めちゃくそ有名な作品ですが、読んだことある人は非常に少ないと思われます。いかにも難しそうですしね。
実は失楽園の続編「復楽園」もあります。失楽園のほうが圧倒的に知名度が高い。ネーミングも関係ある気がする・・・
ミルトン自身、ワタシの著作は、美を理解するほんの一握りの人間に読まれればよく、その他のバカどもにおもねる気は無いと本文にも書いてあります。
17世紀なかばでもそういうことを言うのですね、大衆はアホ、わかるやつにだけわかれば良い。
ミルトンがこの作品を書いたのは、やはり失明したってのが非常に大きいようです。ようするに失明して他にやることがなくなったので、詩だけに集中出来たというわけ。無くすことによって、他のなにかが覚醒するというのはよくあること、ピンチはチャンス。
この作品全体にもその影響がすごいあると思います、言葉だけの世界、をどんどん拡大していくという感じ。口述筆記で書いたらしいので、音、も大事みたいですね。
ただ、いかにもこむつかしくて、ゴリゴリに宗教的な本ってのは実はまったく違います。別によみずらくもなく、わかりやすく書いてあります。「神曲」のほうがよっぽど難しい。ただしこの時代の本には絶対なのですが、聖書とギリシャの古典はすべて知ってる前提なのでそういう知識が無いと何の引用なのかたとえ、が伝わらない。
ほいでキリスト教文学らしく、とにかく神とイエスを褒め称える、というのでも無い、主役はむしろ、ルシファー、サタンで、サタンの奢り、苦悩、苦しみ、が主軸となって物語は展開していきます。「失楽園」、というので楽園を失ったアダムとイブの物語というよりは、楽園を失った、サタン、の物語です。
そして裏テーマとして、神は、セックスを正しいものとしてる、という、生殖養護というテーマもあります。これはシェイクスピアもそうでしたけども、カトリックが、聖職者はセックス禁止、妻帯禁止って言うのに対する、プロテスタント、なのですね。
プロテスタントってなんなのだ?というと究極的にはワタシはこれだと思います、セックスは正しいもの、人間が殖えるのは良いことだ、っていう主張がプロテスタントの本音。一方カトリックは修道院的な、清貧、貞淑、っていうスタイルですから真っ向から対立してるわけです。
確かにカトリックの言ってることっていわばめちゃくちゃで、もし全員聖職者になったら、人間は絶滅してしまうわけで、絶滅主義なのです。
そういうわけで、失楽園の神、エホバはやたらよくしゃべるし、人が一人でいるのは正統ではなくて夫婦、が大事だということを強調します。ワタシのイメージでは神はほとんどしゃべらない存在なのですが・・・。
もう一つのテーマは天動説と地動説、ですね。なんで地球が回ってるか、太陽が回ってるかというだけで、ガリレオは処刑されるようなことになったのだ?どっちだっていいじゃないの?って今の感覚だと思いますけど、当時は、なぜかこれが世界の真実、みたいな重要なテーマとなっていたようです。
ミルトンはガリレオに直接会ったらしくてその影響がさらに大きいみたいです。ミルトンもガリレオもほぼ死刑宣告されることになるし境遇が似通っていますね。
ミルトンの生涯ってのも、完全に一つのドラマでして、過労のあまり失明?ってのはよくわからないですが(ただの病気でしょ)、ミルトンの時代は、つまり革命の時代、清教徒革命、などイギリスの歴史の中でも大混乱時代で、この大混乱をいち早く消化したことから次の時代の覇権国家にイギリスが立つことになる、とにかく革命の時代で、ミルトンは革命の申し子、革命の語り部という感じです。
偉大な作家ってのは偉大な時代に生まれるものですね。あるいは偉大な時代が、普通の作家を偉大な作家にしたのかもしれませんけどね。夏目漱石が明治、そのものを体現してるのと同じように、革命の時代、そのものを表した作家です。