パストラルコメディ。という今では存在しないジャンルの演劇です。
演劇というよりは、舞台で演じられるエッセイ、みたいな感じで、筋立てがあってドラマチックな展開があるという感じではなく、それぞれのキャラクターに哲学的役割、みたいなのが与えられて舞台の上でディクテーションが行われるといった感じ。
鬱病、メランコリストのジェイクィス
道化のタッチストーン
恋に溺れる若者のオーランド
少年のフリをするロザリンド
欲に目がくらんでいるオリヴァー
みたいな感じでして、シェイクスピアの思ったことをそれぞれに語らせて、それをウィットとジョークで見せるといった、オシャレというか宮廷趣味っぽい感じの舞台です。道化であるタッチストーンも下品なネタではなくて洗練されたシャレを使いこなす道化です。
今ではよく意味がわからないというのが正直が感想ですが、あの有名な「人生は舞台であり、それぞれの役割を演じる・・・・」っていう名台詞など見せ場も豊富にあります。しかも長い。
当時はメディアっていうのが舞台しかありませんでしたから、今だったらテレビでやるところのバラエティ、みたいなものをすべて舞台、の役割だったというわけですね、今舞台というと、いわゆるお笑いのライブ、あれも1つの舞台です、それと真面目な調子のいわゆるほんとの舞台、悲劇ですね。あとは色モノっていうのか、踊ったり活劇があったり、殺陣があったり、時代物。今では細分化されていますけども、昔は全部1つの劇団がそれをすべてやってたってわけですね。シェイクスピアもあらゆるジャンルのものを書いています。今では作家には色、ってのがあって、シリアスなものを書くひとはシリアスしか描かないし、お笑いを書く人はお笑いしか描かない、作家が決めるというよりはオーディエンスがそれを望むって感じ。
笑いやウィット、コメディってのは時代に移ろいやすいっていう弱点?というのか性質があります。笑いってのは元ネタ、ありきなので、元ネタがわからないと伝わらない。