2017年7月29日土曜日

1907 シャーロック・ホームズのライヴァル達 ソーンダイク博士の事件簿 オースティン・フリーマン

オースティン・フリーマンによるソーンダイク博士シリーズの編集版です。


 タイトルにもあるようにホームズシリーズが爆発的にヒットして、それを追うようにして、同時代の作家はホームズの成功にあやかろうとして探偵小説の時代が始まったわけです。二番煎じですから玉石混交、クズみたいな作品もあふれるほどありますが、その中には、新しい発展を見せたものもあります。


 このソーンダイク博士シリーズは「最初に犯人がわかっていて、探偵がそれを解き明かす」という、手法の発明者として名が残っています。いわゆる刑事コロンボ的なやつですね、そのオリジナルがソーンダイクだってわけです。



 いわゆる純文学っていうものは、1880年にドストエフスキーがカラマーゾフの兄弟を書いたところで終わっているとワタシは思ってます、もうこれ以上の作品なんかかけっこないから、ベートーヴェンが第九を書いた時点でクラシックの歴史は終わってるみたいなもんです、もうそれ以上のものが作れっこないから。
 そういう「答え」が出てしまってる分野ってのはいくらもあります。しかしそういう「答え」的な作品の後には新しいジャンルが生まれてくるものです。

 純文学、と入れ変わるようにして現れたのが「探偵小説」と「SF」、なんですね、20世紀の文学の主戦場はここです、純文学なんてもう落ち目、日本みたいに文学的に遅れている国ではようやく20世紀になって純文学が発展するわけですけども、世界的にはもう完全に時代遅れでした。ロシアはヨーローッパの糞田舎で、純文学が最後に発展した舞台だったのですが、日本はロシアよりも更に未開だったわけです。日露戦争くらいでようやく、ヨーロッパのどんじりに頭を並べたって感じなのですね。文学的にもまさにそのくらいの時期に漱石とかが、欧米のレベルの文学を完成させるっていうわけです。文明と文化ってのは関係ないようでやっぱり歩数をあわせるものです。


 しかしこの20世紀初頭の作品ってやつは、作品の内容云々もそうなんですけど、やっぱ舞台が魅力的ですよね、蒸気と馬車の世界、近代化真っ最中の時代です。鉄道に乗って旅をして、馬車をぶっ飛ばして霧の街ロンドンを駆け巡る。化学薬品と顕微鏡を使って捜査するっていうわけです。
 コンピュータでプロファイリングとか、ビデオカメラを見て捜査、携帯電話で位置特定、みたいなのよりも、名探偵の頭脳だけにかかっているわけで断然こっちのほうが面白いですよね。

 戦後の世界っていうのは内容というよりも、セカイ、自体が魅力に乏しいっていう感じがするのですよね、20世紀初頭とかの作家ってすごい経歴を持ってたりします、このフリーマンにしたって、アシャンティ王国??なるアフリカへ住医として派遣されていたり、もちろん戦争に招集されたりと、人生、自体が魅力的です。



 戦後のセカイっていうのは、なんか地理的な移動がすごく困難になってる気がするのですよね、国境がものすごく高くなった、日本の作家にしたって、やれフィリピン、朝鮮、中国、と旅したみたいな経験を持ってる人間はごくわずかになって、ずーーっと国内で平凡に暮らしてる人間ばっかり。なんかイギリス帝国の頃のセカイのほうが、セカイ、ってものがちゃんと繋がってたっていう気がすごいするのはワタシがそう思うだけなんですかね?


 まっ、アフリカとのつながりっていうのは奴隷貿易なんですけどね、戦争と金儲け以外では人間はなかなか出不精ってことなんですなぁ。