2021年6月12日土曜日

2004 Steel Ball Run ジョジョ第七部

   以前一度読んでいたはずなのですが、全然覚えてないのは一体なぜ?DIOが恐竜になったということと、「男の勝負」、そしてエスプレッソのエピソードだけは覚えていたのですが。


 この第七部、初めの構想からこうするつもりだったのかなぁ?ってすごく感じます。最初の前半部は、あえて、これまでの「スタンド」による対決ではなくて、回転、という人間の技術、にフォーカスをした新しいスタイルのシリーズにしようという展開をしていたような感じがしたのですが、途中からいきなりぎゅん!と方向転換されて、聖人の遺体、それに触発された「スタンド」という、ハイパートリッキーな物語へとなっていきます。

 明らかに途中でファンからスタンド出してよ!というメッセージが届いてテコ入れされたような印象を受けます。それとも、全部始めっから構想の内に入っていて、あえてスタンドを登場させるのを焦らして待たせたのかもしれません、確かに聖人の遺体、っていう物語は、めちゃクソ超展開というか、苦し紛れにいきなり考えついたというには、あまりにも、飛び抜けたアイデアすぎます。

 他にも、明らかに途中からプロットが変更されたって箇所はいっぱいあります、まずヴァレンタイン大統領の顔が変わりすぎ、体型もすべて全然別人になっている。絵がうまくなって絵面が変わるっていうレベルの人ではもうないので、たぶん最初は大統領はそこまで重要なキャラになる予定は無かったんでしょう。

 さらに途中までは遺体、がカラダの中に無いとスタンドは出せないという設定だったのですが、途中からそんなことはありませんでした、って感じで当然のように遺体無しでスタンドを出すようになります。

 とにかくぶっ飛んでいるということだけは間違いない、ヴァレンタインの能力もツェペリも言ってるようによく意味がわからん。それが悪いとか良いってことではない、マンガってのは何年もかかって描くものですから途中で気が変わるのは当然、しかしこのSBRはとにかく超展開でしたね。あまり人がSBRの話をしてるのを聞かない、3部、4部、5部の話はよく聞くけども。


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 連載媒体が、ジャンプからウルトラジャンプっていう月刊誌?に移ったのも大きいですよね、明らかに読者層を高めに設定しております。ハイレベルのマンガ読みへ向けたハイレベルマンガになっていますね。

 世間が面白い、と言ってるものはたいていあんまし面白くないのですが、それは当然の話で、世間が面白いと言うということは、あんまりマンガを読まない人間にも面白いというわけです。いわば入門書。

 一般受けを狙ってつまらん、ってのは誤った意見です。初心者向けの入門書ほど大事なものはない。90%の参考書は、入門向けに作られているのです。ビギナー向けのものが無いと新しい漫画読みは入ってこれない。新しい人が入って来なくなったらそこでおしまいです。常に優れた入門者向けマンガは必要なものです。

 ですが、マンガをアホみたいに読んでるエキスパートにはつまらないと感じるものです、だから上級者向けのマンガも必要なわけ。このSBRはあきらかにハイレベル向け。


 正義と悪、がハッキリしてるほどわかりやすい、ビギナー向けのモノは勧善懲悪であることが大事です。子供は、正義の味方が大好きですから。それに悪がもう救いがたいほど悪であればあるほど、倒すのに何の罪悪感も感じない、それを倒すための仲間を登場させるのも容易い、疑問の余地の無いくらい悪なんですから。何も考えずに見たい、テキトーに見たいってものは、悪は本当にシンプルに悪であるほうがよい。善が悪に勝つに決まってるんだから、もう最初からわかってるんです、安心して見れる。


 善悪を曖昧にさせると途端に物語は複雑になり、ややこしくなり、スッキリしないものになり、結末がわからなくなる。このSBRはまさにそれで、悪役、というのが一応いるけどもハッキリしていない。


ツェペリは子供を助けるため

ジョニーは希望を無くした自分を救うため

大統領は故国アメリカの発展と平和のため、愛国心

サンドマンは故郷のインディアンのため

ディオは貧しく死んだ母親の復讐のため

リンゴォも家族を殺された復讐と「男の戦い」のため

ホットパンツは過去に犯した罪から贖罪されたいため


 どれも一言で悪とは片付けられない。とくに大統領の 愛国心 という正義は、あるいは愛国心という悪は、一番厄介極まりないものであります。

この「男の戦い」ってのがやっぱりキーとなっていて、今までジョジョは敵をボコボコにしても再起不能になるだけで死なないことが多かったのですが、SBRはハッキリと殺したり、死にます。

 マンガ内でも言ってますが、時代の流れとともに、男の戦い、は現代の価値観から離れていった。それでも男の戦いの中に光がある、と言います。

 正義と正義、の戦いは、というか信念と信念の戦いは、殺すまで終われないということですね。悪だったら懲らしめてごめんなさい、っていう終わらせ方が出来るけど、両方ともに信念があったら、どちらも譲るわけには行かない、行き着くところまで行く、男の戦い、になるというわけです。

 現実は、まさにそうであって、麻薬王だってその麻薬で儲けたお金で巨大なファミリーを養っているし、民族関係のものだって、故郷や家族を譲れないという理由がある、大企業の大金持ちとて、それで雇用が発生することで生活できる人がいて、その納めた税金で救える命もあるというわけ。そして正義も常に移り変わる、大麻は合法になり、戦争中は英雄だったものが、平和になると殺人鬼になる・・


 でも現代は男の戦い、は推奨されない、ではみんな信念をどのように守っているのか?

 古いコトバだとノンポリってのがあります、ノンポリシー。信念が無いこと。

けれど信念が無いから戦わないのではなくて、戦うことが出来ない現代だから、信念を持てなくなったのかもしれませんね。


 主人公である、ジョニーには「漆黒の意思」がある。目的の為なら人間を辞める、邪魔者を殺す、っていうフリが男の戦い、で示されます。これって今回は主人公が負けるというオチなんじゃあないの?その後何度も、ジョニーの残酷さ、みたいなフラグが立てられ、どっどういう落とし方をするつもりですか??ってハラハラさせますね。ジョニーはジョナサンみたいな正義の力!!みたいな人間では全然無いんです。意図的じゃないにしろ、無実の人も殺しまくってる。どっちにも転がる、むしろDIOに近いキャラ。最終的にはやっぱり、う~む。ってオチのつけかたなんですが、そこも含めてほんとこのSBRは複雑、こういう話だ、ってのが説明のつかない、多次元的な話ですね。

 ワタシはSBR好きです、これぞ21世紀のマンガだと思う、今、マンガを描いてるのは実質飛呂彦だけだとも思っています、ほかはみんな初心者向けですね。