2012年10月13日土曜日

コーラン 


 イスラム教はキリスト教の改良版である。

キリスト教から改善されたところ
・神様がほぼ首尾一貫していて、旧約新約のように神が無茶をしたりしないし
神の子、精霊、など複雑な構造を持たない。
・素朴で話がわかりやすく、信じがたい奇跡を信じさせたりはしない
・物語ではなくてほぼ完全な立法である。

 その悪いところは、あまりにも単純素朴なので、神の名を使って勝手に立法してるだけじゃないかという、恣意的な印象を与える。

 それはともかくとして、社会に公理系を与えるという宗教の能力としては、新しい宗教なのでかなり洗練されている。現時点では実効的能力で最大の宗教であるのもうなづける。


 イスラムについては、悪いことを書くとサルマン・ラシュディ状態になってしまうので、多くは語れない。それで思うところは、やはり暗殺は効果があるんだなということ。イスラムが暗殺主義を取る限り、実際に誹謗中傷はなされないわけで、効果はあるのである。テロリズムは悪だというけれど、それはテロリズムが一定の効果を挙げているからで、戦術としてテロリズムはやはり強力なのを認めなければならない。特に核兵器で全面戦争が出来ない世界において、ゲリラ、テロ、暗殺は政治の基本的言語になりつつある。



 ・コーランは旧、新、と続いての三訳ということになっているけれど、あまり三訳としてコーランを認める人は少ないようである。
Mは自分の都合で勝手にコーランを作ったと同時代人も批判している、けれど、法が必要なのは統治者として切実であり
無法状態ではほとんど善がなされない、人間に善をなさせる強制力をどうやらせるかとして宗教はやはり有効である。
 貧しい人々に喜捨をなせというのは、善行なだけではなくて。貧しい者をそのままにしておくと、彼らは徒党、盗賊、強盗になり
治安を悪化させ、ついには革命をなすかもしれない、貧しい人々に寄付をするのは、偽善であると同時に、保身であり、社会改革でもある。
 善とはそういうもの・・・

またMの、新約に続いて、自分も新しく啓示を受けたとして宗教を初められるのではないか、というアイデアは、まったく当たり前の
ように思えるけれども、実はそのまったく当たり前の事に気づくことが、天才のひらめきである。そしてコーランは、統治宗教として
よくできているといえる。