まず福音の事をGOSPELという事を初めて知った。
私が読んでいるのは文藝春秋文庫の新約聖書です、文春は私はダイキライだけれども、文庫の聖書ってのがあんまりないからこれを読んでます、どうせ新共同訳だし、他に英語のJAMES版も参考にしてます。この解説の佐藤優某もとても嫌い、というか私は外務省とか官僚のやつらはダイキライ。インテリ右派=糞自己中
マタイ、黙示録、ルカ、が引用されるのが一番多い気がします、あらゆる本の中で、創世記、モーセ、詩篇、ソロモンが続いてか・・・しかし最近マルコが実は一番原典?に近いらしくて注目されてるようです。
ともかくマタイについて・・・
世間ではキリスト教=博愛主義、支配者が押し付ける保守的な社会維持哲学と思われてるように思えるけれど、キリスト教はユダヤ教のかなりの左翼で、実は少数革命理論を教えている。そしてイエスは信じれば誰でも救われるなんて言ってない、耳があるものは聞け(ほとんどのやつは理解する能力がない)と、選民エリート主義で一貫している。隣人、兄弟を愛せとは人類愛を歌っているのではなくて、自分の味方を愛せといってるようにしか普通に読めば読み取れない。味方じゃない人間は、徴税人、娼婦、ファリサイ派、律法者など、人間扱いしてないから。だれかが、キリスト教を人類愛的で博愛主義的で、好戦的じゃないものに無理やり変えた・・・その正体は・・・・
キリスト教は革命の宗教である、だから、テロリストは宗教を持つ、過激派は宗教を悪用しているというのは間違いで、キリスト教が、現在の自由資本主義体制と相容れないのはどう考えても明らか。私は平和でなく剣をもたらしに来たと書いてある、もちろん初期キリスト教徒というのは、トルストイが勝手に創造した倫理的な野郎どもでは全然なく、武装カルト教団だったのだから、そのパンフレットとして書かれたマタイがそうであるのは当たり前の話・・・・
どこかでキリストは復活したという、エピソードが追加されているらしいのです、60~80年頃に、誰が思いついたんでせう、何が目的で?
マルコについて
マタイのところにも書いたけれど、本当はオリジナルに一番近いのではないかと言われる、マルコ。文体がスッキリしていて、意味のわからないたとえが少ないように感じます。
またマルコだけに描かれた、亜麻布を来たなぞの若者がいます。
A イエスが捕まって弟子たちが全員逃げた後で一人ついていって裸で逃げ出した。
B 毒薬を飲まないで十字架にかけられたイエスがついに弱音をぶちまけた後に、毒薬を差し出す為にかけよる
C 墓に入れられたイエスの墓を暴き、二人のマリアにイエスの復活を告げる
D マグダラのマリアだけにイエスが姿をあらわす。
マルコによる福音ではイエスが復活したというのが、どうも嘘っぱちらしいというのが如実にあらわれていて、マグダラのマリアがイタイ狂信者のヒステリー女感が強い。なぞの若者は一体何者かはすごい気になる、そしてユダは自殺してない。じゃあなぞの若者はユダで彼が、イエスと共謀して、イエス復活の狂言芝居を打ったんじゃないかという線が残る・・・
意図的ではないにしろ、新約は同じストーリーが4つの違う意図と語り口で語られるという特異な文体で書かれていて、芥川の藪の中、黒澤羅生門的な、まったくわけがわからねぇ、とうそぶきたくなる不思議さと面白さを持っている。こういう形態は挑戦してみる価値があるかもしれない。
たぶん、ブルガーコフの巨匠とマルガリータはマルコによる福音をベースにして書かれている、そして太宰のユダについての小説、タイトル忘れた・・はマタイによるもの。マルガリータ、はハリーポッターの元ネタです。
ルカ
LUKE
個人的にはルカという名前が好きですが、内容は好きではないです。
本人も語る通り、これは普及版というか、ブルジョア宣伝向けの福音書パンフレットで、極左的革命理論を訴えていたイエスを
まさしくイエスが毛嫌いしていた偽善者にしてしまっている。ルカはいわゆる世間的イメージのキリスト像を描いています
すべての人を分け隔てなく愛せ、許せ、善をなせ、神を信じろ、信じれば誰でも救われる、云々・・・
まったくこれは偽善者のそれで「すべての人に抱えきれない重荷を背負わせ、自分はその十字架を追わない」
律法者、ファリサイ派とまったく同じ事です。本人もそれを自覚しているのか、マタイ、マルコでは繰り返される偽善者への
バッシングがルカでは殆ど無い上に、イエスの人間としてイメージも失われている(聖杯を取り除いてほしい、神よあなたは私を
見捨てたのか)、特にマルコのイエスは普通の人間が、苦しみながら生きていく、実存主義的な感動があるけれど
ルカにおいてイエスは完全に偶像化されています。
これは偽善者、為政者にお得な、押し付けるための宗教です。
なぜそうなったのかは簡単にわかります、キリスト教がだんだんと権威、力を持つにいたって、革命理論としてのキリスト教は
使い物にならなくなった、自分たちが権力を持った今になって、革命理論を支持するわけにはいかない、権力を捨てよ
と言ってるのだから。でも権力はこれは、まぁいいものであって、捨てるには惜しい。よし偽善者になろう。というわけです。
ニーチェやら19世紀中頃から、徹底的に攻撃にさらされたのはこの偽善者としてイエスであって、社会主義、共産主義
マルキズムは、キリスト教を否定したといいつつ、実は、マタイ、マルコ的、特にマルコ的革命理論としてキリスト教を復活
させたといえるのではないでしょうか。
突き詰めれば、権利、権力、金、力 etcは実は同じもので普通それは悪、と呼ばれるもので、それが悪である事を認めないのなら
それは偽善以外にはありえないというわけです。キリスト教の権力者というのははっきり言うが、絶対にありえない。
善い、権力者というものもこれはまったくありえない。
ヨハネについて
明らかに実際のイエスをモチーフにしただけの完全なフィクションであるし、どうやら筆者は職業作家でイエスに会ったこと
なんてちっともないというのが文体でわかる。だからダメというわけではないです。
むしろ何度も何度も作家はイエスのモチーフを使って物語を作ってきたのであって、これはその初期の完成形であって、私個人の感想
でいうと、こいつは100%偽善者で、しかもどうやら体制側のぬるいブルジョアみたいな言い草だなと思いながら、旧約をしっかり
と読み込んで、ギリシャ哲学も勉強し、推敲を重ねて書いたんだろうなという感じがする。職業作家として手腕がある、
ヨハネは文章化、扇動家、トリックスター的な才能に恵まれているとおもわれる。事実、文学的に参照されるのはほぼヨハネの福音
そして黙示録です、この2つが、美、という観点でいくと、ソロモンについで完成されている気がする。ただそれが伝えている
メッセージは、イエスとはほぼ何の関係もない、ちんぷんかんぷんな、ちゃちぃヒーローどまりであることは疑い無い。現実感が
全くない。ただ、頭の中でこういう人がいればいいなという感じで作られている、復活したラザロもえぇ・・って感じだし
当然の話ですけど説教臭い(説教そのものなんだけど)。
ただ、不器用な文体であったマルコなどを、装飾して演劇的場面にしたてあげた手腕は評価しないといけない、事実二千年も
読み継がれている物語なんだし・・・名言も多い。
光ある内に、光の中を歩め・・・
使徒言行録 ACTS of apostles
ペテロ、パウロの後日談。
イエスは民族主義者で、イスラエルの民だけを救うものでした。選民主義、エリート主義をイエスは語っていたけれど、キリスト教は
ユダヤ人の激しい反発にあったので、ユダヤ人以外に信徒を増やすために、ペテロが勝手に、異邦人にも神の救いがあるということを
決定しました。そしてよりユダヤ教と対立することになる、ここでキリスト教とユダヤ教はまったく違うものになる。
イエスはユダヤ教の改革者だったけれど、パウロはキリスト教の創始者というわけです
パウロがペテロの教義を広めて、最期には、アグリッパ王(これはアウグスティヌスの片腕のアグリッパの子孫、アグリッパ二世)
ローマで布教をするというもの。
ゴスペルに比べて、とてもなんか現実感が強い、パウロが地中海世界を渡り歩くオデゥッセイア的な感じもあって、旅行記みたいに
読めます。作者はルカの福音を書いたルカらしいのです。そしてどうやらお話はクラウディウス帝のころ・・・
ローマはアウグスティヌスが死んでからトラヤヌス、ハドリアヌスが出てくるまでまぁポンコツ将軍ばっかりです、クラウディウスは
賛否あるみたいだけれど、やっぱ器じゃない。カエサルは信長に冷静さと文才を与えたような完璧な指導者、アウグストゥスは
秀吉、家康を合成したような、超豪腕の曲者です。
けれど一番印象に残るのはローマ帝国がそれでもかなりしっかりしてるなぁという感じです、裁判をしないと鞭は打たない
罪がなければ罰しない。護送などもしっかりやる。現代の国家でもそんなしっかり法整備(運営)されてるとこなんて数えるくらいしかないのに。
ローマは偉大ですね。
epistle to ROMANS 56年ごろ
パウロ書簡ですが、偽物が多いなかでこれはパウロの真書らしいです。
パウロは死因が私調べでははっきりわからないです、ペトロはネロに逆十字固めをくらって華々しく死んだのですが、パウロは
たぶんなんかグダグダで年食ってちょっとボケたりして死んだんでしょうね。
パウロ書簡は、結局のところどうせいっちゅうんじゃという、具体性のまったく無かったイエスの教えを、彼特有のロジックと
日和見主義、修正主義で肉付け、そう肉、づけをしてます。パウロの印象は肉ですね、イエスは精神、ペテロは骨、パウロは肉です。
パウロがラディカルではないところはいろんなところでわかります、ことあるごとに、おれはローマ市民権を持っていると自慢して
危機を回避しようとするところ(ペテロはむしろ死ぬことが偉いと信じていた節がある)、おれはファリサイ派だ、とか偽証をして
みるところ、結局のところ保身がけっこう重要なところ。
ペテロとパウロが実は敵対していたという話もありますが、納得です、ふたりとも異邦人への布教という主線では一致してましたけれども
どうもパウロは口先だけの野郎的胡散臭さがある、だからこそ、現代のキリスト教に直接つながっているのはパウロでしょうね、みんな
口先だけの偽善者ばっかりですから。それを政治的手腕とも言えるのだけれど。ご都合主義、論理のトリック、言い訳、で切り抜ける・・
ペテロ的ないわゆる聖人はむしろ東方教会的で、多くを語らず、命を軽蔑する路線(修道院系)として
これも残っていくんですけれど。プロテスタントとかもその流れかなぁ・・・
to colinthians 1 2
パウロ書簡
パウロが、私は手紙だと強行だが、実際に会ってみると大したことないと言われるが、そんなことは無い。と自分でも白状してますが(というか図星だから言い訳してるんだろうけど)パウロの口先だけ感が強まります、けれど口先だけをとってみれば、使徒の中でも彼に並ぶものはいないのでしょう。彼は好き勝手に教義と理論を積み重ねていきます。文体は演説体で、マルチリンガルだったこともあってたしかになにかダイモンを感じますね。
EX 神>キリスト>男>女
パウロの教義は女は男に支配されなければならない、他にもかぶりものをせよとか、うるせぇ!といいたくなるようなことばっかりです。まるでファリサイ派そのもの。けれど!ここが重要なのですが、パウロは明らかに女を魅了するタイプだったんだろうなということ、だいたいにおいて、指導者というのは女から支持を得ますが、どういうわけか女が支持するのは、パウロみたいなガチガチの女性蔑視主義者で、フェミニストは女から毛嫌いされます。奇妙な話ですが、アンチ・フェミニストのほとんどは女です。フェミニストの女=ブスのオールドミスという軽蔑を最も強く持っているのが女だからですかね。
その他偽書簡 ヘブライ、エフェソ、テトス・・・
ほとんどがパウロの文体を踏襲していることがわかります、キリスト教の語り口=パウロ風の文体というのはずっと変わらない、内容はころころ変わっていくけれど。これもやはりパウロがマルチリンガルでおそらくいろんなコトバで、キリスト教を語ったのと関係あるんでしょう、だいたい言語に詳しい人は、より一般的でわかりやすい表現をするし、さっぱりした文章を書くようになる。
注目すべきはテッサロニケの一節 man of sinについて。
まず神に対する反逆者が現れる、あらゆる神に反感を持ち、あらゆる崇拝されるものを唾棄する、滅びのものは傲慢にふるまい
神殿に居座り、やがては自分が神だと宣言する・・・
超人。
ザラトゥーストラでも現れるのでせうか。
思うに、実は昔の人々も神無しでは目的、テロスが無いということに気づいて、科学的世界観の後に、神を生み出したのではないかというか気がする、伝道の書、ギリシャ哲学などを見ると、神は人間は阿呆だから作られたのではなくて、空の空を体験した知識人が、人間を救う為に作ったのだというきがする、つまる、野蛮ー科学ー神と進歩していったのに、19世紀以降の近代人は、それを忘れて、また科学、そして野蛮へと帰っていくのではなかろうか。文明は緩慢な崩壊をしていて、数世紀の後に完全な野蛮へと帰っていくのではないか、ドストの予言は今度も当たりそうだなぁ・・
Apocalypse
あらゆる荒唐無稽な本でも、最高にめっちゃくちゃな本。フィネガンズ、は黙示録にはかなわなかった。ラブレーも良いのですが。
大枠としては、ローマ帝国に対する恨みつらみを、ドラッグでハイになった預言者がぶちまけるというもの。それだけなら誰も顧みないのですが、このジャンキーの想像力はかなりの学識と、博識に支えられつつ、ぶっ飛んでいるのでおそらく福音につづいて聖書では重要な本です。7や12など数にこだわる、ピタゴラス派みたいな雰囲気、北欧神話的神と悪魔の戦い、ゲテモノ、大淫婦バビロン?などのネーミングセンスなど気になるものも多数。
そしてちょっと当たっていたりします、チェルノブイリが苦よもぎと呼ばれるという偶然の一致、ローマ帝国は確かにキリスト教に滅ぼされて、キリスト教による暗黒時代が確かに1000年ほど続いた事。千年王国の事をミレニアムということ・・・
キリストの千年王国はだいたい、313年のミラノ勅令からプロテスタントとカトリックがブンレツする1520年くらいになりますか?そのあとはサタンが復活して、ゴグ、マゴグとよばれる諸国民を惑わせて戦争を起こさせる、その数は海の砂のようだったうんぬん、けれどサタンに天から火が降ってきてサタンは敗北し、ついに神の国が訪れる。
千年王国のアイデア、キリストの千年王国の後に、神の国がおとずれるという二段階の破滅と再生というのは、グッドアイデア賞ですね。確かにローマがキリストに封印されてから、千年王国がおわり、再生したローマ帝国は第二のローマである欧米連合です。ゴグ・マゴグは増えすぎた人口といえる、サタンは諸国民を惑わせて戦争が起こる、正解。1520年から戦争の激発が続いている、最期に天から火が降ってきて一度世界は終わる。
三次大戦で原爆スコールが降り注ぐのでしょうか?