2012年2月4日土曜日

人間の大地 サン=テグジュペリ 1939

単なる私の無知かもしれないですが、植民地について、文明人の立場からそのバーバリアンとの接触を描くのに成功したのはフランス文学だけなのです、それが何故かはわかりません、イギリスのインド支配についても、日本の東南アジア、韓国支配、アメリカの日本統治は文明国による敗戦国の支配だし、ドイツもそう。彼らは・・詩人の才能がさっぱりない、フランス人ってやつは、私の意見では優秀すぎる民族です、だから最初に滅びるに違いない。だいたい、文化的に優秀な民族は野蛮人に虐殺されるというのがセオリーですからね、古代ギリシャはローマにやられ、宋はモンゴルに踏みにじられ・・・
 科学と論理を標榜しながら、暴力によって植民地を支配する、その存在的矛盾を個人の中に押し込んでその心の動きを観察することに成功したのは、何故かフランス文学でした。だから僕にとってテグジュペリやセリーヌは植民地文学という気がする、そしてもちろんカミュも。20世紀フランス文学は、文学的に不毛の旧世界で唯一何か・・・真実をえぐっていると思います。というか唯一文学として生き残ったのはフランス文学と日本文学だったとしか思えません、イギリス文学もアメリカもドイツも・・ラテンも、コロニアルもポストコロニアルも、文学ではない、もちろん戦後文学も、戦後に文学は存在し得ないでしょう、だから現代文学ってのはコトバだけの真空だと思います。文学とは何か違う、文字による表現はそりゃいくらでもあると思いますけど。文学っていう・・芸術形態は、古典派クラシックみたいに、 もう付け加える事の出来ない過ぎ去った黄金時代みたいなものです。
 

 あまりにも概括的な事から入りすぎましたが、内容はそりゃまぁいいものです、文体も、レトリックも教科書に載せたいくらいに。ただ本の最初に書かれてる事と後に書かれていることが全然違うのですよね、最初は進歩主義者的な感じなのに、だんだん文明を全否定するようになっていって、最終的には人間の精神的解放を説く。それがまぁ1939年頃の人間のあり方だったのでしょう。テグは自殺を否定してるし、恐らくキリスト教徒なのに、どうやら最後は自殺っぽい、自殺という述語にはいろんなノイズがつきすぎてる気がします、だから新しい名前をつけましょう。・・・ソバクとでもかりにしましょうか。テグは核爆弾時代にいたる前にソバクした、核爆弾以後の価値観のパラダイムに一番近づいていたのに人間の一人だった・・・・
 核爆弾以後の世界ではコトバが、精神が最も重要です、肉体よりも精神が、私達がやってるのはマインドゲームであって、戦争ゲームじゃない、暴力による解決は不可能になってしまったから。核時代の英雄は優秀な指揮官ではなく有能な洗脳家、つまりアーティストが一番重要な存在であるわけです。優秀な洗脳家の特徴は、恐ろしく反動主義者である事・・・彼らは時代の先端に立っているように見えて、後ろに保身主義の大群を引き連れている・・・それを大衆と呼んでいます。