数あるシェイクスピアの下ネタ演劇の中でも、一番正面から、そして真面目に、セックス、性欲と正義、っていう問題に切り込んでいる作品です。
悪役として、清廉潔白、典型的な禁欲主義者でキレイゴトを言うピューリタン気質の男、その名も
アンジェロ、天使、という名前の男が登場します。
彼は品行方正を絵に書いたような人物であるのですが、結婚前に姦淫の罪を犯したという科で若者を即死刑と判決を下す。それを止めようとして修道女見習いの妹、イザベラが嘆願に来るのですが、アンジェロはイザベラに欲情して、内密に肉体関係を迫る・・・。
っていうお話です。ゲスな話題だ、って思うかもしれませんが、人間の歴史で恐らく無限に繰り返されたきた、権力と性欲との切れない関係ってわけですわね。
別に性欲に溺れなくても、あまりにも倫理が高い、潔癖主義みたいな正義漢が権力を握るととんでもないことになるっのは歴史上繰り返されてきたことです。クロムウェルとか、ロベスピエールとか、理想が高すぎる人間が権力を握ると、ほぼすべからく浄化、政策がとられることになります。
良い人間、に権力を与えるのは小悪党に与えるよりも危険だってことですね。国民に、自分と同じような聖人になることを要求するからです、チェ・ゲバラとかにもその種類の怖さをワタシは感じます。カエサルみたいな、酸いも甘いも知ってる、人間味のあるリーダーがやっぱり理想ですよね。
シェイクスピアはこういう見た目は非の打ち所がない人物が、実は人間的な弱さを持っている、っていうのをえぐり出すのが好きなんですね。カトリックと新教、宗教戦争などの背景があると言われてますけども、聖職者が実は悪の親玉、っていう構図を作ったのはシェイクスピアかもしれません。
ただそれは男の場合のみで、貞淑で賢い女性、っていうのは、最後までなんの弱点も無い・・っていう風に処理されるんですよね、シェイクスピア流のフェミニズム、ヴェニスの商人などは最たる例。
これは1604年なのでシェイクスピアの全盛期の終わりくらいの作品ですが、さらに晩年になると、そこにも更に踏み込みがあって、貞淑で賢い女性・・、しかしそれは自分の正しさを守るだけで他の誰かを破滅させることにもなるんではないか?というもっと深いテーマに移っていきます。 イザベラにも少しだけその走りが見られる。
オレと寝れば兄の死刑を赦免してやる、と言われてイザベラはそんなことをするなら兄には即死んでもらうのがいい!兄は私が穢されるくらいならすぐに死を選ぶくらいの勇気はあるはずだ。といいます。
・・・おや??と現代的な感覚では思いますよね、しかしこれは難しい選択ですな、ワタシがイザベラの立場なら・・・・、兄には死んでもらいますけどw そもそも助けに行かないかな・・・。
まぁ結婚前に密通したからというだけで死刑になるのでは今の御時世殆ど死刑囚ばかりなんですけどもw