2018年7月24日火曜日

1945年 の 太宰治 津軽  薄明 パンドラの匣 惜別

津軽 
 いわゆるルーツ探し、の旅です。生まれ故郷の津軽、について、知っておこうというという物語、一時期ルーツ探しというのが流行りましたね。大戦末期なのですけど、殆ど酒を飲んで酔っ払ってばっかりの酔いどれ旅で、いわゆる、ワタシたちが教え込まれた大戦末期、の状態とは全然違っています。食うもの食わずで飢えかけていて、空襲で家もなくもう竹槍を構えてあとは玉砕覚悟、みたいな様子。
 もちろんそういうのもあったでしょうけど、そんなのは少数派。戦争の災厄を強調するための最悪最大効果、とワタシが読んでるものです。一番最悪、なものだけを取り上げてまるでそれが全部みたいな言い方をすること。

薄明
 いよいよ本土空襲の時の物語。空襲で家が焼かれ、疎開先の家もやかれ、子供は目を患って失明するかもしれないと病院を求めて歩くというお話。けど悲壮感はなく、からりとしている、焼けちゃったね。これが、本当に空襲を受けた人の語り口だなと思う。

パンドラの匣

 戦後、の作品。
 いわゆるサナトリウム物、というやつですね。病院物っていったらいいのか、病院、刑務所、学校。ある組織の中だけの共同体、人間関係に限定して物語が展開していくっていうのは、小説とか、物語、としては非常にやりやすいものなのですよね。名作とか呼ばれているもので、このサナトリウム系に属する物語はひじょーーーに多い。恋愛物、戦争物についで三位ってとこでしょうか。まぁだいたい恋愛物は戦争にもサナトリウムにもドッキングされていてダントツで圧倒的だと思いますけど。
 ただ、いわゆるこの本当のサナトリウムものは戦後にはめっきり減りました、それは結核に対する特効薬、ストレプトマイシンが1943年に発見、日本でも1950年には製造されるようになったからです。若い人が結核で死ぬというのが綺麗で悲しくて物語になるので、がん、脳梗塞とかそういうだいたい老人がかかる病気ではサナトリウム物にならないからです。
 結核みたいな若い人、まぁだいたいは若くて美人な女が死なないと面白くねぇわけで、そういう若くて綺麗な女の人がなる病気、ってのがなくなってしまったのでこういう類の物語は減っていったというわけですね。
 こういうつまりはなんだかんだいって女の子がかわいいっていうことしか言ってない物語をメロドラマ、っていいます。昨今の萌えだとか美少女ものっていうけど全然最近でてきたものでもなくて、ずーーーーーーーーーーっとエンタメ業界は美少女のセックス産業でしたし、これからもずっとそうであるのは間違いない。

 ただこの作品はいわゆるメロドラマ、ではなくて、主題は、戦後、の青年像ってことになっています、プロットとしては結局はメロドラマなんですが、敗戦後、の青年だ、っていうことで、俗悪なメロドラマにはなっておりません。

 この1945~60年っていう時代って黒歴史になってるのか、全然情報が流れて来ませんよね。だいたい教科書だと、敗戦した次のページには所得倍増計画、もはや戦後ではない、になっています、いやいやちょっと待て、その途中は?
 どうも歴史家は朝鮮戦争で日本が儲けたというお話を避けるようですし、この時代を扱った作品ってのもすごい少ない。黒澤明の映画で間接的にわかるくらい。あとはもうロックンロールの60年台、昔は良かった、の昔であるところの60年台に話題が移ってしまうのですよね。


惜別 
 内閣情報局からの依頼によって、魯迅が仙台に留学していたころのことを小説化したもの。いわゆるプロパガンタ小説ですね、政治の匂いがする・・っていうのをよく言いますけど、これはもう完全にあけすけに政治そのものです。
 太宰がそういう仕事をするタイプなんだ、っていうのは意外ですけども、まぁ生活のためには致し方ないし、太宰は別に戦争否定派でもないわけです。無頼派が聞いてあきれるぜ、政府の犬じゃねぇか、っていう批判はもちろん出来ますけど、太宰自身が言ってるように、無頼派、デカダンスっていうレッテルは勝手につけられたもので、太宰自身は、むしろ体制派でありたい、右派でいたいと思っていたようです、少なくとも文面上は。お国のために命を捧げたいっていう決まり文句が、太宰のコトバはそれほど嘘でもないって気がしています。たいてい太宰が好きっていう人は、太宰のそういう翼賛会的なノリに関しては完全に無視を決め込んでいますね。

 どこまで創作なのかわからないような作品ですが、ともかく魯迅を中心に当時清であった支那と日本の関係が語られていきます。

 支那と日本、ワタシは中国っていうよりも支那、のほうがしっくり来ますね、英語もCHINAだし、なんで支那っていうのを辞めてしまったのでせう。

 しかし支那と日本ってのはいつも複雑怪奇な関係性ですわね、これももう大昔から尊敬したり侮ったり軽蔑したり憧憬したり、の繰り返しですので、反日、とか言ってても、あぁいまはまたその周期なのね、って感じしかないですね。それに結局反日なんてのは少数派で、大多数の人間は、反でも親でもなくて、どうでもよい、何も考えてない、だと思います。日本人だってそう、プラスでもマイナスでもなく、あまり興味がない、だと思います。
 メディアがまたいつもの大言壮語で、とんでもない中国!陰謀!財政破綻!米中戦争か!?みたいに煽ってるだけなんですよね、それって星座でわかるあなたの運命!みたいなのと大同小異です。
 とにかく非常に政治的な狙い、がある作品でして、文学作品としてどうこうっていう類のものではありません。