2012年2月24日金曜日

Le Mythe de Sisyphe シシュファスの神話 1942


いきなり個人的な話ですが、この本は私にとって重要な本です、というのはこの本が語る哲学が私の持つ哲学と近似しているから、だからあなたはどんな宗教を持っているのか?どういうエスニシティなのか?などと聞かれたら、この本を読んでくださればだいたいわかります、それにラッセルとウィトゲンシュタインのような数論理学的な価値観とイギリス流のユーモアを付け加えるとvoila! 私という人間が出来上がるのです。
 
 誰もが自分の世界観と近似した哲学書を持っているでしょう、聖書だったり、パスカルだったり、スピノザ、プラトー、アリストテレスだったり、ディオゲネスだったり、まさかヘーゲルなんていう人は少数派だと思いますが・・・哲学書というのはつまるところ、こう生きるという宣言みたいなものです。

 
 ずばり、内容を一言で言い切ってしまえば
「希望を持つな、だが死ぬな、今を生きろ」
これに尽きます。 人は希望を捨てきれない、神、神、神。いつまでたっても神を求めている。どうやってもそれを諦めようとしない。だが神はいない。死後の世界など無い、未来など無い、永遠は無い、どこまで長生きしたって救いなど来ない、希望は欺瞞である、人間は死ぬ。人間の人生は、虚無でabsurdなものだと認めろ、そしてそれにも関わらず、まったく矛盾しているからこそ生きろ。完全に無意味で、虚妄で幻想で、くだらないものだからこそ、生きる。そこに神に精神をゆずり渡さない、人間の精神の勝利がある。
 論理的な整合性を持ってすれば、人生が虚無ならすぐに自殺するべきです、けど私はこのとおりここに生きている、自殺するべきなのにしていないのは誠実さを欠いていることになる、生きている限りは生きている事を肯定しないといけない、それが誠実なあり方だろうってわけです。

  カミュには誠実さがある、それはほとんど誠実さなんてものが無くなった世界においては逆説的ですが希望に思える。タルコフスキー曰く、唯一伝わるコトバは誠実なコトバのみである、まさしくそう。この本が出版されたのは1942年、まさに戦時、嘘や偽りを言う余地など無い、くだらない幻想を提供して死から目を背けることを誰もが望んでいる、天国で会えるとかそういうわけのわからない幻想、ドストエフスキーや、トルストイや、宮崎駿が語りそうな幻想。死から目を逸らしてはならない、死の後には何も無い、虚無だけがある。 そうやって幻想を拒否して、現実と向き合い、死と向き合う、やっぱりカミュはかっこいぃですね。

2012年2月22日水曜日

radiohead gagging order レディオヘッド 楽譜

今作っている、COMO作品、L'Etranger の音楽は何がいぃかなぁと思って探していましたが、やっぱこの曲は良いですね。オープニングに使いたい。あとbjorkのauroraを使いたい。

 さて実際弾いてみるとわかるのですがこのgagging order 、Ebキーなのですが、異常に弾きづらいというか無理です。スタンダードチューニングだと、小指と中指でh-p-h-pとひいて人差し指、開放弦の下から!スライドという事になるからどう考えても変則チューニングです。Ebはカポでやると1フレットでDキーで弾くのが普通ですがさにあらず、これはもっと奇妙なチューニングです、DADAC#Eでカポを1fにつけるからEb-Bb-Eb-Bb-D-F,下の三絃が開放でBbM つまりドミナントになります。Ebも弾くと、EbM79、もしくはたんにBb/Ebです。drop D open dominantとでも名づけましょうか。弾けばただ単にEbのキーを弾きやすく並べただけだとわかります。けどそれ異常に大切なのは、4,5stringが2step upでテンションが高く張ってあるので、キーは同じでも音色がか細くて、柔らかい、それがこの曲の雰囲気をつくっているのです。楽譜に直せばこの曲はすごい簡単、でスケールにすっぽり入るのです(たぶんピアノで作曲してギターで弾きやすいようにチューニングをいじったのでしょう)、チューニングさえわかれば誰でも耳コピ可能です。でもギターでしか、しかもフィンガーでしか出せない音です、シンセだと出せない音、シンセでテンションまでは変えられないですから。
 実際やってみようと思う人は、テンションを高くするときに弦を切らないように注意、注意したところで切れるときは切れますw、本当はやっちゃダメです、オーバーテンションなんてw

 加えてテンポなんですが、テンポというかリズムは無茶苦茶というか、トムヨークすたいるです、paranoid androidのアルペジオみたいにノリです、そしてたぶんしっかり音符で決めないで、スケールのアドリブで曲が出来てます。ヨークはギターが上手い、上手いってのは速弾きが早いとかじゃなくてこういうギターの可能性を高めてくれる人の事を言うんだと思われます・・・

 グールドがなんでPOPミュージックはテンポが一定なんだ!と批判していたという話です、確かに商業音楽はテンポがほぼ同じです、それは打ち込みとソフトウェアの都合上そうしたほうが簡単で、一小説ずつ構築的にできるし、多人数いなくてもやりやすいからなんですが・・・ヨークも楽譜はリズムを表すのにはまったく向いてないと言っています、そういう風に、本来音楽の事を離れて方法論や環境で出来る音楽が決まってしまうのは恐ろしいことですね。社会のシステムで人間の精神が型にはめられてしまうみたいに、もっと純粋に音楽を進歩させないと・・・現代音楽はもっとちゃんと音を聞く事から始めないといけないですね・・・

2012年2月21日火曜日

風とともに去りぬ 1935

まず色んな先入観があったでそれを整理します。
・南北戦争について書かれていますが、書かれたのは、1930年代の2つの大戦の間という時代です
・ミッチェルは若い時にこの本を書いているということ。なにか頑固で年をとった学者風の老婆が書いたものではないということ。
・歯が浮くような戦争純愛物語ではないこと。

 この小説を世界文学ってのに含めるかどうかはハリーポッターを世界文学全集にいれるかどうかぐらい難しい問題で出版社は頭を悩ましたでしょう。そう・・言ってみれば戦争と平和のアメリカ版なのですが、前にtimesの広告に世界最高の文学作品として戦争と平和が広告されていた時にかなり違和感があったのを思い出します。最高の文学作品は、明らかにカラマーゾフだから、こういう歴史フィクションというのは、批判の余地がないものです、だって事実そういう事があったのだから、つまらないとか構成が陳腐だとかは言えないわけです、吉川英治の作品を批判する人もあまりいないでしょう。歴史小説ってのはかなり卑怯です。それは創作を肉体的労働にしてしまうから、たくさんの資料をたくさんの言語やインタヴューで収集してまとめあげる、労働にしてしまうから。私自身は作家の端くれとして、誰もが80点を与えるものよりも、120点か0点の作品を作る人が好きです。精神的にイカれてしまっても。

 それはそうとして、有る側面的な理解に過ぎないけれど、ヤンキー帝国ってのが、今のアメリカがどういうルーツを持っているかというのを知るには欠かせない本だと思います。南北戦争は時期的にも歴史的ターニングポイントとしても、明治維新と重なっています、南北戦争が今のアメリカの原型を作ったのは間違いないし、日本はその後敗戦でまた180度違う国になったけれど、アメリカは敗戦していないのでそのままなのです。 日本人ってのはヤンキー帝国傘下なのに(だからこそ、か?)アメリカの歴史をさーーーっぱり知ろうとしません、いつまでも戦国時代の武将がうんぬん、家康がうんぬん、もしくは三国志がうんぬん、マリーアントワネットが、ハプスブルクが・・、もっと身近な、そして自分たちの心を切り刻むようなものに、目を向ける時じゃないでしょうか。

 戦うにはまず敵を知れ。

2012年2月18日土曜日

sketch up a little




google のスケッチアップというモデリングソフトが使いやすいです。モデリングソフトというよりはモデリングヴューソフトです、3dviewer。という新しいジャンルのソフトです。3dモデルを、warehouseからダウンロードして眺める。建築マニア以外には何の楽しみも無いソフトかとおもいきや、これは絵を描くときのパース確認、下書きに滅茶苦茶使いやすい。はっきりいってテクスチャーや写実性はザルですが、上のスキャンみたいにワイヤフレームでやると、おぉ!wonderful。アシスタントの100倍正確な建築パースが!ちなみにこれは飛び降り自殺者の視点。なかなか資料が見つからない(超俯瞰、犯罪者扱いされがちな街中の仰瞰、ローアングルなど)やりたいほうだい。

ただおしむらく内装はないので、内装は部屋のモデルに家具を配置したものでやるしかない。学校内部含めてモデリングしてくれたら、学園ドラマをそれだけで作れるのに・・・、現実世界は権利や肖像権がクソみたいにうるさいので仮想空間で作るより他無いですからね。

2012年2月17日金曜日

steamroller and the violin ローラーとバイオリン 1960

素晴らしい出来です、まぁタルコフスキーなんだから当たり前ですけど。
balloon rujueの翻案として制作されたということなので、映画の雰囲気はまさにそれです。プラス、ブレッソンスタイルの・・・硬質な画面。ガラスっぽい感じ・・タルコフスキーは生涯に10本しか映画を撮ってないし、そのうちの三本は学生時代の短編です。一日で見れてしまうのですが、100年分映画を見た気分になると思います。

 映画の話よりもソ連の生活が実際どんなだったのか、それは本当にアメリカよりも悪かったのか、がやっぱりきになるのですが結局永久に知ることは出来ません。そこに住んでみなければ・・・共産圏から逃げていった人は本当に自由を愛する素晴らしい人間だったのか?それともただ快楽主義の資本主義社会によくいるタイプのくだらない人間なのか?本当は誰も教えてくれない。結局私たちは彼らは洗脳されているという洗脳を受けているだけなのかもしれない・・・

 タルコフスキーはソ連での映画作りは規制ばかりでひどいと言いますが、ソ連以外では映画監督にすらなれなかったと思うのですが・・・あるいはフランスでは可能性はあるかもしれないけど・・・他の国ではまず無理だと思います、いい映画を作るようには社会は出来てませんから・・・ともかくタルコフスキー映画を作っただけでもソ連は存在した価値があると私は断言できます。

 笑い話ですが、タルコフスキーがきつい注文を出してスタッフを困らせていると
「タルコフスキーだってドストエフスキーじゃないじゃないか」
と愚痴を言ってたそうです。

・・あるいはそうだったのかもしれないと思えるのですけど・・

2012年2月16日木曜日

COMO(電子出版)

新しいメディアとして電子出版が話題になってます、でも電子出版というコトバはダサい上に、全然この現象を反映した名称ではないと思われます。電子出版というコトバだと、ただ単に紙の本をスキャンしただけのもののように捕らえられてしまいます、はっきりいってそんなもの誰も必要としません、紙の本のほうが死ぬほど読みやすい上に、紙の節約といいながら電気代がかかるだけで何一つ節約にもなってないですし。そして電子本だろエレクトリックリーダーだのと本、という名称にこだわってそこから述語を借用しているのも混乱を招くだけです。実はこれは本とはまったく違うものです。

だから新しくCOMOという名をつけました。COMOの特徴は
・本のように自分の時間で読むスピードを変えられる(映画とは異なりゲームに近い)
・映像、音楽、テクストなどインタラクティブにメディアを使えるということ
・拡張性、オープン性

ざっくりぶった切って言うならCOMOは表現を目的としたwebページ のコンプレックスです。広告や情報交換を目的としたものとは異なる・・

さてそんなラベルはいいとしてCOMOはどうやって作るのがいいのか?
今日一日うんざりするようなマニュアル読みと、リサーチの結果主観的判断ですがここに報告します

・EPUBははっきり言って(現状)使い物になりません。EPUBで作るなら、weaverなどのホームページ作成ソフトで作ったほうがマシ。最後にEPUBにエクスポートするにしたって 、まったく綺麗にいかないし、マルチメディアの文字化けやらエラーやらひどすぎる。ワード、pdf、などなどからepub変換するソフトがあるようですがcalibre・・、使い勝手が悪すぎます、それになによりepubリーダーの使い勝手の悪さときたら!epubはオープンソースなので期待していましたが残念至極、あと日本語はいずれオープンソースからは外されるでしょう。

・htmlはブラウザーや環境によって見栄えがさっぱり変わってしまうし、タグ打ちが面倒この上無い。文字を真ん中に揃えるだけでひと苦労(ウェブデザイナーがカネを稼ぐためにわざとややこしくしてるとしか思えない)ローカライズが面倒、ファイルがたくさんのフォルダに別れてしまうので、ややこしい。ただすぐにウェブにあげられるのは良い点です。

・flash adobeはflashを押したがってますが、確かにアドビ製品をマスターで全部持ってるならこれは使いやすい。ただ普通の人はflashのエディターすら持ってない、高すぎ。あと最大の欠点としてズームが聞かない、チャチなゲームみたいな操作性。ページをめくる快感の無さ、そしてともかく文字を読むにはまったく向いてないです。

・ビデオゲーム、ブラウザゲーム、ビジュアルノベル(エロゲーみたいなやつ)
基本的にはflashと同じ欠点があります、文字を読むのに向いてない。ズームが効かない。 本格的にゲームを作るのだとしたら個人ではとても無理、それはただのテレビゲームです。出来るならそりゃテレビゲームがいいに決まってますが、普通に無理。ゲームが映画の何倍もの予算で作られてると知っていますか?最高の芸術表現はゲームです、映画ではありません。

・pdf 最終的結論はpdfです、adobe readerは使い勝手が悪いですけど慣れればなんとかやれる、fox it readerは読みやすいけど、ビデオですぐバグります、我慢してadobe readerに慣れましょう。今時pdfを読めないパソコンは、MACよりもすくないはず。 なによりps,ilで作ったのをそのままpdf化出来て、微調整もほぼ必要ないのが嬉しすぎます。pdfに音楽やビデオを埋め込めるということすらあまり知られてませんが、indesignで簡単に出来ます。読み込めるファイルですが、変換はすぐにできます。

結論
イメージエディタ
photoshop
illustrator
painter
 +
3dエディタ
3ds
blender
max
maya
soft image
 +
DTM
sonar
cubase
logic
+
映像
final cut
premiere
映像加工
after effects

 文字組み、製本、DTP
indesign

export

interactive pdf

acrobatはあまりいらない気がします。

 あくまでも僕の個人的判断です。Macユーザーの方はぜんぜん違う判断なのでしょう。デザイナー関係はまだMacが多いし。上記の環境を整えるには、幅がありますけどパソコンも含めてまぁ200万くらいですか?これであなたもCOMO出版社です。COMOは印刷するのは不可能ですから印刷所はいりません。販売はamazon やらibooksやらに頼みましょう。

ふぅ~~やっと書き終わった。

なんでこんなだらだら書いたのかというと、ちょっとした社会貢献です。COMOは新しい教育者になるでしょう。COMOで英語の基礎から大学院卒業程度までのあらゆる知識を200Tぐらいに詰め込んでそれを世界中の人々に無料で配布すれば、学校が必要なくなります。学費もいりません。誰もが最高級の教育を受けられます、受ける意思があれば、無料で。ともかく世界革命には、まず人間そのものの革命が必要です、あらゆる人が英語と大学院レベルの知識を持っていればほんの少しは人間はましな世界を作れるでしょう、もっとましな政治家に投票するでしょう、資本主義よりもましな経済システムが少なくとも存在シうるという事がわかるでしょう。ユニバーサルテクスト計画・・・・早く完成させるためにみなさん協力して下さい。











空飛ぶゆうれい船 1969

ケーブルの日本映画チャンネルでやっていまた。これはホルスよりも後の作品なんですね、ずっと前の作品だと思ってた。子供向けですが子供完全無視w
 もぉただ単に高度経済成長期とかいうクソみたいな時代への鬱屈した怒りをストーリーなど全部無視してぶっつけてるって感じの映画です。表現の深さや、メッセージ性の強さなども まったくない、ただ単に直接怒りをぶっつけた拳みたいな映画です。だからこそ妙にかっこつけた映画よりも、よく出来た映画よりも語るものがあります。

 いまあの頃は良かったみたいな映画が人気みたいですけどすごく腹が立ちますね、あなたたちが頑張って築き上げた日本とかいうものは、世界中から嫌われている、最低の国家です。そんな国を好きになるなんて到底無理な相談です。米国のいいなりだから悪いというのではないけど、自分からすりよっていったんだからアメリカの責任でもないでしょう。世界はなんでまったくよくならないのか?なんでシリアで虐殺が行われてるのにみんなにやついているんだろう・・とたぶん学校で歴史を勉強してる子供は素朴に思っているでしょう、原因は究極的にはただ一つ、日本みたいな自分の事しか考えない国ばっかりだからです。

2012年2月13日月曜日

senna 2010 アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ

セナの目は印象的です・・・

 映画の内容やセナ伝説、f1の汚い、ポリティクス、カネ、えこひいき、セナの死の真相。そういうものはまったく入ってこなくて、ともかくセナの目だけが印象に残ります。それと、ブラジルのファンのセリフが良い、セナぐらいしかブラジルにいいものなんてないの、 教育も、食べ物も、何も無い。貧困と弾丸はあるけれど・・・


 セナは事あるごとに神が来て、助けてけれたと神と会話してるようなので、意図的にかどうかしらないけれど、セナがどんどん神の子みたいな扱いになっていきます。結局死んだ理由も、神に呼ばれたから・・・くらいが一番しっくりくるんじゃないでしょうか。

 あのセナの目をどこかで見たことがある気がするのです・・・どこだろう・・・


2012年2月12日日曜日

アタック no1 アニメ版 1969

巨人の星に乗っかったバレー漫画、といってしまうとおしまいなんですが、確かに絵面も東京ムービーで同じだしストーリーや魔球、フレーズや演出もまったく同じなんですが、でも二番煎じは面白くないはずなのに面白い、というかどっちかという洗練されてすとんと来る感じがします、成功するのは三番せんじくらいだってよく言われますけど・・・
 
 内容は鮎原こずえっていうキャラが全然予想と違っていて意外でした、たぶん弱虫で泣き虫の少女がバレーでどんどん成長するというものかとおもいきや、鮎原は最初から出来る少女で秀才で、性格もしっかりしてるという、さすが69年の作品。40年前の作品?!嘘だろ・・・、それにファッションがかなり凝っていると思います、ユニフォームもダサかっこいいし、60年代のポップな感じもあって、カジュアルファッションという画一化された服しか着てないのと違って、私服もオートクチュール感があります、それにキャラが立ってる気がする・・・美少女アニメのキャラは全部同じに見えるのに、これも一応みんな美少女キャラなのに、個性が立ってるのは・・・何故?
 髪型?方言?喋り方?デザイン?ストーリー?

 キャラクターデザインを魅力的に、的なマニュアルがありますけど、それはおっぱいを大きくしたり、メガネをかけてみたりしてもまったく的外れです、マニュアル的に人間を考えてる時点ですでにアンドロイドと同じですからね、引っ込み思案だが意思は強い性格、なんて単純に割り切れるような人間なんて絶対にいませんから。
 キャラクターを作るのは、結局自分の経験で出会った人間を描くしか方法はない・・・、そして60年代にはそういう魅力的な人間が周りにいたってことでしょうね、90年代以降のキャラがみんな同じに見えるのは、90年代の人間が、まったく同じような人間ばっかりだからでしょう・・・、いい作品が生まれるには、語るべき時代がなければ・・・


2012年2月11日土曜日

旧約聖書 サムエル記

まさかのサムエル記。
聖書は少しづつ読むことにしてますが、新約は僕にとっては全然面白くないです、というか同じ話を四回も繰り返されてもたまらないし、新約聖書は所詮プロパガンタ的で、文章として価値が無い、別にイエスを否定する気持ちはありませんが・・・嘘です、イエスも個人的には好きでない。科学的進歩はアリストテレスの否定によって進んだ、倫理的道徳的変化はキリストの否定により進むでしょう。

逆に旧約は、その読みにくさも含めて非常に面白い。サムエル記では、ユダの民が王を求めるという決定的な場面があります、神もサムエルも王を求めないのに民が王を求める、なんじゃこれは!民が王を求める・・・、それは一体なんなんだろう?サムエルははっきり、王は民を隷属させて、圧政の下に置くと予言します。それなのに民は王をまだ求める、なんで王が生まれたのか、ということは、人文学的な研究は色んなとこで行われているのに、永久にハッキリしっくりこないのに、最も重要なテーマです。

王、この述語が持つ意味は、実戦理性においても・・・決定的です。そして神はサウルを王にするのですが、神はサウルを王にした事を悔やむ、えっ!なんじゃそれは・・・、神は王の人選に失敗したのです、そんな事ってあるだろうか・・・、旧約の基本的流れは、神の言うことを聞かない人間を神がやりたい放題に殺しまくる、それなのに神が間違えてたら・・・。無茶苦茶である、でもその無茶苦茶さが・・・やっぱり面白いんでしょうね・・・旧約の神はサイコロをフリます、新約の神は、ふらないということになってますがね。でも・・・実際の現実世界に目を向ければ、新約の神は、人間の生み出した幻想のように思えます・・・


・・・だとして、何のために書くのか? banksy wall and pieces

前回の続き・・・そうしてグラフィックスがどんどん進化していって、コンピューターにどんどん頼るようになって、フォトリアルな絵がどんどん楽に3d世界で描けるようになって、もしくはグーグルタウン、みたいなものが開発されて既存の街がすべて3d化されて自由に絵が作れるようになる、そしてボタンひとつで漫画風やアニメ風にデフォルメされて、後は数値を当てはめて、切り貼りしていくだけ・・・、だとして、もう絵を描く意味を失ってないか・・・?そもそも絵なんて書いたって仕方ないじゃんか、それじゃあ。ただ、あるがままに世界を見ればいい、ディスプレイから目を離して、現実を見ればいい。絵かきがリアルな絵を書くのは、それがカネになるからだ、絵かきはカネの為に絵を描くためだけに存在している・・・・・・・素材を切り貼りして、オブジェクトを置いていくのは、結局むなしい。
 いつから?いつから・・・・いつから、本当に絵を描くのを辞めてしまったの、それともはじめっからそんなものなかったのか・・・本当に絵を描くのって一体全体なんだった?写実を離れては感動は結局無い、メロディ無くして音楽が結局成立しなかったように・・・・というか・・絵とはなんだったのか・・


 というわけでバンクシーを紹介、特にその本、wall and piece、これはバンクシーのまとめみたいな本です。絵は道具、大事なのは、絵ではなく絵を書いた人間と、絵を見る人間・・・、絵は、結局人間を写す・・・・、そのグラフィックの鮮やかさはまぁもちろんとして、社会構造へのユーモアとか、政治的な意味が、バンクシーの見所でしょう。たぶん実はすごい金持ちのインテリなんでしょうけど、しかしまぁ・・・みんな貧乏で学が無いフリをしてるだけでアーティストなんてほとんどそんなものですが、最近ますますそうです。・・・ともかくバンクシーは、マティス、ピカソ、フランシス・ベーコンの次に美術史で登場する人物になりました。そのほかの現代美術なんてハッキリ言ってただの使い捨ての商品だもの。加えてバンクシーは政治的スターでもある。

 政治の季節がまたやってきている、と誰しもが感じている今日この頃・・シリア、エジプト、ロンドン、すでに狼煙は上がってる。国債のデフォルトは、即戦争を意味してきた、ルイ王朝の崩壊も、宗教戦争も、根っこには国家財政破綻があった、アメリカは破綻してる、EUもギリシャ、スペイン、イタリアと連鎖破綻する、日本も巻ぞえ、中国とインドが一人勝ち?そんな馬鹿な・・・世界は大規模な内戦に突入する。民主主義は違法だった、共産主義は違法であった(現在でも)、ストリートアートは違法である、さて・・・資本主義を殺すのは違法か?

 to destroy capitalism world , how  many (good and idiot) people should die?
--i think almost all of human kind
--anyway killing people is illegal?
--at war its legal, they said so at east end war crime court if its not, we should punish Truman ,Nixon, Kennedy,Bush and Bush......


 most dangerous person is who want to make the world better place

 to do what you told is overrated.





2012年2月6日月曜日

星降る・・・

星降 c2   
ちょっと長編の前にE本でも書こうと思ってイラストを書いています。誰も望んでないのに視覚芸術の世界は3d化が進行中です、なんといっても楽だからだし、使い回しが出来る。ナウシカのメーヴェを3dで書いてたら一年は制作を短縮できてたでしょう。音楽漫画の楽器は今はすべて3dでしょう。一枚絵の画家っていう人種は絶滅したので、これからはどんどん3Dが主流になるでしょう。まぁ仕方ないさね・・、ジブリもほぼsoftimageの合成とテクスチャ感だしさ。
 3dは一昔前は作るのはクソ面白くなかったけれど、zbrushやposerなどは結構楽しいです、楽しいらしいです、正確には。もっともっと直感的な物が出てくるであろうね、とりあえずもっとデザインに特化したマウスが欲しい。

2012年2月4日土曜日

人間の大地 サン=テグジュペリ 1939

単なる私の無知かもしれないですが、植民地について、文明人の立場からそのバーバリアンとの接触を描くのに成功したのはフランス文学だけなのです、それが何故かはわかりません、イギリスのインド支配についても、日本の東南アジア、韓国支配、アメリカの日本統治は文明国による敗戦国の支配だし、ドイツもそう。彼らは・・詩人の才能がさっぱりない、フランス人ってやつは、私の意見では優秀すぎる民族です、だから最初に滅びるに違いない。だいたい、文化的に優秀な民族は野蛮人に虐殺されるというのがセオリーですからね、古代ギリシャはローマにやられ、宋はモンゴルに踏みにじられ・・・
 科学と論理を標榜しながら、暴力によって植民地を支配する、その存在的矛盾を個人の中に押し込んでその心の動きを観察することに成功したのは、何故かフランス文学でした。だから僕にとってテグジュペリやセリーヌは植民地文学という気がする、そしてもちろんカミュも。20世紀フランス文学は、文学的に不毛の旧世界で唯一何か・・・真実をえぐっていると思います。というか唯一文学として生き残ったのはフランス文学と日本文学だったとしか思えません、イギリス文学もアメリカもドイツも・・ラテンも、コロニアルもポストコロニアルも、文学ではない、もちろん戦後文学も、戦後に文学は存在し得ないでしょう、だから現代文学ってのはコトバだけの真空だと思います。文学とは何か違う、文字による表現はそりゃいくらでもあると思いますけど。文学っていう・・芸術形態は、古典派クラシックみたいに、 もう付け加える事の出来ない過ぎ去った黄金時代みたいなものです。
 

 あまりにも概括的な事から入りすぎましたが、内容はそりゃまぁいいものです、文体も、レトリックも教科書に載せたいくらいに。ただ本の最初に書かれてる事と後に書かれていることが全然違うのですよね、最初は進歩主義者的な感じなのに、だんだん文明を全否定するようになっていって、最終的には人間の精神的解放を説く。それがまぁ1939年頃の人間のあり方だったのでしょう。テグは自殺を否定してるし、恐らくキリスト教徒なのに、どうやら最後は自殺っぽい、自殺という述語にはいろんなノイズがつきすぎてる気がします、だから新しい名前をつけましょう。・・・ソバクとでもかりにしましょうか。テグは核爆弾時代にいたる前にソバクした、核爆弾以後の価値観のパラダイムに一番近づいていたのに人間の一人だった・・・・
 核爆弾以後の世界ではコトバが、精神が最も重要です、肉体よりも精神が、私達がやってるのはマインドゲームであって、戦争ゲームじゃない、暴力による解決は不可能になってしまったから。核時代の英雄は優秀な指揮官ではなく有能な洗脳家、つまりアーティストが一番重要な存在であるわけです。優秀な洗脳家の特徴は、恐ろしく反動主義者である事・・・彼らは時代の先端に立っているように見えて、後ろに保身主義の大群を引き連れている・・・それを大衆と呼んでいます。