2011年12月29日木曜日

lem solaris レム ソラリス 1961

時に近代小説がドストエフスキーによって終焉したときに、それは1880年の事でしたけど、その後の道は2つあった、小説という表現に見切りをつけるか、人間の歴史の上で唯一変化を起こしているカガクという領域について語るか(つまるSFである)、物語を語るというのを辞めてしまうか(つまりフィネガンズである)。
 ソラリスはSF路線のある種の終わりになってると思う、はっきり言って描写や構造は滅茶苦茶下手というか、わざと下手に書いて、このソラリスってのが伝わらないということを痛感させる重奏構造的ユーモアなのか?と思わせるくらい何も伝わらないのだけれど(だから映画化とか二次創作に非常に向いてるとも言える、カラマーゾフを二次創作するのは無謀すぎる)描かれている主題は、アイデアは、SFの終わりである。つまるところ・・・人間はカガクなんて求めてなかったという事。人間が探しているのは人間である、永久に、それは変わらないし、変わったらそれは人間ではない。宇宙に探索に行く必要も、自分の部屋から出る必要も実際には無い・・・というわけでSFは純文学に逆戻りで、まったく無意味な創作であったともいえる。SFがカラマーゾフを超える事は出来なかった。楽しい楽しくないとか、雰囲気とか、コトバ以外の要素は除外している、そしてそのコトバ以外の要素が最も重要だと見るのならば、それはもうステージの違う話である。


 もちろんこれはコトバの表現形式、しかもいわゆる昔ながらの意味のある物語の終わりであるに過ぎないのだけれど・・・