国家が何かを禁止すると、人民はますます貧しくなり
文明の利器が現れると国家はますます混乱し
法律が増えると、盗賊がますます増える
統治者が無為無欲になればそれだけで、人民は正しく治まる
人間の罪で最悪のものは欲望を持ち続け、満ち足りることを知らないことだ
すべての争いは人間の欲望が原因である
読めばすぐわかると思いますが、老子ってのはどうやら実在の人物じゃないし、この本も一人の人間によって書かれたものじゃないってわかります。
文体も内容も一貫性がない。どうやらモデルになった人物はいたようですが・・・中国では老子は神様とか仙人という扱いっぽい。
「老子」がのちに、道教、タオイズムという哲学になっていきまして、儒教と道教が中国の哲学、みたいに言われますが、ワタシが思うには儒教は哲学ではなくて、ただの教訓、教えです。ほかの百家争鳴、の人々もそう。実践的教え、であって、哲学、ではない。
哲学といえるのは道教のみ。
哲学ってのは、どうやって生きるか、あるいは死ぬか?というのを考える学問。
儒教には、どうやって宇宙が始まったか?みたいな説明はないです。道教にはそれがあって、正しいと思うかどうかは別として、宇宙の誕生から、人間はいかに生きるべきか?というのを教える、まさしく哲学、です。
なぜ生きるのか?を考えるには、当然、そもそもなんで生まれたのか?を答えないといけないからそういうわけです。
その主張は仏教に近くもあり、違うところもある。
無為。仁義礼智、このような劣った美徳はいずれも否定する。ただ無為自然、万物の根源である、道、さえあればよい。ほかはすべて捨てろ。という非常にラディカルな主張。
仏教は色欲は否定しますがたぶん学問を否定してないですが、老子はそれすらも不要。学ぶことも智慧もいらないといいます。何にも出来ないでくのぼうこそが、道、へ近づく。
樸 そぼくの「ボク」、何もせずにそのままの状態。これが良いとします。
仁義礼智の批判は明らかに儒教批判なので、これは時代が下って書き足されたものなのでせう。礼なんてものは虚飾にすぎないと一刀両断しておる。
全部逆張りして適当なこと言ってんじゃねぇジジィ、と言いたいような部分もたくさんある。けど、道、というだけあって、道の境地、にたどりつける、みたいななんていうのでしょう、解脱思想みたいなものある。
ただこの時代において、反文明、反進歩主義、ってのは非常に鋭いです。文明が発達しすぎれば滅びる。便利さや生産性の肥大化は混乱を生むだけだと見抜いたところはやはりこれは古典ですね。