2020年2月1日土曜日

1962 竜馬がゆく

  坂本龍馬の伝記歴史小説ですね。

ワタシ幕末ものと戦国ものってのをほとんど読んできませんでしたね、ワタシのあのまじゃくなとこでして、あまりにも人気だから手を出したくない。けど三国志は読んだんですなぁ。
 けどそろそろ手を出し時なんじゃなかろうかというわけで。司馬遼太郎を読むのも初めてですね。ワタシのイメージとして、なんか司馬遼太郎って、メディア向けの軟派な劣化版吉川英治っていうイメージがあります。とにかくマスメディア好きの軽佻浮薄な輩というイメージ。
 作家がメディアに出るのは絶対にやめたほうがいいですね、こんなしょうもないやつが書いてるんだ、って思うだけだから。やっぱ見た目ってのは大事で、英雄小説書いてるのにひょろひょろのメガネだったりするとがっかりですわね。英雄豪傑って感じの面構えならいいけれども、しかしそんな豪傑みたいな重みを感じさせる顔のやつって現代にはいませんからね。


 この小説によると、ですが、竜馬は金持ちの次男坊でぼんぼん、さらに剣術でも免許皆伝、背が高くて偉丈夫、女にモテまくり。という、ハッキリいっていけ好かない奴ですね。いわゆるスクールカーストの頂点、金持ちでスポーツマン脳筋のマッチョ、そりゃモテるに決まってる。QBタイプの人間ですね。
 が、そりゃそうだな、とも思う。カリスマ性といいますが、だいたいにおいて、陽、タイプのカリスマは生まれが良い、ってことが多くて、いわゆるリーダーと言われる人物はイケメン率が圧倒的に高い。誰だって金持ちでかっこいい奴が好きなものです。極稀に、陰タイプのリーダーってのがいまして、だいたいはまったくの無一文から成り上がった人物はこの陰タイプのリーダーですね、秀吉、ヒトラー、ナポレオン・・・。
 逆にいえば、坂本竜馬にあってヤラせない女のほうが男を見る目がなさすぎるのかもしれませんね、それ以上何を望む?って話。無理やりでもセックスして子種をもらえば、それだけで歴史に残るのですし。
 なんにせよ陽でも陰でも、最後は悲劇的な死を迎えるのがカリスマ、の条件らしいです、平和な最後を迎えてるような奴は、カリスマとは呼べないのかも。


 この小説は、大衆小説ですから、ほとんど剣戟と竜馬の色恋話ばっかで、ようするに、あらゆるエンタメと同じように、暴力とセックスの繰り返しです。それが、幕末、という時代にあることによって、英雄譚になり、現代ではギャング物語になるだけの話。

  しかしおもわず本当かよっていうくらいできすぎたエピソードのオンパレードでしょっちゅう刺客やらライヴァル達と切り合いになるわけですが、ことごとく、竜馬先生はかっこよくみねうちだけして去っていきます。いくら剣術の免許皆伝とはいえそんなうまくいくかね?モーツァルトと同じで、竜馬伝説・・があるのはほぼ間違いないです。
 モーツァルトは天才で一度も間違えずに譜面を書いただの神童だっただの言いますけど、ほとんどは嘘で、ちょっとエキセントリックな正確だっただけで、実際には真面目に仕事をしてます、じゃなきゃレクイエムとか突然空から降ってくるわけねぇんだから。


 幕末では、幕府を守ろうとする、佐幕派、が極右で、天皇第一主義が極左なんですが、これが現代の真逆で妙な感じですわね。

 それと、地方、が元気だっていう印象を受けます。地方ごとに、色、がある。土佐はこう、薩摩はこう、長州はこう、江戸はこう、京都はこう・・ってなふうに、地方ごとに特色があるのは、インブリードだからですね、つまり人間が移動しないから、同じようなグループだけで交配していって、血、が濃くなっていく。他の場所へ引っ越し、ってことが出来ないから、その場所、で頑張るしかなく地方都市、が発展する。
 現代みたいに移動が自由だと、そりゃみんな東京に行くに決まってる、そしてどこもかしこも同じような街になります。



 この小説についてではないのですが、幕末のワタシにとっての一番の謎は、どっから

 他人のために、国家のために、目標のために、死ぬ。

 っていう輩が出てきたんでしょうかね、出てくるんでしょうか?250年もの平和が続いて、身分制のクソ保守的な社会で、クズばっかりの国ってのはわかる、けどそれ以上に、志の高い人間がいっぱいいる。なぜ?もっともっとクズばっかりになるはずでは?
 現代はクズばっかりの時代です、それで普通、なにかのために死ぬ、なんてやつはいないでしょう、死ぬ気でやるっつって、本気で死ぬやつはいない。けど幕末にはそれがめちゃくちゃいる、こりゃどういうわけ?


  ぶっちゃけた話をすれば、ワタシは竜馬は英雄だとは思わないですね。ただ、偉人ではある。けど結果的に竜馬のしたことが良かったかどうか、これはわかりませんな。結局の所、竜馬側、新政府側が勝利したから英雄となっているだけでして、負けていれば、権謀術数の巧みだった策士ってことにしかなっていなかったと思います。勝った、ただそれだけが大事なんですな。
 別に明治維新が成功してなくても、結局は同じことになったと思います、江戸幕府も、列強が本腰を入れて植民地化しようとすれば、変わる、というか変わらざるをえない。
 そして結末を言ってしまえば、日本は結局アメリカの植民地になったわけで、最後まで独立を守るってことは出来ませんでした。
 けどワタシが思うに、竜馬が悪いわけでも、日本帝国陸軍が悪いわけでも無いと思う。問題は、日本が国土が狭く、人口が少なく、島国であって資源が少ない。要するに戦争に弱い。これだけです。日本陸軍は暴走した!なぜ戦争へ向かったのか!?うんぬん。
 勝っていさえすれば、誰にも文句は言われなかったでせう。ただ物量的な問題で、勝てなかった。言うなれば初期ステータスが低くて、どうあがいても結局負ける運命だったとワタシはおもふ。



//////////
 この幕末の時代にあって、現代にないなってものが2つあります。

一つは志士。 こころざしを持った人間ってことですね。いわばイデオロギストってやつでしょうか、理想とか主義、があってそれのために生きるっていう人。日本に限らず世界中にいない。

 もう一つは 詩 という文化ですね。ことあるごとに志士、は詩や歌を残しています。現代でこんなことをしくさる人間はようおらん。自分の死期を悟って辞世の句を残そうなんちゅうものは。しょっている、と太宰なら言うでしょう。

 けど夏目漱石、も詩をたくさん作ってますよね、どこで詩を作ろうっていう文化は消えたんでしょうか?
 もちろん、詩人っていう人間もいるにはいますが、詩を作る、という習慣がなくなったのですわね。
 詩、では無くて、歌、を作る。曲を作って売る。

 志士が消えたのとも実は重なっていて、最終目的、がカネ、になったところで、志士と詩、は死んだんだと思われます。
 カネを儲けてXXX が XXXでカネを儲ける、に変わった。

カネを儲けて軍隊を強くする というのが国家の目的であったのが
曲を作ってカネを儲ける  ていうふうに。富国強兵から強兵富国に、変わった。