう殺戮のオンパレード。急に数字が出てきてハッとしますね。歴史ハジマタ・・・


この春秋戦国っていう、戦乱の時代が中国では550年続くのですね。


550年!? シンジラレナーイ。550年も常に戦争状態だったら、やっぱおかしくなってしまいますよ、もう完全に狂ってると言っても良い。


 それを始皇帝が統一するわけですが、始皇帝が一人で覇道を極めたというわけではなく、始皇帝の曽祖父昭襄王、が秦をすでに列強での最強国にしていたので、始皇帝は、最後のまとめ、を行ったという感じです。


 秦、という国は、山奥にあって、山に囲まれて唯一通れる入り口がカンコクカン、という要塞となっており、さらにそこも、崖に囲まれた細い一本道となっていて、守るにしてはまさに鉄壁なのです。いくら他の国が100万の合従軍を作っても、要塞で防いで、さらにそれも突破されたら狭い通路に誘いこんでそこで潰してしまえばおしまい。どんだけ大軍を動かしたところで、軍隊が動けない地形なんです。航空兵器の無い時代にはまさに最強。

 だからがっちり守りつつ、じわじわ領土を広げて、ついに統一をしたというわけのようです。だがそのじわじわ、に550年がかかった・・・。


 始皇帝というと悪逆無道の暴王と名高いですが、それは一面的見方で、冷徹な合理主義者というタイプのようです。経営者に向いていますね。そしてこれが一番民衆に嫌われるタイプでもある。

つまり「老人は社会の役に立たないから殺せ、障害者も生まれたら始末しろ」

 こういうことを言うタイプだってことです。プラトン、ナチも同じようなことを言って、現代でも批判されております、始皇帝も同じこと。感情、ではなくて法、で国家を運営しようとした。

 現代でもまったく同じことですね、合理的で正しい選択は弱者切り捨て、命はかけがえないもの、みたいな感情論で袋だたきにされる。結果、感情論が勝って、経営が傾いて破滅するというわけ。


 始皇帝が感情に流されるタイプだったら当然戦国の統一にも失敗するに決まっているわけで、それを非道で残酷と批判するのは、まさに感情論でしか無いです。始皇は非情、だから成功したので、キレイゴトばっかり吐いてるやつがなにか成し遂げたのを見たことがない。始皇帝が優秀な人間だったのはまず疑いない事実。

 

始皇帝最大の悪行として知られる「焚書坑儒」ですが、これも一理あります

「学者というのは、昔は良かった、ということしか言わない、口先だけで文句を言うだけで何もしない、だからすべて本を燃やして、学者を埋めろ」

 つい昨日、気候変動研究がノーベル賞をとってて、気候変動は科学で実証された、政治家たちはアホだからそれを認めない、と文句を言ってましたが、文句を言ってないでオマエが行動しろ!って話。なにかを知ったところで、行動しないのだったら何も知らないのと一体何が違うのか?そんなやつら全員埋めろってことです。

 めちゃくちゃでもあり、合理的でもある、行動と結果を求める、政治家、始皇、の判断。

特に本を全部燃やして、歴史、を抹消する、っていうアイデアは斬新ですよね、どうせアホだから歴史や本なんかから何も学ばない、歴史を無くせという・・・


 ただ晩年に差し掛かると明らかに始皇帝は痴呆になっていき、不老不死の真人になりたいとか、むちゃくちゃになっていきます。これがワンマン社長システムの怖いところ、秀吉も同じようなことになりましたが、まさに自分が冷静に判断して処刑しないといけない人間になっても、自分が優秀で全てを仕切っていたために、周りにはぼんくらのイエスマンしかいなくなっていて、誰にも止められない。


 始皇帝はたしかに、英雄であります。無能じゃなくて英雄、であったがゆえに功罪どっちも計り知れないほどある。始皇帝の名が政、っていうのがまさに名は体を表すですよね、政、に正解ってのは無い。なにをやっても批判される。