2011年12月30日金曜日

永続革命論 1930 トロツキー

これは非常に読みにくい本である、そして興味あるヒトにしか楽しくない。

要約で充分、つまりロシア社会主義はスターリンらの一国社会主義という
無茶苦茶な理論で崩壊を選んだ。
・マルクスの考えた事を実際に実現していく
方法論でトロツキーとレーニンは対立したり誤解があったりした
、がスターリンらの一国社会主義は共産主義ですらなく
ただの官僚主義である。

そして現在ソ連の崩壊が社会主義
ひいては共産主義も一緒くたに失敗したと断罪されていた段階から
リーマンショックによる新自由主義の失敗(の露見)、70年代から
ちっとも何も進展しない環境問題、帝国主義の再燃焼
アメリカ、ヨーロッパ、日本の破産。

最も重要な点、なんで永続革命は誤解されるかということ、それは大衆が善良で無知、ここまで なら想定内だったのですが、無能であるという事。これをプラトン以来インテリは無視してきましたが、大衆にはある程度以上複雑な理論は理解されない、永続 革命もまた理解されないしこれからもされることはない、それは大衆の過半数以上が正確に相対性理論を理解してるのを想定してるのと同じだから、そんな段階 は来ない。何がいいたいか?民主主義は失敗するということです、大衆に基礎を置いたプロレタリアート独裁も社会主義も、必ず失敗する、頭の良い人というの は常に少数派だから。コトバを変えればマジョリティ独裁では人類は愚劣であるということ。

この光文社古典新訳のラインナップは明らかに共産主義的な理想を若い世代に
植えつけようという魂胆が見え透いているのですが、僕個人はそれを支持します
それ以外にいくつか方法があるけど、有力な方法論ではあるから、だから光文社の人たちに民主主義自体、神格化された民主主義という怪物を疑う勇気を持てといいたい
当然今の若者にも。

2011年12月29日木曜日

北朝鮮問題について

マスコミが、北朝鮮を悪者扱いしてるのが気になります。
 
 拉致だの何だのと言いますが、日本は侵略戦争をしかけていったのをよくもまぁそんな簡単に忘れられたねという気がします、何か日本は自分たちが侵略者だったということを敗戦のくやしさとかなんとやらで無かった事にしてるところがある、でも北はそう思ってないし、戦争が終わったとも思ってないでしょう、勝手にアメリカに負けて撤退していっただけ。アメリカの訳のわからない戦争も支持してワンワンやってるのに、なんで他の国を貶せるんだろうか?まず自分たちのやってることが他人にどう写ってるのか知ってほしい。

アラビアのロレンス Lawrence of Arabia 1961

たぶんナウシカはロレンスをやりたかったんだろうなぁ、それをファンタジーにくるんで。成功したかどうかはわかりませんが、途中でもうコントロール不能になってしまいましたから。

 戦争映画なら確実にトップの映画です、それはロレンスっていう主人公が・・・不完全な人間だからですね、ロレンスは暴力衝動も持ってて、戦争好きでもあり、民主主義的信念やら文明やら平和だの云々みたいな観念も持ってて、しかも教養も有り、凡人のエゴも有り、カリスマ性もある。 英雄には程遠いけど、英雄そのものでもある。ナウシカはそういう迷いは無い完璧な人間だったし、アバターやらなんやらエンターテイメント戦争映画はそういうところには踏み込まない。ヒトを殺し、奪い、支配し、尊敬され、愛され、栄誉を得る、戦争にはそういう人間の本質的欲求を満たすものがある、じゃなきゃだれも戦争なんてやらない。人間が絶対に飽きない遊びは戦争だけなんだから。
 戦争映画で、ある種戦争肯定的というか、人間はそんな簡単に平和が一番だなんて斬って捨てるみたいなやり方じゃ捕らえられないものだよっていうのを訴えてくる作品はこういう大作映画ではほかには無い、というか出来ない。そしてサブテーマであるアラブ民族と帝国主義国家の軋轢という問題の深刻さと激烈なリアリティ、今こんな映画とったら確実に殺されるたぐいのものです

それはこれがイギリス映画だからってこともあるでしょうね1961年、ハリウッドはまだあの古き良きハリウッドを気取ってた時代にこんな劇的な形でアンチハリウッドの完成品が突然現れるとは思ってなかったでしょう。これ以後にあの希望に満ちた幻想としてのハリウッド映画を作ることは不可能になりましたから・・・そこからインデペンデント系やらニューシネマが生まれることになるわけでした。50年前の映画なのに・・・・

                          by infin de siecle

lem solaris レム ソラリス 1961

時に近代小説がドストエフスキーによって終焉したときに、それは1880年の事でしたけど、その後の道は2つあった、小説という表現に見切りをつけるか、人間の歴史の上で唯一変化を起こしているカガクという領域について語るか(つまるSFである)、物語を語るというのを辞めてしまうか(つまりフィネガンズである)。
 ソラリスはSF路線のある種の終わりになってると思う、はっきり言って描写や構造は滅茶苦茶下手というか、わざと下手に書いて、このソラリスってのが伝わらないということを痛感させる重奏構造的ユーモアなのか?と思わせるくらい何も伝わらないのだけれど(だから映画化とか二次創作に非常に向いてるとも言える、カラマーゾフを二次創作するのは無謀すぎる)描かれている主題は、アイデアは、SFの終わりである。つまるところ・・・人間はカガクなんて求めてなかったという事。人間が探しているのは人間である、永久に、それは変わらないし、変わったらそれは人間ではない。宇宙に探索に行く必要も、自分の部屋から出る必要も実際には無い・・・というわけでSFは純文学に逆戻りで、まったく無意味な創作であったともいえる。SFがカラマーゾフを超える事は出来なかった。楽しい楽しくないとか、雰囲気とか、コトバ以外の要素は除外している、そしてそのコトバ以外の要素が最も重要だと見るのならば、それはもうステージの違う話である。


 もちろんこれはコトバの表現形式、しかもいわゆる昔ながらの意味のある物語の終わりであるに過ぎないのだけれど・・・

2011年12月28日水曜日

共産党宣言 共産主義の諸原理 1848

現在革命物の作品を書いていますとたびたび宣言していますので、絶対に外せない本なのですが・・・マルクスってのはやっぱりすごい、1848年でここまでわかってたなんて・・・、それはところどころは間違っているし、ごまかしや嘘も多いけど、大筋は魅力を失ってない、この本質的なところに時代に劣化しない魅力を残すというのがいかに大変なことか!
一番の欠点は自由民主社会資本主義(LDSC)、まさにいまの世界の大半の国、そして正しいと信じられているが崩壊しているこのシステム、に対する根本的な論破にかけているということ、せいぜい、共産主義のほうがもっと効率的だと主張してるにすぎない、そして確かにそのとおりだけど・・・・そう、LDSCはきちんと運営されれば、共産主義的理想を達成出来るのではないだろうか?

2011年12月26日月曜日

座頭市物語 映画 1962

時代劇というと、もう自分たちの生まれたときにはただのテレビ局の時間つぶしにしかなっていなかったけれど、それがもっと強烈に命を持っていた時代があったというわけで・・・

 ベタ中のベタで、何一つそれから反れないのだけれど、アンティシペーションが心地よい、あと撮影も結構凝っている。勝新太郎ってとてもスターとは思えない風貌だけど、確かに何かがある・・・。


2011年12月24日土曜日

幼年期の終わり クラーク

タイトルだけ聞くとトルストイのぱくりなのかな?とも思いますが、内容はハードSFです。
クラークの最高傑作らしいのですが、あまりよんでないので知らない、けど2001のひな形というのはよくわかる。1952年作?なのに、もうオーヴァーマインドやら悪魔やら、でぶっ飛んでます。そしてこれ以上はいきようがないとこまでいってるので、確かにこの次に本を書くのは難しいとわかる・・人類滅亡ならまだしも地球が消失してしまいましたから。

 ただいま革命物の作品を書いていますが、うっすらとはリンクしてます、ユートピアの最大の敵、退屈・・・世界市民、重要なアイデアはかぶっている・・

Amy が死んだ

 ずっと書こうと思って忘れてましたが、Amy winehouse が27の殿堂へ仲間入りしたようですね。たった二枚のアルバムで、まぁジミもカートも実質二枚くらいですけど。一つの人生ってのは音楽でいうと二時間くらいに圧縮できるんですね、ちょうど映画が一人の人生を二時間で語るみたいに。

 悲しいというよりは鮮やかだなという感慨しかないですね、最近の音楽ではほぼ唯一聴き込める音楽でした。00sはあらゆるアートが腑抜けになってましたから稀有な存在でした・・・

 oh holy night...............


2011年12月21日水曜日

カニグズバーグ 僕とジョージ george

カニグズバーグ Konigsburg なんてまたひどくスペリングのむつかしい名前だと思いつつ。内容はちょっと興味のあったアスペルとブンレツについてでした、文体は上手いとしか言い用がない、後男じゃなくて女だと呼んだ後にわかったのも大きい、なるほど。しかもハンガリー系のユダヤ人ということで、なるほど、強くなくっちゃ死んでしまうなと思う。

 精神病は古代の社会では無かっただの戦争があると無くなるだのはまったくの大嘘でただ、統計に反映されないってだけでず~~~~~~~~~~っと、人間につきまとう問題だ、ココロの病気は現代のもんだいとか勘違いしてるバカがいるけれど、だったらアミニズムや宗教なんて生まれるわけはない、というかそれがなかったら神話も芸術も何も生まれない、ただ飲んで食ってセックスして死ぬ動物がいるだけだ。精神ってのは自己矛盾で、どうにもならないけどそれが最高に魅力的なもの・・・ココロってのは自己破壊以外には何の役にも立たないけど美しいもの・・。

2011年12月20日火曜日

che part2

ボリビア戦が舞台。大衆映画っぽくないと思われるけど、やはりキューバ戦とボリビア戦というゲリラ戦争の部分だけ描いて、内政をどうしたかは描かない、そこは面白くないから・・やはり、映画にきちんとなっている。

 それはともかく、チェはあの時代そのものだった、45-68年の世界を駆け抜けていった赤い風そのものだった。その後はまた話し合いと民主的解決という、信じがたい嘘をみんな信じているフリをして、快適な生活を送っている・・・まるで時が止まったみたいに。

2011年12月18日日曜日

che part1

soderbarghが撮ってるやつ、一言で言えば、これを前後半にわけて上映しなきゃいけないほど今の映画業界は腐ってしまったってことです。アラビアのローレンスやゴッドファーザーのようにいかないというわけ。途中休憩があって、じっくりと映画を見る、そんな映画は回転率が悪いからもう作れない。くそったれめ!映画ってそういうものだ、なんか5時間くらいじっとりと見るあのどっしりとした映画ってやつに久しぶりに出会った気がした。
 
 今革命ものを構想中でゲバラについて調べてます、赤いキリストという写真の入った本を読んだ、日記は以前読みました。21世紀のチェはどういう方法をとるのか、それをうんうん唸って考えてます。

2011年12月17日土曜日

ハインライン 夏への扉

1956年

はっきりいって文句を死ぬほど言いたい小説、アキなら同じ内容で同じ感動を10分の1のページ数で実現できた。そしてこの小説の一番面白いところは一番最初で後は無駄な脚色が多すぎるのである、でもその最初の夏への扉のエピソードだけでも、100年この本が生き延びる価値はあると思う。

 ただハインラインの考える理想というか・・アメリカが持っている理想の形、幸せな家族、っていうのにアキは永久に馴染めないので、でもそれはアキの勝手な価値観だからまぁまぁ・・・

 日本で人気があるのもわかる、日本人の本なんて読むタイプの人間はマジに人に愛されたいと思ってたりするから・・・

2011年12月14日水曜日

1910 夏目漱石 門

1910年なので、ちょうど100年前、ちょうどではないんだけど・・・

 漱石の後期はニュアンスが違うだけですべてほぼ内容は同じ、だけど、すごい・・というかなんというか、もう完成してしまってる、駄作なのかもしれないが・・なんでしょうね。漱石はドストエフスキーを読まなかったんだろうか?

 漱石の一番の駄作は虞美人草だと思いますけど、調べてみると新聞に初連載ってことで大衆受けを狙いにいったんですね、ラピュタみたいなもの?ラピュタテレビでやってましたね、映画の中でキャラがパートが変わると全然キャラ変わってんだよなぁ・・・大失敗、ナウシカスタッフは抜けてしまったのですかね?音楽に救われてる・・・

 漱石はやっぱりでも好き、なんでかわからないけどどれを読んでも時間を無駄にしたとは絶対に思わない、なんでかわからないけど・・・

2011年12月13日火曜日

バッタ君街に行く

or hoppity goes to the town
aka mr bug goes to town by fleicher studio

フレイシャーってことはドイツ系なんですかね?

1941年、日本が泥沼戦争をやってる時にアメリカは爆発的好景気で、どれだけハッピーだったのかというのがよくわかるし、このくそみてぇな国滅びちまえ!なんで零戦はこの金の亡者に鉛玉を食らわせられなかったんだチキショウと思う映画。

 好景気ってのはちょっと頭の痛い人を大量生産してしまうみたいです、しかしその景気の良さだけが、こんな人海戦術的なアニメーションを生み出せる・・・ディズニーの初期もすごかったけど、このマスの動かし方はすごい。

2011年12月11日日曜日

寺山修司 血は立ったまま眠っている

寺山の・形式上、処女演劇、フォールムはシェイクスピアをぱくる、1960年に文学界にて発表される・内容はタイトルとはほぼ関係無い、ゴドーみたいな演劇を期待していると・裏切られる・なぜか演劇では、簡単に拳銃が手に入る、しかし拳銃がないことが、若者の悩みだ、しかし拳銃を持っている、警官はなぜ自殺しないのか



 なぜ自殺しないのか、それだけが唯一の哲学的問題だ  Albert Camus

60年安保を、五・一五と重ねた人は生きているか?

 もし天皇が降伏しても、それを揉み潰して、一億総玉砕を決行すれば・良かったのに

 生が失われれば、死もまた失われる、人が死ねば、死も死んでしまう。

2011年12月7日水曜日

選挙ポスター

 
 六文字・・・・

 なんじゃこれは・・・

こんなのが街頭に張ってあったらそりゃ何か起こるなって思う

 そしてこれが張られる日を待ってる人が・・・さて今の世の中に何億人いるんでしょうか。今の時代のヒトラーが考えなければいけないことは、だぶついた人間に死に場所を与える事、これは初代と同じ、もう一つ大変な問題は、核の時代にどうやって戦争を正当化するか・・・これは難しいけど・・・僕としてはそれは現実よりもリアルなゲームを作ってしまうことでしょうね。簡単にいえば本当に死ぬゲーム・・・

2011年12月6日火曜日

虫 コマ60まで原画終了。

 今回はテクスチャーや塗をPSでやろう、技法だめしという感じで作っています、60カットまで出来ましたが、やっぱりなんか違うな、これじゃだめだなとわかりました、最後まで仕上げしますがまだまだ技法探求の道は長い。あの漫画っぽいペン画のしっかりした線もいやだし、アニメ塗りもいやだ・・・もっと生の感触でしかも描いてて楽しくて経済的なやり方を目指してますが・・・う~ん

 後期マイルス、評価低いけど、僕はかなり好きです、マイルスってやっぱかっこ良すぎる。図抜けたかっこよさなんだよな・・・

2011年12月5日月曜日

新海誠 星を追う子ども

なんとなく沈黙してしまった・・・なんだこの・・・(ひどい)・・映画。たぶん三年前に見たらすごく好きな映画だったのかもしれないけど、今はぞわぞわする・・・ともかく・・・私たちの同年代の人が映画を作る側に回ってるんだなって実感を初めて持った。だいたい同じものを見て、同じ事を感じた人間が・・・まるで自分の記憶を映画にされてるような吐き気と、演出がひどいっていう気持ち、そしてこんな映画じゃだめなんだ、これじゃダメなんだよっていう気持ちがぐるぐるしてしまってめまい


 めまい。

2011年12月3日土曜日

宗教 オ○ム 中沢新一 国家 クニ

少し今書いてる小説の原因で、間接的に宗教論に触れなければいけないのだけれど・・オムライスと中沢新一でなんかごちゃごちゃがあったみたいですね。

 宗教って、いわば土地をまだ持てない国家だと考えるとわかりやすいと思う、国家は自分の利益の為に戦争をして、人口を増やして、金を為め、土地を増やすのを目的とした人間の共同体で、最も普通の人間の共同体であって、もちろん教義やドグマやルールがある・・・私たちは、生まれながらにして国家に属すのでやはり強制的に宗教に入らされる、それは避けられない、少なくともここ2000年ほど・・・

 よく赤軍やオムライスがリンチで仲間を殺して信じられんだの、大量殺人やテロをして現代社会の闇とか言うけれど、実際は闇でもなんでもなく、小さな国家が戦争をやってるだけ、とっても単純な行為だと思う、たぶん死刑のある国や刑務所のある国を見て、ある人間は自分の共同体の人間を殺したり監禁したり拉致したりしていかれてるって思うんだろう、私たちはそれは仕方ないよねって言う、完全に洗脳されてる。どの国も暴力以外の方法で土地を手放したりしないんだから。

 だから宗教というのは、なにか複雑でわかりにくいものではなくて、ただの・・欲の塊なんだと思える、その成立では色んな自己正当化をするけれど、もし本当にある宗教が自他的な理想を持ってたとしてそれは個人で完結されて、宗教化する理由がないもの。

 宗教は現代の問題ではなくて、原始的問題だ、だから消せない、環境問題も同じ、最近の問題ではなくてそれは原始的問題だ・・・