2012年10月9日火曜日

現代哲学への挑戦 船木 亨  放送大学 coursera

 ついに、放送大学のラジオに手を出してしまいました、というのはまじで最近テレビもラジオも映画も音楽も小説も、まっっっっっっっったく興味が無くなってしまったからです。自分で作る人は他人のものを認めないもの、だからこそ自分で作るのだといいますけれども、私はなんでも作りたがりなので、すべてのものが退屈になってしまったという次第。

 
 いろいろ虱潰しに聞いてますが、この講義は良いです。というか、久しぶりに生きてる頭が良い人の話を聞いているという気がします、頭が悪くても知識があればその人の話は聞ける。自分が知らないことをしゃべっているから、頭がいい人の話は、その人にたいして知識がなくても聞ける、というのは少ない知識でも頭がいいと、サンプルの少なさにかかわらずすぐに本質に手が届くからなんでしょうね。

 船木亨某は、かなり攻撃的な哲学をやってます、哲学史でなく哲学の授業をやっています。専門はメルポンとフーコーあたりみたいですね。私は分析哲学とかであんまりそちらに詳しくないので余計楽しいです。

 一節引用

 80年代、90年代に自由、というものを追い求めて自分探しをした若者は今30代、40代になってもまだフリーターをやっています、それを自由と呼べるのでしょうか・・・

 私的答え  人による、加えて、今生きてる人の・・・500人くらい?しか主体的に生きてる人はいないと思う

 もう一節

 科学だけは、文学、哲学、倫理道徳、が死んだ後も、続いていくものだと信じている人は多いですが、最近の科学はシュミレーション科学、つまり不完全なシステムに数値を打ち込むだけの、政治的操作、もしくは、実業的な物。つまり金になるもの、であって、科学本来の、自然への本質的な探求は無い。温暖化シュミレーションなるものも、明日の天気も対してあたらないのにどうして地球という複雑系のシュミレーションが可能なのか何一つわからない。あれを信じている人は一人残らず科学、というものがわかってない。

 まさしくそう、科学、なんてよんでるものは、政府からいくらだけ予算をもぎとれるかの、公務員、官僚的なもので、実のところ、ただの商業でしかなくて、人間の希望としての科学は永遠に失われた、科学者なるものは存在してなくて、テクノクラートだけがいる。それは理論物理学でも純粋数学ですらそう、もはやあらゆる研究には莫大に予算が必要で、予算はカネになる部門にしか出ないのだから、真理の探求など、永久になされない。

 科学が権力に吸収された(フーコー)

 1969年に人間は月に行ったのに、それから43年、一歩も進歩せず、お金になるものだけがより便利になった。ジョブスは世界を変えてないと思う、火星に降りた人のほうが世界を変える人だろう。というか世界を変えるよりも、世界を変えないことのほうが困難なのに。






 全然違う話。放送大学もいいのですが、やはり一般向けなので
coursera
MIT
 などのオープンカレッジ?的なものを聞いて見ようと思います。大学の講義の無料放送です、アメリカの。マジでアジアってのはこういう人類の未来のための建設的な努力を何一つしない。死んだらいいのに。
 Asian and other races are just piece of shit ,even fly can't eat. plantation were i think best policy for them, if they retreat, they start killing each other again.