2012年2月21日火曜日

風とともに去りぬ 1935

まず色んな先入観があったでそれを整理します。
・南北戦争について書かれていますが、書かれたのは、1930年代の2つの大戦の間という時代です
・ミッチェルは若い時にこの本を書いているということ。なにか頑固で年をとった学者風の老婆が書いたものではないということ。
・歯が浮くような戦争純愛物語ではないこと。

 この小説を世界文学ってのに含めるかどうかはハリーポッターを世界文学全集にいれるかどうかぐらい難しい問題で出版社は頭を悩ましたでしょう。そう・・言ってみれば戦争と平和のアメリカ版なのですが、前にtimesの広告に世界最高の文学作品として戦争と平和が広告されていた時にかなり違和感があったのを思い出します。最高の文学作品は、明らかにカラマーゾフだから、こういう歴史フィクションというのは、批判の余地がないものです、だって事実そういう事があったのだから、つまらないとか構成が陳腐だとかは言えないわけです、吉川英治の作品を批判する人もあまりいないでしょう。歴史小説ってのはかなり卑怯です。それは創作を肉体的労働にしてしまうから、たくさんの資料をたくさんの言語やインタヴューで収集してまとめあげる、労働にしてしまうから。私自身は作家の端くれとして、誰もが80点を与えるものよりも、120点か0点の作品を作る人が好きです。精神的にイカれてしまっても。

 それはそうとして、有る側面的な理解に過ぎないけれど、ヤンキー帝国ってのが、今のアメリカがどういうルーツを持っているかというのを知るには欠かせない本だと思います。南北戦争は時期的にも歴史的ターニングポイントとしても、明治維新と重なっています、南北戦争が今のアメリカの原型を作ったのは間違いないし、日本はその後敗戦でまた180度違う国になったけれど、アメリカは敗戦していないのでそのままなのです。 日本人ってのはヤンキー帝国傘下なのに(だからこそ、か?)アメリカの歴史をさーーーっぱり知ろうとしません、いつまでも戦国時代の武将がうんぬん、家康がうんぬん、もしくは三国志がうんぬん、マリーアントワネットが、ハプスブルクが・・、もっと身近な、そして自分たちの心を切り刻むようなものに、目を向ける時じゃないでしょうか。

 戦うにはまず敵を知れ。