2018年8月1日水曜日

1947年 の 太宰治 その2  母  父 朝 女神  おさん 犯人

母  
 津軽疎開時代の思い出。ちなみにワタシは疎開というコトバは戦中の時のみ使うコトバだと思ってました。が、戦後でも都市の家が焼失した人々は田舎に疎開を続けていたというわけですな。
 内容はちょっとした・・なんというのか・・・、哀れみ。

父 
 義、について。すでにアル中の色魔という、典型的ダメ人間、しかも偉大なダメ人間ではなく、どこにでもいる小市民的ダメ人間に成り下がった、しかも年をくってダメなおっさんになってしまったという、露悪短編。
 たしかに若い放蕩息子は悲劇的だけれども、おっさんのそれは、ほんとにただのダメなヤツなのです。

 今カジノ解禁になると賭博中毒が増えるからダメだ!と言ってる人がいますけども、いやギャンブルがダメというなら、どう考えてもまずアルコールのほうがダメだろ、とワタシは思います。ワタシは酒ってものが普通に流通してることの意味がわからん。別に高潔を気取りたいわけじゃなくて、なんで酒がOKなのに他のところを規制するのか?規準が無茶苦茶だ!と思うのです。一般向けマンガでは今チクビすら描いてはいけないんですぜ。酒は18才未満はダメと言ってますがハッキリ言ってザル、っていうか、薬物ですやん。



 これでもかというくらいあけすけな小説

女神

 自分の嫁が女神だと信じている狂信者とその妻を描いた作品。
 これってものすごい読み方によって怖い話しで、実際、このセカイには、まともな人間よりも狂信者のほうが多数派です、完全にイってしまってる狂信者、イエスが復活しただの、弥勒が降臨するだのっていうやつから、占い、風水、ジンクス、ゲンカツギ、呪い、幽霊、妖怪、天国、地獄ってものまで、狂信者たち、のほうが、数が多い。
 じゃあそれってもはや狂信者ではなくて、原子論的世界観を持ってる一部のマテリアリストたちが特殊ってことになりそうですけどね。本当の意味でのマテリアリストってのはものすごい少ない、科学者とかでもお墓を作って葬式に参加する。そんなのまったく無意味だぜ、っていうやつは少ない。


 まともな人間、ってのは少数派なんです。それはじゃあまとも、ではないじゃんって思うのですけど。


 ヴィヨンの妻

一見するとやすっぽい、夫が破天荒だと妻が苦労します、っていうはいはいそうですね、女は偉い、はいはい。っていうくだらないメロドラマのように思えますが、そこが三流作家と一流の作家の違いなんですね。よく読むと、何周も周回してるというか、何周目か、を通過してるんだと気づきます。凡俗な作家は一周目ですけど、この作品は何周もして、レイヤーがあるというか、多面的です。見方を変えるとガラっとすべてが違って見えるように作られていて、あれ?・・・もしかしてこいつら全員嘘をついてないか?って思って読むと全く違うように読めますし、こいつだけ嘘つきなら?こいつが本当のことを言ってるとしたら?って一人ずつ役割を変えるだけでも全然違う物語になる。
 話法としては女性による一人称なんですけど、内容は多人数独白体、演劇みたいな作りになっていて、話法自体が普通のメロドラマのそれとは異なっているのですね。


おさん

 不倫者。だけど君、革命のためだぜ?



犯人

 探偵小説というのか、犯罪小説というのか、ともかくちょっとそういう色を持った短編。終わり方などは見事に太宰風です。