ジュリアス・シーザーの続編とも言える作品。
Shらしく選んだ主人公はらマーク・アントニーとクレオパトラという敗軍の将です。
Shによるキャラ付けはアントニーは武勇には優れているが女には弱いという脳筋タイプ。悪い人間では決して無いが、人間味が強すぎるというキャラ
クレオパトラ、これが複雑なキャラ付けがされてる気がします、ただのエロい男を堕落させる悪女ではなくて、高貴でもあり、おそらく美人でもあり、感情に走ることもあるけれど、女の悪い部分を持てるだけ持ってるような人間であるけども、ただこの劇では、クレオパトラのアントニーに対する愛情は、ただの政略的なものではなく真実が含まれているという風に描かれています。
変わってオクタヴィアヌス・シーザーは、冷徹に政治を執行出来る、権謀術数にも長けた権力者としては完璧に近い人物、自分の感情に溺れることもない、20代前半の設定でありながら完成された人物として描かれています。
重要な脇役としてイノバーバスという武将も登場します、堕落していくアントニーの部下で、主を見限ってはいるのだけれども、アントニーをほんとは愛してもいるという人物。
ここまで書いてもわかるようにこの劇、というかこの時期以降のシェイクスピアは、こいつは完全に悪、こいつは善、こいつは純真無垢、こいつは非道な裏切り者。っていうはっきりとわかりやすい人物を描くことはなくなり、どちらともとれる、答えはそっちが決めて下さいっていうふうなやり方に変わっていきます。
レベルの低い客層や、大衆受けを狙う場合、はっきりくっきりわかりやすいほうがいいに決まっている。ヒトラーの屈指の名言だとワタシは思いますが
「一番理解力がない人間にもわかるようにしゃべり、うんざりするくらいそれを繰り返すこと」
これが大衆の人気を集める手段なんですが、シェイクスピアはそういうのにうんざりしてきたのでしょう、どっちつかずの、どちらともとれる、物語にシフトしていきます。
マーク・アントニーがクレオパトラという悪女につかまり、性欲に溺れて崩壊する悲劇。ではないんですこの演劇は。
むしろクレオパトラは悪いことをしようとして悪いことをしてるというよりも、アントニーを愛するけれども、根性が無かったり、運が無かったりして、善意による行動なんだけれども結果的には災厄しかもたらしていないという役回りだと思います。
アントニーはクレオパトラを愛し、彼女が裏切ることを常に恐れたり激怒したり改悛したりと、ある意味人間らしくふるまう人物。氷のようなオクタヴィアヌスよりも、好感が持てる部分もかなりある。
アントニーを裏切ったイノバーバスも最後にはアントニーを裏切らなければ良かった、と後悔して死んでいくことになる。
このように非常に多義性に富んだ演劇。
話しは変わりますけどもクレオパトラのキャラクター、完全なShの創作ではないにせよ、エロくて官能的でありつつ、高慢で高飛車、褐色で美人。というものすごいキャラが立ってる人物ですよね、女キャラとしてこういうふうに際立った特徴を持っているかなり先駆者的な人物ですよね。
今でもエジプト女のイラストというとこのクレオパトラのイメージだと思います、蠱惑的でミステリアス、露出が多くスケスケの服を着ていて、ツンデレ。そういうテイストで描かれます。
実際のエジプトのドキュメンタリーなどを見るとそんなやつはまったくいないw まぁイスラム化してまったく古代エジプトとは違う国になってしまっているのでね。そして美女というイメージも正直無い。
散々問題を起こしてきたクレオパトラですけれども、最後には毒蛇で自殺してオクタヴィアヌスは女にしては高潔な死に方をした勇気のある人物だった。といいます。
ここがワタシ的には一番のポイントだと思うのですけれどオクタヴィアヌスが
「クレオパトラは痛み無く死ぬ方法を研究していたらしいからな」
といいます。プルタルコスの著書にもクレオパトラは死刑囚に毒薬の実験体になってもらっていたという記述があるらしいのです。
そこがクレオパトラっていうキャラクターの肝なんだと思いますね。普通の女のキャラクターはそんなことをしない。女ってのはその日暮らしで生きてますし、自分が死ぬ時のこととか、死ぬ方法とかを考えたりすることはない。基本的に自殺はしないんです女性ってやつは。
クレオパトラはそれとは違って、自殺する方法を研究するほど、先のことを見越して考える、という女性らしくない部分があるんです、そして自分が自殺するような運命に追い込まれることを見越しているような部分がある、破滅を待っているような態度。
長く続いた王朝の王女であるのです・・・
という側近が言うように、彼女は歴史ある王朝の王女であって、ただの淫売とは全然違う。すごく難しいキャラですよね。シェイクスピアの中でも最も「女性らしい」キャラなのかもしれません。