2017年9月28日木曜日

1975 rocky horror picute show ロッキー・ホラー・ショー

 カルト映画、の代表とも呼ばれる、ミュージカル映画です。

ミュージカル、が先にあってそれが人気が高まり映画化されたというものなんですね。キャストもそのオリジナルの舞台俳優がほとんど起用されてるとのこと。


 公開当初の評価は最悪だったのですが、その最悪さ、趣味の悪さが逆に面白くなってきてしまって、映画をみながら一緒に歌ったり、バカにしたり、コスプレしたりしながら見るという、悪ふざけがなぜか一般化して、唯一無二の映画になったというわけです。ただ見るだけじゃなくて自分も参加するという、のが恒例になった、ほんとうに謎の映画です。


 では映画の出来はどうなのかというと、実はそんなにひどい映画ではない、セットも作り込まれてるし、カット割などもかなり工夫されています。
 ただ1975年という時代にしてはガリガリに尖りまくっていたというだけですね。まだまだこの時代はヒッピー・ムーブメントが沈静化してきたころで、性的マイノリティに対する風当たりはブリザードっていう時代なんです。

 よくヒッピーというとラヴ&ピースといいますけども、そのラヴの中に同性愛は含まれたなかったっちゅーわけですわね。ヒッピーのイメージ、みたいなものでもだいたい男女がセットとして扱われています。ジミ・ヘンドリックスのエレクトリック・レディランドのカバーを見ればわかりますが、ヒッピーっていうムーブメントは反体制としてあらゆる伝統をぶっ壊そうとしてましたけども、基本的な路線としては、自然に帰ろう、がその根っこにあって、自然、とはつまり、セクシャルマイノリティを認めることではないのですよね。


 この映画の主人公的なポジションは女装趣味のマッドサイエンティスト、フルンク・フルター博士なんですが、 こういうドラッグクイーン的なキャラが主人公になった初めての映画なんだと思います。こんなの今でも、あんまり見かけない。


 ともかくぶっ飛んだ映画なのは間違いないんですが、コメディタッチで軽いノリをキープしつつ、内容はタブーにつぐタブーでして、売る気ないですやんwっていう感じなんですよね。

 こういう売る気ないじゃんw 面白すぎるもん、っていう作品ってのはほんと最近は減りました。マーケティング、みたいなことが一般化して、売れる作品じゃなきゃ作りませんよ、慈善事業じゃないんだもん。っていう論調をどこに言っても耳にします。
 どういう年代をターゲットにしてるの?市場規模は?損益分岐点は?


みたいなことをすぐに言われるわけです。ちょっとでも反社会的な感じとかを出そうとすると、はいダメー!無駄にリスクとっちゃだめー!タブーとかに切り込んじゃダメー!訴訟とかの予算が無いからダメー!っちゅーわけです。 実験的な作品はダメー、結果が予測出来ないからダメー。



 こういうマーケティング的な考えってのは、まぁ良い面もあります、カネが無きゃ会社が潰れちまうし。カネが無きゃ生きていけないし。
 けど、新しいものが生まれてくる可能性はものすごい少なくなります、だって誰もリスクを取りたくないんですもの。新しいものに挑戦したり、新たな市場とか、新たな発想、考え、ってのに取り組めるのは一握りの富豪が趣味程度にやるくらいしか出来なくなってしまう。

 新しいことに挑戦しないっていう、計算されないリスクがあるんですよね、ほんとは。



 話しはちょっと変わりますけども日本は財政負債が爆発してて、800兆円ほどですか?実際にはもう破産してるんですけども、日本国民の資産、がそれと同じくらいあるんで、それと相殺することでペイできるから、日本国政府、が破綻したらそのかたとして日本国民の資産を差し押さえるっていうことで株価とか円とかが暴落しないわけです。借金ってことは未来のオカネを全部もう使い切っちゃってるってわけで、生まれてもない世代に負担を押し付けてるんです。選挙が近づいてるみたいですけども誰もそのことを何も言わない。

 消費税50%にします。それでも足りないので、国民の資産を差し押さえます。こんなことを言う政党に誰も投票しないですからね。


 日本国民はバカでポピュリズムは愚劣、政治家は無能だからこんなことになってしまった。ということを口だけの学者は言いますけども、ほんとは違います、逆です。


 自分が死ぬまでオレは税金を払いたくない、死んでしまえば何も関係無いから可能な限り借金をすればいい。どうせ死ねばすべてチャラになる。オレが生きてる限り楽しければ良い。

 という考えをしてるとすれば、これは愚劣な選択じゃなくて、賢い、選択なんです。未来の世代がどうなろうが確かに知ったことではない。

 財政健全化、なんて主張するリスク、を取る必要もない。マーケティング的な発想により、そういうリスクをとる必要はない、という政治家の選択は、賢い、選択です。



 1人1人が自分の利益になる、賢い選択をすることにより、全体は壊滅する。

 けどこのセカイは個人主義なんですし、賢い選択をしよう、とみんな教えられてるわけで、全体を優先して自己犠牲をするべし、なんてことを誰一人言わないんだから、そりゃ当然こうなる、当たり前の結果なんですよね。


一体何が言いたいかというに、個人にとっては愚かな選択をしよう。 愚行をする勇気を持ちましょうってことです。個性ってのはそういうことだとワタシは思います。正しい正解は一つしかない、けど愚かな間違いはその人の数だけあるんですから。



 

2017年9月25日月曜日

1606  マクベス   シェイクスピア

 恐らくシェイクスピアの最後の代表作、テンペスト、もあるんですけど。いわゆる最盛期の最後の作品だと言われております。
  晩年、っつってもそれほど年でもないんですが後期のシェイクスピアの作品はあまり評価は高くありません。よく意味がわからんのですな正直に言うと。



 ただシェイクスピアってのは常に変化を求めるタイプのクリエイターでこの手のタイプってのはたいていそういう道をたどるものです。オーディエンスは最盛期の、一番素晴らしい作品と同じようなスタイルを続けて欲しいと思うのですが、クリエイター自身はもうそれは完成したからいいんだ。むしろ観客に媚びるのはもううんざりだ。おれのスタイルでやる!っていう風な調子。でも長く続けるクリエイターってのはそういうカメレオンタイプじゃないと続けていけないのですよね。同じスタイルを貫くとせいぜい10年で飽きられてしまうというわけ。


 それはいいとしてマクベスは四代悲劇の中でもファンタジーに富んだ悲劇でして、まさにダークファンタジーっていう後期シェイクスピアの特徴を一番出してるって気がします。

 舞台の冒頭でいきなり魔女が登場したり、更にはヘカティ、という神まで登場します。もろに神、が舞台に出てくるってのはシェイクスピアにしては珍しい展開ですよね。
 ヘカテーは冥界の王女でして、



 プロットとしてはむしろ単純で、魔女によって「あなたは王になる」という予言をされたマクベスが、野望の虜となって暗殺を繰り返し悪の道へころがり落ち、やがて自分の罪にとらわれて気がおかしくなっていく、という野望と破滅、というシンプルなプロットを持ってます。

 誰もが知ってると思いますが、マクベスの妻であるマクベス夫人は夫の野心に火をつける悪妻として登場し、最後には「いくら洗っても・・血が落ちない・・・」

 っていうあの名シーン中の名シーンへとつながっていくわけですね。


 俳優としてはこの演劇、とってもやりやすいというかやりごたえがある演劇だと思います、演じるヒトの裁量の部分がものすごい大きいというか、実力がモロに出ます。マクベスが1人だけバンクォーの亡霊を見るシーン、空に浮かんだナイフを追っていくシーンなど、俳優の演技力でどれだけ真実味が出るかが決まってしまいますからね。



 この演劇それに加えて、見ていて楽しい、エンタメ要素みたいなのがすごく意識されてる気がします。魔女たちが黒魔法を使うシーン、一騎打ちになるシーン、など絵変わりがしっかり考えられていて、見るものを飽きさせない。


 リア王はワタシは最高傑作だと思うんですけど、実際に上演するのはかなりムリがあるんですよね、難しすぎるんです。リア王を演じきれるような俳優は存在しないと思います。架空の人物として完成されすぎている、こんなのムリだよ!!っていうののオンパレード。
 ハムレットはハムレットでこれも演じるのは不可能という気がする。だってハムレットはかっこよすぎるんだもの、俳優が見劣りしてしまう。あんなかっこいい人物は現実には存在しない。それにハムレットは青年でなければいけないのですが、若造にあんなに洗練されたキャラを演じさせるのは酷っていうもの。ハムレットを理解し始めたころにはおっさんになっていてハムレットには向かない。IQ200の天才少女、12の言語を操り、フィリーズ賞を獲るほどの数学者。みたいなキャラです、実際にはそんな少女は存在しない。
  舞台台本というよりは物語なんですよね。マクベスは舞台、の台本としてはこちらが最高傑作だとワタシは思います。
 シンプルでわかりやすい、面白い。 後味もシェイクスピアらしくなく気持ちのいい終わり方をする。そして短くコンパクトで洗練されている。

 


 実はこの演劇、改作されているというのが定説になっていて、ワタシもそう思います、勝手に編集されている。

 それはマクベス夫人ですよね、最初あんなに悪の華のようだったマクベス夫人がなんの脈絡もなくいきなり弱気になって、幻覚に襲われるような状態になっている、たぶんカットされた部分にマクベス夫人のエピソードがあると思うのが普通ですね。
 「ワタシは一度やると決めたら、自分の赤子のやわらかい唇を自分の乳房からもぎ取り、脳髄をぶちまけてでも、覚悟したことをやり抜く」

 こんなセリフを吐いていたマクベス夫人がどうして、手から血がぬぐえない・・・、なんて幻覚を見るまでに至ったのか?そこは自己補完するしかないですね。
「あの寝顔が父に似ていなかったらワタシが手を下していたのに」

 というフリがあるので、マクベス夫人と父とのシーンがあると考えると自然ですかね。自分のコドモさえ殺すと言っていたマクベス夫人が父に対しては逆らえない何かがあった・・・。


 しかし実は昔は暗殺というのはむしろ日常茶飯事で、人殺しをしたくらいでなんでそんなにマクベス夫妻が狂気にとりつかれていくのかは謎です、やっぱり魔女の仕業なんですかね。

2011 Hugo ヒューゴの不思議な発明

 マーティン・スコセッシのたぶん初めてと思われるコドモ向けの映画。


日本での知名度は相当低い気がしますけども2011年の映画賞をかなり取りまくった作品です。日本でヒットしなかったのは、Hugo、というタイトルがなんのこっちゃわからないということだと思いますね。邦題も不思議な発明となっていますが、ヒューゴは実際には何も発明はしない。



  内容は、実はジョルジュ・メリエスという映画の本当に創成期に活躍した奇術師、についての物語っていう感じですね。だから映画賞を獲るんだ、って感じですね。映画賞の審査をするような奴らはもちろんメリエスを知ってますし、ワタシももちろんメリエスを知ってます。まさに映画賞向けの映画っていう感じですね。
 

 コドモ、戦争、歴史  これこそ映画賞を獲るため三種の神器。もちろんこの映画にも的確にそれが組み込まれています。


 オープニングのシークエンスだけものすごい予算をかけて撮られています、モーションキャプチャーから合成など、うわー、すげー難しいカット作ってるなぁ、と思いますね。


 部隊は1920年くらいのフランスが舞台になっていて、ちょっとスチームパンクな感じですね。いい時代ですよねやっぱこの時代は、ベル・エポックから戦間期、この辺はほんとーに良い。


 ただ、なんとなくいい映画だなぁとは思うんですけど、ん~~、一体何がいいたいの??っていうと別に何も無いという、ディズニー映画みたいな感じの映画です。スコセッシの毒気を全部吸い出した感じですね。映画っていいよね、ってことなのかな?

2017年9月21日木曜日

1602  オセロー  シェイクスピア

 いわゆる四代悲劇の一つなんですが、ワタシ的にはあまりポイントは高くない作品・・・。
四代悲劇といいますが、ワタシが思うには、リア王が抜群の出来、ハムレットはとにかくかっちょいい作品、マクベスはややファンタジー的な魅力を持った作品、そしてこのオセローは昼ドラ的な女性受けする作品っていう感じですかね。これは作品の出来っていうよりはワタシの趣味なんですがね。オセローが一番完成してるっていう批評家もいるみたいです。



 内容はオセローというムーア人の黒人であるがヴェニスの将軍として優秀な軍人がデズデモーナという美女と駆け落ち同然で結婚するのですが、自分を出世させなかったという理由で逆恨みするイアーゴーという悪者によって、妻は不倫をしていると吹き込まれて、嫉妬に狂って妻を殺してしまうというお話です。こんな説明をしなくても知ってますよね?w  


 この時期にシェイクスピアが取り組んできた、性欲と人間という、ほんと超古代からの本質的テーマ、フロイトが飛びつきそうな一番古いテーマを完成させた作品でもあります。ワタシはでもこのテーマがあんまりなんかよくわからないところでして、別に妻が不倫していても、ふーん。ってワタシは思うだけなんですけどね。



 オセロー自身が言いますが、オレは愛するが故にこの悲劇を起こしてしまったのだ。と。深い愛故に、嫉妬で狂ってしまったのだと。

 なるほど、って思いますね。ワタシは自分で言うのもなんですが、愛情が淡白な人間ですので、オセローの気持ちがよく理解出来ません、しかしオセローという人物は、ヒトを愛することに長けた人物であるのです。

 
 このオセローという演劇の一番の売りはやっぱし主人公が黒人であるってことです。当時の黒人差別が盛り込まれているということで誤解されてるヒトが多いと思いますが、シェイクスピアは黒人に対して差別を持っていません、シェイクスピアほどヒトを差別しない人間なんてこの世にいないとワタシは思います。シェイクスピアは最悪の貧乏人や最低の悪党であっても、限りなく魅力的だ!なんて人間的だ!って愛するような人間です、どんな人間でも魅力的なキャラに昇華させるのですわね。悪党どもならず、金持ちの鼻持ちならないヤツ、ピューリタン気取りの偽善者、そういう俗物も大好きですからね。


 オセローはイアーゴー自身が言います
「オレはあいつが大嫌いだが、あんなに誠実で愛情深く高潔な人物はいない」

 悪党であるイアーゴーがそういうんだから間違いないでしょう

黒人であるにせよオセローは非の打ち所がない人物なのです。


 で!イアーゴーの分析通り、愛情深いこと。がオセローを破滅へと導く。


 これはよくよく考えるとすごいプロットですよね、オセローは何一つ悪いことをしていないが、ヒトを愛するので、悲劇的な結末を迎える。
 実はものすごい不条理ですよねこれって。勧善懲悪の真逆、善であるがゆえに罰せられる。



 悪党であるイアーゴーは最後には自分の妻に裏切られて捕まってしまいます。悪が強すぎた故に味方に裏切られる。イアーゴーは自分の妻を殺して逃げだすのですが、 徹底してます。
 徹底してるがゆえにこのイアーゴーというキャラクターは、ものすごいかっこいい、美しさを持ってると思いますね、リチャード2世タイプ。

 しかしイアーゴーはなんでそこまでしてオセローを憎んでいるのか?自分を昇進させなかったからという理由はあるにせよ、それでここまでするか?っていうくらい悪の道をひた走る。その理由は何か?ってのを考えると、それも、オセローが完璧な人間である、そこにしか理由が見当たりません。オセローが完璧な人物であるということ、まさにそれが、オセローが憎まれる理由なんですね。


 こういう一般のソレ、とは真逆の展開をさせることで、人間の本当、をえぐり出すという後期シェイクスピアの恐るべきテクニックが発揮されてるというわけですなぁ。


 なんとなくこの作品はドストエフスキーの「白痴」と似てる感じがしますね、白痴もまだワタシが学生の頃に読んだ時は、なんだか・・よくわからん話しだ。と思ってたのですが、何故かだんだんと、白痴の世界観ってのがワタシの中で膨らんでいて、ロゴージンの闇に閉ざされた家とボケてしまった母親っていうイメージがものすごい鮮明に浮かんできたり、ロゴージンの十字架の話なども何度も急に思い出してしまいます。そういうことってないですか?

 誰も救われない全滅エンド、やっぱりこれがワタシは大好きなんだよなぁw

2017年9月18日月曜日

1999 Buena Vista Social Club

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブというタイトル通りの名前のキューバのバンド、バンドといってもロックではなくてキューバのビッグバンドです。の一人ひとりを紹介していくっていうシンプルな作りのドキュメンタリーです。このバンドの殆どが老人であり90才?のギタリストなどもいたりするんですがかなりのテクニクシャンの集まりだってわけです。

 このバンドについてのドキュメンタリーというよりは、キューバっていう国についてのドキュメンタリーという感じです。キューバの町並み、キューバの暮らしとかそういう感じ。

  キューバは今となっては絶滅危惧種の社会主義の国ですが、南国ということもあって悲壮感が無いというか明るいですね、音楽もそう。キューバの町並みはボロボロのマンションが立ち並んでいて掃除をしてないパリみたいな感じです。いらないところにオカネをかけないのですね。車もずっと同じ車を乗っているのでクラシックカーばっかり。
 まちなかにはドミノ、を麻雀みたいにやってる人々やダラダラしてるヒトも多く、ファッションも自由な感じ。
 資本主義の街みたいに、みんなオカネを求めてスタスタ、と歩いてる感じがなくて時間の流れ方がゆるゆるしてるって感じがしますね。


 今日は台風一過でめちゃ熱くて何のやる気もしない一日、この熱い感じがキューバの町並みを観ててなんかシンクロしましたね・・・

2012 Searching for Sugar Man

ネタバレ警報


ドキュメンタリーなんですが、ネタバレがかなり大事なので見るつもりのヒトは読まないで下さいね。




1970代初頭ロドリゲス、なる何のひねりも無い名前のアーティストがデトロイトにいて、2枚のアルバムを出すのですが、恐ろしく売れずにクビになってしまった。
 その後、ロドリゲスはコンサートで自分の頭を銃で撃ち抜いて自殺した。



 南アフリカではアパルトヘイト闘争の真っ最中、国中が揺れていたのですが、誰かが持ち込んだらしいロドリゲスのアルバムが口コミで大ヒットミリオンセラーとなり、革命ソングとして大人気となりました。
 このロドリゲスっていうアーティストは一体誰なんだ?南アフリカの音楽評論家がロドリゲスについて調べていくと驚くべき事実が次々と明らかになる・・・


 っていう実在の探偵物語みたいなドキュメンタリーであり、アパルトヘイトについての新しい切り口を持っていたり、音楽ってやっぱいいよなって話しだったりと、かなり面白いです。ドキュメンタリーってやつは作り物じゃないからどんなオチになるかわからないけれど、それが奇跡的に動き出した時、作り物の映画では真似できないプロットになりますよね、ドキュメンタリーってそういうもんですよね、奇跡が起こるのをみんな待ってるっていう感じ。極稀にほんとに奇跡が起こることがあるっていうお話です。

2017年9月17日日曜日

2010 Bill Cunningham New York ビル・カニンガム NY

NY TIMESという新聞でストリートファッションのコラムを担当しているビル・カニンガムという老人のドキュメンタリー

 「みんな本当の趣味は多種多様であるが、クッキーみたいに全員おなじ格好をしている、自分の趣味の通りのファッションをする度胸がないからだ」

 ワタシは実はファッションがとっても好きなんですが、お店に売ってあるような服でいいと思ったことは殆ど一度も無いし、ファッション雑誌みたいなのでいいなと思うこともほぼ無い、だからワタシの服はめっちゃダサいです、ダサいというかただ単に安いだけの服です。本当にワタシが着たいような服はどこにも売ってないし、自分で作るには高すぎるから。自分が好きな服を着ることは諦めました。



 でもモード系の雑誌やファッションショーを見ると、うわーいいなぁ、と思うことはかなりあります。でもまちなかでそんなエッジの聞いたかっこをしてるやつは皆無か、原宿という治外法権エリアのみですねw あれもちょっとモードとは違う、原宿コスプレみたいな感じですよね、アキバコスプレも、それでも全員同じユニクロみたいなのよりは死ぬほど良いですよね。


 日本ってのはほんとルックスに関してはクソみたいに保守的な国です、まぁイスラムとかよりはマシだろうけども・・・イヤ、個性的であるって点では向こうのほうがマシかも・・・
 ワタシはずっっっっっっと思ってるんですけど、学校では髪を染めちゃダメ、とか言ってる時点で国際交流とかグローバリズムなんか出来るわけねーだろ、アホかよって思います。リクルートにはリクルートスーツ、そんなことやってる時点で、海外の文化を理解しようとする気が実は全然ないし、ココロの底ではアメリカ人をバカだと思ってるし、同じアジア人を見下してるのを知ってます。それなのにおもてなしとかほざいてるのがすごくキライです、ほんとは海外の人間なんて受け入れたくないけどカネが欲しいだけだろこのクズどもってワタシは至極思う、オリンピックなんて中止になればいいのに。日本人の本質は村八分の鎖国主義で、ずっとそれは変わってない、確信を持っていえます。ただそれよりも尚、ゼニのほうが好きだってだけです。
 なんて散々暴言を吐いてみむw







 Money is the cheapest thing
Freedom and Liberty is the most expensive

 Avoid the traps of Rich


 ビルは大金をもらうのを断ります、リッチになると良くないから。それだけでもこの老人が一流の写真家だってことがわかりますね。それがアーティストだと思います。ワタシはなんにせよお金持ちの言うことは聞かないし信用しないことにしてます。



また1980年台に日本のデザイナーが現れたことについての話しが面白いです。川久保玲(コム・デ・ギャルソンのデザイナー)のBag Womanというデザインは、NYのホームレス、ゴミ袋をカラダに巻きつけている女性からヒントを得ていて、そのシルエット、は中世のリヴァイヴァルのようだったという話。へー!

 

2010 ロシアの歴史【下】 19世紀後半から現代まで ロシア教科書

  ロシアの歴史教科書  明石出版

 レヴュー
これはいい本です、2013年のベスト暫定1位です。まだ2月ですけどw
 他の国が日本をどう見ているかがわかる、というのは(この各国の教科書シリーズの趣旨なんでしょうけど)別にどうでもよくて(アメリカの犬だと思われてるでしょう)、ロシアが自分の歴史をどう考えてるか、が興味深いところです、というのは、ロシアはソ連ではないから。ロシア自身のソ連への公式見解が歴史教科書に書かれてるわけです。
 一番驚いたのはロシア政府は中学生や高校生にもろに革命について教えてるのだなということですね。
 課題 君は大革命時の赤軍が正しかったかどうかを考えて、自分の態度を決してください。

まじか?って感じですよね、そんな15そこそこのガキにボルシェヴィズムとメンシェヴィキの正しさを評価して自分の態度を決めるなんてことを求めるの?一体どういうテストがあるんでしょうか。
 
革命は必ず流血を伴わないといけないので、スターリンのテルールは評価出来る、反対派の抑制が、国家の統一には必ず必要で、どの先進国にもテルールが行われている、アウグストゥス、フランス大革命、クロムウェル、アメリカの現地民虐殺、むしろ大量殺戮、ジェノサイド、民族浄化が国内のイデオロギーを統一、近代化させることに貢献し、より大きな災厄、戦争での敗北を防いでくれる、とかそういうことを書けばいいのでしょうか?なんにせよ、ロシア政府は教育でバカを生み出すという方針をとってないのですね。
 アメリカにしろ日本にしろEUにしろ歴史教育は、いわゆる中道左派的、無責任な上っ面だけの倫理と道徳を吹き込むものです。世界の人は協力するべし、平和が大事、でも石油を自分の国家のものとするなど自由資本主義の帝国支配に抵抗する中東のカス、テロリストどもは一掃すべしっていう。G5イデオロギーを教えるものです。彼らにとって教育は政治的に無能で、金儲け主義の質のいいサラリーマンを養成するものだから・・・
 またこの本のよいところは、帝国主義への批判も鋭いということです、アメリカ、イギリスへの批判もコテンパンにしております。資本主義国家は、工業化の資金を植民地からの略奪、侵略戦争による賠償金、不平等条約の押し付けによる利益、教会からの資産没収などで成し遂げた、ロシアはそれをなしで自国内で工業化をしなければならなかった。と。
 これは現在の新興国が直面してる問題のそれです、産業の発展には、最初になんらかの裏ワザ的な膨大な資金が必要なわけです、西洋からの借款を受ければ、彼らの植民地になり、どんなに稼いでも金がウォール街に流れるようになってしまう、共産主義圏からの援助も無い、侵略するべき土地もない。だからソ連のように自分の国内に植民地を建設しないといけない、独裁権力を築き、国民から搾取して、資本を蓄積し軍事産業複合体を作ってそこから産業を展開する、核兵器による交渉によって借款でない資金を手に入れる・・・インテリ気取りや自由主義者は近視的にそれを批判するけれども、それ以外の近代化の方法という代替案を持ってはいない。

・スターリニズムについて。これもテーマの1つです。G5的にはスターリン=ヒトラーと同じような悪の親玉、のような扱いですけれど、スターリンはそんなに簡単ではない。スターリンは英雄です、靴屋の息子だし、グルジア人だし、何度も投獄、脱獄を繰り返した、生粋の闘士。チャーチルは大貴族の息子、ローズヴェルトはチャーチルの遠縁で、これも大金持ちの息子(大統領になった人物のいる家系だし)、レーニンも貴族で学校の校長の息子。などなど、結局権力者というのは、名家の生まれなものと比べると際立ってスターリンは実力でのし上がってきた人間だとわかります。ちなみにヒトラーは没落貴族の絵描き崩れ。逆な言い方をすれば、生まれが悪い人間が権力を手に入れる方法は独裁しかないということでもあります。いかに民主主義、ってものは機能しないかということの証左でもありますけれど。(権力者が能力じゃなくて出自(資本)で決まるから)
 スターリンは粛清を繰り返し、反対者を全員死刑にした、というのがおそらくスターリンの悪としてのイメージの源泉ですけど、スターリンの目標ってのはスターリン自身がちゃんと語ってくれてます
 「ロシアの進歩を止めてはならない、力と可能性を信じよ、立ち遅れたものは打ち負かされる、ロシアのよくないところは打ち負かされたことだ、我々は二度と打ち負かされるのを望まない」
 ともかくそれです、もう二度と!敗戦はゴメンだ、スターリンの真実はそこにしかないと思います。彼は現実主義者だから、結局うわっつらだけの人気取りをしたところで、ロシアはすぐに帝国の食い物にされることを知っていた、だから何があっても帝国と、ファシストとに、勝たなければと、それだけを信念にしてあらゆる手を下したとしか思えない。結果それを成し遂げた。だからスターリンを簡単に悪党にすることは出来ない。スターリンは大人しくて、自他的な人間であったというのも、あながち嘘ではないのかもしれません。
 乙は倫理ってのを範囲で考えるようにしてます、自分だけのことしか考えないやつ、自分と自分の恋人だけのやつ、自分と自分の家族、共同体、民族、国家、人類・・・っていうふうに。もちろん広いほうが倫理は高い。いまの政治家、政治的主張を持たないで自分の小銭のために政治をする人間、これは倫理的には最低ランクです、資本主義のブルジョア、インテリも。
 そう考えるとヒトラーはやっぱり自分だけの事を考える人間ではなかった、民族の事を考えた、スターリンは連邦の事を考えたからもうひとつ上、マルクスは人類を考えたからもうひとつ、と、いうわけです。現行の資本主義世界では、ほとんどの人はヒトラーやスターリンよりも倫理に乏しいといえるし、だから悪をなすにもチンケな悪しか出来ない、スケールの小さいくだらない人間ばっかりだなって感じがします。とくに君が好きだの嫌いだのっていうラブソングばっかがお店とかで流れてるとそう思う、なんか世界が狭っ・・って感じがする。半径50Mの世界で生きてる感じがする。

・19世紀ロシア文学が好きな人にもオススメです、ドストエフスキーがネチャーエフ事件をどう考えたか、なんでシベリア送りになったか、なんで保守化したかなどが手に取るようにわかります。だからやっぱ乙は悪霊が一番好きですけどね。罪と罰は面白すぎるし?カラマーゾフはひよってる。白痴は主観主義すぎる、未成年はこれは謎が多すぎる・・・

・資本主義化したあとの文化の定式化が秀逸でした
創造の自由⇔文化インフラの予算の削減(ソ連は文化に融資をしていた)
検閲の廃止⇔スポンサー、消費者に依存する文化
文化の国際化⇔文化レベルの一般的な急激な低下、俗悪化(ポルノ、暴力に集中)
宗教の復活→市場主義のモラルを補完するもの?カルト化しやすい

 


 まとめ
・「革命かは破滅の運命を背負った人間である、革命家には個人的関心、仕事、感情、執心、財産、名前さえない、革命家の一切は例外な1つの関心、ひとつの思い、ひとつの激情、すなわち革命に支配されている」
 ネチャーエフ「革命家のカテキズム」→内部ゲヴァルトにより、反対派を全員でリンチ死刑にする事件を起こす
・「目的は手段を正当化するという人間は自分を神よりも高く置く、そして生殺与奪権を自分に与える」 ドストエフスキー
・移動派 神話やファンタジーよりも、現実の生活を描く、アカデミーを離れて移動展覧会を開く
※ 権力とは正義、のことである。権力の放棄は、正義の放棄である。芸術家は20世紀、新しい芸術と唱えて権力をすべて放棄して現実との接点を無くした、アートは自分を無力化した。そしてアートは力を失った。権力を放棄するということは社会における正義を放棄するということです
※他の人が悪をするということで正義を成さないひとは、常に正義を成さない
・生産手段を国有化すべし(私有財産の保護という人権宣言の書き換え)
・武力革命路線を採用したのがボリシェヴィキ(レーニン)、改革・修正派がメンシェヴィキ
・日露戦はアメリカ、イギリスの陰謀によってけしかけられた、日本は明治維新以来ずっとアメリカとイギリスにいいように使われただけである。
・帝国主義戦争を内戦による革命に転嫁することが唯一の正しいプロレタリアのスローガンである  レーニンの敗戦主義
※国家の財政をポピュリズムでボロボロにしてデフォルトさせることで混乱に乗じて革命を起こす、財政崩壊主義路線の革命が可能では?
「これは何か?愚行なのか、裏切りなのか」 ミリュコフ
・「ロシアには世界革命戦争を行う能力がない」 レーニンによる世界革命の放棄、マルクスは世界革命が成されなければならないとしていた。事実、ほとんどの理論は世界革命がなされなければ成立しない、共産主義、はまだ人類史にはあらわれていない、世界革命がなされていないから。
・大革命期にソ連は債権のすべての踏み倒し、銀行口座、金の没収、土地、企業の国有化をした。相続権も廃止した。
※金融資産を分散すれば安心という、証券会社の嘘。国家は暴力で簡単にゴールドを没収できる。
・大革命の飢餓の原因 貨幣がデフォルト状態だったので農民が食料供給を拒否、大規模な飢饉へ、レーニンはこれを教会財産を没収する好機ととらえた。
「人間が人間を食べている、これは教会のすべての権限を没収する好機である」
→飢饉は驚くべきことではなく常に発生していたもの、内戦の飢餓で500万人ほどが死んだ。
・ラーゲリ 収容所の事
「銃剣でもって思想と戦うことは出来ない、思想には思想で戦わなくては、将兵たちはそれを永遠に理解しない」 サヴィコフ 
・「共産党宣言には全世界を闘いとらないといけないと書いてある」 ブハーリン
・「スターリンは粗暴すぎる、いつかもっと忍耐強い人間の交代させるべきだ」
レーニンのスターリン評(しかしレーニンはスターリンを後継者にした)
・スターリンは一国社会主義、永久革命論のトロツキーと対立。追放。世界革命に基づく、共産主義のマルクステーゼ完全放棄
・30sの農村の集団化コルホーズにより、2000万人ほどの飢饉、それにもかかわらず食料は輸出されて外貨獲得へ。第一次五カ年計画に基づく、重化学工業を優先した国内植民地化経済成長。粛清、大テルール、矯正労働収容所、民族同化、文化革命、共産党史の神話化。社会主義リアリズム(ありのままの現実ではなくて、社会主義の理想を描くことがリアルであり、真実である)
「五カ年計画を四年で!」
・「人事権を掌握したものが組織を支配する」 スターリン
・社会を安定化させるために、国民を無知にしておくのは短気的には正しいが、国民が愚劣になることにより、国家の運営が成り立たなくなる。言論統制は、多くの愚劣なでくのぼうを生み出す、独裁者は常に、なんで無能な部下しかいないのかと嘆くが、独裁は必ず愚劣な部下を生むのである。
・41.6  大祖国戦争 第二次大戦というのは70%以上はほぼナチス対ソ連の闘いで、フランスなど大陸ヨーロッパはあっというまに蹴散らされてしまうし、イギリスもすぐに無力化されている、アメリカは実際は戦争の態勢が決してから協力しただけで、ノルマンディーがなくてもソ連の勝利はほぼ決定していた。太平洋戦争も、日中戦争の後の日本の暴走の後始末のようなものである。
 モスクワ防衛戦(バルバロッサ作戦)、レニングラード攻防戦、スターリングラード戦、クールスク戦(ナチスはタイガー、パンサーの新型戦車を導入、しかし遅すぎた)、スターリングラード反撃戦(コードネーム、ウラン)
 45.4.30 ベルリン制圧 ヒトラー自殺
45.9.2  日本降伏 ソ連の死者は3000万ほどで圧倒的
 戦後、スターリンは社会主義を強化、再粛正
「共産主義の発展により、国家は無くなる」というマルクス共産主義の否定。
・45年にはアメリカとイギリスはソ連に196個の核ミサイル攻撃作戦を作成していた。
※日本が核攻撃をされた最大の理由は、日本が核ミサイルを持っていなかったため。
・52~ 帝国と戦うのではなく、帝国の内部の紛争お起こさせるという方針変換 スターリン
・53.3.5 スターリン死亡
・91 ソ連崩壊 7年で二度のデフォルト、国債の支払い停止

市場文化の課題
創造の自由⇔文化インフラの予算の削減(ソ連は文化に融資をしていた)
検閲の廃止⇔スポンサー、消費者に依存する文化
文化の国際化⇔文化レベルの一般的な急激な低下、俗悪化
宗教の復活→市場主義のモラルを補完するもの?カルト化しやすい
 
 

2009 KINGDOM HEARTS 358/2d

KHシリーズのぉ・・四作目?かな。KHシリーズナンバリングがややこしぃですし時系列にもなってないので、もしゃもしゃします、でもIは全部やってます。KHシリーズは結構ゲーミス(♀ゲーマーのこと)人気があるみたいですね。358はFFとは一切関係なくなっちゃいましたね、FFのキャラほぼ1人も登場せず、っていうかほぼKHオリジナルキャラのみで構成されております。というかディズニーのキャラもほぼ登場してません、オリジナルキャラのみでほぼ進行。



KHシリーズ新しく始める人に言っておくと、時系列にやると


KH1→KH COM→KH 358→ KH2

の順番にやるとストーリーを時系列で追えます。けど358とかは後付やん、っていう設定がたくさんありますので発売順にやるのが普通かもしれません。




DSのゲームなので3Dはものすごいローポリに抑えられていますが、ボリュームはかなりあって、なかなか歯ごたえあります。KHシリーズ、敵が単調、ってのが弱点だったのですが、今回敵がボタン連打だけでは勝てなくなっております。っていうかキーブレードの攻撃力がめっちゃ低いので魔法がかなり重要になりました。しかも属性弱点がすごいので魔法をちゃんと揃えていかないと全然勝てないってことになりがちです。しかれども終盤になるにつれて魔法は一切効かないので魔法デッキでは勝てませぬ。



 武器はたくさんあるのですが、結局空中戦がメインなので使うのは数本・・、それで武器の性能が表示されないのでどれを使えばいいのかがすげーわかりずらいっす。これはちょっとバランスの悪いところですね。もっとそれぞれ使い道があったほうが良かったです、あと最後は約束・・・になってしまうのですがすげー使いづらい。二刀流ももっと早く解放して~・・・って思います、普通にクリアするだけだと二刀流は2分くらいしか使えません。

あとロクサスだけじゃなくて他のキャラも操作さしてくれやーーってすごい思います。特にジグバールみたいなロングレンジの武器超強え・・・。



 ストーリーはシリーズをやってない人には一切意味不明なので間違っても358から手を出すのは辞めたほうがいいと思います。そいでストーリーがややぬるっとしてる気がする、トモダチだろ?とか親友じゃねぇか。みたいな、なにこの感じ・・・、この感じ、の正体はボーイズラブのノリを拝借してるわけですわね。ゲーミスが多いのでそこをつかむためにもBL系のチューニングをされておるのでしょう。たぶんもしかしたら、シナリオに♀が加わってる可能性大ですね。だいたい♀ってのは♂をそーーーーとーーー美化して描く傾向にありますので。♂が♀を美化するってのはちょっと違ってて、エロく書いてしまうか、その人の性的トラウマが丸出しになってしまう感じです、だからゲイとかバイとかビアンみたいな、どっちの気持ちもわかるっていう人がシナリオライターには適しているのです、Iはそう思いますね。それもその人は結構モテて、恋愛経験豊富ってほうがいい。ブスでヲタクってのはやっぱ作家には向かないです。想像だけで書いてしまって、なんか気色わるいことになるから。新海誠とか気色悪いストーリーの書く典型ですね、そーとーモテなかったんだろうな・・ってかわいそうになる。
 エロ本なら別にその気色悪さが変態に刺さるからいいのですけど、みんなに受け入れてもらおうっていう万人向けのものなら、やっぱバランス感覚があって経験もたくさんある人のほうがいい。アーティストにセクシャルマイノリティが多いのはそういうわけでもあると思います。



 一体何の話・・?w  それにしてもやっぱKHシリーズはよく出来てます、いい仕事してやがる。チームが機能してるんだなって感じ、優秀ですわ・・・。自由に戦えるのがやっぱいいですよね、ターン制のRPGとかだとだいたい勝ち方なんて一種類ですけど、KHはドッジロールでゴロゴロ転がって戦ってもいいし、ガードのタイミング合わせて戦ってもいいし、エアダッシュで飛び回ってもいい。リミットブレイクでいっつもすれすれで勝つってやり方もできるし。それに退屈なレベル上げも必要ないし、真っ直ぐに適度に歯ごたえありつつ進んでいけるバランスもグッド。
 それと携帯ゲームってこともあって、妙に映像美にこだわりすぎてないところもいいですよね、このぐらいのクオリティのほうが逆にストーリーに集中出来る。ゴリゴリのフル3DCGってなんか内容が入ってこないですもの。なんかHQな動画ほどスキップしたくなるのですよね。



 ちょっとだけここも悪いなぁって思うところはXlll機関のキャラデザインがちょっと適当すぎんじゃねぇかって気がします、キャラも弱い。なんとなく13っていう数を最初に出して、後から埋めていったって感じがしますね、最初から思い入れのあるキャラじゃなくて。キャラクターっていうやつはクリエイターの思いを吸って大きくなるものですので、どうもザルディンとか、シグバールやっつけ感がぱねぇ。サイクスももうちょっとかっこ良くしないとヒールとして存在感が薄い・・・・。あと女の子キャラ、カイリ、シオン、ナミネ、全員顔同じ・・・髪の色だけじゃんって気がする。しゃべり方も個性がにゃい。
 まぁキャラ立ちが悪いのは、全員同じ黒のローブで、コスチュームで個性が出せないからってのもありますね。

1999 elegant universe

 還元主義とカオス主義

・SS によってすべての基本の構成要素がわかりさえすれば、それ以後の構造がすべてわかるはずだ、というのを還元主義と言う。
 つまり、0と1さえわかればそれ以後の数はすべて理解できるという発想。
SSによって、ヒトの記憶や感情を100%再現可能だ、とする考え方。
 還元主義者=reducitionist
*海里はreduterに近い、ヒトがredを拒否したがるのは、精神がもっと複雑であってほしいという感傷がそうさせているだけだから。

 それと違う立場は カオス理論派、アリストテレス派で、などで、系の複雑さは、その構成要素の足し算+αであって、世界は数字のような単純な足し算ではないとする考え方。系が複雑さを増すと、要素以外のカオス要素が発生する・・・

*おそらく意識、に関してはそうだ・・・X、K同意。キヲク、情報がイシキ、へアッサンブラージュされるときに、足し算ではない処理が行われる。

・ブラックホールの近くでは時空の歪みにより時間の進みが遅い、そこにしばらくとどまると何年もワープすることができる

・ブラックホールを予測するシュヴァルツシルト解を解いたシュヴァルツシルトは戦争で病に倒れて、解を見つけた数カ月後に死んだ

・ブラックホールへ落下するものは光速に加速しその加速されたXRAYが外に飛び出すのでブラックホールの輪郭は光って見える

「quantum physics を理解している人間などこの世にいない」
                 ――FEYNMAN

量子とは、単位ということ、単位が無いと。
Σ(xn) で無限小でもnが無限になるので答えが無限になる
Σ(xk) とKを定数にすることで無限を避けられる

・速く動いているものほど時間が遅れて見える

・物質は時空の中を光速で進んでいる、加速運動はその時空を進む運動力を他の次元へと交換していると考えられる、よって加速度運動をすると時空を進む速度は遅くなるのである、空間を光速で進めば、時空の速度は0になり、時間は止まる。よって光は時空を動かない、永遠に年をとらずに0のままである。


・広島原爆はウラン1KGほどの威力。

・E=mc2 により、物体は加速してエネルギーが大きくなると重くなる

・QUANTUMによる最小の単位とかんがえられるのは
 プランク定数であり
1.05 X 10(-27) gcm2/s
(hに線をひいたエイチバーで書かれる)


・光は粒子であり波動でもある。
 FEYNMANの経路積分では、光子の動きはその取りうるすべての動きの総和である。0秒ですべての場所に存在してから、最短経路を選択して、その和が光子の動きとなる。


・何も無い、真空の中では常に、プランク時間内でミライとカコの貸し借りがあるようにエネルギーが無から生まれては、打ち消し合っている、何も無い、というものは存在しない。

・ヒッグス粒子は、スタンダードモデルの数値のパラメータの1つにすぎず、なぜそうなのかという理論的枠組を提供しない。
 スタンダードモデルは、実験による数値測定だけで作られていて、なぜ?素粒子はこういうものなのか?というのを一切説明出来ない。

・SSはオイラーのベータ関数によって記述される

・Super symmetry
 最後に発見されたSym、非可換幾何におけるSymである。Mに非常に重要。
SSymを取り入れた String theory が Super string theory である

・Super Partner 
SSによって導かれる、1/2スピンの対が存在するという予想、しかし高エネルギー体なので測定は難しい

・STRONG 、WEAK、EMGは距離によって伝わり方が違うだけで、プランクスケールでは同じチカラ 統一力となる。

・クライン・カルーザ空間
 空間は巻き込まれた形でプランクスケール以下に高次元が存在するという考え方。高次元宇宙の原理

・カラビ・ヤウ 空間
 高次元を表現することが出来る空間言語。

・科学の探索法として常に摂動法 (perturbation)が用いられてきた、それは
≒10
≒10.27
≒10.2827
 というふうに少しづつ精度を上げていく方法
 これはどこまでいっても数値代入による近似でしかない。
近似ではSSのような微小スケールではすぐに狂ってしまう。

 それに変わる方法として双対法(duality)が使われるようになった。
これは物理的に同値な違う系に変形させてもとの計算不可能な系の答えを出すもの。系を変形させることは、空間が破れて、コニフィールド転移することでKY空間が変形出来るので物理的意味を持つ。

・量子論では点粒子、空間を持たない粒子が想定されているので極小では無限になってしまう、SSはそれをプランクスケールまでで止める、ビッグバンですから無の点からではなくて、プランクスケールの塊、から始まったと考える。

 つまり宇宙はBBから始まったのではなく、それ以前がある、ということになる。空間と時間はBBと共に生まれたというBB仮説はとれない。
 M0理論はプレBBのセカイを探るもの。また宇宙がいくつも存在しうるということにもなる、その宇宙の種の塊が1つである必要がないので。

 BBモデル、あるいはスタンダード宇宙モデルは、初期の速度が遅く測定結果と異なっていた、それが修正されて、宇宙は最初のほんのわずかの時間に急激に膨張し、一気に速度が下がる、インフレーションモデルに修正された、M宇宙論モデルはそれにさらに修正を加えるもの。
 *インフレーションモデルでは宇宙は光より速く膨張する、宇宙の中では光より速く動くことは出来ないが、宇宙の外では、宇宙自体は光より速く進むことが出来る。


・ブラックホールは1つの巨大な素粒子のように振る舞う・・

・相転移
 温度の変化で急激に系の対称性が壊れる(エントロピーが増える)ことを相転移という、たとえば温度0でいきなり水が氷に変わる。相転移は突然起こるのでカオスエフェクトである。
 統一力がS-WーEMGに別れるのも相転移の1つ。宇宙という系ものその熱と空間で相転移を起こす。


・人間原理
 人間が生存できる奇跡の星地球、のようにそれはただ単にそれに会わせるように人間が進化しただけで、視点を変えれば当然であるということ。

1990 劇画ヒットラー 水木しげる

水木しげるって実は妖怪モノよりも、こつこつこういう歴史物を書いておりますね。昭和史(ねずみ男の)、戦争もの、などなど、まぁ死、というか向こう側のセカイの匂いがするようなものばかりなんですが。 
 ただ明るい話なんて書いても作品になりませんからね~、明らかに写真を起こして描いてるシーンがあるのですけど、あれどうやってんですかね?優秀なアシスタントがいるのか、まさかコピー機を駆使して、全近代的手法なのかw 90年にはフォトショとかないし。

 けど、奇特な猟奇趣味の作家というわけではなくて水木さんはバランスがとれてると思うのですよね、手塚治虫みたいに、人間はバカ。っていう諦念決めつけ路線でもないし、といって平和が一番、平和が大事みたいなアグネス・チャンみたいなヒステリー平和主義者でもない。そこがやっぱ実際に戦争に参加して片腕持ってかれてる、本当、の戦争世代の視点なんでしょう。他のやつらはすべからく、勘でしゃべってるだけですから。

 ほんとに、最後の、1人ですよね、戦争現役世代の。宮﨑駿よりも18も年上なんですね、実は手塚よりも年上です、手塚も戦争には行ってないというわけで、今91才・・91才!! まじかよ。

 前にも書いた記憶がありますけどあるドキュメントで、しげる氏はハナクソをほじって最後にそれを掘り当てたのですが、それをひょうと食べて、塩分補給。と言ってました。ほーーーーーぅ!wそれができるのは今では日本に1人だけじゃないですか、テレビ番組で。


 ヒトラーものは大好きなIですが、これはよく出来てるなぁという気がします、特にやっぱヒトラーの貧乏時代をちゃんと描くところが良い、浮浪者ヒトラーからフューラーヒトラーへ。こんな魅力的な人物は他にいない。

 やばいヤツと思われるのを覚悟でいいますけど、20世紀で一番偉大な人物はヒトラーだし、一番21世紀的な人間もまたヒトラーだと思いますね。Iはナチ党員じゃないですけどw

 なんでそこまでヒトラーが魅力的かというと、ヒトラーはたぶん一番ワタシタチに似ている、他のだれでもなく、自分たち、ワーキングクラスで、安定した未来なんて描けない自分たちに一番似ている。矛盾してて、愚かで空想癖、夢見がちで、自己中、美しいものを愛していて、誰かを好きになったらおいおいとその死を悲しむ、残虐なことをしながら、本当に正しいこと、偉大なことをしたいとも願ってる、ヒトラーは狂人でも天才でもない、超人でももちろん無い。普通のニンゲンです。矛盾と迷いと弱さを抱えた、普通のニンゲンなんです、だから普通のニンゲンのココロ打つ、狂気をマジシャンのように演出できる、超越的天才なんかではないんです。



 セカイの圧倒的大多数の人々、つまり夢破れてカネも無い落伍者達、の本当の夢はヒトラーになることです、権力者は当然それを目の敵にするのですけど・・・・・ともかくAHは最もニンゲンらしいヒトだとIは思いますね・・・

1986 赤瀬川 マンガの歴史

忍者武芸帳 
カムイ伝
   白土三平

 白土三平と反権力エネルギー・・安保精神がみなぎっとると言われる



 ・・むかしの若者にはアメリカ支配を覆してやろうという闘争心を持っていた。
それが古き善き時代といわれる所以で、今は敵がいない。
いないというよりそれは見えないもので、見えないというより敵は分散して自分自身の中にも
入り込んでいるので若者が闘争しようとしても自虐的にならざるを得ない



白土三平が中心のGARO、手塚治虫中心のCOM、同人漫画雑誌のような2つの雑誌が青年向け雑誌の走りであった

前衛芸術はいくところまでいってしまって間が抜けた、それを突き抜けたところにマンガが現れた。
特につげ義春

 GAROの作家
滝田ゆう
林静一
佐々木マキ

マンガ自体が好きなわけではなく、面白いマンガ家の作品が面白いだけ。
 企業マンガが面白くない、会社の業績の為に線をひいてるのが見える。それはテレビと同じで平均点以上に面白くしてはいけない。
暇つぶしのためのメディアで、暇が無い人には向かない。

 ヤクザ映画というのは安保闘争がなし崩しに経済成長に切り崩されて、行き場のない闘争心のセンチメンタリズムとして始まった。

1986 ZZガンダム

ファーストガンダムが最初は失敗だったけど口コミで火が付いてブームとなり、Zが作られたわけですが、Zは軍の内戦、という子供にはたぶん理解しずらいテーマでしたので、は??っていう感じになった子が当時多かったんだと思いますね。ティターンズは軍のエリートだが軍の中で独善的に走っていく、もちろん日本帝国の海軍エリートの感じそのままなんですが、まぁちょっとむっかしいっちゃむっかしいですよね。でもファーストとくらべてZは作画が圧倒的に綺麗になって、見るに楽しい画作りになりました。思うにガンダムの作画はZの頃が一番出来が良かったとIは思います。別に全部見てないけどw でもSEEDとか作画ひでぇって思いましたもの。というか目が大きい萌え系の作画になってしまったのでね。


 ZZはその反動なのか、コメディタッチというかちょっとガキ向けであり、それに人気が出ちゃったから次々シリーズを作らないといけないってのもあったのでしょうか、脚本が練りきれてない、出たトコ勝負って感じがすげぇする。それでもところどころいいシーンはあるんですけど、全体としてムチャクチャや~。ッて感じがすごいします。それとジュドーっていう主人公がややネアカなのもちょっとガンダムっぽくない。主人公がネアカだと物語もネアカになってしまう、これ物語の鉄の掟。主人公は超ネアカなのにシリアスな物語ってのを思いつかないでしょう?逆もしかり、主人公は超クールで面白いこと言わないギャグ漫画ってのもあまりない。アムロやカミーユのように主人公が、やったるぜー!タイプの兜甲児的熱血漢じゃないところが、ガンダムの色、だったのにこりゃあイカンです。




 仮面ライダーアマゾン、ウルトラタロウ、と同じでかなりファンが離れていった作品じゃと思います、こっからガンダムの迷走がしばらく始まるわけですね。しかしやっぱシリーズ三作目ってのは魔の三作目でして、3ってのはほぼ失敗しますよ。2は失敗するって言われるけど、本当に失敗するのは3、そして特に4、だとIは思います。続編が失敗する理由は、第一作目ってのは製作期間が実は作家としては10年とかかかってるわけです、それまでの人生、みたいなのを全部ぶっこめるから。荒削りだけど処女作が面白いのはそういうわけ。それまでの20年、くらいが入ってるのですもん。けど2は10年単位じゃなく2年くらいで1と同じ厚みを出さないといかん、こりゃ作家としてどれだけ内容があるかってのが問われるわけですが、まぁムリでしょうね。あのドストエフスキーですら第二作目の分身では大失敗してんですから。

 3、ってのは変化、がテーマです、起承転結、の転、ですからね。デヴィット・ボウイみたいに、路線をガラっと変えてまったく新しいものに変えることが出来るかどうか。今までのファンを裏切って、批判覚悟でどれだけ転回、いわわゆる飛ばす、ことが出来るかがポイントです。跳躍力。一番悪いのは無難にまとめようとすること。しかし跳躍して悪い方に飛んでしまうと大怪我では済まない、爆死ってことにもなりかねん。

 FFだけは4,そして5が名作なんですよね。というかFFは6まではノーミスでどんどん進歩してった、こりゃすごいことです。DQは確かに全部それほど失敗ではないけどなにせ遅すぎです。7の頃にはDQのゲームシステム自体時代遅れになってた気がしますね、内容云々よりも。


 ともかくなんか、むちゃくちゃやー・・。っていう感じがすごい残りますねZZ。 最後の方になってくると戦術や技術云々じゃなくて、精神力勝負になるのはいつものこってす、気合だけで武器が増えたり、エネルギーが増えたりする。なんでやーー・・・。ニュータイプだからって物理法則を無視出来るんですね。ツッコミ出したらほんとキリが無いんですが、特にハマーンのキャラ設定が弱いっていうか何がしたいのかわからん、この敵だけでもわかりやすいしっかりした構図にすればもっとすとんとまとめられるのに。
 ともかく全体的にふわふわしてるのですね、ジュドーも何がしたいのかわかんない、ほぼ物語の70%くらいは妹のリィナを助けるんだ!って暴走してんですけど、なんでそこまでリィナにこだわるのかも謎。Iが個人的に兄妹ものってのがキライなのかもしれませんね、兄妹とか肉親が仲良いってのはぞんぞんします、きしょくわる~~・・。血にとらわれるな!ってグレミーにジュドーは最後に言うのですが、妹!妹!って散々シスコンやってきたのは誰・・・。



 でも最近になってもクィン・マンサのフィギュアが新しく発売されてたりしますから、ファンは根強くいるんでしょうね。スパロボやってる人にとってはクィン・マンサは鬱陶しい敵のファンネラーなので嫌でも記憶に残ります、強化人間にしか使えないはずなのに・・・。


 いやガンダムシリーズ今でもしつこくやってるのはほんとある意味すごいですね。誰が見てるんだろうか?おっさんが見てるのか、新しい子供のファンが見てるのか?今のガキはガンダムとか見て面白いんですかねーー?


 

1604 Measure for Measure  尺には尺を   シェイクスピア

  数あるシェイクスピアの下ネタ演劇の中でも、一番正面から、そして真面目に、セックス、性欲と正義、っていう問題に切り込んでいる作品です。

 悪役として、清廉潔白、典型的な禁欲主義者でキレイゴトを言うピューリタン気質の男、その名も
アンジェロ、天使、という名前の男が登場します。


 彼は品行方正を絵に書いたような人物であるのですが、結婚前に姦淫の罪を犯したという科で若者を即死刑と判決を下す。それを止めようとして修道女見習いの妹、イザベラが嘆願に来るのですが、アンジェロはイザベラに欲情して、内密に肉体関係を迫る・・・。


 っていうお話です。ゲスな話題だ、って思うかもしれませんが、人間の歴史で恐らく無限に繰り返されたきた、権力と性欲との切れない関係ってわけですわね。


別に性欲に溺れなくても、あまりにも倫理が高い、潔癖主義みたいな正義漢が権力を握るととんでもないことになるっのは歴史上繰り返されてきたことです。クロムウェルとか、ロベスピエールとか、理想が高すぎる人間が権力を握ると、ほぼすべからく浄化、政策がとられることになります。
 良い人間、に権力を与えるのは小悪党に与えるよりも危険だってことですね。国民に、自分と同じような聖人になることを要求するからです、チェ・ゲバラとかにもその種類の怖さをワタシは感じます。カエサルみたいな、酸いも甘いも知ってる、人間味のあるリーダーがやっぱり理想ですよね。




 シェイクスピアはこういう見た目は非の打ち所がない人物が、実は人間的な弱さを持っている、っていうのをえぐり出すのが好きなんですね。カトリックと新教、宗教戦争などの背景があると言われてますけども、聖職者が実は悪の親玉、っていう構図を作ったのはシェイクスピアかもしれません。



 ただそれは男の場合のみで、貞淑で賢い女性、っていうのは、最後までなんの弱点も無い・・っていう風に処理されるんですよね、シェイクスピア流のフェミニズム、ヴェニスの商人などは最たる例。
 

  これは1604年なのでシェイクスピアの全盛期の終わりくらいの作品ですが、さらに晩年になると、そこにも更に踏み込みがあって、貞淑で賢い女性・・、しかしそれは自分の正しさを守るだけで他の誰かを破滅させることにもなるんではないか?というもっと深いテーマに移っていきます。 イザベラにも少しだけその走りが見られる。

 オレと寝れば兄の死刑を赦免してやる、と言われてイザベラはそんなことをするなら兄には即死んでもらうのがいい!兄は私が穢されるくらいならすぐに死を選ぶくらいの勇気はあるはずだ。といいます。


 ・・・おや??と現代的な感覚では思いますよね、しかしこれは難しい選択ですな、ワタシがイザベラの立場なら・・・・、兄には死んでもらいますけどw そもそも助けに行かないかな・・・。
 
 まぁ結婚前に密通したからというだけで死刑になるのでは今の御時世殆ど死刑囚ばかりなんですけどもw