カルト映画、の代表とも呼ばれる、ミュージカル映画です。
ミュージカル、が先にあってそれが人気が高まり映画化されたというものなんですね。キャストもそのオリジナルの舞台俳優がほとんど起用されてるとのこと。
公開当初の評価は最悪だったのですが、その最悪さ、趣味の悪さが逆に面白くなってきてしまって、映画をみながら一緒に歌ったり、バカにしたり、コスプレしたりしながら見るという、悪ふざけがなぜか一般化して、唯一無二の映画になったというわけです。ただ見るだけじゃなくて自分も参加するという、のが恒例になった、ほんとうに謎の映画です。
では映画の出来はどうなのかというと、実はそんなにひどい映画ではない、セットも作り込まれてるし、カット割などもかなり工夫されています。
ただ1975年という時代にしてはガリガリに尖りまくっていたというだけですね。まだまだこの時代はヒッピー・ムーブメントが沈静化してきたころで、性的マイノリティに対する風当たりはブリザードっていう時代なんです。
よくヒッピーというとラヴ&ピースといいますけども、そのラヴの中に同性愛は含まれたなかったっちゅーわけですわね。ヒッピーのイメージ、みたいなものでもだいたい男女がセットとして扱われています。ジミ・ヘンドリックスのエレクトリック・レディランドのカバーを見ればわかりますが、ヒッピーっていうムーブメントは反体制としてあらゆる伝統をぶっ壊そうとしてましたけども、基本的な路線としては、自然に帰ろう、がその根っこにあって、自然、とはつまり、セクシャルマイノリティを認めることではないのですよね。
この映画の主人公的なポジションは女装趣味のマッドサイエンティスト、フルンク・フルター博士なんですが、 こういうドラッグクイーン的なキャラが主人公になった初めての映画なんだと思います。こんなの今でも、あんまり見かけない。
ともかくぶっ飛んだ映画なのは間違いないんですが、コメディタッチで軽いノリをキープしつつ、内容はタブーにつぐタブーでして、売る気ないですやんwっていう感じなんですよね。
こういう売る気ないじゃんw 面白すぎるもん、っていう作品ってのはほんと最近は減りました。マーケティング、みたいなことが一般化して、売れる作品じゃなきゃ作りませんよ、慈善事業じゃないんだもん。っていう論調をどこに言っても耳にします。
どういう年代をターゲットにしてるの?市場規模は?損益分岐点は?
みたいなことをすぐに言われるわけです。ちょっとでも反社会的な感じとかを出そうとすると、はいダメー!無駄にリスクとっちゃだめー!タブーとかに切り込んじゃダメー!訴訟とかの予算が無いからダメー!っちゅーわけです。 実験的な作品はダメー、結果が予測出来ないからダメー。
こういうマーケティング的な考えってのは、まぁ良い面もあります、カネが無きゃ会社が潰れちまうし。カネが無きゃ生きていけないし。
けど、新しいものが生まれてくる可能性はものすごい少なくなります、だって誰もリスクを取りたくないんですもの。新しいものに挑戦したり、新たな市場とか、新たな発想、考え、ってのに取り組めるのは一握りの富豪が趣味程度にやるくらいしか出来なくなってしまう。
新しいことに挑戦しないっていう、計算されないリスクがあるんですよね、ほんとは。
話しはちょっと変わりますけども日本は財政負債が爆発してて、800兆円ほどですか?実際にはもう破産してるんですけども、日本国民の資産、がそれと同じくらいあるんで、それと相殺することでペイできるから、日本国政府、が破綻したらそのかたとして日本国民の資産を差し押さえるっていうことで株価とか円とかが暴落しないわけです。借金ってことは未来のオカネを全部もう使い切っちゃってるってわけで、生まれてもない世代に負担を押し付けてるんです。選挙が近づいてるみたいですけども誰もそのことを何も言わない。
消費税50%にします。それでも足りないので、国民の資産を差し押さえます。こんなことを言う政党に誰も投票しないですからね。
日本国民はバカでポピュリズムは愚劣、政治家は無能だからこんなことになってしまった。ということを口だけの学者は言いますけども、ほんとは違います、逆です。
自分が死ぬまでオレは税金を払いたくない、死んでしまえば何も関係無いから可能な限り借金をすればいい。どうせ死ねばすべてチャラになる。オレが生きてる限り楽しければ良い。
という考えをしてるとすれば、これは愚劣な選択じゃなくて、賢い、選択なんです。未来の世代がどうなろうが確かに知ったことではない。
財政健全化、なんて主張するリスク、を取る必要もない。マーケティング的な発想により、そういうリスクをとる必要はない、という政治家の選択は、賢い、選択です。
1人1人が自分の利益になる、賢い選択をすることにより、全体は壊滅する。
けどこのセカイは個人主義なんですし、賢い選択をしよう、とみんな教えられてるわけで、全体を優先して自己犠牲をするべし、なんてことを誰一人言わないんだから、そりゃ当然こうなる、当たり前の結果なんですよね。
一体何が言いたいかというに、個人にとっては愚かな選択をしよう。 愚行をする勇気を持ちましょうってことです。個性ってのはそういうことだとワタシは思います。正しい正解は一つしかない、けど愚かな間違いはその人の数だけあるんですから。