2012年2月24日金曜日

Le Mythe de Sisyphe シシュファスの神話 1942


いきなり個人的な話ですが、この本は私にとって重要な本です、というのはこの本が語る哲学が私の持つ哲学と近似しているから、だからあなたはどんな宗教を持っているのか?どういうエスニシティなのか?などと聞かれたら、この本を読んでくださればだいたいわかります、それにラッセルとウィトゲンシュタインのような数論理学的な価値観とイギリス流のユーモアを付け加えるとvoila! 私という人間が出来上がるのです。
 
 誰もが自分の世界観と近似した哲学書を持っているでしょう、聖書だったり、パスカルだったり、スピノザ、プラトー、アリストテレスだったり、ディオゲネスだったり、まさかヘーゲルなんていう人は少数派だと思いますが・・・哲学書というのはつまるところ、こう生きるという宣言みたいなものです。

 
 ずばり、内容を一言で言い切ってしまえば
「希望を持つな、だが死ぬな、今を生きろ」
これに尽きます。 人は希望を捨てきれない、神、神、神。いつまでたっても神を求めている。どうやってもそれを諦めようとしない。だが神はいない。死後の世界など無い、未来など無い、永遠は無い、どこまで長生きしたって救いなど来ない、希望は欺瞞である、人間は死ぬ。人間の人生は、虚無でabsurdなものだと認めろ、そしてそれにも関わらず、まったく矛盾しているからこそ生きろ。完全に無意味で、虚妄で幻想で、くだらないものだからこそ、生きる。そこに神に精神をゆずり渡さない、人間の精神の勝利がある。
 論理的な整合性を持ってすれば、人生が虚無ならすぐに自殺するべきです、けど私はこのとおりここに生きている、自殺するべきなのにしていないのは誠実さを欠いていることになる、生きている限りは生きている事を肯定しないといけない、それが誠実なあり方だろうってわけです。

  カミュには誠実さがある、それはほとんど誠実さなんてものが無くなった世界においては逆説的ですが希望に思える。タルコフスキー曰く、唯一伝わるコトバは誠実なコトバのみである、まさしくそう。この本が出版されたのは1942年、まさに戦時、嘘や偽りを言う余地など無い、くだらない幻想を提供して死から目を背けることを誰もが望んでいる、天国で会えるとかそういうわけのわからない幻想、ドストエフスキーや、トルストイや、宮崎駿が語りそうな幻想。死から目を逸らしてはならない、死の後には何も無い、虚無だけがある。 そうやって幻想を拒否して、現実と向き合い、死と向き合う、やっぱりカミュはかっこいぃですね。