2014年10月6日月曜日

1954 ムーミン谷の夏祭り  Moomins summer madness

 たぶん原題からすると夏の狂乱、mayhem of summer って感じですかね。

 これはたぶん、一番最初の、大洪水を、もう一度書き直したって感じのものです。洪水と同じで、大洪水に見舞われたムーミン達が、離れ離れになって、再会するために戻ってくるっていう、大枠はFLOODと同じになってます。


 ただし、FLOODが戦時下に書かれたのと比して、SUMMERはトーベがもぉ新聞での連載を持ってたりと売れっ子作家としての名声もカネも手にした後の作品ですので、余裕、が感じられます。時間もたっぷり使えるし、勢いで描いてないってのがすごいわかる、最後のクライマックスにちゃんと帳尻を合わしてフリも丁寧にしとる。
 トーベらしいキャラも登場します、ミーサってのが特にそうですねー。ミーサってのは、ネクラで泣き虫で、僻みやで、なによりブサイク、な女の子です。ブサイクな女の子、ってのをどうやって扱うかってのはそのヒトの、上っ面のキレイ事、に対する態度ってのがありますよねー。しょうもない恋愛物ってやつにはブサイクな女ってのは登場しません、全員イケメンイケジョで固められてる、性格が悪かったりするけれど、ブスではない。けど!リアリティではほとんどのメスはブスばっかしなのだということを無視しまくってるのですよね、限られたニンゲンたちの限られたドラマなわけです、そんなのって卑怯っつーか、一体これは誰に向けてしゃべってるん?ってことになります。ブサイクはゲームに参加すら出来ないのじゃないか。ってことで。

 トーベはそのミーサってキャラクターは、劇場で役を演じることで自分が好きになってくっていう解決の仕方をしてますけど、確かにそれも有りです、劇では当然ブサイクだって必要なんだから、それが自分の居場所ってこともある。せむしや小人だって、映画という中では役割がある。デメリットが売りに変わるってわけですね。

 しかして、やっぱり余裕をかましすぎてるってのもありまして、ふーん、でもあなたお金持ちですやん、っていう感じがどうもする。やれスローライフ、個性を大事に、でもあなたお金持ちですやん。そりゃキレイ事言えるよ、Iだって、金持ちだったら優しいニンゲンにだってなれただろうぜ。ってね。
 松本人志がラジオで、笑いってのは余裕がなきゃ出来ない、笑わすほうも笑うほうも、余裕があるから笑いになると言ってました、確かに笑いってのはほんとそう、そしてファッションってのもそう、ある意味、偽悪、のスタイルを持ってるんですよね、そういう領域。だからキレイ事いっちゃいけないんだと思う、ファッションも笑いも、貧乏人どもは死ねっていうスタイルを、ウソでもとらないといけない、じゃないとかっこよくないし、面白くもないもの。


 小説家や物書きってのはどうでしょう?たぶん物書きにとって一番大事なのは、信用出来るかってことですね、こいつは面白いことを書く、ただのキレイ事を言わない、ちゃんと本当のコトをしゃべる、なんにせよ、信じられるかどうか、ってことが作家の本質なんじゃと思いますね。