2016年2月11日木曜日

1968 柔道一直線   梶原一騎  永島慎二

ずっとずっと読みたいと思って探してきたんですがようやく見つけて読むことが出来ました。これでたぶんワタシは梶原一騎作品はほぼ小品とかそういうのを抜かせば読破したと思います。(読み切りとかすぐに終わった作品は無数にありますのでさすがにムリ・・)



 例によって梶原一騎システムというのか、殆ど全部おなじやんけ!!っていうくらいw 梶原一騎作品らしい作品です。でもこれを読んで柔道を始めたってひとはかなり多いんです、うちの親父がまさに柔道一直線を読んで柔道を始めた人ですし。まぁ柔道一直線、梶原一騎の名作ってわけではないですけど・・・・。やっぱ最高傑作はあしたのジョー。それに次いで愛と誠、巨人の星が名作ですね。


 荒唐無稽、出きっこ無い技が登場するのもいつもの通りです、巨人の星の消える魔球並の。二段投げという相手を一度投げたからまた空中で掴んで投げるという技、地獄車はでも可能ではあるのかもしれません、ただしあんな威力は出ないでしょうけどね。そしてことあるごとに宮本武蔵を引用し、師と弟子、親と子、青春の迷い、孤独との戦い、殆どいつも同じテーマですし、空手バカ一代と丸かぶり、ただ柔道というだけが違うみたいなとこでもあります。

 しかしそれがまたいいんだなぁw


 この次々強い敵が現れその都度必殺技を開発し、なんとか撃破してまた次の強敵、っていうシステムは梶原一騎の発明でして、三島由紀夫がドストエフスキーに言ったコトバじゃありませんけど、長編を語る上で他には無いほどのシステム。なんですね。手塚治虫のストーリーってのは叙事詩というのか物語で、初めから最後まで1つの物語で終わる、梶原一騎システムはサブルーチンのように1つの強敵が終わるとまた次、というようにいくらでも続けていけるので、無限に長編に出来るのですね。ワタシが思うにはキン肉マンもドラゴンボールもワン・ピースもすべて梶原一騎システムによって作られてます。マンガのカミサマは、絶対にテズカじゃなくて梶原一騎だってのはワタシの意見です。スポ根もの、と呼ばれてますけど別にスポーツにかぎらずなんでもこのシステムは使えるんですよね。

 
 梶原一騎にはやっぱまっすぐなところがあって、それが本当にワタシは好きなんですねw ワタシは実はこういうまっすぐな作品が好きなんだよなぁ・・・・。今ではこんなまっすぐなこと恥ずかしいというかなんというか、言えないですけど、まっすぐなコトとキレイゴトは違ってて、梶原一騎はキレイゴトは殆どいいません。むしろ露悪なくらい、一条がバカ高校に転学したら、そこはバカ高校らしく能なしズベ公たちは一条に群がった。みたいなことを平気で書きますw 今だったら900%アウトですねw 面白すぎるw バカ高校には能なしのスケベ女しかいないという設定w マジでおもしれー。そういうとこもはっきり言う、こんな作家、今ではほんといないよな~・・・。



 非常に良いセリフがあって

「自分が食べる苦労も何もない生活でほんのすこしだけ優しさを見せて自分を正義感ぶる、自分が窮地に追い込まれれば自分可愛さにガリガリの保身になる、そんなまやかしの善人ばかりだ、飢えて死んでも盗みをしないのがほんとの正義、自分の身を犠牲にしても他者の為を思うのが愛だ。」

 
 まさしくその通り、こんな正論をまっすぐに吐く作家はなかなかいません、特に現代ではいませんね。オタクに媚びを売って売上を伸ばそうとしたり、売れる為ばかりに努力してるマンガばっかり、いやな時代、いやな人間ばかりの世の中になったものよのぉ。と車も言っております・・・


 そりゃ飢えて死んでも盗みをせず、愛する人の為にほんとに死ねる人間、がいなくなったってことなのかもしれません。軍国教育はクソで人間の命を放り投げてた、と決まり文句でいう人がいますけど、誰か他人の為に命を賭けることが出来る人間がそんなクズだとはワタシは絶対に思いませんけどね。命はそりゃ尊いのかもしれまんせんが自己中のガリガリ亡者、誇りもプライドも何もなく爆買い中国旅行客!とかいってペコペコするような奴のほうがよっぽどクズだとワタシは思うんですけどね。

 正義と愛、ってものが現実には無いから、正義とか愛ってのを描くのは難しいんですね、実際そんなものをリアルに見たことが無いから全然リアリティが無いことを言ってるように見えてしまう・・。ワタシ自身の中にも、それが見つかりませんもの、飢えたら盗むし、命を犠牲にして愛したい人もいません。こりゃむっかしぃよなぁ・・・。