史記列伝の2
「刺客列伝」 という歴史書には非常に稀な、暗殺者達の物語が収録されてます。この刺客、たちはカネの為に仕事をするずる賢い暗殺者などではなく、それぞれに、すごい物語を秘めた、「義人」とも言うべき人々。
とくに荊軻列伝は、すっごい話です。出てくる人たちがみなかっこいい。映画やん。
総じて言えるのは、死よりも、義、を重んじるということ。
現代は、キリスト教が覇権国家の国教ということもあって、自殺的な行為は悪とされてますが、ワタシはキリシタンではありませんので、こういう、かっこよく死ぬ、人々を評価したいと思っています。
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他に注目すべき人物
韓信
漢が項羽に勝った重大な要因の一つ。常に奇抜な奇策、権謀術策を用いて戦う、まさに智将。武勇こそすべて!っていうノリがおおいにあったであろう時代に、知恵で勝つ。というのを実践した人物。
韓信はまじでなんにも持たなかった人物、無職でみんなの嫌われ者。そっから成り上がっていく人生はやはりめちゃおもろい。韓信以外にも、犯罪者だったり、群盗だったり、社会の底辺から、王まで上り詰めていく人がたくさんいます。ピンチはチャンス、やっぱり乱世はおもろいですよねぇ。
平和な時代にそんな入れ墨の犯罪者が成り上がっていく方法なんてないもの。
季布
司馬遷の個人的思い入れが明らかに強い人物が季布。季布はいわば、任侠、義人、として有名な人物で、その弟の季心、も義人として有名のようです。
季布は楚の人で、項羽の武将として活躍、当然劉邦に恨まれてしまい、一時は奴隷のフリをして危機を逃れた。その後劉邦に許されて、漢の武将として活躍することになる。
司馬遷は、季布が恥を忍んだのが、もちろん自分の人生と重なり、季布が自殺しなかったのを評価します。
「賢者はその死を重んずるものである」
奴隷が自殺するのは、自分を救う力がないからに過ぎぬ。
だけれど、ただ生きのびればよいということではなくて、義、のためには自らの命を顧みずに行動するべきである、とも言う。これが司馬遷の価値観。
仁義、というと日本では=ヤクザ、なのですが、本来は、仁義、とは良い人のことで、自己犠牲の精神であると言えます。
けども任侠、侠客ってのは、不正をする役人とかを殺したり、反体制的なとこもあるわけでして、グレーな存在ではある。
上の言う事を聞いてればそれで良い、という時代ではないのです。下剋上は当たり前、自分をちゃんと評価してくれる国を求めて、国家を渡り歩く時代が戦国であり、漢も秦への反乱軍によって作られた国。だからこそ、法よりも、仁義、が大事になるということなり。
話は前後しますが、中国において最強の武将は?というと、まず項羽、というのが一般的のようです、白起でも韓信でも呂布でもなく。
項羽はまさに天才で、ろくに勉強も、訓練も努力もしない、けれど戦えば無敗で、誰一人敵わない。目が二重眼という特異体質で、残された絵だと二刀流として描かれている。見た目からしてどう見ても異常個体、典型的カリスマ。
ただ!ケチだったのです。
このケチだってことが、いかにその人物を矮小に見せるかってことですよね。ケチってこんなにダサいことなのか・・・って思い知らされる。豪傑であれば、宵越しのカネは持たない!酒もってこい!のほうがやっぱり愛されますわね・・・。
ほとんどの人は豪傑や偉人ではないと思いますが、名が売れて有名となったらケチだってことには非常に気をつけたほうがいいですね。めちゃくちゃ器の小さい人間に見えるから。
さてこの列伝では武帝の時代で終わってます。武帝の時代に書かれたのだから当たり前。
武帝は積極的攻勢によって、漢の領土を最大まで拡張しますが、そのために財源を使い果たして前漢、は落ち目に向かう・・・